球団別ストッパー20年史

横浜ベイスターズ(横浜大洋ホエールズ)

‐ストッパーこそチームのエース‐

*斜体はリーグトップ

最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1984年 斉藤明夫 43 10 11 6 94 53 4.88
なし
前年のタイトルホルダー、二年続けてリーグ最多セーブの斉藤がいても、この年はチーム全体がぼろぼろの状態。エース遠藤が最多勝でも最多敗戦、平松にいたっては1勝で10敗を喫するなど序盤からゲームが壊れるケースが多く、また斉藤も不調が目立った。
1985年 斉藤明夫 55 18 9 5 109 2/3 72 2.13
1セーブで二名
継投主義の近藤監督就任。斉藤は前年の不調から立ち直り、リーグトップの中西に次ぐ18セーブを上げた。左の久保やサイドスローの堀井、関根らを駆使してゲームを作ってきたが、シーズン後半に息切れしたのは地力不足か。
1986年 斉藤明夫 44 23 5 6 78 49 1.85
中山裕章 18 3 0 3 44 15 5.11
「スーパーカー・トリオ」などで話題も集めたシーズン、斉藤が三年ぶりにタイトルを奪い返した。前年から圧倒的な安定感を見せており、日本を代表するストッパーとなっていた。高卒ルーキーの速球右腕・中山も3セーブを上げ颯爽とデビュー。
1987年 斎藤明夫 39 15 4 1 70 2/3 36 2.17
1セーブで三名
古葉監督就任。名将と呼ばれた監督に代わり期待は大きかったが、なかなかチームはかみ合わなかった。特に非力なピストル打線で得点力の低さに泣き、せっかくの斉藤もセーブ機会に恵まれない。
1988年 中山裕章 70 24 10 6 142 1/3 118 2.28
松本豊 43 3 2 3 95 51 5.49
斉藤が故障でプロ生活初の二軍落ち、そこで快速球を誇る中山が抑えに。中山自身は期待以上に働いたが、遠藤も故障するという苦しい環境下、来る日も来る日も登板するハードなシーズンとなった。70試合はリーグトップの登板数。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1989年 中山裕章 45 17 1 10 79 68 4.10
松本豊 48 5 1 5 97 1/3 66 3.98
前年の疲労甚だしく、中山が大乱調続き。5月後半から連続でリリーフ失敗し4敗を喫するなど、トータルでも10敗。攻撃陣は相変わらずピストル、投手陣も足並みが揃わず、チームは春から最下位安住。古葉監督ラストイヤーとなった。
1990年 遠藤一彦 45 21 6 6 70 2/3 55 2.17
2セーブで三名
新たに就任した須藤監督は中山を先発に転向させ、抑えには故障低迷していたベテラン遠藤を指名した。遠藤は80年以来十年ぶりのストッパー役だったがさすがに経験豊富。うまさの光る投球で見事に安定。カムバック賞も手にした。チームも七年ぶりのAクラス浮上。新人の佐々木が2セーブを記録。
1991年 佐々木主浩 58 17 6 9 117 137 2.00
遠藤一彦 19 7 2 2 25 18 5.76
遠藤・斉藤といったベテランの不調、一方で先発では野村が15勝を上げ、そして佐々木のストッパー完全確立。投手陣の世代交代が一気に進んだ。佐々木は凄まじいまでのフォークの落差で三振を取り捲り、まともにヒットを打つことも難しい投手として一本立ち。
1992年 佐々木主浩 53 21 12 6 87 2/3 135 2.46
盛田幸妃 52 2 14 6 131 2/3 80 2.05
被打率わずか.148、三振奪取率13.86、これで佐々木の凄さはすべて説明できてしまう。この年セットアッパーとして盛田が台頭。「大洋相手では6回までが勝負」と言われるほどの安定感を見せた。佐々木が最優秀救援、盛田が最優秀防御率、二人で26勝はチームの勝ちの4割以上。しかしチーム自体は開幕一ヶ月で監督交替するなどちぐはぐだった。
1993年 佐々木主浩 38 20 3 6 55 84 3.27
小桧山雅仁 44 4 3 9 99 1/3 85 2.99
横浜元年。佐々木は前年ほどの勢いはなかったものの、それでも依然三振奪取率は13以上。盛田が故障による不調で、防御率6点台と散々。佐々木につなぐまでが一苦労で、新人の小桧山・五十嵐がその役目を担った。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1994年 盛田幸妃 46 16 8 4 72 2/3 59 2.48
佐々木主浩 31 10 3 1 46 59 2.15
佐々木が開幕前に故障で離脱、復活した盛田が代役を務め事なきを得たが、開幕当初はなかなか型が決まらなかった。島田直が中継ぎで踏ん張り、佐々木もシーズン中に復帰したがチームは最下位低迷。弱体先発陣ではリリーフをカバーできなかった。
1995年 佐々木主浩 47 32 7 2 56 2/3 78 1.75
盛田幸妃 57 5 8 4 73 60 1.97
三年振りに盛田‐佐々木ラインが復活。両者とも1点台の防御率で全く付け入る隙がなかったが、チームは完全にそれに依存。チーム唯一の二桁勝利も中継ぎの島田で、先発で最高は8勝。12球団で唯一完投数が一桁と極端なリリーフ依存型。
1996年 佐々木主浩 39 25 4 3 49 2/3 80 2.90
五十嵐英樹 46 2 9 6 77 1/3 59 3.38
佐々木の奪三振率は14を越えた。防御率は悪化したものの二年連続リーグトップのセーブ数。しかしあまりに弱い先発を充実させるべく転向させた盛田が失速、チーム成績は上向かない。五十嵐が中継ぎで粘り強く投げ、存在感を大きくアピールした。
1997年 佐々木主浩 49 38 3 0 60 99 0.90
盛田幸妃 32 2 1 7 59 1/3 39 5.31
佐々木が宣とともに日本新記録の38セーブ。1点に満たない防御率、1割2分台の被打率とあまりに圧倒的で、「大魔神」の異名にふさわしい桁外れの存在となった。新たに就任した権藤コーチの元、五十嵐・関口・島田らを繰り出す継投策でチームも快進撃。横浜旋風ともいうべき勢いで2位に浮上した。
1998年 佐々木主浩 51 45 1 1 56 78 0.64
1セーブで三名
権藤新監督の采配で38年ぶりの優勝。中継ぎローテーション制など「無理をさせない」方針が話題になったが、主役はなんと言ってもMVPの佐々木。セーブ数は未知の領域である40台に入り、ほとんど失敗なしの完璧な内容。前年と併せて100イニング以上に投げて自責点はわずか10。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
1999年 佐々木主浩 23 19 1 1 23 1/3 34 1.93
2セーブで三名
ここまで四年連続でリーグトップのセーブ数を上げてきた佐々木、だがこの年はフォークの切れが悪く、さらにひじの不調が伝えられ、そのまたさらにFAでのメジャー移籍が騒がれ、佐々木は8月1日を最後に手術に踏み切り戦列を離れ、最後はチームをも離れた。チーム内外での騒動が多く落ち着かないままシーズン終了。
2000年 木塚敦志 46 18 7 3 62 1/3 73 2.89
福盛和男 40 10 6 6 88 49 3.58
佐々木不在の影響は予想通りあまりに大きく、代役もなかなか見つからない。そんな中台頭したのがルーキーの木塚。サイドからの勢いのある速球で途中から完全に抑えに定着。穴は埋めてくれたが、一方でこれまでリリーフにカバーされてきた先発陣の不安も露呈した。
2001年 斎藤隆 50 27 7 1 64 2/3 60 1.67
木塚敦志 69 3 9 5 90 2/3 70 2.48
名将と謳われた森監督はいまだ佐々木の影を引きずるストッパーに、後輩でもありエースでもある斎藤を指名。これにより木塚がセットアップに廻り、戦う体制を整えた。斎藤は久しぶりに球威のあるところを発揮して27セーブ。木塚も良く投げたが、やや酷使の不安もよぎった。
2002年 斎藤隆 39 20 1 2 47 2/3 46 2.45
2セーブで二名
投手陣崩壊、打線小粒化、チームの弱体化が一気に表面化したシーズン。斎藤までつながるゲームも少なく、またその斎藤も数字には表れない部分で不安定なところを良く見せた。チーム立て直しを願った森監督はわずか二年足らずで解任。
2003年 エディ・ギャラード* 13 8 0 1 12 1/3 12 2.19
デニー 52 7 1 8 47 47 4.40
生え抜きの山下監督就任、しかしそもそも戦力が圧倒的に足らない。特に投手陣は悲惨な状態で、先発もリリーフもすべてが駒不足。西武から移籍のデニーが毎日のようにマウンドに上がった。ギャラードの成績は移籍後だけのもの。戦力不足は明白だった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2004年 佐々木主浩 25 19 1 2 22 2/3 18 3.18
門倉健 42 10 4 8 76 1/3 86 4.60
復帰を果たした佐々木は序盤順調にセーブを積み上げ、チームも4月は快進撃。しかし佐々木には悪夢が待っていた。8月三連続でリリーフ失敗し二軍落ち。引退を取り沙汰される騒動となった。後半は門倉が抑えを務めたが安定感なく、チームは三年連続の最下位に沈んだ。
2005年 マーク・クルーン 55 26 3 2 53 1/3 61 2.70
佐々木主浩 9 4 0 3 6 5 9.00
とりあえず佐々木でスタートしたが、もう衰えは顕著だった。そこに現れたのが新外国人のクルーン。日本最速の161キロの速球で大いに注目を集め、新たなストッパーに定着した。川村・木塚・加藤といったリリーフ陣も活躍。
2006年 マーク・クルーン 47 27 2 5 48 70 3.00
川村丈夫 57 3 4 4 56 34 3.86
前年に続きクルーンが抑え。フォームが変わってもスピードは健在で、奪三振率はさらに上昇。ただし前年健闘したリリーフ陣全体は前半不調。チーム自体も低迷し、クルーンも一時離脱。その間の代役は川村が務めた。
2007年 マーク・クルーン 43 31 3 1 42 1/3 65 2.76
ホセロ・ディアス 45 2 3 4 66 2/3 61 4.59
3年連続でクルーンが不動の抑え。初めて30セーブを越えたが、フィジカル面に若干の不安も見え隠れした。当初は配置転換が予定されていたが、シーズンに入るとリリーフ陣はおなじみの顔ぶれに。
2008年 寺原隼人 41 22 3 9 71 66 3.30
マットホワイト 15 2 1 0 14 12 4.50
クルーンの穴は当初外国人で埋める予定だったが、開幕後急遽寺原を先発から配置転換。これ自体はまずまずうまくいったものの、同時に先発陣の完全な弱体化を招くことに。チームは大低迷で寺原の登板間隔もまちまちだった。
最多セーブ 次点 登板数 セーブ 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
2009年 山口俊 51 18 5 4 55 68 3.27
石井裕也 28 6 0 6 25 1/3 18 4.26
寺原を先発に戻し、前年加入の石井抑えでスタート。しかしその石井はシーズン序盤で不安定となり失格。セットアッパーとなっていた豪腕山口が後ろに回った。チームは2年連続の最下位に低迷。
2010年 山口俊 54 30 2 8 68 2/3 78 2.62
なし
当初先発転向予定だった山口が開幕直前に抑えに戻る迷走気味でスタート。それでも山口は前年より内容を向上させ、クルーン以来の30セーブ到達。セットアッパーの牛田とともにリリーフを支えたが、チームの低迷は止まらず3年連続最下位。

圧倒的に君臨した佐々木の凄さは段違い。また、佐々木以前を見ても斉藤明夫、遠藤などチームのエースがイコールストッパーという伝統が出ています。このチームはエースになれる器でなければ抑えには定着できない印象も。投手層の薄い現在ですが、山口のスピードには大きな魅力。

通算セーブ BEST5
1 佐々木主浩 252
2 斉藤明夫 133
3 マーク・クルーン 84
4 遠藤一彦 58
5 斎藤隆 48
5 山口俊 48
2004−06−06
追加更新 2005−08−09
追加更新 2006−02−01
追加更新 2007−03−18
追加更新 2008−03−23
追加更新 2009−04−01
追加更新 2010−04−11
追加更新 2011−04−17

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