球団別ストッパー20年史 +

ヤクルトスワローズ

‐高津以前・高津以後‐

*斜体はリーグトップ

最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1984年 尾花高夫 45 7 14 8 175 106 3.45
中本茂樹 38 6 2 5 64 1/3 41 5.46
トップの尾花も先発の軸なら、他にも梶間・高野が2セーブと頼りになるのは先発投手ばかり。65試合に登板した左の大川が4セーブを上げた以外には信頼できるリリーフが不在で、中本も5点台の防御率。
1985年 尾花高夫 40 7 11 8 205 107 4.39
阿井英二郎 44 2 3 5 105 79 4.29
とにかく尾花に頼りきりの投手陣。質・量ともに大いに不足で、特定の投手を使いまわす他にない状態。チームももちろん低迷していたが、その中で先発で荒木、リリーフで阿井が台頭して光明も見えてきた。
1986年 中本茂樹 45 6 3 3 58 2/3 23 3.99
2セーブで二名
チームトップの6セーブを上げても、中本を抑えというのはやはり心もとない。リリーフの柱は9勝を上げた阿井だが、荒木の更なる成長があっても尾花・梶間の故障が痛くチームは依然低迷。
1987年 高野光 38 11 7 6 134 1/3 95 4.02
3セーブで二名
前半は阿井・中本でしのいでいたが、後半から高野をリリーフに廻し固定。先発陣で荒木・伊東に一本立ちの気配があり、ようやく後ろのことを考える余裕が出てきた。これまでは抑えを固定する投手層がなかった。
1988年 伊東昭光 55 17 18 9 122 2/3 72 3.15
なし
せっかく前年固定した高野が故障で、やむを得ず前年勝ち頭の伊東をリリーフに。暫定的な配置だったはずが、いつしかチームの特徴となっていた。伊東はすべて救援で最多勝という前代未聞の記録。「勝ち星泥棒」と揶揄する向きもあったが、3回から最後まで投げきったという記録もあり、実際は先発陣のふがいなさの裏返しだった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1989年 内藤尚行 41 8 12 5 163 97 2.82
ロン・デービス 36 7 4 5 56 2/3 34 3.97
先発に戻った伊東は前年の疲れからか大不振。代わりに若い内藤が前半大車輪の活躍を見せた。途中獲得したデービスをストッパーに据えて内藤は先発に廻ったが、そのデービスはいまいちぱっとせず。四死球が多くこの年限り。
1990年 内藤尚行 28 6 10 8 132 1/3 109 4.08
金沢次男 37 5 6 7 74 69 3.65
野村監督就任。かつて佐藤・江夏・金城とストッパーを駆使した「リリーフ重視」の監督だったが、層の薄さはいかんともしがたかった。移籍の金沢は予想以上に良く働いたが、ここぞという場面では内藤に頼らざるを得ず、内藤の疲労もかなりのものだった。
1991年 岡林洋一 45 12 12 6 106 2/3 93 3.97
1セーブで四名
先発に戻した内藤は大不振に陥り、そのほかにも故障者多数。その中でリリーフの中心に座ったルーキーの岡林が良く頑張った。低迷が続いていたチームは11年ぶりのAクラス。ただ岡林も終盤は先発に廻り、翌年の継投プランは不透明のまま。
1992年 内藤尚行 35 10 5 6 71 53 3.55
角盈男 46 5 2 4 39 1/3 37 3.20
故障者復活のオンパレードで久々優勝の年。黄金時代の幕開けだが、投手陣は苦心のやりくりが目立った。岡林は川崎の穴埋めのため先発。空位となったリリーフは復活を期す内藤、移籍のベテラン角、ベテラン中本などで回し、日本シリーズはこれまた復活の伊東がこなした。
1993年 高津臣吾 56 20 6 4 78 1/3 72 2.30
2セーブで二名
球威あり、三振も取れる山田を抑えに開幕したが、山田は安定感に欠けた。しかしここで、チームが望んで全く得られなかった待望の切り札が誕生する。高津は決め球シンカーを武器に急台頭。チームの連覇はこの人抜きには考えられなかった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1994年 高津臣吾 47 19 8 4 72 1/3 54 2.86
山田勉 36 2 10 5 80 77 3.26
高津が二年連続の抑え、山田も二年続けてリリーフで10勝と、前年と変わらぬ布陣。高津は前年ほどの凄みにはやや欠けたが、リーグ最多セーブでタイトル獲得。ヤクルトはここまで、12球団で唯一救援タイトルのなかったチームだった。
1995年 高津臣吾 39 28 1 3 48 1/3 36 2.61
山田勉 42 5 5 3 68 62 4.10
高津のチームトップは三年目、もう押しも押されぬ「守護神」となっていた。山田とのコンビも三年目だが、山田の内容はいまいちでベテランの伊東が絡むことも多かった。
1996年 高津臣吾 39 21 2 6 50 35 3.24
伊藤智仁 14 3 1 2 15 15 5.40
四年目の高津も、この年はチーム全体に故障者続出。山田も成績が悪化し、高津もまた数字が若干悪化した。新人年以来丸二年間登板のなかった伊藤がリリーフで復帰。
1997年 伊藤智仁 34 19 7 2 47 2/3 53 1.51
高津臣吾 51 7 7 4 79 1/3 68 2.04
シンカーの切れの鈍った高津を先発に廻し、抑えはドクターKの伊藤というプラン。伊藤は計算どおりの抑え適性を見せてくれたが、やはり故障が不安で、夏場に一時離脱。その穴を埋めたのは先発失敗した高津だった。
1998年 廣田浩章 52 7 4 2 56 1/3 22 2.56
3セーブで三名
伊藤・高津で始めたが両投手とも開幕から調子が上がらず、伊藤は先発に戻っていったが高津は不調のまま。暫定的にベテランの廣田が代役を務めた。久しぶりに抑え不在で終わったシーズン。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1999年 高津臣吾 40 30 1 1 41 1/3 38 2.18
山本樹 51 3 2 6 66 2/3 52 3.38
若松監督就任のもと、前年苦い思いをした高津が見事に復活。チーム初の30セーブに到達し、自身も二度目のタイトルに輝いた。かつてよりうまさが光る投球だった。二年目の五十嵐が快速球で鮮烈デビュー。
2000年 高津臣吾 35 29 0 1 34 2/3 29 2.08
1セーブで三名
復活なった高津が揺るぎなし。五十嵐がセットアップで11勝を上げる活躍を見せるも、なぜかチーム成績には結びつかず4位。チーム防御率は2位でも先発陣の足並みは今ひとつ揃わなかった。
2001年 高津臣吾 52 37 0 4 51 2/3 39 2.61
1セーブで三名
右の五十嵐、左の山本・石井弘でつないで最後は高津で締めるパターンが崩れず。高津は自己最多セーブを更新。以前に比べ奪三振は大幅に減ったが打たせて取るスタイルを確立。
2002年 高津臣吾 44 32 0 2 41 2/3 28 3.89
石井弘寿 69 5 6 2 89 2/3 109 1.51
自慢の左右のセットアッパーは五十嵐・石井弘の150キロコンビに。だが肝心の抑えの高津にやや綻びも見え始めた。セーブは稼ぐものの失点も多く、特に被本塁打が急増した。そろそろ限界説も囁かれ始めた。
2003年 高津臣吾 44 34 2 3 42 26 3.00
石井弘寿 36 1 6 1 45 1/3 61 1.99
高津が四度目のタイトル獲得、通算セーブでも佐々木を抜き歴代トップとなった。しかし前年から急増した被本塁打はこの年も減らず、万全の抑えとは言いがたくなってきた。石井弘は故障で出遅れたが、復帰後はさすがに球威の違いを見せた。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2004年 五十嵐亮太 66 37 5 3 74 1/3 86 2.66
石井弘寿 38 5 4 2 52 2/3 69 2.05
高津がメジャーに去り、後釜は当然のごとく五十嵐。段違いの速球を武器に三振を奪りまくり、見事タイトルに輝いた。「左のロケット」石井は故障に五輪と離脱が多かったが、それでも投げれば抜群の安定感を見せた。
2005年 石井弘寿 61 37 4 3 73 2/3 91 1.95
五十嵐亮太 49 4 3 2 56 2/3 60 3.49
前年タイトルの五十嵐が故障でも、ロケットの左・石井が万全。初めて抑えに専念し、改めて能力の高さを見せ付けた。37セーブは前年の五十嵐と同数で、例年ならば文句なしにタイトル級の数字。投球内容も抜群。
2006年 高津臣吾 48 13 1 2 42 2/3 31 2.74
木田優夫 56 8 3 5 58 1/3 47 3.09
石井弘が再三の故障で戦力にならず、五十嵐も不調のままという緊急事態発生。リリーフ陣崩壊の危機を救ったのは、アメリカ帰りの大ベテラン二人だった。木田がフル回転の奮闘を見せ、高津は抑えに座って8月以降10セーブ。高津の通算セーブは日米通算で300に。
2007年 高津臣吾 25 13 0 5 23 1/3 15 6.17
館山昌平 45 5 3 12 127 2/3 115 3.17
高津がいよいよ衰えを隠せなくなり、ロケットの二人は故障不在。5月以降は事実上の抑え不在状態に。次点の館山もメインは先発で、高津登場前に逆戻りしたような形となってしまった。チームは最下位に低迷。
2008年 林昌勇 54 33 1 5 51 50 3.00
五十嵐亮太 44 3 3 2 43 2/3 42 2.47
韓国から入団の豪腕林を筆頭に、中継ぎ陣も押本・松岡が定着して顔ぶれ一新。林は終盤陰りも見せたものの、30セーブ突破で大きな戦力となった。五十嵐にも復調の気配。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2009年 林昌勇 57 28 5 4 57 52 2.05
五十嵐亮太 56 3 3 2 53 2/3 44 3.19
2年続けて林が君臨。相変わらずのスピードで後ろを支え続けた。ただこれも前年同様夏場以降に失速。松岡の急激な不振もあり、チームは後半急降下で激しい3位争いに。
2010年 林昌勇 53 35 1 2 55 2/3 53 1.46
松岡健一 73 3 3 4 71 2/3 69 2.64
3年目となる林の勢いは止まらず、この年はこれまでの終盤失速もなくシーズン完走。序盤低迷したチームは監督交替と同時に急上昇に転じ、林のセーブ数も後半飛躍的に伸びた。

明らかに高津から変わった歴史です。高津以前は先発兼業の投手がほとんどで、投手陣の層の薄さがそのまま出ています。やはり古田とともに高津はチームの歴史を変えたと言えるでしょう。

通算セーブ BEST5
1 高津臣吾 286
2 林昌勇 96
3 石井弘寿 55
4 五十嵐亮太 54
5 松岡弘 41
2004−05−05
追加更新 2005−08−07
追加更新 2006−02−01
追加更新 2007−03−18
追加更新 2008−03−23
追加更新 2009−04−01
追加更新 2010−04−11
追加更新 2011−04−17

戻る

トップへ