球団別ストッパー20年史 +

福岡ソフトバンクホークス(福岡ダイエーホークス・南海ホークス)

‐無謀な配置転換が低迷を呼ぶ‐

*斜体はリーグ最多

最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1984年 金城基泰 20 8 0 1 21 15 3.86
加藤伸一 33 4 5 4 75 46 2.76
長期に渡ってチームを支えてきた金城がシーズン途中にファーム落ち。低迷期ながら投手力が評価されていた時代で、この年は若手投手の台頭が著しく、次点の加藤は高卒ルーキー。
1985年 矢野実 40 7 2 3 68 39 4.37
1セーブで二名
金城にかわるストッパーはいまだ現れず。プロ野球全体でもそれほどセーブ数の多くない時代だが、この年の南海はチーム全体で9セーブと極端に少ない。矢野は技巧派の、どちらかといえば中継ぎ投手。
1986年 井上祐二 40 11 4 8 127 96 4.39
矢野実 41 3 3 0 61 2/3 22 4.09
前半は依然抑え不在。この年から指揮を執った杉浦監督は後半投手陣を再編成。先発で伸び悩んでいた井上を抑えに抜擢すると、これが見事にはまった。2ヶ月で11セーブを稼ぐ活躍。
1987年 井上祐二 46 14 6 2 72 1/3 59 3.24
藤本修二 31 2 15 8 217 126 3.15
前年に自信をつけた井上が完全にストッパーとしてひとり立ち。リーグ2位のセーブポイントを稼いだ。"抑え"といえば7〜8回から登板するのが当たり前だった時代で、次点の藤本は先発の大黒柱。エースのリリーフも当たり前の時代だった。
1988年 井上祐二 51 20 8 3 88 78 2.35
吉田豊彦 43 3 4 4 87 2/3 64 4.41
出遅れたものの、井上がさらに自信を深めて20セーブの大台到達。まさに「万全の抑え」として君臨していた。ルーキー・吉田は井上不在の間の穴を埋め、井上復帰後は左右のリリーフとして活躍。しかし徐々に先発にシフトしていった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1989年 井上祐二 57 21 6 2 95 1/3 69 3.30
矢野實 50 2 4 5 94 2/3 46 4.37
福岡ダイエー元年、ついに井上が待望のタイトル獲得。内容は前年に劣るものの近鉄の吉井を退け絶頂に立った。しかし、これが「抑え・井上」の見納めになるとは予想だにしなかった。
1990年 リッチ・ゴセージ 28 8 2 3 47 40 4.40
山内孝徳 39 5 7 7 70 2/3 39 6.11
弱体化した投手陣のてこ入れのため、田淵新監督は井上の先発転向という荒療治に踏み切る。しかしこれが迷走の始まり。代役にベテラン山内を指名したが球威の衰え著しくボロボロ。一度は不合格にしたゴセージを急遽獲得するも起爆剤にはならず。先発に廻った井上も低迷と散々。
1991年 池田親興 38 13 6 4 83 2/3 49 3.66
斉藤学 26 3 3 5 39 2/3 23 5.90
抑え不在は続き、サイドハンドの斉藤を起用したもののあまりに球威がなさ過ぎた。先発が完投しなければ勝てない状態が続いていたが、先発としてトレードで獲得した池田をリリーフにするとこれが成功。転向直後は大車輪の働きを見せ、チームの危機を救った。
1992年 池田親興 34 14 8 4 59 1/3 25 4.10
1セーブで二名
前年に続いて抑えは池田。しかし一時の勢いは影を潜め、他球団の抑えに比べるとやや見劣りする存在となっていた。いつしか時代は先発完投から継投へと変わっていたが、ダイエーはいまだそれを確立できず。
1993年 木村恵二 35 6 6 6 108 2/3 97 3.31
下柳剛 50 5 4 8 98 69 4.13
池田の時代は二年で終わり。根本監督のもと、チーム全体の大改造が始まった。放任主義と徹底した実験起用の中から、先発でくすぶっていたドラフト1位右腕・木村がリリーフで台頭。来る日も起用された下柳とともに徐々に自信をつけていった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1994年 ボビー・シグペン 33 12 2 2 37 1/3 21 1.93
下柳剛 62 4 11 5 105 2/3 89 4.51
17年ぶりに勝ち越し、リーグに旋風を巻き起こしたシーズン。オールスターまでは優勝しかねない勢いだった。そんな中だが抑えは確立せず。シーズン途中に超大物・シグペンの獲得でようやく落ち着いた。
1995年 木村恵二 55 21 7 9 70 1/3 62 3.20
ボビー・シグペン 20 8 1 1 23 10 1.96
王新監督のもと、抑えはシグペン・木村の二人体制。シグペンが6月に姿を消して以降は木村一人となった。この木村がポカも多いながらも総じて安定した力を発揮。特にフォークで三振を稼げるのはこれまでのチームにはない姿だった。
1996年 ホセ・ヌーニェス 42 16 6 9 103 2/3 79 3.13
木村恵二 30 5 1 6 65 1/3 55 5.51
最下位に低迷し、生卵事件が起きた年。万全と思われた木村が思いもよらぬ不調で、開幕早々抑え不在になってしまった。苦境をしのぐため、過去に抑え経験のあるホセを転向。先発では不安定だったホセがこれで生き返った。
1997年 岡本克道 52 19 3 6 53 2/3 60 3.19
木村恵二 48 5 2 6 71 1/3 54 3.91
ホセよりも木村、で始まったシーズン、木村は4月こそ万全だったが、わずか一月しか持たなかった。そんな危機的状況を救ったのがドラフト5位ルーキーの岡本。真っ向勝負の活きの良さと高い奪三振率で、これまでチームにいなかったストッパーらしいストッパーの出現となった。
1998年 岡本克道 42 21 1 2 39 36 2.54
吉田修司 63 10 3 4 55 2/3 50 2.10
前年に続き岡本が守護神。7月までで15セーブを稼ぎ、圧倒的な安定感を見せた。夏場に離脱した期間も左の吉田修司が良く穴埋めし、かつてないほどリリーフが充実。この勢いが翌年へとつながっていく。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1999年 ロドニー・ペドラザ 48 27 3 1 59 38 1.98
山田勉 36 5 3 4 56 39 4.34
鉄壁を誇った岡本が故障で不在と苦しい幕開け。テスト入団で経験のある山田を起用するも長続きはせず、先発要員として獲った途中入団のペドラザを思い切って抑えに抜擢。この賭けが大きな成果を生んだ。クローザーの安定で篠原・吉田といったリリーフもフル回転し、初優勝への大きな原動力に。
2000年 ロドニー・ペドラザ 51 35 3 4 50 1/3 40 2.15
篠原貴行 57 2 9 3 76 1/3 43 3.18
もはや完全に勝ちパターンは確立し、ペドラザがタイトルも獲得して不動の守護神に。次点の篠原がわずか2セーブという点からわかるとおり、最後の1イニングは常にペドラザだった。
2001年 ロドニー・ペドラザ 54 34 4 4 56 2/3 32 3.65
1セーブで二名
抑え・ペドラザが三年目も君臨。最多セーブ投手が三年続いたのは井上以来だが、タイトルを獲得してはいても内容は悪化し、そろそろ疲れが見え始めていた。34セーブも綱渡りのものが目に付いた。
2002年 ロドニー・ペドラザ 34 21 1 2 30 16 3.30
岡本克道 48 8 5 1 53 2/3 65 1.51
四年連続のペドラザも、内容はさらに不安定になり、夏過ぎについに抑えの座から滑り落ちた。故障後中継ぎに廻っていた岡本が代役で復活。シーズン終盤のほうがむしろ安定していた。
2003年 マット・スクルメタ 18 11 1 1 16 1/3 12 3.86
篠原貴行 30 10 1 4 42 2/3 40 2.32
ペドラザの夢をもう一度、とばかりに外国人スクルメタを起用するも、これは不安定で序盤のみ。岡本が出遅れたこともあり、これ以降は確固たる抑え不在で進むが、低迷していた篠原が10セーブ。しかしかつてのリリーフ王国とは程遠い姿だった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2004年 三瀬幸司 55 28 4 3 67 2/3 71 3.06
水田章雄 14 3 3 3 18 2/3 10 4.82
篠原が故障で投げられず岡本も出遅れ。開幕当初はテスト入団の河野に水田と苦しい布陣。そこに現れたのがルーキーの三瀬。4月半ばに初セーブを挙げると、そこからは不動のストッパーに君臨。新人王と同時に最優秀救援に輝いた。途中からセットアッパーの山田も貢献。
2005年 馬原孝浩 42 22 6 6 76 68 3.08
三瀬幸司 54 18 2 2 45 2/3 45 4.73
前年以上の勢いで快進撃を続けていた三瀬に落とし穴。調子を落としたところでの危険球退場で一転大乱調に。しかし先発で力を出せなかった馬原が即座に台頭し、抑えに穴は開かなかった。ベテランの吉武が中継ぎで奮闘。
2006年 馬原孝浩 51 29 0 4 54 2/3 62 1.65
1セーブで二名
抑え2年目を迎えた馬原はさらに安定。球速アップして、シーズン通して定着を果たした。三瀬は中継ぎでそこそこ。つなぎ役には新人の藤岡が台頭。吉田修、岡本といったベテランが退場し、リリーフ陣の顔ぶれもここ数年で大きく変わった。
2007年 馬原孝浩 54 38 2 4 67 1/3 68 1.47
2セーブで二名
3年連続の馬原が待望のタイトル獲得。終盤に一時不調に陥ったものの、38セーブはペドラザの数字を越える球団新記録だった。セットアップは誤算続きだったが、ベテラン水田が予想外の活躍。
2008年 馬原孝浩 21 11 2 1 19 1/3 23 2.79
D.J.ホールトン 28 6 4 7 84 1/3 86 4.27
馬原が開幕直前に突然のリタイアで構想は白紙に。代役を務めたホールトンも長続きはせず、先発に廻ると抑えは空白状態。馬原は後半ようやく復帰したが、本調子とは行かず、水田の故障などもあってリリーフ全体が低調なままだった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2009年 馬原孝浩 53 29 4 3 58 1/3 67 2.16
ブライアン・ファルケンボーグ 46 1 6 0 51 2/3 62 1.74
復帰した馬原が抑え5年目に。ただこの年は最終的な数字より不安感が強かった。一方で新人攝津、新外国人ファルケンボーグが強力セットアッパー陣を形成、馬原と合わせて「SBM」と命名され、大きな戦力となった。
2010年 馬原孝浩 53 32 5 2 60 2/3 49 1.63
1セーブで二名
前年は不安だった馬原が復調。引き続きセットアッパーの攝津・ファルケンボーグに加え、便利屋的存在として甲藤、さらには森福も台頭しリリーフ陣はますます充実。先発の数が揃わない中優勝の原動力としてフル回転。

井上を先発に廻した90年以降は迷走状態。岡本やペドラザの登場とチーム成績の向上がリンクしています。6年連続トップと長期政権になった馬原は歴代トップ。

通算セーブ BEST5
1 馬原孝浩 161
2 ロドニー・ペドラザ 117
3 金城基泰 84
4 井上祐二 70
5 岡本克道 51
2004−04−25
追加更新 2005−08−06
追加更新 2006−02−01
追加更新 2007−03−18
追加更新 2008−03−23
追加更新 2009−04−01
追加更新 2010−04−11
追加更新 2011−04−17

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