寺原 隼人 (早人)

快速右腕、故障多発型

右投右打
日南学園高 ダイエー/ソフトバンク02ドラフト1巡〜06、横浜07〜10、オリックス11〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 41 0 3 9 22 1 71 57 4 66 12 2 4 26 3.30
09 横浜 13 2 2 7 0 0 83 89 8 77 23 1 4 36 3.90
10 横浜 20 0 4 3 0 0 54 54 5 42 24 1 4 22 3.67
11 オリックス 25 7 12 10 0 0 170 1/3 162 4 112 43 3 7 58 3.06
通算 10年 182 16 49 55 23 1 801 2/3 790 69 605 235 19 35 337 3.78

高校時代、当時の甲子園スピード記録を塗り替えて評判となった快速球右腕。松坂並とまではいかないが、1年目からかなりの注目を集めた投手。
ドラフトでは4球団競合の末ダイエー入り。まだまだ荒削りな素材型という印象だったが、1年目から戦力となった。注目された初先発では勝てなかったが、その後たびたびチームの連敗を止める活躍。故障で一時離脱の後はリリーフで回転し、6勝を挙げ並の新人ではないことを示した。続く2年目も前半波に乗って7勝をマーク。ここまではまさしく逸材の活躍だった。
しかしあまりに順調すぎたのか、2年目の後半から急激に停滞。ボロボロになって二軍落ちすると、その後2年勝ち星なし。ほとんど一軍に上がれず、ファームでの内容もさっぱり。完全な低迷に陥ってしまった。球種を増やしたり和田式のフォームに変えてみたりと試行錯誤したが、表面的な修正に走りすぎていた印象。意外に器用な面が逆に災いしていた。
ようやく復調の兆しを見せたのは06年で、3年ぶりの先発勝利を挙げると、7月にはプロ初完封も記録。シュートの習得とツーシームの多投で投球の幅が広がった。負け越しで谷間の先発から脱却まではできなかったが、プレーオフでも好投するなど久々にいいところを見せた。そして翌07年、多村とのトレードで横浜に移ると、ここで力を発揮。開幕ローテーション入りで3連勝スタート、夏場は調子を崩して負けが込むも、終盤復調して12勝をマーク。初の二桁勝利でチームの勝ち頭となり、ついに一本立ちを果たした。翌年は三浦の出遅れもあって開幕投手を務めたあと、チーム事情から4月末に抑え転向、そのままストッパーを務め22セーブ。
ただダイエー時代から細かい故障の多い投手で、07,08年とフルで働いた反動が09年に出た。改めて先発に戻るも4月後半に背筋痛で離脱。7月復帰したが4連敗を喫するなど本調子とはいかず、さらに9月に入ると今度は肘を痛めて再度リタイア。わずか2勝と不本意な結果に終わると、翌年も引き続き故障続き。序盤先発で3勝するも、肘の不調で5月頭に離脱。6月後半に復帰と思いきや、1試合投げただけで故障再発。一軍に戻ってきたのは9月になってからで、復帰後はリリーフを務めた。
昨年はトレードでオリックスへ。故障連発の2年から、今度はシーズン通して力を発揮した。開幕ローテーション入りし、序盤は負けが込んでいたものの、5月後半から7連勝をマーク。7月中に4年ぶりの二桁勝利に到達。後半は一時離脱に加え負けが先行し2勝しか上積みできなかったが、シーズン12勝は自己最多タイでチームトップ。復活の1年に。
甲子園での快速球からともすれば力で圧倒するイメージを持たれがちだが、本分は多彩な球種を交えるコンビネーション投手。平均速度の速いバランス型の投球スタイルが身上。まともに投げれば10勝級の力は改めて実証した。細かい離脱は昨年もあり、課題はやはりこの故障の多さ。今度はこの調子を維持したい。