球団別ストッパー20年史 +

阪神タイガース

‐80年代にすでに実現していた「勝利の方程式」‐

*斜体はリーグ最多

最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1984年 山本和行 52 24 10 8 83 2/3 65 3.55
伊藤宏光 32 2 4 11 150 2/3 80 4.84
タイガースの抑え、といえばサウスポー山本の時代。この年もセーブ数は牛島に譲ったが勝ち星も多くタイトル獲得。勝ちゲームに複数の投手をつぎ込む時代ではなく、次点の伊藤は規定投球回に達しているように先発投手。
1985年 中西清起 63 19 11 3 107 2/3 83 2.67
山本和行 33 11 5 6 50 41 2.70
二年目の中西が抑えに台頭。ベテラン山本が故障離脱するアクシデントを見事に補った。大爆発した強力打線を味方に、劣勢でも粘り強く勝ちを拾い、21年ぶり優勝へとチームを導いた。中西はタイトル獲得。この時代には珍しく、阪神は勝ち試合の継投パターンを持っていた。
1986年 山本和行 49 15 11 3 86 80 1.67
中西清起 61 5 8 9 95 73 2.94
アキレス腱断裂の重症から復活した山本が抑えに復帰。圧倒的な安定感を見せた。しかしチームは前年好循環した継投パターンが機能せず。投手陣の編成がなかなか固まらなかった。
1987年 中西清起 61 14 6 8 103 2/3 56 3.91
山本和行 34 9 2 1 48 42 4.31
依然として中西・山本の左右体制。だが山本に力の衰えが伺え、メインは中西にシフトする。しかしその中西も年々内容が悪くなっており、徐々に万全とは言えなくなってきた。
1988年 中西清起 46 15 8 9 91 54 4.45
仲田幸司 29 1 6 9 130 103 3.88
優勝から三年、チームに低迷の気配が濃厚となってきたシーズン。中西の防御率はとうとう4点台に突入し、そもそも中西までなかなかつなげない。次点仲田は先発投手。セーブは好調な序盤にあげたもの。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1989年 住友一哉 44 7 3 4 63 1/3 33 3.41
中西清起 34 5 10 10 139 2/3 74 4.00
当初はリリーフでスタートした中西を、シーズン途中に先発転向。これで先発陣は形が整ったものの、リリーフが完全に空位となってしまった。変則・住友は「他にいないので」といった印象で、消去法の存在。チーム全体でもわずか17セーブ。
1990年 中田良弘 45 6 10 7 82 58 3.51
野田浩司 37 5 11 12 108 1/3 81 4.90
三振を取れる力がありながら低迷していた三年目の野田を抑えに抜擢。しかし安定感には程遠く、また先発に戻っていった。85年に12勝をあげて以降低迷していた中田をルーキー時以来の抑えに起用。これがうまくはまったが、過度の起用による疲労から失点が多くなり、セーブよりも勝ち星のほうが伸びてしまった。
1991年 久保康生 37 6 6 3 59 2/3 39 3.17
田村勤 50 4 3 3 59 2/3 57 3.77
前年からリリーフでフル回転していた久保が最多セーブ。しかし、やはり「消去法」の抑えでしかない。特に前半は起用法が一貫せず、チーム全体が大混乱。だがその中からようやく、新星・田村が光明を見せた。
1992年 田村勤 24 14 5 1 41 53 1.10
弓長起浩 51 4 4 1 80 55 1.58
チームがAクラスに浮上、その一翼を担ったのがさらに勢いを増した抑えの田村だった。左横手からの切れ味鋭い投球を武器に14セーブ。ところがひじを痛め6月末にリタイア。一転後半は抑え不在に。新人の弓長の落ち着いた投球が光った。
1993年 田村勤 30 22 1 1 36 39 2.50
中西清起 33 11 3 3 82 54 3.62
田村がいない危機を救ったのは、かつての抑え・中西だった。先発に廻って以降低迷していたが、この年復活。そして7月に復帰した田村が、わずか3ヶ月で22セーブの荒稼ぎ。絶対の安定感で守護神として君臨した。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1994年 古溝克之 61 18 7 2 94 81 2.20
田村勤 11 4 2 3 14 1/3 16 3.77
鉄壁だったはずの田村が、序盤で故障するアクシデント。この危機を救ったのが、オリックスから移籍してきた古溝だった。長期低迷していた左腕が移籍で機会を得て再生。安定感も抜群で、田村不在の穴を見事に埋めた。
1995年 古溝克之 45 19 2 9 68 1/3 60 3.29
1セーブで二名
前年に続いて抑えは古溝。移籍一年目ほどの安定感はなく、9敗を喫してしまったが、それでも19セーブを上げ苦境をしのいだ。この年はチーム全体で46勝。チーム勝利の4割以上に貢献したことになる。
1996年 郭李建夫 45 15 8 9 104 1/3 81 3.62
古溝克之 37 4 3 5 88 1/3 69 3.77
古溝はさらに成績を落とし、抑えから中継ぎへ。入団以来、その豪腕振りを期待されながら結果が伴っていなかった郭李が待望のストッパーに。荒れ球でも球威は抜群で、好調時にはなかなか打ちづらい存在だった。
1997年 葛西稔 44 10 6 3 59 2/3 36 1.51
田村勤 50 9 0 2 34 2/3 33 2.86
一本立ちを期待された郭李が早々にリタイア。しかしその中、チームには伊藤−葛西の新しい形が生まれた。眠れるドラ1・葛西は前年からリリーフの一角を占め、打たせて取る投球でこの年10セーブ。田村もかつてほどではないものの、安定した力を見せた。
1998年 ベン・リベラ 44 27 2 3 53 45 2.38
なし
なかなか定着しないストッパーとして、台湾から外国人リベラを獲得。これが期待通りの働きを見せた。球威はさすがのもので被本塁打はわずかに2。リベラ以外にセーブ記録なしという、極めて珍しい数字からも信頼が伺える。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1999年 ベン・リベラ 29 12 1 1 25 1/3 29 0.71
福原忍 54 9 10 7 70 1/3 53 4.09
前年に引き続き抑えはリベラ。しかし二年目は故障に泣き、登板数もセーブ数も激減してしまった。そんな中、新人の福原が先発にリリーフに大車輪。チームに数少ない剛速球の持ち主として注目を集めた。
2000年 葛西稔 43 17 7 6 44 26 2.45
カート・ミラー 17 6 0 2 17 22 7.41
リベラを解雇して、前年途中に入団したミラーを抑えに。しかしこれは完全な見込み違い。福原も安定感を欠き、救援陣で最も安定している葛西が抑えの大役に。復活左腕・遠山とセットで起用され、野村監督の奇策的采配にも良く応えた。
2001年 成本利秀 45 20 3 1 50 34 2.34
1セーブで三名
葛西・遠山に前年の切れがなく、抑えはまたも不在に。しかしかつてロッテ時代にタイトルも獲得した成本をテストで採用していたのが功を奏した。安定した投球術で20セーブと貢献。
2002年 マーク・バルデス 42 22 4 3 52 2/3 39 1.54
1セーブで二名
復活した成本はわずか一年で故障発生。しかし新外国人バルデスが全く不安を感じさせない働きを見せた。球威ある曲球で1点台の防御率と安定。今度こそ定着を期待されたが、わずか一年で退団。
2003年 ジェフ・ウィリアムス 52 25 1 1 52 2/3 57 1.54
安藤優也 51 5 5 2 61 60 1.62
当初はポートを抑えに想定していたが、これはダメ。しかしセットアッパーと想定していたウィリアムスが圧倒的な抑えとなった。次点の安藤にリガンがセットアッパーとなり、勝ちパターンが確立。85年と同じように、リリーフ陣の充実が優勝を大きく後押し。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2004年 ジェフ・ウィリアムス 51 14 2 4 46 2/3 56 3.28
安藤優也 57 5 5 8 60 1/3 72 3.58
序盤は役割が固定されず、安藤だったりリガンだったり。結局は落ち着いたウィリアムスも、前年ほどの凄みにはやや欠けた。ウィリアムスが五輪で不在期間中の代役は桟原と久保田。
2005年 久保田智之 68 27 5 4 80 2/3 97 2.12
1セーブで二名
安藤が先発に廻り、ウィリアムスを左のセットアッパー、久保田を抑えに固定。右のセットアッパー藤川が日本新記録の80試合登板と大活躍。この必勝パターンはチームの特色となり、三人のイニシャルから「JFK」と呼ばれた。優勝への大きな原動力に。
2006年 藤川球児 63 17 5 0 79 1/3 122 0.68
久保田智之 47 16 5 7 50 57 3.96
ウィリアムス開幕出遅れ、久保田が故障離脱とJFKの足並みはいまいち揃わず。圧倒的に光ったのは藤川の存在。さらに凄みを増した投球で、セットアッパーとしてリーグ最多の35ホールド、久保田離脱後は抑えに座って17セーブの圧巻投球。ウィリアムスも復帰後は安定投球。
2007年 藤川球児 71 46 5 5 83 115 1.63
なし
3年続けてJFKが君臨。井川退団で先発が弱まったことで、その存在は一層重要なものに。締めの藤川は相変わらずの鉄壁投球で岩瀬と並ぶシーズンタイ記録。恐るべきは久保田の90試合登板、55ホールドという数字。
2008年 藤川球児 63 38 8 1 67 2/3 90 0.67
ジェフ・ウィリアムス 55 5 5 4 55 1/3 65 3.09
多少の齟齬はありつつも、JFKはこの年も健在。久保田はリーグ最多の登板数を記録し、藤川は五輪参加で1ヶ月不在ながらリーグ2位タイのセーブ数。その不在期間にはウィリアムスが久々にクローザーを務めた。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2009年 藤川球児 49 25 5 3 57 2/3 86 1.25
なし
長年チームの顔となっていた「JFK」も久保田が故障、ウィリアムス不振でついに解体。リリーフ陣の顔ぶれは様変わりしたが、藤川だけは依然大安定。圧倒的な奪三振率で失点はわずか一桁。ただチーム成績が振るわずセーブは伸びなかった。
2010年 藤川球児 58 28 3 4 62 2/3 81 2.01
なし
5年連続トップの藤川はこの年も健在。久々に防御率が2点台と「藤川にしては」打たれる場面もあったが、信頼は揺るぎなかった。ただセットアッパーのほうはもう一つ。またこの年チームは打線活発で、セーブ機会にならないことも多かった。

左のストッパーというのは意外に少ないものですが、阪神ではなぜか目立つ存在。低迷期はさすがに苦しく、本来中継ぎの投手が名前を連ねています。そして歴代上位に全員ランクインのJFKトリオはやはり圧倒的な存在。その中でも藤川はとうとう歴代トップに。

通算セーブ BEST5
1 藤川球児 155
2 山本和行 130
3 中西清起 75
4 田村勤 54
5 久保田智之 47
5 ジェフ・ウィリアムス 47
2004−04−25
追加更新 2005−08−09
追加更新 2006−02−01
追加更新 2007−03−18
追加更新 2008−03−23
追加更新 2009−04−01
追加更新 2010−04−11
追加更新 2011−04−17

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