八木 智哉

先発左腕、乱高下型

左投左打 新人王(06)
日本航空高〜創価大 日本ハム06希望枠〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 日本ハム 2 0 1 1 0 0 10 2/3 14 3 10 2 2 0 8 6.75
09 日本ハム 20 3 9 3 0 0 122 115 16 76 40 5 3 39 2.88
10 日本ハム 9 0 1 4 0 0 39 47 10 27 18 4 1 30 6.92
11 日本ハム 3 0 1 1 0 0 15 17 0 4 4 2 2 7 4.20
通算 6年 75 8 28 23 0 0 442 2/3 426 53 261 135 20 10 174 3.54

1年目の06年12勝を挙げてチームの優勝に貢献、新人王に輝いた先発左腕。だが2年目以降は状態が安定せずにいる。
希望枠で日本ハム入りし、即戦力の期待通り開幕ローテーション入り。初登板で先発勝利と幸先の良いスタートを切った。何より八木の名前を高めたのは4月中旬のソフトバンク戦、斉藤和と投げ合って10回無安打の快投。自身に勝ちは付かなかったものの、後続の投手も抑えて「ノーヒットノーランリレー」と話題になった。これで波に乗り、4月末から先発5連勝をマーク。この時点では平野佳(オ)と並走といった感じだったが、平野が徐々に調子を落としていったのとは対照的に最後まで好調を維持。左のエースとして12勝の堂々たる成績を残し、結果的に新人王は独走状態となった。防御率もリーグ3位となり、期待以上の大きな戦力となった。
テイクバックの際にグラブを顔の前に突き出す独特のフォーム。変則投法だが持ち味は強気な攻め。かなり大胆にテンポ良く投げ込む投手で、小気味良さが大きな魅力。ずば抜けて速いわけではないが、力強さを感じさせる。
最高のスタートを切ったが、2年目は一転して不調。開幕当初こそ3勝と悪くない滑り出しだったが、5月以降全く勝てなくなり、何度か二軍落ちも。後半復帰後も3連敗を喫するなど精彩を欠き、前年カモにしたソフトバンクにも4戦3敗5点台と散々。わずか4勝止まりと大誤算のシーズンとなった。狂ったリズムは翌年も戻らず。シーズンのほとんどを二軍で過ごし、わずか2試合1勝という成績。
大きく落ち込んだが09年切れを取り戻し復活。二軍スタートも4月後半に昇格すると、そこから前半負けなしの先発6連勝をマーク。間隔を空けた登板ではあったが、高い安定感を見せた。後半ペースダウンし二桁には届かなかったものの9勝を挙げ、日本シリーズでも先発勝利。戦力に返り咲きのシーズンに。
ところがこれが2年続かず、10年はまた不調。開幕から2試合先発して内容が悪く二軍落ち。その後も状態は一向に上がらなかった。9試合先発で1勝のみ、防御率は7点近い大幅な落ち込み。すると昨年は出番が激減し、シーズン序盤の3試合登板のみ。前年ほど悪くはなかったものの良くもなく、全く存在感のないままシーズンを終えた。
どうも体調を維持できないのか、活躍の翌年切れが鈍って大幅に落ち込んでしまう。さらに困った点がスランプの長さで、一度落ち込むと2年は引きずるというのではさすがに問題が多すぎる。本来ならばローテーションに定着していなければいけない存在なのだが。今季も不調から立ち直れないようだと見切られる可能性も。

柳瀬 明宏

速球派、故障低迷型

右投右打
如水館高〜龍谷大 ソフトバンク06ドラフト(大・社)6巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ソフトバンク 30 0 1 2 3 6 29 2/3 41 5 23 13 1 5 17 5.16
09 ソフトバンク 3 0 0 0 0 0 4 10 1 2 3 1 2 8 18.00
10 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
11 ソフトバンク (- - - - - - - - - - - - - - -*育成)
通算 6年 87 0 5 3 5 16 98 1/3 97 11 81 44 6 8 45 4.12

1年目プレーオフで脚光を浴び、2年目に飛躍したリリーフ右腕。だが近年は故障もあって苦しんでいる。
ドラフトでは下位指名。これは直前に肘の手術をしていたためで、プロ入り後も当初はリハビリ。しかし二軍で実戦登板すると評価がにわかに高まり、8月末に一軍昇格。8試合連続無失点で終盤はリリーフの一角に加わり、ポストシーズンの秘密兵器と目された通りプレーオフで2試合続けて勝ち投手に。この活躍でセットアッパー候補に浮上。
力の抜けたフォームから繰り出す140km台中盤の速球とフォークのコンビネーションが武器。かなり手元で伸びる球質で、三振が奪えるのが魅力。制球は粗っぽいタイプで、四球は多いが力で押し切る投手。
この活躍から2年目は藤岡とともにセットアッパーとして期待され、一気に登板数増加。44試合登板で4勝2セーブの結果を残した。すっかりリリーフの主力となったが、ただ投球にムラがありすぎ、重要な場面を任せきるには不安も大きかった。その不安は翌年一気に表面化。序盤から不安定極まりない投球続きで、前年より大幅に成績を落とした。チームがリリーフ難に陥った原因の一人となってしまった。
1年目終盤から2年目にかけての輝きを急速に失い、09年はシーズンのほとんどを二軍で過ごし、3試合リリーフ登板してすべてに失点と全くいいところのないままだった。さらにここから故障に悩まされ、09年秋・10年夏と2度肘を手術。二軍でも実戦登板がない状態で、昨年からは育成契約に。
実戦から随分遠ざかってしまった。今季も引き続き育成契約だが、年齢的にもブランク的にもそろそろ復帰の目処を立てたいところ。まずは投げられる状態に戻さないと。

薮田 安彦

晩成投手、ベテラン守護神型

右投右打 最多ホールド(07)
上宮高〜新日鉄広畑 ロッテ96ドラフト2位〜07、(米ロイヤルズ08〜09)、ロッテ10〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
(08 KCR 31 0 1 3 0 - 37 2/3 41 6 25 17 0 1 20 4.78)
(09 KCR 12 0 2 1 0 - 14 29 3 9 7 0 4 21 13.50)
メジャー通算 2年 43 0 3 4 0 - 51 2/3 70 9 34 24 0 5 41 7.14
10 ロッテ 63 0 2 5 1 28 65 2/3 59 9 57 22 3 2 23 3.15
11 ロッテ 53 0 1 2 31 5 56 2/3 38 4 57 13 0 1 11 1.75
日本通算 14年 459 7 47 66 41 104 952 2/3 915 114 667 338 23 37 406 3.84

04年からリリーフで急台頭、ロッテのセットアッパーとなった投手。小林雅につなぐ存在として活躍し、2年のメジャーを経て10年からロッテ復帰。
かつては地味な先発要員。社会人から入団して1年目はローテーション入りし4勝とまずまずのスタートを切ったが、翌年は5勝止まりで9敗と負け越し。さらに翌年は2勝に終わり、あと一歩が抜け出せない状態だった。当時はフォークがすべてで他にこれといった武器がなく、波の激しさにも苦労していた。シーズン5勝が自己ベストで、先発としては谷間要員を脱出できず。
平凡な成績が続いていたが、初めてリリーフに廻った04年急激な変貌を遂げた。想像以上にピッチングが安定し、リーグトップの66試合に登板。初めて防御率を2点台とし、大覚醒のシーズンとなった。続く05年もセットアッパーとしてフル回転。チームトップの51試合に登板し、ついに「5勝の壁」を突破して7勝をマーク。阪神の「JFK」に対抗して、藤田・小林雅のイニシャルを取り「YFK」(かなり安易だが)などとも呼ばれた。ポストシーズンは7試合無失点。チームの日本一にも大きく貢献。
これまでは淡白な印象もあったが、想像以上にリリーフが向いていたようで、先発時代よりスピードも向上。奪三振率も一気に上がり、かつての半技巧派のイメージは全くなくなった。割合ムラがあってポカも多いのだが、スピードが乗っている時にはかなりのパフォーマンスを見せる。
WBC代表にも選ばれた06年は肩を痛めて離脱するなど苦しい場面もあったが、防御率は自己ベスト。相変わらずチームの継投を支える働きを見せた。そして翌年は04年に次ぐ登板数で34ホールド、自身初めてのタイトルに輝いた。小林雅の不振から終盤は抑え役もこなし4セーブを記録。
コンビを組んでいた小林雅と同じく、シーズン後FA宣言しロイヤルズと契約。08年からはメジャーに。ただ1年目は31試合登板も内容はいまいち。2年目はマイナーがメイン、8月後半にメジャー昇格も12試合で無失点が3度だけという滅多打ちを浴びてしまった。
シーズン後ロッテと契約し、10年は3年ぶりに復帰。すでに36歳とあって不安もあったが、開幕から大きな戦力となった。小林宏につなぐセットアッパーとして前半絶好調。疲労からか後半は防御率4点台後半と失速してしまったが、伊藤に次ぐ63試合に登板しフル回転。ポストシーズンで7試合無失点と活躍、チームの日本一に貢献。
さらに昨年は初めてシーズン通してのクローザーとなり、力強い投球を見せた。前年とは違い夏場も好調に過ごし、30セーブ突破。防御率1点台は自身初で、奪三振率も9を突破。もう38歳だが150km前後とスピードは衰えず、むしろ渡米前より今のほうが速いほど。若々しい投球で今季もリリーフの中心。

山井 大介

先発右腕、隔年型

右投右打
神戸弘陵高〜奈良産大〜河合楽器 中日02ドラフト6巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 中日 2 0 0 1 0 0 9 5 1 10 0 0 0 1 1.00
09 中日 17 0 0 4 2 2 36 2/3 42 6 29 20 2 6 26 6.38
10 中日 19 1 7 4 0 1 110 1/3 105 10 84 39 5 5 46 3.75
11 中日 10 0 3 3 0 1 45 2/3 51 3 35 18 1 1 22 4.34
通算 10年 132 3 27 25 3 6 508 2/3 512 51 406 191 21 25 225 3.98

沈んだかと思うと浮上してくる先発右腕。力は充分あるものの故障の多さもあり、活躍が2年続かない投手。
所属していた河合楽器の休部で、規定より1年早くドラフト下位で中日入り。本来ならもっと高い順位でおかしくない選手と言われた。1年目は即戦力の期待通り6勝をマーク。特に後半は完全にローテーションに定着し、強気の投球で好成績を収めた。しかしリーグワーストの暴投を記録するなど技術は荒削り。2年目の03年は完全に出遅れてしまい、一軍先発陣の足並みが乱れてもお呼びすらかからずに終わってしまった。04年も前半は二軍暮らしと低迷していたが、後半谷間で先発した試合で完封の快投。「じゃんけんで先発し完封(実際は違ったようだが)」と話題になった。そのまま最後まで一軍に残り、日本シリーズでも6回零封で勝利投手に。再び先発候補として台頭。
140km台後半の速球に鋭いスライダーを軸とする速球派。もともとボールの威力は持っており、いつローテーション定着してもおかしくない投手。なのだが、どうもムラが強く安定しない。05年は開幕から先発で投げたが、ここでまた大きく期待を裏切った。前半12試合先発で6点近い防御率に1勝5敗とさっぱり。その後持ち直したが期待外れのシーズンとなった。06年は肩の故障で1年を棒に振ることに。
07年夏場に復帰すると、ここでまた脚光。後半ローテーション入りし、巨人戦3勝を含む6勝の活躍。それ以上に話題となったのが日本シリーズでの快投。日本一に王手のかかった試合で先発し、8回まで完全投球。一人の走者も許さぬまま9回岩瀬にマウンドを譲り、史上初の2投手リレーによる完全試合日本一を演出した。
大いに物議を醸した投手リレーだがそれはともかくとして、このパフォーマンスをまた持続できないのが歯がゆい。翌年は先発好投した直後に肘の故障で離脱。シーズン中は復帰できず、次の登板はクライマックスシリーズだった。ここで大きく後退すると09年は不調に喘ぎ、6度の先発は5回持ったのが1度だけという内容で3敗。二軍では最多勝タイ・最高勝率・最優秀防御率と投手三冠となり力の違いを見せ付けたが、一軍では自己ワーストの防御率でパッとしないままのシーズンに終わった。
現れては消えてを繰り返し、なかなか立場が安定しない。それでも地力の高さは確かで、10年は再々浮上に成功。前年来の不調を引きずり前半は二軍のほうが長かったが、6月以降は復調を果たしてローテーション入り。後半5勝を挙げ、自己最多の7勝をマーク。対巨人4戦3勝など優勝への大きな戦力となった。
まともなら10勝級の能力を改めて発揮し、今度こその期待もあった昨年。だったが故障で出遅れ、1試合投げたところで足首骨折で離脱とまた後退に。一軍に戻ったのは9月になってから。ここから3勝し逆転優勝の戦力になったが、安定感は全くない内容だった。
もうベテランの域に近付いており大きな変わり身は難しいかもしれないが、せめて一度ぐらいはシーズン通した活躍を見せたいところ。良かった年でも活躍が後半に集中しており、シーズンの入りがいつも悪いところを改善したいものだが。

山内 壮馬

ドラ1右腕、先発型

右投右打
杜若高〜名城大 中日08ドラフト(大・社)1巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 中日 4 0 0 0 0 0 9 1/3 9 3 12 2 0 0 6 5.79
09 中日 1 0 0 0 0 0 1 1/3 3 0 0 0 0 0 2 13.50
10 中日 6 0 2 1 0 0 35 24 2 18 18 1 0 8 2.06
11 中日 11 1 3 2 0 1 62 1/3 46 6 31 20 2 0 12 1.73
通算 4年 22 1 5 3 0 1 108 82 11 61 40 3 0 28 2.33

一軍戦力に前進中の右腕。まだ実績は乏しいながら、後半はローテーションに食い込む活躍を見せた。
高校時代は長谷部(楽)とチームメイト。大学に進んだ後、大学・社会人ドラフトでその長谷部の外れ1巡指名を受け、中日入り。当初はスライダーを決め球とする力勝負の投手で、即戦力とはならなかったものの一軍登板では10イニング未満で12の三振を奪った。しかし翌年はわずか1度の登板に終わり、二軍成績もパッとせず停滞。
転機となったのは3年目。その前のオフにドミニカのウインター・リーグに派遣され、ここでカーブを覚えるとともに投球スタイルをモデルチェンジ。シーズンに入ると二軍で好成績を挙げ、一軍に昇格すると、2度目の先発でプロ初勝利をマーク。故障もあって序盤だけの一軍生活に終わったが、内容も良く2勝を挙げステップアップ。
転換した投球スタイルはスライダーを完全に軸に据え、この球種の割合が非常に多い。スピードは平均130km台前半〜中盤と控えめで、シュートやカーブを交え打たせて取る技巧派タイプに。
昨年は開幕から2試合リリーフで投げた後、先発で6回を1安打零封し降雨コールドで完投勝利を記録。5月頭の登板を最後に前半は二軍暮らしが続いていたが、球宴明けに再昇格し今度はローテーション入り。さらに2勝を上積みし、初めて一軍登板を二桁に乗せた。終盤は二軍だったとはいえ総じて安定した投球を見せ、今季はさらなる台頭の可能性充分。いよいよ一軍定着なるか。

山岸 穣

万能、一軍半型

右投右打
福井商高〜青学大 西武05ドラフト4巡〜10途中、ヤクルト10途中〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 西武 4 0 0 0 0 0 8 1/3 9 2 2 2 2 0 5 5.40
09 西武 4 0 0 0 0 0 6 10 0 5 3 0 1 6 9.00
10 ヤクルト 4 0 0 0 0 0 7 1/3 7 2 8 3 1 0 8 9.82
11 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 3 4 1 1 2 0 0 5 15.00
通算 7年 76 0 6 4 1 9 128 2/3 115 17 110 38 13 3 58 4.06

派手さはないが、実戦的な投球が持ち味の右腕。先発もリリーフも可能な万能型としてプロ入り当初活躍していたが、近年は不振続き。
大学では1年から実戦登板し、通算32勝を記録。西武入りすると、1年目は開幕一軍こそならなかったものの5月に昇格。先発ではKOされたが、リリーフではまずまずの結果を残した。その後しばらく二軍で過ごし夏場に再昇格。9月に緊急リリーフから5回を零封する投球でプロ初勝利。
パッと目を惹く部分は少ないが、スライダーとチェンジアップ、いずれも縦に落ちる変化球を得意としている。奪三振も多めで、まとまりがあって使いやすい投手。被打率もなかなか優秀。
期待された06年は故障で開幕に出遅れたものの、後半盛り返して活躍。特に終盤は13試合連続無失点の安定感を見せた。07年もまたオープン戦での骨折で前半戦を棒に振ってしまったが、8月から復帰で自己最多の3勝をマーク。
ここまでは常時一軍とはいかずとも戦力として存在感を見せていたのだが、これ以降急激に一軍から遠ざかるように。08年は夏場に昇格も冴えない投球内容ですぐに二軍落ち。わずか4試合の登板に終わり、09年は終盤までずっと二軍。シーズン終わり際に一軍昇格したがやはり4試合のみの登板に終わった。2年ぶりに先発もしたが3回4失点と結果を残せず。
10年も二軍にいたところで、シーズン途中ヤクルトへ移籍。しかし環境変わっても状態は上向かなかった。8月のリリーフ3試合はいいところも見せたが大炎上もして二軍落ち。シーズン終了間際に再昇格して先発も、4回4失点と冴えない内容で結果を残せなかった。移籍2年目の昨年は古巣相手に先発も3回5失点KO。一軍登板はこの1度きりで、あとはずっと二軍暮らし。
これで4シーズン一桁登板が続き、再浮上どころか結果は落ちる一方。もう30歳となっており、この停滞状況が続くようだと相当厳しい。球威不足を補うだけのものを見せられるか。

山口 俊

剛球右腕、抑え型

右投右打
柳ヶ浦高 横浜06ドラフト(高)1巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 16 0 1 1 0 2 23 2/3 10 1 28 16 1 2 2 0.76
09 横浜 51 0 5 4 18 7 55 44 7 68 17 4 5 20 3.27
10 横浜 54 0 2 8 30 2 68 2/3 57 6 78 24 1 3 20 2.62
11 横浜 59 0 2 6 34 1 61 1/3 46 5 48 19 4 3 17 2.49
通算 6年 191 0 11 24 82 12 249 2/3 200 31 253 94 13 14 88 3.17

横浜の新たな抑えとなった若手速球投手。150km超のスピードで押す力の投球が魅力。
高校2年時にエースとして神宮大会に優勝、続くセンバツでは初戦敗退も大会史上最速の151kmを計時し「高校生bP投手」とも呼ばれた。その後故障に苦しむも、秋の高校生ドラフトで1巡指名を受け横浜入り。期待の大器としてデビューは早く、1年目の6月末に初登板初先発、6回1失点の好投でいきなり初勝利を挙げた。さすがに粗くて後は続かず、翌年にかけて一軍では5連敗。ただ07年は二軍でオール先発で8勝をマークした。
3年目も8月まではずっと二軍。ただ下では着実に成績を良化させていた。そして9月に昇格すると、リリーフでかなりの好投。1ヶ月で16試合に登板し、わずか2失点と上々の結果を残した。10月にはリリーフ勝利で一軍での連敗をストップ。粗っぽいものの、奪三振率の高さと被打率の低さで力強さを存分に発揮。
この活躍から翌09年は当初から戦力と期待され、大きく飛躍に成功。シーズン序盤はセットアッパーとして好投し、抑え役の石井が乱調に陥ったことから、5月以降はストッパーとして回転することとなった。さすがに大安定とはいかず、チームの低迷からセーブ数も伸びなかったものの、51試合に登板して5勝18セーブの成績を残し、完全に主力に定着。
平均で150km前後の速球が最大の持ち味で、投球の7割を速球で押す豪腕タイプ。同時に粗っぽさも残る投手だが、デビュー当初に比べ随分四球は減った。先発で長いイニングをこなすよりはリリーフの瞬発力に適性。
当初先発転向予定の10年だったが、新外国人の評価が低く開幕直前になって抑えに戻ることに。バタバタした影響もあってかシーズンでは5月末までに5敗を喫するなど序盤は不安定。ただその後はだいぶ落ち着いてきた。最終的に8敗したものの、低迷するチームにあって30セーブの大台に到達。これで立場はすっかり不動となり、昨年は最初から抑え構想。チームは相変わらず低迷もコンスタントにセーブを積み上げ、前年を上回る34セーブを記録した。
一見成績を伸ばしているが、自責にならなかった失点が3あり、失点率では前年よりダウン。6敗というのは守護神としては少し多く、特に最後の1ヶ月に3敗を喫してしまった。課題は未だ残すが、抑えとして実績を残し今季もリリーフの中心。昨年奪三振率が低下したのが気がかり。

山口 鉄也

リリーフ左腕、大出世型

左投左打 新人王(08)、最優秀中継ぎ(09)
横浜商高〜米マイナー 巨人06育成ドラフト1巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 巨人 67 0 11 2 2 23 73 2/3 61 3 69 12 3 4 19 2.32
09 巨人 73 0 9 1 4 35 78 53 1 62 14 5 3 11 1.27
10 巨人 73 0 8 3 5 20 88 2/3 80 10 85 16 8 6 30 3.05
11 巨人 60 0 5 1 2 25 61 2/3 45 2 38 16 3 4 12 1.75
通算 6年 305 0 35 7 13 105 327 1/3 263 18 275 73 21 20 83 2.28

育成枠から這い上がり、主力リリーフとなった左腕。育成ドラフト出身者として史上初の一軍勝利を記録し、いまやチームに不可欠の存在に。
育成選手として入団した1年目はファームで25試合登板、防御率1点台の活躍。評価も高く、オフにも支配下登録と言われた。時期はずれ込んだものの07年4月下旬に「昇格」達成。間を置かずに一軍登録され、2度目の登板で幸運なプロ初勝利。その後いったん打たれて二軍落ちしたが、7月に再昇格。林の故障などリリーフ左腕に空きができるチャンスを見事に掴んだ。これ以降登板機会が大幅に増え、シーズン32試合に登板。一気にリリーフ陣に食い込むことに。
この活躍から背番号が左投手の花形とも言える47番になった08年、大車輪の活躍で大いに名を売った。開幕から好調で左腕リリーフ1番手に定着。その後も勢いは衰えず、後半は右の越智とともにセットアッパーの両輪に。8月以降はすべてリリーフで6勝を挙げ、逆転優勝に大きく貢献。シーズン11勝を記録し、新人王にも選出された。あっという間に重要な戦力に。
140km台中盤から後半の速球は力強く、スライダーの切れ味も充分。三振の取れる投手で、打者の左右を問わないのも心強い。安定感も高く、この投手が育成出身というのはもう信じがたいレベル。
這い上がってきた勢いでWBCの舞台も踏んだ09年はさらに鉄壁の投球を展開。開幕直後に浴びたのが唯一の被本塁打で、被打率も1割台と全く危なげのない状態。シーズン通してフル稼働し、70試合以上登板で防御率は1点台前半。9勝35ホールドで中継ぎタイトルに輝いた。連続優勝に大きく貢献し、CS・日本シリーズもフル回転。
もう不動のリリーフという存在になったが、10年は当初先発に挑戦。しかしリリーフ左腕の先発転向は成功例が乏しく、不安視する声も強かった。シーズンに入ると2度先発登板し1勝したが、その勝利した直後にリリーフ再転向。急な配置転換の影響で序盤はリリーフでも不安定な投球続き。冴えない状態だったが6月以降は本来の投球を取り戻した。フル回転で前年と同じく73試合に登板。ただ序盤の不調から防御率は3点台に。シーズン自責点の6割が5月末までに喫したもので、ベンチの方針に振り回された印象のシーズンだった。
昨年は完全にリリーフ専念。だったが、開幕して間もなく故障で1ヶ月ほど離脱し、復帰したのは5月後半以降。そこからはきっちりセットアッパーとなり、リリーフの中心に座り続けた。離脱があったため登板数は60と控えめも、チームトップの25ホールドを記録。防御率も1点台に。
リリーフの軸として何年も安定した活躍を続けており、継投に欠かせない存在。少し気になるのは昨年奪三振率がこれまでより大幅に下がったこと。その分ゴロに打たせて取る割合が随分多かった。故障開けの一過性のものか、それとも投球スタイルの変更を意識したものか、今季少し注目したい部分。

山崎 敏

緩急左腕、制球難型

左投左打
勢多農林高〜平成国際大 西武04自由枠〜11
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 西武 3 0 0 0 0 0 5 2/3 6 0 3 7 0 1 4 6.35
09 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
10 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
11 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 8年 67 0 6 4 0 4 113 2/3 123 7 90 68 6 8 65 5.15

04年自由枠入団の左腕。小柄な投手だが、ポンポンと勝負する小気味のよさが特徴。ストレートはそこそこの速さがあり、100kmを割るスローカーブとの緩急が持ち味。
即戦力を期待された1年目は5月に一軍デビュー。プロ初勝利を先発で挙げ、新戦力として大いに売り出した。だが6月に入ると打ち込まれ二軍落ち。トータルでは3勝も内容はいまひとつで、少々物足りない成績に終わった。飛躍が期待された翌年だったが、内容はさらに悪化。わずか5試合のリリーフ登板で、しかも内4試合で失点。全く戦力にならず、二軍でも6点台の防御率とさっぱり。逆に印象を悪くしてしまった。06年は終始二軍暮らし。
ちょっと期待値が下がっていたが、07年は一軍定着に成功。リリーフ陣の一角に食い込み、初めてほぼフルシーズンを一軍で過ごした。左腕リリーフとしては三井に次ぐ登板機会を得、1年目以来の3勝もマーク。
ジリ貧を脱することに成功したが、一方課題の四球の多さは解消されず。そのため投球にはムラがあり、安定感はいまひとつだった。その制球の悪さは翌年強く出てしまい、投げた3試合すべて2個以上四球を出すノーコンぶりで二軍落ち。前年とは一転、わずか3試合の登板に終わった。大幅に後退のシーズンに。
制球難はやはり足枷になってしまう。09年は二軍でも41イニングで36の四球を出すという有様で一軍昇格できず。背番号の変わった10年は故障か二軍戦登板も後半のみ。一軍はますます遠くなり、昨年も登板機会なく終わるとシーズン後戦力外に。
丸3年一軍登板なしでは、いくらなんでも厳しい。昨年も二軍で18イニング12四球と制球難は解消されず。期待はもっと高いところにあったのだが。

山田 大樹

大型左腕、育成上がり型

左投左打
つくば秀英高 ソフトバンク07育成ドラフト1巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ソフトバンク (- - - - - - - - - - - - - - -*育成)
09 ソフトバンク (- - - - - - - - - - - - - - -*育成)
10 ソフトバンク 13 0 4 4 0 0 58 2/3 59 6 44 33 7 3 30 4.60
11 ソフトバンク 17 1 7 7 0 0 110 2/3 88 7 67 33 5 2 35 2.85
通算 5年 30 1 11 11 0 0 169 1/3 147 13 111 66 12 5 65 3.45

育成選手として3年を過ごした後、10年一軍台頭を果たした若手左腕。先発候補として着実にステップを踏み、前進中の存在。
身長188cmの大型投手で、高校から育成ドラフトでソフトバンク入り。2年目の08年に肘を疲労骨折するなどしたが、復帰した09年は球速が向上。育成のまま3年経過したため09年オフ一旦自由契約も、秋季キャンプにテスト参加。この時王会長の目に止まったとされ、育成再契約となった。自由契約時に他球団から声がかかったという話も。
そして10年は急上昇のシーズンに。開幕前に支配下登録され、左投手の花形とも言える背番号34に大幅「昇格」。これまで結果を出せていなかった二軍戦で5連勝をマークし、6月一軍昇格。3度目の登板で終盤まで1失点の好投を見せプロ初勝利も挙げた。以降先発として起用が続き、シーズン4勝。ローテーションの一角をうかがう活躍。
速球にスライダー・チェンジアップを中心とする速球派。育成時代は最速150km超というスピードが注目されていたが、これを少し控えめにする代わり、非常に球持ちが良くなった。制球に粗さを残すも、長身から粘っこいリリースで投じる。
オーストラリアのウインター・リーグに参加し、迎えた昨年はさらに向上。先発5番手として戦力となり、交流戦ではプロ初完封を記録。夏場やや乱れたことから後半は登板機会が減ったものの、シーズン7勝と前進に成功した。日本シリーズでも6回無失点で勝利投手に。
四球が大幅に減ったように確実に成長を続けている。最も多く投げた日本ハム戦は2勝3敗ながら防御率1点台と相性が良く、6試合中4試合がダルビッシュとの投げ合い。ピンチに動じない精神力の強さも魅力で、今季はシーズン通してローテーション定着を望まれる存在。一気に二桁勝利の期待がかかる。

山村 宏樹

ベテラン右腕、紆余曲折型

右投右打
甲府工高 阪神95ドラフト1位〜99、近鉄00〜04、楽天05〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
09 楽天 1 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 0 0.00
10 楽天 36 0 0 2 1 4 43 1/3 49 5 22 11 3 0 17 3.53
11 楽天 21 0 1 1 0 5 22 20 1 15 7 2 0 11 4.50
通算 17年 225 6 31 44 2 20 671 1/3 750 91 330 242 37 13 374 5.01

左右の揺さぶりを身上とする技巧派右腕。若くして自由契約となるも、そこから再起して息の長い活躍を見せる。
阪神にドラフト1位で入団したものの、5年間で一軍登板は15試合。プレー以前に環境面でなじめず、チーム内のトラブルから精神的に追い込まれてしまった。結局力を発揮できないまま自由契約となり、00年近鉄に入団。環境が変わったことがプラスに働いたか、この年ローテーション入りし6勝と、古巣を見返す活躍を見せた。翌年も7勝を挙げ、ようやく力を見せるようになった。
まさに意地を見せた形だが、しかし内容自体はいまひとつ。この2年とも防御率は5点台で、強力打線の援護なくしては語れない成績だった。この状態では長続きはせず、02年にはまた二軍生活に逆戻り。ローテーション復帰を果たせずエレベーター状態。
シュートとスライダーで攻めるタイプで、ボールそのものは平凡な投手。制球力が重要なタイプながら、それがあまり良くなかった。球威も少々見劣りし、低めに集まっているときはいいが、ちょっとでも浮くと痛打を浴びていた。
ジリ貧になりかけていたところで分配ドラフトで楽天入り。05年は2勝に終わったが、06年は自己最多タイの7勝をマーク。6年ぶりに規定投球回にも到達した。層の薄いチームでは貴重な先発要員として再浮上。とはいえ防御率は5点台で、総じて出入りが激しく終盤は先発から脱落。しかし07年は一転して非常に安定した投球を見せた。5度の先発ではいつもの調子だったが、リリーフでなかなかの好投。特に後半は大きな戦力となって、オールスター以降で25試合に登板、終盤にはプロ初セーブを挙げるなど活躍。3点台の防御率はこれが自身初めて。ベストシーズンといっていい1年だった。
いい感触を掴んだところで故障に苦しむことに。08年右肩を痛め、阪神時代以来9年ぶりに一軍登板なし。二軍での実戦復帰も9月になってからとシーズンを完全に棒に振った。この影響は翌09年も残り、リハビリスタートで二軍戦登板は6月になってから。終盤9月にようやく1試合だけ一軍登板。
ブランクが空いてしまったが、10年は立ち直り巻き返し。シーズン序盤からリリーフとして一軍で登板、時折乱れる時期はあったものの、夏場には好投を続けるなど復調。目立つ場面はないながらも自己最多更新の36試合に登板。3年ぶりのセーブを挙げるなど健闘。
昨年は前半ほとんど二軍で過ごし、登板数は減少。7月に昇格後はリリーフとしてしぶとい働きを見せ、8月には4年ぶりの勝利を記録。ただその後に派手な失点が2度あり、これで成績を随分落としてしまった。
昨年右打者に1割5分と滅法強かった反面、被安打20の内11本、打率で5割と左打者には異常に弱かった。ここまで極端な相性が出ると、起用は随分限定的なものにならざるを得ないか。投球術はあるだけに、今季はもう少し長く一軍にいたい。

山本 一徳

変則左腕、発展途上型

左投左打
安来高〜早大 日本ハム07ドラフト(大・社)5巡〜10、ロッテ11〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 日本ハム - - - - - - - - - - - - - - -
09 日本ハム 3 0 0 0 0 0 2 1/3 2 1 3 1 0 1 2 7.71
10 日本ハム 6 0 0 0 0 0 10 8 1 9 8 0 0 6 5.40
11 ロッテ 14 0 1 0 0 0 15 2/3 14 2 12 5 1 0 5 2.87
通算 5年 35 0 1 1 0 0 49 1/3 44 6 39 26 3 1 29 5.29

非常に独特の始動から特徴的なフォームで投げる左腕投手。球速表示以上に力強さを感じさせる投球が持ち味。
大学は希望枠入団の宮本と同期。アマチュアでの実績が乏しく、あまり名の通っていない存在だった。それでも日本ハム入りすると、1年目から開幕一軍入りするなど12試合に登板。内2試合には先発起用された。結果は良くなかったものの、意外と早くデビュー。
打者と正対するような構えからカクカクと動き、強引にも見えるリリースへとつなげていく個性的なフォーム。癖球の持ち主で、見かけのスピードよりも球威がありそうなタイプ。
まずまずのスタートだったものの、2年目以降はほぼ二軍暮らし。08年は一軍登板がなく、09年は3試合のみだった。10年も若干登板数が増えたものの一桁止まり。被打率は低く左打者は1割5分に抑えたものの、四球が非常に多く出塁は多く許して失点もかさんだ。
トレードで昨年はロッテへ。開幕一軍入りを果たし、前半はなかなかの登板機会を得た。主に敗戦処理ではあるが長いイニングのリリーフもあり、7月にはプロ初勝利を記録。14試合と自己最多の登板数となったが、8月以降はずっと二軍で前半のみの一軍に終わった。
乗っている時の球威には光るものがある。ただ左打者に3割打たれ5四球を与えというのは、求められている役割からすると非常に残念。ここをきっちり抑えられれば常時一軍もありえただけにもったいなかった。前進はしたものの後半は二軍ということで半歩止まりだろうか。リリーフ左腕のハードルは決して高くなく、今季は競争に勝ち抜きたい。

山本 淳

長身右腕、故障多発型

右投右打
東海大相模高〜国際武道大〜TDK千曲川 西武07ドラフト(大・社)3巡〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
09 西武 12 0 0 1 0 0 11 2/3 16 0 6 10 0 0 9 6.94
10 西武 9 0 0 0 0 0 6 2/3 11 0 3 3 1 0 7 9.45
11 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 5年 21 0 0 1 0 0 18 1/3 27 0 9 13 1 0 16 7.85

社会人からプロ入りも故障で遠回りしていた投手。近年一軍に顔を出すようになってきた。
高校時代はセンバツ優勝メンバーの一人だったが、当時は控え投手。大学でも活躍はなくほぼ無名の存在だった。しかし社会人に進んで開花し、チーム初の都市対抗出場に貢献。分離ドラフトの3巡指名で西武入り。
188cmの長身から繰り出す150kmに迫る速球が持ち味。社会人出身でも素材型という評価ではあったが、プロ入り後は別の形で苦しんだ。右肩の故障で1年目は二軍でも登板なし。実戦の舞台に立ったのは2年目の途中からだった。3年目の09年ようやく一軍デビュー。四球が多く失点もかさんで結果は残せなかったが、二軍ではなかなかの好成績を残した。
かつて西武に在籍した森慎二に似たタイプと評され、リリーフで期待される存在。10年は開幕一軍入りを果たした。ただワンポイントも多かった最初の5試合は良かったものの、その後3試合連続失点。さらに肘を痛めてしまい、4月中旬に抹消。以降はリハビリに費やした。この影響は昨年も残り、二軍での実戦復帰が6月になってから。そのため一軍登板はなく終わった。
二軍では好結果を残し、今季は改めて一軍へ再挑戦。リリーフの新星として台頭したいところ。ここまでのプロ生活の大半が投げられない期間というフィジカル面の弱さはかなり気がかりだが…。

山本 省吾

技巧派左腕、先発定着型

左投左打
星稜高〜慶大 近鉄01ドラフト1位〜04、オリックス05〜10、横浜11〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス 30 2 10 6 0 2 154 2/3 166 11 90 30 8 1 58 3.38
09 オリックス 27 3 9 7 0 0 159 2/3 176 18 110 47 4 1 75 4.23
10 オリックス 23 0 8 10 0 1 107 143 19 79 20 8 3 65 5.47
11 横浜 21 0 2 11 0 0 79 99 10 50 25 4 0 52 5.92
通算 11年 279 5 39 38 2 11 707 1/3 828 85 485 183 29 10 345 4.39

高校時代にエースとして何度も甲子園に出場し、六大学でも華やかな実績を残した左腕。なかなか起用法の定まらない状態が続いていたが、08年からローテーションに定着。
ドラフト1位としてまずは近鉄入り。即戦力の期待もあった1年目は悲惨な成績に終わったが、2年目の02年に躍進。切れの良いスライダーを武器に中継ぎで活躍し、高い安定感で4勝をマーク。後半には完全にリリーフの主力に定着した。
ピッチングのテンポが非常に良く、ポンポンと投げ込んでくるタイプ。制球も安定していて、打者をリズムに乗せないうちに打ち取るのが得意のパターン。ボール自体に強烈な個性はないが、打たせて取る技巧派で、どこでもいける利便性も持っている。
ただ04年不調に苦しみ、ここからしばらく隔年傾向が続くこととなった。先発候補に挙げられながら、リリーフが多いなど起用法も一貫せず、そのため印象も薄かった。リリーフ専念の06年は抑え役を務めた時期もあったが、平凡な成績。07年は後半良かったものの前半二軍暮らしで登板数半減。
しかし08年ついに殻を打ち破る大活躍を見せた。故障者続出で再編成となった先発陣に食い込み、安定した投球を披露。特に日本ハム(4勝)、ロッテ(3勝)の2チームをカモにし、コンスタントに勝ち星を重ね見事10勝をマーク。シーズン100イニング以上投げたのはこれが初めてで、もちろん自身初の二桁勝利。チームからは4人の10勝投手が誕生、全員が初の二桁勝利だったが、その中でも一番のダークホース的存在だった。これで自信を掴み、翌09年も先発として活躍し隔年サイクルから脱出。内容自体は前年に及ばないものの9勝。終盤1ヶ月で防御率を1点近く悪化させるも、チームで最多の先発数で、誤算の多かった投手陣を支える働きを見せた。
しかし10年は低調なシーズンに。ローテーションで投げ続けたものの開幕から不安定な投球が続いた。前半5点台の防御率ながら6勝と勝ちに恵まれていたが、後半は内容がさらに落ちて勝てなくなり終盤は二軍落ちも。8勝はしたものの二桁敗戦を喫し、5点台半ばの防御率と成績大幅悪化。
トレードで昨年は横浜へ。派手さはなくとも実戦的な戦力と期待され、開幕投手も任された。だが09年終盤から続く不振は環境が変わっても継続。5月頭の2勝目を最後にひたすら負け続けとなり、二軍調整を挟んでも改善されず泥沼の9連敗。ここで先発脱落となった。後半は二軍が長くなり、リリーフで投げるも内容はさっぱり。結局序盤の2勝止まり、2年連続の二桁敗戦となる大負けで、6点近い防御率と大誤算に終わった。
統一球の影響を受けてなおかつこの状態というのはあまりに深刻。とにかくどこを取ってもいいところがなく、2勝した阪神戦もその後は連続KOされリリーフでも失点。どうもここ数年技巧派の割に雑な面が出ており、制球の甘さが目に付く。昨年1年で随分信用も落とし、今季も悪いままだと後がなくなる。本来の投球を取り戻して巻き返さないと。

山本昌 (山本 昌広)

ベテラン技巧派、大投手型

左投左打 最優秀防御率(93)、最多勝(93,94,97)、沢村賞(94)、ベストナイン(94,97)、最多奪三振(97)
日大藤沢高 中日84ドラフト5位〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 中日 23 2 11 7 0 0 133 2/3 127 15 84 26 2 1 47 3.16
09 中日 6 0 1 4 0 0 27 45 5 14 12 0 1 32 10.67
10 中日 8 1 5 1 0 0 47 2/3 55 4 28 12 3 1 17 3.21
11 中日 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 28年 547 79 210 160 5 0 3195 1/3 3077 331 2220 814 65 40 1220 3.44

プロ生活28年、数々のタイトルに輝き、90年代以降の中日を支え続けてきた大ベテラン左腕。引退が迫る状況から何度も復活を遂げている不死鳥投手。
ドラフト下位で高校からプロ入りし、米マイナー留学で一本立ちした。5年目の88年、優勝争いするチームが終盤の秘密兵器として急遽アメリカから呼び戻し、この年後半だけで5勝負けなし、防御率1点未満の素晴らしい成績。これをステップに主力投手となり、翌年からローテーション入り。90年に10勝を挙げると、92年から3年連続二桁勝利、93,94年は連続最多勝でエースとして君臨。その後故障で一時躓いたが、97年に18勝で最多勝、リーグ2位の防御率に最多奪三振と復活。その後は派手に大勝ちすることはなくなったが、中心投手として着々と実績を積み上げた。
傍目からはぎこちなく映る、カクカクとした変則的なフォームから、繰り出す絶対の武器はスクリューボール。しかしそのスクリューのみには頼らず、多彩な変化球に時にはズバッと直球勝負も見せる。スピード自体は若い頃からなく、130km台前半とはっきり言えば遅い投手だが、コンビネーションで速く見せ打者が差し込まれる。制球力も高く投球術を駆使する投手。
02年は7年ぶりに規定投球回に届かず、年齢的にそろそろ苦しくなってきたかと思わせた。ところがその後2年続けて後半まで防御率1位を争う活躍。特に04年は抜群の安定感で3年ぶりの二桁13勝を挙げ、優勝に大きく貢献した。これ以降ははっきり隔年傾向になったが、限界と思わせながら復活を繰り返している。06年は終盤9月にノーヒットノーラン達成、当時41歳で史上最年長記録。
通算200勝達成がかかった07年は大不振でわずか2勝、7連敗でシーズンを終えたが、翌年はまたも復活。5月以降ローテーション入りし、特に7月から8月にかけて先発7連勝をマーク。200勝は当然クリアし、通算10度目の二桁勝利をマークした。11勝はチームの勝ち頭で、43歳での二桁勝利はプロ野球史上最高齢記録。
隔年傾向はより強まり、09年は一転大不振。4月10失点KOされるとしばらく二軍落ち。再昇格後も投球は冴えず、9月にようやく1勝を挙げたのみに終わった。一桁の登板数は実に21年ぶりで、防御率10点台と無残な成績に。さらに10年はキャンプで故障し前半はずっと二軍。実戦登板も6月になってからで、鉄腕もいよいよ限界かと思わせた。しかしここからまたも復活。8月に一軍復帰すると最年長記録となる完封勝利を挙げるなど先発5連勝をマーク。優勝争いのさなかに貴重な戦力となった。
ただ昨年はまたキャンプ中に故障し、これが尾を引いてとうとう実戦登板のないままシーズンを終えた。もう無理かというところから何度も甦ってきた投手だが、現役最年長の46歳という年齢で丸1年のブランク明けというのはどうなるか。隔年サイクルであればまた復調、ということになるが。いずれにせよ大幅減俸で迎える今季は、間違いなく進退のかかったシーズンとなる。

陽 耀勲 (ヤン・ヤオシュン)

速球左腕、未熟型

左投左打
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ソフトバンク 6 0 1 2 0 0 3 2/3 5 0 3 3 4 0 7 17.18
09 ソフトバンク 4 0 0 0 0 0 9 2/3 12 0 10 6 2 0 7 6.52
10 ソフトバンク 14 0 2 0 0 0 32 2/3 33 2 28 18 3 1 8 2.20
11 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
通算 6年 29 0 3 2 0 0 48 54 2 42 29 9 1 24 4.50

左腕から150kmを越すスピードが魅力の投手。日本ハムの陽岱鋼の実兄。ただ日本の高校を経てドラフトでプロ入りした弟と違って、台湾から直接ソフトバンク入りしたため外国人選手となる。
弟と同様身体能力の高さを評価されたが、技術面では非常に荒削りで、外国人とはいえ育成メイン。1年目5試合登板の後2年目はシーズン通して二軍。08年にプロ初勝利を挙げたが、枠の関係もあって一軍機会は少なく、09年まで常に登板数は一桁。
10年も当初は二軍で過ごしていたが、ホールトンの離脱からチャンスを掴み前半はリリーフ登板。そして後半は昇降格を繰り返す飛び飛びの機会ながらも4試合に先発し、初めて登板数が二桁となった。2勝をマークしやや前進。
快速球で押していく投球スタイルは迫力があるが、一方入団時からの課題である制球難はほとんど進歩が見られない。10年防御率こそ2点台前半と好成績だったが、自責にならなかった失点が10もあり、数字ほどの内容ではなく安定感はなかった。荒れ球の域を越している時が多々あり、魅力はあるが計算できないタイプ。
一軍の先発陣が充実した昨年は割り込む余地がなく、シーズン通して二軍。4年ぶりに一軍登板がなかった。台湾で開催されたアジアシリーズでは凱旋ということで多くマウンドに立ったが、快投したかと思えば酷く荒れまくり、数年来の課題は一向に解消されていなかった。
昨年二軍戦では野手として出場する場面があり、1本塁打を記録。身体能力は抜群のものを持っているが、それを御する技術が未だについてこない。年齢的にそろそろ育成とも言っていられず、実績者が大量に抜けた今季は一軍進出のまたとない機会で、同時に正念場でもある。