は
ブレット・ハーパー
途中入団、強打者型
|
右投左打 |
|
|
横浜10途中〜11 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
10 |
横浜 |
64 |
225 |
71 |
6 |
0 |
19 |
134 |
56 |
0 |
0 |
4 |
28 |
4 |
58 |
.316 |
11 |
横浜 |
103 |
320 |
89 |
17 |
0 |
9 |
133 |
39 |
0 |
0 |
3 |
27 |
0 |
87 |
.278 |
通算 |
2年 |
167 |
545 |
160 |
23 |
0 |
28 |
267 |
95 |
0 |
0 |
7 |
55 |
4 |
145 |
.294 |
10年途中入団でいきなり強打を発揮した外国人選手。テスト入団の格安契約ながら予想以上の活躍を見せた。
ツインズの正捕手として活躍した父を持つが、自身は一度もメジャー経験なし。マイナー通算122本塁打、2A〜3Aクラスで結果を残しているものの、そこからもうひとつ脱皮しきれていなかった。10年は当初独立リーグでプレー後3Aに戻ったが、1ヶ月未満で解雇に。6月中旬に来日して横浜の入団テストを受け、シーズン途中入団となった。
こういった事情からかなり低い条件での入団だったが、6月後半からまずはファームに出場するといきなり2戦連発。7月頭に一軍昇格すると、こちらでも2打席目に来日初ホームランを放った。その後もハイペースで打ち、逆転サヨナラ満塁弾の離れ業も。オールスターまでの14試合で4割後半という高打率、6ホーマーの大活躍。3番に定着し、8月は打率が落ちて停滞したものの、終盤はまた盛り返して打率3割をキープ。64試合とシーズンの半分に満たない出場で、チーム3位タイの19本塁打、同4位の56打点を記録した。
一発長打が魅力の長距離砲。もっと粗っぽいかと思いきや、意外に四球も選べる。半分の9ホーマーが2ストライク後からと、追い込まれた状況でもよく打った。若干低かった対左投手の打率も充分及第点の数字。
この活躍から当然残留の昨年だったが、予想以上に統一球の影響を受ける結果となった。打率はまずまずの水準も本塁打ペースは激減。こうなると球界でも一、二を争うほどの鈍足などマイナス面も目立ってくる。打率のほうは常に一定のペースを維持し続けたが、後半はさらに長打が減少。最後の本塁打は球宴前の7月中旬で、9月には筒香起用が優先され出番が減少。抹消され帰国、そのまま退団ということになった。
およそすべてといっていい打者が長打を減らした昨年だが、64試合で19本塁打が103試合で9本塁打というのはあまりに予想外。上述の超鈍足に加えて極端に後ろに重心を残す打法のため一歩目も遅く、併殺打が非常に多い。単打では魅力のない選手であり、退団はやむをえないところ。
橋本 将
打撃型捕手、再台頭型
|
右投左打 |
|
宇和島東高 |
ロッテ95ドラフト3位〜09、横浜10〜11 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
ロッテ |
93 |
280 |
87 |
28 |
1 |
11 |
150 |
55 |
1 |
2 |
2 |
45 |
0 |
58 |
.311 |
09 |
ロッテ |
94 |
252 |
59 |
14 |
0 |
2 |
79 |
27 |
0 |
1 |
2 |
32 |
1 |
80 |
.234 |
10 |
横浜 |
43 |
134 |
33 |
3 |
1 |
2 |
44 |
13 |
0 |
0 |
0 |
13 |
1 |
40 |
.246 |
11 |
横浜 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
通算 |
17年 |
727 |
1834 |
429 |
101 |
7 |
44 |
676 |
229 |
2 |
18 |
17 |
251 |
9 |
476 |
.234 |
パンチ力を秘めた打撃面に特徴のある捕手で、長年里崎とロッテの正捕手を争ってきた選手。10年FAで横浜に移籍。
高校からロッテ入りすると1年目から一軍を経験したが、5年目まではほぼ二軍。しかし6年目の00年、「サンデー登板」で連勝を重ねた小野とコンビを組む形で一軍に台頭し、77試合と一気に出場数を増やした。当時の捕手陣ではほぼ唯一打力のあるタイプで、この年は打率が低かったものの意外な勝負強さを見せ、翌年は代打中心で活躍。しかし相棒の小野が故障がちになると、つられるように橋本も不調に。02年大きく出番を減らすと後進の台頭に押されて低調なシーズンが続いた。
転機は首脳陣の替わった04年。里崎の伸び悩みからチャンスを掴み、93試合と大幅に出番増。ほぼレギュラーとして1年を過ごした。やや見切られていた守備面も持ち直し、打撃も二桁本塁打を放つ意外性で活躍。その勢いは里崎が再台頭した翌年も続き、二人でスタメンマスクを分け合うチームの特徴ともなった。左腕には非常に弱かったものの、この年は四死球が大幅増。打率は低くとも出塁率はチームトップレベルで、打撃面でもチームに貢献。
パンチ力は純粋に打者として見てもなかなかのレベル。確実性が低いのが難だが、下位打線にあってはなかなか怖い打者となる。打率の割に出塁率がいいのも特徴。ただ守備面はやや見劣りし、特にスローイングには難が多い。
この後は里崎が中心選手として充実していき、自身は故障などもあって06,07年と押され気味で出場数減。影も薄くなっていたが、08年序盤里崎が故障で守れなかったことからスタメンマスク急増で盛り返してきた。自身も故障で戦列を離れる時期があったが、打撃が過去にないほど好調。再びスタメン併用という形となり、自身初の3割に4年ぶりの二桁本塁打を記録。チーム3位タイの55打点をマークするなど自己ベストのシーズンとなった。これほどの活躍は2年続かず、翌年はまた確実性の低い状態に戻り成績は大幅ダウン。ただDHでの起用が多く、出場数はキープ。
オフにFA宣言し、正捕手不在に悩む横浜に移籍。だが開幕から低打率が続き、それ以上に肩の弱さが足枷となった。さらに4月後半には骨折で1ヶ月以上離脱。復帰後も武山がメインで起用されたため、ほぼ控えに廻ることとなった。出場数は前年より半減し、先発は38試合に留まった。巻き返したかった昨年はさらに落ち込み、腰痛の影響もあって12年ぶりに一軍出場なし。シーズン後には戦力外に。
FAで移籍してきた選手が2年で戦力外というのは非常に寂しい。移籍先は見つからず、今季はアイランド・リーグ愛媛でプレーしNPB復帰を目指すことに。ただ今季で36歳というベテランで近年故障続き、前途はかなり厳しそう。
長谷川 勇也
モデルチェンジ、巧打型
|
右投左打 |
|
酒田南高〜専大 |
ソフトバンク07ドラフト(大・社)5巡〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
ソフトバンク |
71 |
221 |
52 |
13 |
1 |
4 |
79 |
24 |
2 |
4 |
1 |
18 |
1 |
47 |
.235 |
09 |
ソフトバンク |
143 |
509 |
159 |
31 |
3 |
7 |
217 |
44 |
10 |
11 |
1 |
57 |
6 |
89 |
.312 |
10 |
ソフトバンク |
134 |
443 |
113 |
17 |
0 |
3 |
139 |
32 |
14 |
10 |
3 |
51 |
12 |
97 |
.255 |
通算 |
4年 |
348 |
1173 |
324 |
61 |
4 |
14 |
435 |
100 |
26 |
25 |
5 |
126 |
19 |
233 |
.276 |
09年大きくイメージを変える活躍でレギュラーとなった外野手。軽打に徹して高打率を維持しポジションを掴んだ。
東都の二部リーグで鳴らした強打者で、最後のリーグ戦で6ホーマーを放ち二部MVP、チーム一部昇格の原動力となった。大・社ドラフトでソフトバンク入り。ただ1年目は故障などもあり二軍でも出場は少なかった。しかし2年目の08年、二軍戦で11安打中9本が長打という活躍を見せ、外野レギュラーに故障者が相次いだことから4月下旬に一軍昇格。即スタメンで初ヒット、数試合後初ホームランと結果を残し、5月はほぼレギュラー起用となった。成績は伸び悩み、さらに8月練習中に骨折離脱と尻すぼみの形に終わったが、一軍台頭に成功。
そして翌09年は大幅にモデルチェンジ。開幕2戦目からスタメンに座り、前年とは別人のような高打率をマークしてレギュラー完全定着。センターに収まり、一時は首位打者争いにも名を連ねた。夏場に少し数字を落としかけるも終盤また盛り返し、ほぼフル出場でシーズン3割達成。リーグ4位の打率に加えて出塁率もリーグ5位の好成績を残し、一気に主力となる活躍。
高打率を維持したきっかけは「怪我の功名」とでも言うべきか。前年骨折した指がまだ完全ではなく、開幕時点でフルスイングがしづらい状態だった。そこでバットを短く持ち(指をかばうため左手小指を右手にかぶせる握りをしていた)、引き付けて軽打を徹底。これで追い込まれても対応できるようになり、選球眼も大きく向上。逆方向へのヒット量産で左投手も全く苦にしなかった。
昨年も引き続きレギュラーセンター。しかし今度は打率が伸びず、パッとしないシーズンとなった。序盤はそこそこも5月に不振に陥り、以降は好不調の差が極端な状態。他に適任者がいない(自身の守備力も決して高いとは言えないが)チーム事情からポジションは守り続けたものの、ムラのある状態で打率は大幅にダウン。盗塁が増えた以外は冴えない1年に終わった。
引き付ける形を維持したまま長打力を増そうと前年よりややバットを長く持ったが、これが裏目に出た。微妙なタイミングのズレが修正できず、ファウルカットで逃げようとして空振りという姿が非常に目立ち三振が急増。また追い込まれてからの対応に過信したか、早いカウントの甘い球に反応できないケースも多く見られた。打率の低下だけでなく、長打もむしろ大幅に減る結果に。
元来はライナー性の打球を身上とする中距離打者だが、今のポイントが近くやや差し込まれ気味の打撃を続けるならば長打は割り切る必要がありそう。競争の激化する今季は停滞を打破してレギュラーを死守したいところ。脚力は充分に高く守備範囲はそこそこ広いが、依然安定感に欠ける守備力も向上したい。
畠山 和洋
中軸候補、中堅開花型
|
右投右打 |
|
専大北上高 |
ヤクルト01ドラフト5位〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
ヤクルト |
121 |
416 |
116 |
22 |
2 |
9 |
169 |
58 |
2 |
1 |
4 |
53 |
5 |
84 |
.279 |
09 |
ヤクルト |
85 |
182 |
43 |
8 |
1 |
4 |
65 |
19 |
0 |
1 |
4 |
27 |
0 |
31 |
.236 |
10 |
ヤクルト |
93 |
243 |
73 |
17 |
1 |
14 |
134 |
57 |
0 |
1 |
3 |
28 |
5 |
38 |
.300 |
通算 |
10年 |
358 |
941 |
252 |
49 |
4 |
29 |
396 |
143 |
2 |
5 |
11 |
122 |
11 |
181 |
.268 |
08年新4番として脚光を浴びた内野手。入団以来将来の中軸候補と期待されていた選手で、ついにレギュラーに到達。
高校通算62本塁打のスラッガーで、当初の3年間は二軍で育成、早い段階からレギュラーに。2年目の02年にはファームの本塁打・打点の二冠王を獲得した。4年目に一軍初出場、初ヒットを放つと、翌年は初ホームランを記録。そして岩村が抜けサードが空位となった07年は後継候補と期待され開幕一軍入り。出場数を大きく伸ばしてきた。
なんといっても魅力はパワフルな打撃。はまったときの打球は豪快そのもの。ただ07年は大きなチャンスがありながら、脆さも見せてしまった。低打率に喘ぎ、ポジション獲得には至らず5月に二軍落ち。一軍定着に失敗。
躓いてしまったが、再チャレンジの08年一気に急浮上。二軍スタートで序盤は出番も少なかったが、リグスの不振から5月以降スタメン出場。さらにガイエルも低調ということで4番を任されるように。一軍定着を飛び越えてスタメン定着に成功した。8月末まで3割をキープする好調で、結局104試合にスタメン4番を張り、推定年俸900万の4番と話題にも。9月以降スランプに陥り最終打率を大きく落としてしまったが、規定打席に到達し大躍進の1年となった。
二軍で圧倒的な数字を続けてきたが、ついにそこを卒業した。ただ三塁守備は厳しいものがありメインは一塁ということで、どうしても外国人の存在に出番が左右されてしまう。翌09年はデントナが加入したことで控えに後退し、成績も大きく下げて目立たないシーズンに。その状態は昨年も続き、前半は二軍もあってあまり出番がない状態。しかし小川監督代行が指揮を執るようになって状況が大きく変わった。中軸の両外国人が揃って不振ということもあって6月後半からはスタメン起用されるように。するとこれまで以上の打棒を見せ、特に長打力を発揮。ホワイトセル加入後はレフトに廻り、後半は完全にレギュラー。前年より打席数を増やして初の3割、そして初の二桁本塁打を記録した。
前半はわずか35打席しかなく、13ホーマー、55打点を7月以降に記録。これはいずれもこの期間のチームトップ(本塁打はタイ)の数字だった。ポジションが依然流動的な状態ではあるが、スラッガーの素質を開花させ始め、今季はさらに飛躍の可能性も。意外に三振しない打者で、昨年左腕には滅法強かった。
濱中 治
中軸打者、移籍失速型
|
右投右打 |
|
南部高 |
阪神97ドラフト3位〜07、オリックス08〜10、ヤクルト11〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
オリックス |
85 |
217 |
55 |
11 |
2 |
9 |
97 |
29 |
0 |
2 |
2 |
25 |
1 |
50 |
.253 |
09 |
オリックス |
26 |
77 |
16 |
3 |
0 |
6 |
37 |
12 |
0 |
0 |
1 |
5 |
0 |
21 |
.208 |
10 |
オリックス |
4 |
14 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
.143 |
通算 |
14年 |
739 |
2154 |
578 |
99 |
12 |
85 |
956 |
311 |
17 |
9 |
22 |
208 |
21 |
404 |
.268 |
阪神時代中軸を務めていた外野手。変化球打ちが得意で、技術の高さに定評がある。
高校からプロ入り。阪神入団時からセンスの高さで期待され1年目から一軍出場。2年目には少ない打席数ではあったが4割と高打率を残し、翌99年には起用数が増えた。がこの時は結果を残せず一時停滞。しかし5年目となる01年、外国人の不振でチャンスを掴むと大きく伸びてきた。プロ初を含む13ホーマーを放ち、後半はクリーンアップに定着。一気に規定打席到達でレギュラーとなると、翌年は故障離脱があったものの3割をマークし18ホーマーの好成績。レギュラーの座をほぼ不動のものにした。
若い頃からバットコントロールが非常に巧みで、速球にはやや差し込まれ気味だったが、柔軟な打撃センスで変化球への対応力が高い。万全ならばアベレージを残せる打者で、02年はほぼ中軸に座っていた。
ただ主力となった頃から故障の多さが目立ち、02年の骨折離脱に続いて、03,04年と連続で右肩を痛め早々に離脱。04年はほぼシーズンを棒に振る長期離脱となり、完全に怪我に泣かされてしまった。故障上がりで守るのは難しいとあって、復帰した05年ももっぱらDH、代打での出場。打撃ではしっかりと結果を残したが、レギュラーからは3年遠ざかってしまった。
しばらく回り道のあと、復活は06年。ライトのポジションを奪取して久々にレギュラーとなり、4月10ホーマーの活躍で5番に。終盤さらに好調でシーズン打率3割に到達。5年ぶりに規定打席到達で20ホーマー75打点と自己ベストを更新する活躍を見せた。
だがこれをピークに翌年以降急激に低迷。07年は開幕から振るわずポジション失陥、一時二軍落ちも経験。積極的に起用された代打でもさっぱりで、打率1割台と低調なシーズンに終わった。08年オリックスに移籍し中軸候補と期待されたが、開幕から2割そこそこという低打率が続き、ポジションを維持できず。二軍調整を経た8月持ち直したが、全体的に期待はずれの成績に終わった。ジリ貧は加速し、09年出場数を大幅に減らすと昨年はとうとう一軍出場が一桁にまで落ち込んだ。二軍ではほぼ出ずっぱりだったが一軍は遠い状態で、全く戦力にならず。10年ぶりに一軍本塁打0に終わると、シーズン後戦力外に。
07年の不振から長いトンネルに入り、未だ出口が見えない。今季はヤクルトに移籍となったが、近年のオーバースイング傾向が改善されないとちょっと微妙な印象。もっと柔軟な選手だったはずだが…。年齢的にも崖っぷちの立場。
早川 大輔
俊足外野手、ラフプレー型
|
右投左右打 |
|
県立船橋高〜立大〜本田技研 |
オリックス02ドラフト5巡〜06、ロッテ07〜09、横浜10〜11 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
ロッテ |
133 |
369 |
92 |
14 |
4 |
5 |
129 |
32 |
18 |
13 |
3 |
18 |
13 |
60 |
.249 |
09 |
ロッテ |
84 |
175 |
39 |
6 |
1 |
1 |
50 |
12 |
5 |
6 |
1 |
6 |
1 |
34 |
.223 |
10 |
横浜 |
31 |
79 |
15 |
1 |
0 |
1 |
19 |
6 |
6 |
9 |
0 |
11 |
1 |
14 |
.190 |
11 |
横浜 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
.000 |
通算 |
10年 |
632 |
1646 |
425 |
59 |
18 |
18 |
574 |
138 |
76 |
75 |
9 |
99 |
54 |
305 |
.258 |
俊足で鳴らす外野手。ロッテ移籍後レギュラーに急浮上し活躍。
ドラフト5巡でオリックス入りすると、1年目はチーム全体が不振に喘ぐ中積極的に起用された。打撃は全く冴えなかったが、6盗塁で足は充分戦力になることを証明。新人としてはまずまずのスタート。2年目はほとんど二軍暮らしに終わったが、それでも課題の打撃は徐々に向上。翌年それを実証し、一軍定着で準レギュラー格まで成長。俊足を活かした転がす打撃を確立し、内野安打で率も大きく稼いだ。6月以降は常にハイアベレージを維持し、村松・谷が五輪で離脱した8月はセンター定着。3割マークで一気にレギュラー陣に割って入る成長を見せた。
これを契機にステップアップしたかったが、この後足踏み続き。05年は前半高打率をキープも5月以降急落し、後半は出番激減。その不調は翌年も脱出できず、2割に届かない打率で二軍生活のほうが長くなってしまった。レギュラー獲りを目前にして後退、存在感のないままシーズン終了。
一時の期待もしぼみ、07年ロッテへ移籍。しかしこれが大きな転機となった。序盤から波に乗り、なかなか手の届かなかったレギュラーについに定着。2番センターに座り初の規定打席到達。リーグトップの三塁打などあらゆる面で自己ベストを記録。久々に取り組んだスイッチもほぼ完璧にこなし、西岡との俊足コンビはチームの大きな得点源となった。
自身にとってもチームにとっても大収穫の移籍だったが、これを持続できないのが痛い。翌年は一転大不振で、開幕からずっと打率が低空飛行。8月末で2割2分という状態だった。終盤好調で大きく持ち直し、盗塁だけは自己最多を更新したが、前年よりだいぶ成績を落とした。打撃不振は翌09年も続き、序盤の不調でレギュラーは大きく遠のいた。終盤だけはまた好調でもシーズン打率はさらに下げ、出場機会も減少。年齢的なものか盗塁成功率も低く(二軍では刺されることのほうが多かった)、冴えないままのシーズンに終わった。
攻撃的なプレースタイルと評されるが、ややラフプレーに走る傾向が見られる。特に捕手へバットを投げつける行為が複数回あり、09年は守備妨害を宣告された。成績では目立たなかったのにその面で悪名が広まってしまった。
金銭トレードで10年は横浜へ。センターレギュラーと期待され開幕からスタメン出場したが、08年から続く打撃不振を脱出できず。5月には出番が減り始め、6月以降はずっと二軍暮らしに。すっかり存在感を失い、昨年はずっと二軍暮らし。シーズン終了を待たず現役引退を表明した。
引退理由として武器としてきた脚力の衰えを挙げており、年齢的にもやむをえないところか。横浜での2年間は全く戦力にならずに終わってしまった。今季からは古巣オリックスのスカウトとして活動。
早坂 圭介
快速内野手、非力型
|
右投左右打 |
|
横浜商工高 |
ロッテ03ドラフト8巡〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
ロッテ |
17 |
24 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
9 |
.083 |
09 |
ロッテ |
103 |
219 |
49 |
10 |
4 |
1 |
70 |
17 |
12 |
12 |
1 |
16 |
1 |
44 |
.224 |
10 |
ロッテ |
16 |
24 |
6 |
0 |
0 |
0 |
6 |
3 |
3 |
3 |
0 |
1 |
1 |
3 |
.250 |
11 |
ロッテ |
22 |
58 |
13 |
0 |
1 |
0 |
15 |
3 |
3 |
4 |
0 |
3 |
0 |
15 |
.224 |
通算 |
9年 |
184 |
344 |
71 |
10 |
5 |
1 |
94 |
23 |
21 |
20 |
1 |
20 |
3 |
77 |
.206 |
圧倒的な俊足を誇る内野手。過去3度のイースタン盗塁王を獲得し、6年間での二軍通算盗塁が150を越えている。この足を武器に09年急浮上で一軍定着。
高卒で西岡と同期入団。指名順位は低かったもののいきなり二軍のレギュラーとなり、1度目のファーム盗塁王を獲得。一軍にも14試合に出場を果たした。その後も下では安定レギュラー。05,07年にもファーム盗塁王に。
ただ打撃が弱く、二軍では主力選手でも、なかなか一軍の壁を突破できず。07年プロ初安打を記録し、08年前半は1年目以来の出場数となったが、エレベーター状態を脱しきれずアピールし切れなかった。
しかし7年目の09年ようやく壁を突破し、一気に出場機会が増加。開幕から一軍に留まり続け、代走要員にとどまらずショートやセンターのスタメンなどもこなし、100試合以上出場を勝ち取った。前半は相変わらず非力で低打率だった打撃も、プロ初ホーマーを放った8月は3割など好調で力強さを増した。12盗塁と脚力を充分に発揮し、準レギュラークラスの打席数で大飛躍のシーズンに。
10年は首脳陣が替わりレギュラー陣が固定されたことから序盤はほぼ代走専門。開幕直後に代打出場してから2ヵ月近く打席機会がなかった。それでも荻野貴が故障離脱するとその代役を任されセンターで先発出場。ところが数試合出たところで自身も靭帯損傷の重傷を負ってしまい、戦線離脱。以降実戦出場はなく、故障に泣かされる結果に終わった。
昨年は7月から一軍合流。混戦のショート争いに一事加わったが、出場数はもう一つ伸びず、あまり目立たずに終わった。外野陣の新鋭の登場で少しかすんでしまった感もあるが、足という強力な武器があるだけに巻き返したいところ。
原 拓也
急上昇内野手、抜擢型
|
右投左打 |
|
東海大相模高〜関東学院大 |
西武07ドラフト(大・社)4巡〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
西武 |
3 |
6 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
.500 |
09 |
西武 |
50 |
128 |
28 |
6 |
0 |
0 |
34 |
9 |
0 |
9 |
2 |
10 |
2 |
37 |
.219 |
10 |
西武 |
103 |
169 |
38 |
7 |
1 |
2 |
53 |
17 |
0 |
12 |
1 |
22 |
5 |
37 |
.225 |
通算 |
4年 |
168 |
318 |
72 |
14 |
1 |
2 |
94 |
26 |
0 |
22 |
3 |
33 |
7 |
79 |
.226 |
ここ2年急激に出番を増やし一軍定着の内野手。複数ポジションをこなし存在感を増しつつある。
大学時代はショートの主軸打者として活躍し、分離ドラフト4巡で西武入り。1年目から一軍出場があったが、二軍で2割に届かない低打率であり、目立つ存在ではなかった。しかし2年目の08年は二軍成績が大きく向上しレギュラーに。フレッシュオールスターでは3ランと2ベースの活躍でMVPを獲得した。
09年も引き続き前半は二軍。しかし夏場に中村が故障すると、その代役サードとして急浮上。二軍で2割そこそこという低打率ながらの大抜擢だった。後半だけで50試合に出場、うち40試合がスタメンで、大幅に出番を増やすシーズンに。
もともとはショートでセカンド、サードもこなす万能型の内野手。三塁守備は安定しており、不安が大きい中村・石井義といった主力陣よりも上を行く。打撃は総じて低調だったものの、光るところも垣間見せた。
そして昨年はさらに出番が増え完全に一軍定着を果たした。序盤は中島欠場時の代役ショート、夏場には中村の代役サードを務め、45試合に先発出場。三塁の守備固めとしても多く起用され、出場数は倍増で100を突破。プロ初を含む2ホーマーも放ち、オールマイティな内野の控えとして戦力に。
前半そこそこだった打率は後半急降下で結局前年と同水準まで落ちたが、四死球が多めで出塁率はなかなか高かった。信頼を掴みつつあり、今季も控えとして出番は多そう。
アーロム・バルディリス
育成上がり外国人、打撃覚醒型
|
右投右打 |
|
|
阪神08(育成枠)〜09、オリックス10〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
08 |
阪神 |
77 |
132 |
30 |
9 |
0 |
3 |
48 |
16 |
1 |
4 |
1 |
17 |
4 |
28 |
.227 |
09 |
阪神 |
23 |
29 |
3 |
0 |
0 |
1 |
6 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
6 |
.103 |
10 |
オリックス |
118 |
385 |
116 |
20 |
0 |
14 |
178 |
50 |
1 |
2 |
6 |
31 |
10 |
61 |
.301 |
通算 |
3年 |
218 |
546 |
149 |
29 |
0 |
18 |
232 |
67 |
2 |
6 |
7 |
50 |
14 |
95 |
.273 |
テストを経て育成枠から這い上がってきた外国人内野手。昨年オリックスに移籍しレギュラーまで上昇。
08年春季キャンプにテスト参加し、育成選手として阪神入り。この時点で25歳と若い選手で実績はほとんどなく、マイナーも3Aは1シーズンのみ。しかし開幕すると二軍で早々に5ホーマーの爆発。一軍のサードが今岡誤算、関本も序盤不調だったこともあって、5月初めに支配下登録されすぐに一軍昇格を勝ち取った。5月後半からは先発出場もするようになり、計77試合に出場。さすがに一軍レベルでは打撃は苦戦したものの、予想以上に出番を得た。
特徴は瞬発力の高い三塁守備。打球反応が良く、身体能力の高さをうかがわせる。外国人とはいえ間違いなく発展途上の選手で、2年目はほぼ二軍暮らし。下では打撃急成長で主砲として活躍し、チームの三冠、3割5分の高打率でウエスタンの首位打者に輝いた。ただ一軍ではチャンスも少なく、シーズン3安打と寂しい結果に終わった。
シーズン後戦力外となり、昨年はオリックスに移籍。そしてここで急激な成長を見せた。サブの扱いでスタートもサードのスタメンで起用されるようになり、5月は3割台後半という高打率をマーク。そのまま一気にレギュラーとなった。後半も打撃は安定した状態で、規定打席にはわずかに届かずもシーズン3割達成。二桁14ホーマーも放ち、大きく飛躍の年に。
基本的には引っ張り専門のプルヒッターだが、三振がかなり減り、一軍レベルへの対応力がついた。総合的に未熟な点は残り、打順も下位が中心だったがチャンスにも結果を残しなかなかの戦力に。成長途上の選手で今季さらに上昇の可能性も。
ウラディミール・バレンティン
パワーヒッター、大砲型
|
右投右打 |
|
|
ヤクルト11〜 |
年度 |
球団 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
11 |
ヤクルト |
71 |
252 |
67 |
11 |
1 |
19 |
137 |
40 |
3 |
0 |
2 |
34 |
1 |
60 |
.266 |
通算 |
1年 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
11年成績は7/24現在 |
ヤクルトの新外国人。シーズン序盤に一発を量産しチーム快走の打の原動力に。
開幕時点で26歳と若い選手で、メジャー実績は3シーズンで170試合15ホーマー。3Aでは07年に24ホーマー、昨年も25ホーマーと3年のキャリアで計67本塁打。一発が魅力の長距離砲としてヤクルトと契約。
開幕は6番でスタート。好調で入り、4試合目に来日初本塁打を放つと4月中に6ホーマー。5番に座るようになった5月も勢いは落ちず、この月は4割近いアベレージを残し7ホーマーで月間MVP受賞。統一球導入で全体的に本数が減った中、リーグで唯一5月中に二桁本塁打に乗せ、快調に走るチームの打線の原動力として活躍。
メジャーで150m弾を放ったという桁違いのパワーを誇り、一人だけ別のボールでやっているのではと思わせるほどの飛ばし屋。キャンプ当初は不振で評価が低かったものの、伊勢コーチの指導で打撃が変わったと言われる。もっぱらライトの守備は充分以上の強肩を持つ一方動きはやや緩慢。
快調に飛ばしていたが6月以降今度は別人のような不調に。特に6月後半は9試合39打席29打数連続ノーヒットと苦しみ、月間打率1割台前半。7月になっても調子は上がらず、打順を下げスタメン落ちという場面も。8月になって止まり気味だった一発が戻ってきたが、打率はあっという間に急落してしまった。
やはり序盤の好調はちょっと出来すぎだったか。横浜戦でヒットの実に4分の1を稼ぎ、ここだけは圧倒的な好成績を残しているが、それ以外のカードではどうもきっちり対策されてしまった印象もある。このまま成績を落とし続けるか、持ち直せるかで評価は大きく変わりそう。