球団別ストッパー20年史 +

中日ドラゴンズ

‐守護神を育む「リリーフ重視」の血統‐

*斜体はリーグトップ

最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1984年 牛島和彦 50 29 3 6 75 2/3 67 2.74
小松辰雄 29 2 11 6 186 168 3.05
タイトルには届かなかったものの、リーグ最多の29セーブを記録した牛島に尽きる。抑えを任されて三年目、この年にリーグ最高のストッパーの名声を獲得した。次点の小松は先発だが、牛島の前のストッパー。
1985年 牛島和彦 38 8 6 8 116 1/3 82 3.48
郭源治 34 3 11 11 230 1/3 157 3.48
牛島がまさかの大不振に陥り、チームのビジョンは完全に崩壊した。牛島は後半先発に廻って数字を回復させたが、当然チームは抑え不在に。リーグ最多イニングを投げた郭が3セーブを記録したように、後半は先発投手をやり繰りしての苦しい起用だった。
1986年 牛島和彦 35 16 3 5 55 46 2.78
なし
前年大いに期待を裏切った牛島が復活。しかし、シーズン途中に監督交替するほどの低迷とあって、セーブ機会そのものにあまり恵まれなかった。牛島以外にセーブ記録はゼロ。
1987年 郭源治 59 26 4 3 98 70 1.56
宮下昌己 50 2 5 3 107 1/3 93 3.02
球界を騒然とさせた大型トレードで牛島がロッテへ。しかしこれが一人の投手を一流へと押し上げた。先発時代は貯金が造れない投手だった郭が闘志あふれる投球で押しも押されぬ守護神に。また、宮下を郭とセットで使うセットアッパー起用が功を奏し、現在の主流継投にも通ずる「宮下‐郭」の勝ちパターンを築き上げた。
1988年 郭源治 61 37 7 6 111 94 1.95
宮下昌己 20 1 1 0 35 16 4.11
郭の勢いは衰えるどころかますます強勢に向かい、37セーブ、44セーブポイントという前人未到の記録を樹立。優勝は彼抜きにはとうてい語れず、最多勝の小野に大差をつけてのMVP。宮下は前年の勢いを失っていたが、この年の郭に彼の助けは不要だった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1989年 郭源治 42 25 5 3 74 69 2.31
1セーブで二名
郭は依然衰えを見せない。しかしこの年は前年ほど先発が踏ん張れなかった。その中でも郭は12試合連続セーブポイント記録など、絶対の守護神の地位は揺るぎない。セーブは記録しなかったものの、中盤は鹿島が良く支えていた。
1990年 与田剛 50 31 4 5 88 1/3 70 3.26
今中慎二 31 1 10 6 144 2/3 85 3.86
三年間フルに投げまくった郭が故障し、投手陣にぽっかり大穴が開く危機。しかしルーキー投手がそれを完全に覆した。150キロの豪腕与田が完全にストッパーとなり孤軍奮闘でチームを一身に支えた。次点の今中も高卒二年目、初の二桁勝利と投手陣は一気に若返りを見せていた。
1991年 森田幸一 50 17 10 3 89 78 3.03
与田剛 29 2 0 3 45 1/3 38 3.18
一年目のあまりの「投げ過ぎ」に与田は耐え切れずパンク。しかしその危機を、またしても新人の森田が救う。強気の投球で中継ぎ・抑えにフル回転。しかし後半には疲労の色が濃くなり、二年続けての「酷使」に批判の声も出始めた。
1992年 与田剛 41 23 2 5 72 1/3 69 3.48
鹿島忠 38 6 3 1 57 2/3 49 2.81
大方の予想通り、森田は一年しか持たず、これ以降二度と甦らなかった。ようやく疲労癒えた与田が再びストッパーに。悪くはないものの、しかし一年目の圧倒的なスケールには及ばず、ここまでこつこつと中継ぎで投げていた鹿島の暫定ストッパーという場面も多く見られた。
1993年 郭源治 39 17 3 9 107 2/3 78 3.43
3セーブで二名
与田の復活もまた一年限り。森田もまた精彩を欠き、先発で不調が続いていたベテラン郭が四年ぶりの抑え復帰。シーズン中の配置転換を郭はさすがの貫禄で無難にこなした。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1994年 小島弘務 33 8 6 4 58 2/3 38 1.53
3セーブで二名
中日のストッパー不在年というのは数少ない。この頃は非常に苦労していた。ヘンリーは制球が悪すぎて失格、小島が代役として頑張ったが、これまで擁してきた球界を代表する抑えに比べて見劣りは否めず、暫定ストッパーの域を出ず。
1995年 郭源治 26 4 5 8 80 2/3 40 4.02
中山裕章 44 4 3 6 52 1/3 49 3.27
前年からの抑え不在は解消されず、すでに39歳の郭にも往年の力はなかった。ブランクから復帰し復調途上の中山、サイドハンドの古池らをとっかえひっかえの状態。
1996年 中山裕章 36 14 4 4 40 2/3 42 2.88
宣銅烈 38 3 5 1 54 67 5.50
韓国のスーパースター・宣の獲得でようやく抑え難を解消できるかと思われたが、その宣は精神面の脆さを見せ、さらに早々に故障。しかし、前年から往時の力が甦りつつあった中山が窮地を救った。暫定ストッパーとは言い切れない働き。
1997年 宣銅烈 43 38 1 1 63 1/3 69 1.28
1セーブで二名
一年目に辛酸を嘗めた宣が覚醒。圧倒的な安定感でチームの勝利を一身に背負い、横浜の佐々木と並ぶプロ野球新記録の38セーブを記録。チームの勝利59の実の6割以上に関わったことになる。
1998年 宣銅烈 42 29 3 0 48 2/3 58 1.48
落合英二 55 5 4 6 73 1/3 36 2.82
落合‐宣が勝ちパターン。宣は二年続けて防御率1点台、イニングを上回る三振奪取と圧倒的。もう何も心配要らない存在となった。落合以外にも新人の正津などが頑張り、徐々に継投パターンが確立し始めた。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1999年 宣銅烈 39 28 1 2 31 34 2.61
サムソン・リー 36 3 6 5 95 1/3 65 2.83
セーブは一つだったが、新人の岩瀬が中継ぎで10勝。3セーブを上げた韓国出身のサムソン、右の落合などの面子を連ね、絶対の守護神・宣を軸にした継投中心の布陣。前の充実で宣の投球イニングは年々減っている。パ制覇のダイエー同様リリーフでもぎ取った優勝と謳われた。
2000年 エディ・ギャラード 51 35 1 2 47 52 2.68
1セーブで二名
宣が現役引退。サムソンがメジャー挑戦を表明し退団。前年のリリーフの軸が完全に不在となり、穴埋めできないままシーズン突入。しかし急遽獲得したギャラードがチームの危機を救った。ギャラードは威力充分の速球でセーブを積み重ね、タイトルにも到達。緊急事態にもブランクは空かなかった。
2001年 エディ・ギャラード 47 29 0 1 46 2/3 24 2.12
落合英二 45 2 0 3 41 2/3 19 1.73
二年続けてギャラードが君臨。貧打に苦しむチームにあって、僅差をものにするための継投策はなくてはならないものになっていた。
2002年 エディ・ギャラード 47 34 1 1 47 1/3 27 1.52
紀藤真琴 30 1 4 4 72 2/3 53 2.85
ギャラードの三年目は防御率をついに1点台にし、二度目のタイトル獲得。しかし被安打が若干増え、ほんのわずかだがかすかに不安も垣間見せ始めていた。しかし岩瀬・落合を両輪にしたリリーフ陣は依然強力。
2003年 大塚晶則 51 17 1 3 43 56 2.09
エディ・ギャラード 23 14 2 2 23 21 5.09
ギャラードの不安は四年目に一気に表出。不安定な内容の末、故障離脱。しかし、特殊な事情で移籍していた大塚がいた。復帰後ギャラードが大塚優先の起用に不満を訴え横浜へ移籍するトラブルもあったが、しかし内容に格段の差があったのは事実。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2004年 岩瀬仁紀 60 22 2 3 64 1/3 53 2.80
落合英二 42 10 4 3 44 17 2.45
大塚がメジャー行き、特に補強もないとなれば抑え・岩瀬は当然の帰結。しかし開幕当初は珍しく不安定で、なかなか調子が上がらなかった。その間をフォローしたのがベテランの落合。夏前には岩瀬に本来の鉄壁振りが甦り、中継ぎで9勝の岡本も含めて優勝の原動力に。
2005年 岩瀬仁紀 60 46 1 2 57 1/3 52 1.88
1セーブで四名
抑え二年目の岩瀬が万全。鉄壁の投球でセーブを積み上げ40セーブを突破。タイトルは当然のこと、佐々木の記録を超え、年間セーブの日本新記録を樹立した。中継ぎの岡本は前年ほどの安定感はなかったが10勝。
2006年 岩瀬仁紀 56 40 2 2 55 1/3 44 1.30
1セーブで五名
3年連続チームトップの岩瀬はますます鉄壁。プロ野球史上初の2年連続40セーブは、佐々木や高津も為しえなかった大記録。名実ともに日本を代表するクローザーに。一方セットアッパーは岡本がさらに不安定となって、むしろ平井のほうが安定していた。
2007年 岩瀬仁紀 61 43 2 4 59 50 2.44
なし
不動の岩瀬を軸に黄金パターンの勝利リレー。岩瀬は4年連続チームトップ、そして3年連続40セーブ以上と圧倒的な存在感で衰え知らず。セットアッパーの岡本も一時の不調からは脱した。
2008年 岩瀬仁紀 51 36 3 3 49 41 2.94
1セーブで三名
五輪参加で約1ヶ月不在でも、岩瀬が当然のごとく5年連続トップ。4年連続30セーブ以上はプロ野球史上初。若干陰りを見せもしたが、鉄腕ぶりを見せつけた。一方岡本の流出で「その前」の投手はもうひとつ固まりきらず。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2009年 岩瀬仁紀 54 41 2 3 46 2/3 34 2.12
浅尾拓也 67 6 7 9 113 1/3 96 3.49
6年連続で依然岩瀬の時代が続く。絶対感は多少薄れても安定感は高く、自身4度目の40セーブ突破でタイトル奪回。「その前」を務めるセットアッパーには若い浅尾が定着。こちらは世代交代が進んだ。
2010年 岩瀬仁紀 54 42 1 3 48 41 2.25
浅尾拓也 72 1 12 3 80 1/3 75 1.68
「衰えた」と言われながらも岩瀬の時代は終わらない。7年連続チームトップは5度目の40セーブ突破で4度目のタイトル獲得。凄みは薄れても大きくは崩れず。セットアッパーの浅尾はさらに信頼を高め、12勝47ホールドで中継ぎタイトル獲得。

牛島以前にも「スピードガンの申し子」小松辰雄、その前も「リーグ1の快速球」鈴木孝政。古くは板東英二が活躍した実績もあり、チームの伝統として「リリーフ重視」が息づいています。近年は岩瀬が超長期政権に君臨、通算セーブ日本記録も更新間近に。

通算セーブ BEST5
1 岩瀬仁紀 276
2 郭源治 116
3 エディ・ギャラード 112
4 宣銅烈 98
5 鈴木孝政 96
2004−04−29
追加更新 2005−08−05
追加更新 2006−02−01
追加更新 2007−03−18
追加更新 2008−03−23
追加更新 2009−04−01
追加更新 2010−04−11
追加更新 2011−04−17

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