退団投手 2003年

外国人、多いなぁ…

厚沢 和幸

技巧派転向、ノーコン未熟型

左投左打
大宮工高〜国士舘大 日本ハム95ドラフト2位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 日本ハム 15 0 0 1 0 24 23 6 26 19 17 6.38
02 日本ハム - - - - - - - - - - - -
03 日本ハム 3 0 0 2 0 6 9 0 5 5 6 9.00
通算 9年 42 0 0 4 0 60 1/3 57 8 59 45 36 5.37

国士舘大学から95年、ドラフト2位で入団。左の本格派で、当然即戦力の期待を持たれていた。当時左の先発がいないというチーム事情もあった。
しかし入団後8年間で登板したのは39試合、わずか54イニングでは…。
それでも生き残ってきたのは左の希少価値ゆえ。最近はほとんどの球種がフォークになっているようで、リリーフに活路を見出した模様。とはいえ01年こそ15試合に登板したものの、一昨年はまたも一軍登板なし。変化球主体はいいが制球力が悪すぎる。相変わらずの四球病で、ベンチの信頼は勝ち取れなかった。
一昨年二軍戦でノーヒットノーランを達成したが、昨年もチャンスを貰いながら結果は出せず。結局最後まで「二軍の帝王」を脱することができなかった。一軍での勝利に届かず。

伊藤 智仁

本格派、一芸型

右投右打 新人王(93)、カムバック賞(97)
花園高〜三菱自動車京都 ヤクルト93ドラフト1位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 ヤクルト 1 0 0 0 0 4 4 0 2 0 0 0.00
02 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
03 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
通算 11年 127 15 37 27 25 558 421 39 548 199 143 2.31

とにかく故障が多い投手。潜在能力は20勝級と思われるのに、故障、故障で1シーズンまともに働いたことがない。二ケタ勝ちすらない。
ルーキーイヤーに7勝、1点に満たない防御率で新人王獲得。「高速スライダー」の言葉は、この人が生んだといってもいいほど、それは速く、そして鋭かった。しかし逆に、鋭すぎるゆえに腕が持たないのか。これ以降常に故障と隣り合わせの生活が続き、01年からは選手生命の危機に。
類稀な体の柔軟さを持つ投手で、それが高速スライダーの源でもあったが、運動能力が耐久力を越えてしまっている印象。多発する故障に年々球速も落ち、ここ数年は投げることもままならない状態になってしまった。
97年に19セーブをマーク(この年高津は故障)したように、実はリリーフに適性があったかもしれないが、30を越えた今となってはそれも苦しい。一昨年オフ、一度は戦力外通告を受けたが、大幅な減俸を呑んで残留。しかしテスト登板でわずか一球で故障再発してしまったように、復活の見通しはまったく見えず、昨年も登板なしに終わりとうとう引退。
一度はフルシーズン働くところを見たかった投手。能力を全開することなく散ってしまったのが惜しまれる。

今村 文昭

変り種転向型

右投右打
九州学院高 オリックス96ドラフト1位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 オリックス 12 0 1 0 0 23 2/3 22 6 11 10 10 3.80
02 オリックス 24 0 2 3 2 26 2/3 28 2 21 15 16 5.40
03 オリックス 11 0 0 1 0 9 20 2 5 5 11 11.00
通算 8年 47 0 3 4 2 59 1/3 70 10 37 30 37 5.61

01年、同僚の萩原とともに内野手から投手へ転向した変り種。ドラフト1位ということから見てもわかるとおり、もともとは内野手として非常に期待の大きい選手だった。しかし入団から5年間で一軍出場なし。するとチームの投手が不足、という事情から強肩を生かして投手転向。投手から野手、というのはありふれているが、野手から投手というのはほとんど例がない。
肝心の投球スタイルだが、意外とオーソドックスにまとまったタイプ。球速は140キロ前後くらいで、シュートやスライダーを駆使して左右に揺さぶるタイプ。転向したばかりの01年早くも12試合に登板、センスの良さを意外な形で証明した。
一昨年は登板数が倍増したが、防御率は悪化。さらに昨年も内容悪化と、投手としてのキャリアを重ねるごとに悪くなってしまった。変動し続けるチーム編成からはじき出されて、戦力外になってしまった。技術的に足りない部分は多いが、ボール自体は悪くはなかったと思うのだが。もう少し見てほしかった気がする。

大塚 晶則(晶文)

剛球派、ストッパー型

右投右打 最優秀救援(98)
横芝敬愛高〜東海大〜日本通運 近鉄97ドラフト2位〜02、中日03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 近鉄 48 0 2 5 26 56 42 7 82 15 25 4.02
02 近鉄 41 0 2 1 22 42 1/3 22 4 54 3 6 1.28
03 中日 51 0 1 3 17 43 31 4 56 6 10 2.09
通算 7年 305 0 14 23 137 350 2/3 237 26 474 124 93 2.39

赤堀に代わり、ストッパーの座に着いた男。とにかく近鉄は、ことストッパーには不自由せず不思議と恵まれるチーム。石本→吉井→赤堀→大塚と、ことごとくリーグを代表するリリーバー。
右手の使い方が独特の、力感あふれるフォーム。そして完全なオーバースローから投げ下ろす迫力のある速球。彼のピッチングは、見ていて楽しい。まさに「ねじ伏せる」といった風情。
入団以来常に投球イニングを超える奪三振をマークし、まさに抑え投手といった雰囲気を持つ。01年こそやや不調で防御率が落ちたが、4年目までは2点台の好成績。98年にはチームが66勝で35セーブという凄まじい成績も残している。
一昨シーズン終了後ポスティングでのメジャー移籍を画策したが、思いもよらぬ「入札ゼロ」で去就で大もめ。紆余曲折のあと中日へ移籍。キャンプ不参加の影響やモチベーションの低下が不安視されたが、やはり実力は相当なものだった。中継ぎで結果を残すと途中からは不安定になったギャラードに変わって抑えに定着。セーブ数は少ないものの、存在感は示した。
今オフに昨年果たせなかったメジャー挑戦の話が再燃、ようやく念願かなって移籍となった。年齢的に挑戦するなら今がベスト。ちなみに、よく間違われるのだが、彼の決め球の落ちる球はスライダー。一応フォークも持ち球ではあるが、滅多に投げない。しかしあの縦スライダーは絶大な威力を持っている。

小野 仁

大器、超未完成型

左投左打
秋田経法大付高〜日本石油 巨人97ドラフト2位〜02、近鉄03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 巨人 7 0 0 0 0 7 1/3 12 1 7 8 6 7.36
02 巨人 - - - - - - - - - - - -
03 近鉄 - - - - - - - - - - - -
通算 7年 36 0 3 8 0 93 2/3 112 12 65 56 60 5.77

最近10年で、最も才能を無駄遣いした男。高校時代すでに、石井一、工藤を超える才能と謳われ、高校生にして全日本メンバー選出。そしてキューバ戦でリナレスから三振を奪う。まさに大器。しかし巨人入りにこだわり、社会人入り。晴れて巨人を逆指名するときには、10年に一人の大物は、毎年10人はいるノーコン投手に成り下がっていた。
プロ入り後も制球難は直らず。かつての姿を髣髴とさせるボールもあるが、すべての面で高校時代より後退してしまった。こんなはずじゃなかっった、と、日本中の誰もが思っているんじゃないだろうか。傲慢はほころびを生む、といったところか。
入団2年目に2勝を上げたがその後はジリ貧。一昨年はサイド転向。ランディ・ジョンソンばりのフォームで飛躍を狙うが、結果はもう一つ伴ってこない。古今東西「ノーコンの左投手」というのは投手コーチがもっとも興味をそそられる存在らしいが、時間がかかってモノになったケースはあまりない。小野も例外ではなかった。
一昨年も二軍で圧倒的な数字を残しているように、もはやファームの器ではない。しかし一軍にはお呼びがかからずじまい。それは近鉄に移籍しても何も変わらなかった。二軍の帝王も一軍には呼ばれず、とうとう解雇。改めてもったいないとしか言いようがない。

黒木 詢司

速球リリーフ、平凡型

右投右打
延岡学園高〜三菱自動車水島 日本ハム96ドラフト4位〜01、ロッテ02〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 日本ハム 1 0 0 0 0 2/3 4 2 0 1 5 67.50
02 ロッテ 6 0 0 0 0 12 16 1 6 4 6 4.50
03 ロッテ 4 0 0 0 0 7 1/3 9 2 6 3 6 7.36
通算 8年 170 0 14 12 22 249 276 32 131 104 122 4.41

150キロに迫る速球が売りのピッチャー。社会人出身でもあり、当然即戦力、ストッパーに期待されての入団。しかしその期待に応えてはいない。
最大の問題は、球速の割に少なすぎる奪三振。スピードガンに表示されるほどの速さは感じず、軟投派投手並みの奪三振率ではストッパーは苦しい。かといって先発をこなすほどの投球の幅もない。非常に扱いの難しい投手で、中継ぎではもったいないと思う反面、中継ぎが精一杯かとも思う。
一昨年、高校時代の同僚「ジョニー」黒木のいる千葉ロッテへ移籍。転機とするには絶好のシーズンだったが、いまいちな結果に。中継ぎとしても技術に欠けるのは苦しい。昨年もほとんど二軍暮らしで、シーズン終了後戦力外に。ここ数年ほとんど一軍で投げていないのはあまりにも苦しい。
入団以来「潤」→「純」→「詢」と名前を変えてきているが、効果はなかった。唯一の特徴だった速さも目立たなくなってしまっては苦しい。投球術があれば違ったのだが。

佐野 滋紀

復帰右腕、中継ぎ型

右投右打
松山商高〜近大呉工学部 近鉄91ドラフト3位〜99、中日00、オリックス03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 米・独立リーグ所属
02
03 オリックス 2 0 0 0 0 3 12 1 0 0 7 21.00
通算 11年 353 1 41 31 27 648 1/3 699 78 414 229 274 3.80

「ピッカリ投法」などキャラクターで有名になった選手。00年限りで中日を解雇され、昨年3年ぶりに日本球界復帰を果たした。
ドラフト3位で近鉄に入団すると、1年目から中継ぎで活躍。重い球質を武器にコーナーを突く投球が持ち味で、いかにもリリーフ向きのタイプ。1年目に38試合に登板6勝をあげると、以降は常に中継ぎの主力に。93年からは5年連続40試合以上登板とタフさも見せ、特に95年は10勝6セーブを記録。赤堀、あるいは大塚につなぐ重要な存在として大活躍を見せた。
しかしさすがに酷使が堪えたのか、97年は内容が悪く、翌98年は故障で一年を棒に振る。これ以降急速に失速してしまった。99年復帰は果たしたものの往時の球威は戻らず。中日への移籍も心機一転とはならず、さらに成績を悪化させてこの年限りで解雇。
独立リーグでプレイを続けながら日本への復帰を模索していたが、昨年テストを経てオリックス入り。しかし往時の球威はすでに失われていた。シーズン途中に何とか一軍昇格したものの、結果は見る影もないもの。二軍でも散々な内容で、全く戦力にはならなかった。
結局一年限りの復帰で解雇。さすがにこの内容ではどうにもならない。98年の故障から立ち直れなかった。

クリス・シールバック

技巧派、平均型

右投右打
日本ハム02〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 日本ハム 22 2 8 7 0 140 138 9 75 79 56 3.60
03 日本ハム 16 0 2 8 0 78 2/3 100 14 33 41 49 5.61
通算 2年 38 2 10 15 0 218 2/3 238 23 108 120 105 4.32

長いリーチから内外角を攻める投球が持ち味。入団前は速球が持ち味との評判だったが、実際にはボールそのものは案外平凡。スピードよりもムービング系の投手で、四球で崩れることはないが死球はかなり多い。それだけ内角を攻めているということだろうか。
来日1年目は開幕から3連勝して「これは」と思わせたが、そこからもうひとつ成績が伸びない。球威も変化球も平凡なため、不調のときにごまかしがききにくいタイプ。好不調の出入りも激しかった。なかなか貯金はつくりにくい印象。
それでも1年目は8勝を上げたが昨年は内容が一気に悪化。いいときがほとんどなく、わずか2勝に終わった。少なかった被本塁打も急増、前年よりも慎重さがなくなった感じで、助っ人投手としては寂しい結果に。
軸になってフル回転というタイプではないのは確かだが、もう少し良さを見せて欲しかったところ。結局投手力改善には貢献できなかった。

島田 直也

中継大成、平凡型

右投右打 最優秀中継ぎ(97)
常総学院高 日本ハム88ドラフト外〜91、大洋・横浜92〜00、ヤクルト01〜02、近鉄03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 ヤクルト 53 0 0 2 0 46 1/3 45 5 26 22 15 2.91
02 ヤクルト 4 0 0 0 0 2 2/3 4 0 2 1 3 10.13
03 近鉄 3 0 0 0 0 1 2/3 6 2 0 2 4 21.60
通算 16年 419 2 39 38 9 665 2/3 723 63 417 276 273 3.69

各チームを渡り歩いた中継ぎ右腕。目覚しいボールは持っていないが、ピンチにも動じない精神力と豊富な経験で内外にボールを出し入れする技術が持ち味。
甲子園で活躍し、同期に入団した芝草と共に「SSコンビ」として売り出された。しかし高校時代からそれほど卓越した球威はないタイプで、一軍抜擢は早かったもののそれほどの活躍は出来ず。わずか4年で大洋へ移籍。
移籍当初も大きな変化はなかったが、中継ぎに専念し始めた94年に大躍進。この年50試合に登板して9勝。さらに翌95年には10勝を上げ、完全に主力投手として一本立ちした。ここから98年までは安定感抜群で、自身初の優勝も味わうことができた。
ただやはり特徴には乏しいピッチャーで、勤続疲労の見えた99,00年は不振。01年ヤクルトに移籍して復活したが、これが現役最後の輝きとなった。
一昨年からは登板数もガタ落ちし、昨年移籍の近鉄でも復活はならなかった。33歳とそれほどの年ではないが、昨年限りで引退。唯一絶対の武器であるスライダーが鈍ったのが痛かった。

竹下 潤

中堅左腕、平凡型

左投左打
静岡市立商高〜駒大 西武92ドラフト1位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死球 自責点 防御率
01 西武 9 0 1 1 0 5 6 2 4 2 2 3.60
02 西武 1 0 0 0 0 1 3 1 1 0 3 27.00
03 西武 - - - - - - - - - - - -
通算 12年 162 1 12 12 1 288 284 39 269 151 132 4.13

92年のドラフト1位。だが当時から「果たしてドラフト1位の器か?」とは言われていた。大学時代は若田部(ダイエー→横浜)の控え。アマチュアでの実績が乏しく、その実力は未知数であった。
一軍定着は4年目の95年。球威はあるものの制球が悪く、またマウンド度胸ももう一つ。結局先発に定着することは出来ず、97年からは中継ぎ専門に。ただリリーフとしては安定した成績を残し、技術も向上した節がある。
ここ数年は故障で低迷。その間に左腕リリーフは次々とチームに入団。すっかり存在感が薄くなってしまった。正念場の昨年も登板なく、シーズン後戦力外。95〜99の五年間が絶頂だった。

土井 雅弘

軟投派左腕、自滅型

左投左打
下松工高〜新日鉄光〜新日鉄八幡 ダイエー96ドラフト3位〜02、オリックス03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
01 ダイエー 1 0 0 0 0 2/3 2 0 0 2 2 27.00
02 ダイエー 1 0 0 0 0 1 3 0 1 0 0 0.00
03 オリックス 27 0 2 3 0 34 2/3 55 8 21 25 39 10.13
通算 8年 49 3 7 7 0 132 155 16 81 92 89 6.07

身長189cmで公称体重75kg、非常に細身で長身の左腕投手。長い腕を体に巻きつけるように使う投手で、スピードはない技巧派。
社会人から即戦力と期待されて入団したが、ダイエー時代はなかなか戦力になれず。ようやく5年目の00年にローテーションの谷間を埋める形で台頭。王監督が「パラシュートカーブ」と命名した曲がりの大きいスローカーブを軸に3勝を上げた。しかし飛躍が期待された翌年はまた元の二軍投手に逆戻り。昨年はオリックスに。
移籍した昨年は絶対的な投手不足から中継ぎで多用されたが、内容は悲惨の一語。変化球主体の投手でありながら制球力が全然なく、四球で走者をためては痛打の繰り返し。10点台の防御率は戦力以前の問題で、左投手という以外に価値のない存在と化していた。
とにかくこの年齢、このタイプで制球力がないのは致命的。結局シーズン終了後戦力外となり、どうやら見納めになりそう。社会人出身らしい老獪さに欠けていたのが大成を阻んだ。

中野渡 進

長身右腕、角度型

右投右打
東海大菅生高〜三菱自動車川崎 横浜00ドラフト7位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
01 横浜 63 0 5 1 0 86 1/3 68 6 57 35 25 2.61
02 横浜 5 0 0 0 0 5 1/3 11 2 4 2 7 11.81
03 横浜 7 0 1 0 0 6 2/3 6 0 6 4 4 5.40
通算 4年 78 0 6 1 0 102 1/3 91 8 70 41 39 3.43

192センチの長身投手。大柄ゆえのまとまりの悪さが心配されたが、2年目に見事に克服してきた。
数年前からドラフト候補に上がっていた選手だが、未完成ぶりがやや嫌われて遅めのプロ入り。その評価を証明するように1年目は全く戦力にならなかったが、2年目は中継ぎとして大車輪の活躍。制球の向上が目覚しく、打ちづらい球質もあいまって、抜群の安定感を発揮した。
俗にハイタワー投法と言われる、角度を生かした投法。ボール自体は平凡で球速も遅いが、極端な角度が付きなかなか打ちづらい。63試合に登板して防御率2点台は上々と言える。
急な酷使のツケがやや不安だったが、危惧したとおり一昨年は故障で戦力にならなかった。昨年は故障も癒え二軍で立ち直りつつあったが、シーズン終了後解雇。思ったことをズケズケ言うなど特異なキャラクターだったが、あっさり現役に見切りをつけた。故障が残念だった。

西山 一宇

速球過信、棒球型

右投右打
高知高〜NTT四国 巨人93ドラフト3位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
01 巨人 19 0 2 0 0 36 55 4 33 13 24 6.00
02 巨人 7 0 0 0 0 7 1/3 14 0 9 1 8 9.82
03 巨人 - - - - - - - - - - - -
通算 11年 207 0 24 18 12 354 1/3 387 26 258 152 162 4.11

スピード以外にとりえの無いピッチャー。アーム式の投法から150キロ級の速球を投げるものの、ボールのキレはない。スピードの割に全く空振りが取れない球で、緩急の使い分けも皆無。スピードガンが投手の良し悪しを決める基準にはならないという典型。
アマチュア時代から速球には評判のあった投手だったが、故障持ちでもあり即戦力にはならず。3年目に1点未満の防御率で台頭し新ストッパー誕生を大いに期待された。ところがそれ以降はさっぱり。首脳陣の期待は厚く、先発をやったりセットアップをやったりもしたが、どれもいまいちのまま。たまに良くても長続きせず、ゲームの壊し屋になることもしばしば。とうとう一昨年からはサイドスローへ転向させられた。それでもあまり変化はない。
ピンチを迎えると大混乱して我を忘れてしまう精神面の脆さはリリーフ投手としては致命的。かと言って先発をやるには球種が少なく、三振が取れないためスタミナ面も不安。なんとも使い方が難しく、好調時以外は怖くて使えない。
結局投法改造も功を奏さず、昨年は登板機会もないままシーズン終了、現役引退となった。精神面がもう少し強ければもっと良積を残せたと思われるだけに惜しい。アーム式の投手はどうも大成しにくい。

アラン・ニューマン

長身左腕、中継ぎ型

左投左打
ヤクルト01〜02、広島03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
01 ヤクルト 17 1 3 4 0 60 1/3 61 8 38 13 28 4.18
02 ヤクルト 42 0 2 3 0 71 2/3 55 5 58 30 28 3.52
03 広島 14 0 0 1 0 22 26 3 16 15 19 7.77
通算 3年 73 1 5 8 0 154 142 16 112 58 75 4.38

身長198cmの大型左腕。体格の割にスピードは平凡だが、なかなか豊富な球種を持つ技巧派投手。カットボールで打たせて取るのが持ち味。
来日当初は先発だったが、ここでは平凡な成績。しかし制球力がなかなか安定しており、中継ぎに廻ると安定したピッチングを見せた。一昨年はほぼ年間通してリリーフ。目立つ場面での登板が少なく地味ではあったが、充分合格点をつけられる内容ではあった。
昨年広島へ移籍。左のリリーフ層が薄いチームということで期待は大きかったが、完全に裏切る形となってしまった。これまで安定していた制球が大幅に悪化し、低調な内容に終始。手堅い戦力として計算されていただけに痛かった。
技巧派ゆえに慣れられた部分は多分にありそう。外国人投手にとって三年目はひとつの壁か。

野村 貴仁 (旧・空生)

一本調子、ショートリリーフ型

左投左打
高岡高宇佐分校〜三菱重工三原 オリックス91ドラフト3位〜97、巨人98〜01、米・ブリュワーズ02、日本ハム03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
01 巨人 40 0 2 1 0 37 47 4 34 13 19 4.62
02 (米・MIL) 21 0 0 0 0 13 2/3 11 2 9 18 13 8.56
03 日本ハム 6 0 0 0 0 5 1/3 11 2 3 2 7 11.81
通算 12年 344 0 24 22 39 431 1/3 389 27 476 172 154 3.21

ストレートでグイグイ押すのが持ち味のリリーフ型左腕投手。フォームからして荒っぽく、完全に力任せのピッチャー。
2年目の92年からリリーフに定着し、セットアッパー、あるいは抑え役として活躍。特に95・96年頃の活躍が凄まじく、押して押して三振を取り捲るスタイルで日本シリーズでも活躍。対戦相手のジャイアンツにも強烈な印象を植付け、98年乞われる形で移籍。
しかし移籍後は明らかに精彩を欠いた。前述の通り一本調子の投手で、不調時にはまるっきり当てにならない。つまりいかにブルペンで調子を見極めるかが重要で、その点当時のジャイアンツには問題があった。変化球はほとんど見せ球程度。ストレートが走らなければ、という0か100かのタイプ。
01年オフ自由契約になり、中日移籍を蹴ってメジャーに挑戦。しかし5年ほど遅かったかもしれない。結局ほとんど活躍できず、一年限りで解雇。去就はなかなか決まらなかったが、昨年開幕直前に日本ハム入りが決定した。しかしかつての力はすでになく、ようやっと上がった一軍でも滅多打ち。わずか6試合の登板は改めて衰えを痛感させるものとなった。
結局日本ハムは一年で解雇。相変わらず向こうっ気の強い投手だが、そろそろ力攻めは辛い。かといって投球術というタイプでもないのがつらいところか。

橋本 武広

リリーフ天職、鉄腕型

左投左打 最多ホールド(97)
七戸高〜東農大〜プリンスホテル ダイエー90ドラフト3位〜93、西武94〜02途中、阪神02途中〜03途中、ロッテ03途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
01 西武 60 0 0 2 0 32 1/3 22 2 26 11 11 3.06
02 西武 4 0 0 0 0 3 8 2 3 1 5 15.00
阪神 15 0 1 0 0 5 1/3 14 0 2 6 8 13.50
03 ロッテ 23 0 0 1 0 17 1/3 15 2 13 12 13 6.75
通算 14年 560 0 12 22 20 482 2/3 458 38 374 230 199 3.71

淡々とリリーフをこなす鉄腕。プロの投手としては厳しいほどの小柄な体だが、プロ入り以来故障らしい故障は皆無。01年まで7年連続50試合以上登板を記録した。昨年までの通算登板数は現役最多。
ダイエー時代は起用法が一貫せず、全く能力を発揮できなかった。しかし大型トレードで西武移籍後開花。豊富な投手陣の中でリリーフに専念できるようになったのがプラスになったようだ。以来貴重なリリーフ左腕として安定した働きを見せ、01年には連続リリーフ登板の日本新記録を更新。特に95〜97年の三年間はこれ以上ない安定感だった。
40近い大ベテランながら、ピッチングの柱は依然ストレート。カーブ・スライダーを織り交ぜ、奪三振率も毎年高い。もっぱら対左専門のリリーフだが、右相手でも通用する。と、ここまでは言うことなしなのだが、一昨年は突然の不調。シーズン途中に阪神へ移籍したが、ここでも往時のピッチングは見られず。ここに来て急激な衰えを見せた。
結局阪神ではまったく働けず、昨年途中にロッテに移籍。しかしもう衰えは顕著だった。かつての安定感は微塵もなく、ボールがいかないため四死球も急増。左腕不足のチームを救うことはできず、そのまま現役引退となった。
生命線のボールの切れを失ったのが痛かった。ここまで急激に崩れるとは予想がつかなかったが、年齢を考えれば致し方ないところか。中継ぎゆえタイトルにはなかなか縁がなかったが、560試合登板は輝く勲章。一発を打たれにくい投手だった。

コリー・ベイリー

リリーフタイプ、不安定型

右投右打
巨人03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
03 巨人 30 0 1 0 0 35 2/3 41 4 32 17 19 4.79
通算 1年

シュート系のボールを得意とする右腕。不安のあるリリーフ陣の新戦力と期待されたが、その期待に応えられたとは…。
課題はいろいろあるのだが、球威・制球ともにかなり物足りず迫力不足。被安打が多いのはこのタイプの常だが、35イニングで暴投4は多すぎ。リリーフとしては不安定すぎて、重要な場面では怖くて使えなかった。
他の投手がピリッとしないためたびたび一軍に昇格はしたが、結局最初の印象を覆すことはなかった。一年限りでは強いインパクトも残せなかった。

ロドニー・ペドラザ

総合力、元守護神型

右投右打 最優秀救援(00,01)
ダイエー99途中〜02、巨人03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 ダイエー 54 0 4 4 34 56 2/3 63 10 32 12 23 3.65
02 ダイエー 34 0 1 2 21 30 36 4 16 5 11 3.30
03 巨人 7 0 1 1 1 6 16 1 0 2 8 12.00
通算 5年 194 0 12 12 118 202 194 18 126 38 67 2.99

ダイエーの連覇に貢献したストッパー。99年途中に来日、ストッパーとして獲得されたわけではなかったが、岡本の故障で空位だったストッパーに定着。相手を寄せ付けぬ活躍で押しも押されぬ守護神となった。
見た目非常にオーソドックスだがリリースが極端に遅く、バッターがタイミングを取りづらいタイプ。三振をとりまくるほどのスピードはないが、制球が安定して四球が少ないのも特徴。意外に力で押す場面も多く、それでも1年目は被本塁打ゼロ。根気強く低目を攻めるテクニックは一流で、2年目までの安定感は抜群だった。
00年、01年と2年連続最優秀救援賞。しかし01年頃からやや陰りも見え始めていた。当初に比べると球威が落ちており、被打率も被本塁打率も大幅に悪化。一昨年も成績下降に歯止めはかからず、ベンチの信頼も急落。夏場過ぎにはストッパーの地位をはずされ、そのまま戦力外となってしまった。
もう見納めかとも思ったが、その後巨人入りが決定。しかし絶対的な決め球を持つタイプではなく、下半身の不安のために良さを失ってしまった現状では移籍も復活の機会とはならなかった。球威の衰えは何よりも深刻で、当番の度に火だるま状態。夏を待たずして早々に解雇されてしまった。
これまでの実績を考えると非常に寂しい結末だが、やはり限界は越えていた。しかしダイエー連覇の立役者は間違いなくこの人だった。

ルー・ポート

抑え候補、見掛け倒し型

右投右打
阪神03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
03 阪神 8 0 0 1 1 9 16 1 8 2 10 9.64
通算 1年

移籍したバルデスに替わるストッパーとして獲得された投手。150キロの速球とカーブ・シンカーが武器といわれたが、完全に期待外れとなってしまった。
速いには速いのだが、非常に素直で見やすい球筋。奪三振はそれなりに多いが、それ以上に被安打が非常に多く、とてもじゃないがクローザーでは力不足だった。同時に獲得したウィリアムスが非常にいいこともあって、ストッパー失格の烙印を押されると故障もあり帰国。かなりの目算違いだったが、編成の穴にならなかったのは幸いか。
故障治療の名目でシーズン終了まで籍を置いたが、「予定通り」解雇。開幕前は期待を持たせたが…。

クリス・ホルト

緩急駆使、制球力型

右投右打
横浜02途中〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 横浜 19 4 6 10 0 111 107 8 77 14 44 3.57
03 横浜 24 3 5 14 0 146 1/3 175 17 93 42 74 4.55
通算 2年 43 7 11 24 0 257 1/3 282 25 170 56 118 4.13

壊滅的なチーム状況のてこ入れとして02シーズン途中入団。横浜の外国人投手ははずればかりだったが、ようやく当たりを捕まえた。
驚くほどの球威はないが、切れの良いカーブを持ち、緩急の使い方が上手い。特筆すべきは制球の良さで、四球で崩れることが全くない。一昨年は111イニングで四死球はわずか14。1試合平均1個弱という少なさで、とにかくコントロールは抜群。これほどの投手がシーズン初めからいれば、横浜の状態ももっと変わっていたかもしれない。
救世主的戦力となった1年目だったが、試合を重ねると徐々に新鮮味が薄れ、翌年に若干の影を残した。昨年はその不安が完全に的中。前年よりさらに悪化したチーム状態に歩調を合わせ、開幕からひたすら黒星先行。激増した被安打では粘り強く投げるにも限度があった。勝てないイライラからだんだん投球も粗くなり、結局リーグワーストの14敗。前年の輝きは最後まで取り戻せなかった。
ランナーを背負って得意の緩急が死んだのは辛かった。大きく負け越したまま戦力外に。吉見ほどではないが、明らかに横浜の構想を狂わせてしまった一年だった。

マット・ホワイトサイド

速球派、炎上型

右投右打
横浜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
03 横浜 13 0 0 2 2 12 20 3 11 6 10 7.30
通算 1年

ストッパー候補として獲得された右腕。36歳のベテランながら、150キロを越える速球の持ち主。
と、確かに球は速かったのだが、実際に投げてみると非常に見やすい上に高めに浮いてばかりで、格好の餌食となってしまった。変化球もとにかく高く、肝心なところで痛打。抑え失格と判定されたのはあっという間で、二軍調整ののち中継ぎでテストされたが、ここでも結果は出せずに早々に解雇。
昨年の横浜はストッパー云々の状態ではなかったが、開幕前に「これがダメだったら…」という危惧が完全に的中してしまった。キャリアを考えれば、もう少しうまさというかこすっからいところを見せてほしかった。

松田 慎司

小柄左腕、リリーフ型

左投左打
報徳学園高〜西濃運輸 日本ハム93ドラフト2位〜95、ダイエー96〜97、ヤクルト98〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 ヤクルト 48 0 2 0 1 42 32 2 33 24 15 3.21
02 ヤクルト 17 0 0 2 0 15 1/3 15 0 9 6 4 2.35
03 ヤクルト 1 0 0 0 0 2 4 1 0 2 4 18.00
通算 11年 194 1 6 7 1 228 231 23 143 119 119 4.70

息の長い活躍を見せる左腕。ピッチャーとしては非常に小柄な体だが、度胸良くポンポンと投げ込む投球が持ち味。その分ポカも多いのだが。
日本ハム時代は谷間の先発もこなしたが、適性はリリーフ。ただ安定感はさほどないので、重要な場面では怖さが残る。成績の安定感もなく、ダイエー時代は丸っきり戦力にならなかった。ヤクルト移籍後も大して変化はないが、タフで便利な投手として働いた。
01年自己最多の48試合に登板したものの、それ以降出番が大幅減少。昨年はわずか1試合の登板に終わり、戦力外に。もともと絶対的な能力はなかったが、さすがに36歳で衰えが来た。攻めの投手だっただけに切れが落ちては浮上はならなかった。

ブライアン・マレット

途中入団、幻のリリーフ型

右投右打
近鉄03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 四死球 奪三振 自責点 防御率
03 近鉄 4 0 0 0 0 5 11 1 1 1 8 14.40
通算 1年

大塚退団、期待の若手投手も故障で、候補すらいなくなってしまったストッパー役に、開幕後に急遽獲得された外国人。しかし全くの期待外れで、一つも戦力にはならなかった。
成績を見ればわかるとおり、一軍レベルとさえ思えない内容。被打率は4割を越え、アウトを取るのさえやっとという感じだった。靭帯損傷で姿を消したが、故障がなくとも見切りをつけられるのは早かっただろう。
いわゆるラソーダ・コネクションなのだが、どうも前年のジョンソンといい、このルートは最初以外成果が上がっていない。「もう少しマシな投手を紹介してよ」というファンの悲鳴も聞えてきそう。結局抑え構想は幻のまま終わってしまった。

水尾 嘉孝

中継ぎ再生、元大物型

左投左打
明徳義塾高〜福井工大 大洋・横浜91ドラフト1位〜94、オリックス95〜00、西武01〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 西武 48 0 2 1 0 49 2/3 51 5 25 24 22 3.99
02 西武 35 0 0 0 0 40 47 2 26 10 8 1.80
03 西武 2 0 0 0 0 3 4 2 1 1 3 9.00
通算 13年 269 1 7 9 2 252 1/3 272 27 176 109 96 3.42

ドラフト時には「大学bP左腕」の触れ込みだったが、鳴り物入りで入団した横浜では鳴かず飛ばず。まるっきり戦力にならず、オリックスへ放出。
オリックス移籍後もほとんど状態は変わらなかったが、97年、突然活躍。リーグ最多の68試合登板で2点台前半の防御率。どうやら適性は中継ぎにあったようだ。「大型左腕」という期待の呪縛から解かれ、まるで別人のような働き。まさに「水を得た魚」。
00年は故障で不本意な成績だったが、西武移籍後はまた復活。一昨年も防御率1点台と、リリーフに廻ってからの安定感は別人のよう。かつては悪かった制球力も安定した。
安定した中継ぎ左腕として活躍していたが、昨年はわずか2試合の登板に終わった。35歳のベテラン、衰えとともに世代交代の波に飲まれた格好で、シーズン終了後戦力外。もっと早く中継ぎ適正に気づいていれば…というのが惜しまれる。

森中 聖雄

中継ぎ左腕、平凡型

左投左打
東海大工高〜東海大 横浜97ドラフト2位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 横浜 35 0 3 2 0 32 2/3 38 7 22 16 19 5.23
02 横浜 27 0 2 5 0 59 1/3 61 12 43 19 32 4.85
03 横浜 10 0 0 0 0 11 12 2 8 8 8 6.55
通算 7年 189 0 17 15 4 244 2/3 214 37 193 97 108 3.97

権藤元監督の「中継ぎローテーション制」に乗って台頭した投手。全体的にまとまったタイプで、使い勝手は非常にいい。
97年ドラフト2位入団。はじめの2年は全く戦力にならず、またも見込み違いかと思わせた。しかし3年目の99年、関口が離脱した穴を補って余りある活躍。41試合に投げて6勝、防御率2点台の好成績。翌年も53試合に登板し、左の中継ぎ一番手となった。しかしその2年をピークに、それ以降は数字が落ち込む一方。
直球はそこそこで、変化球を散らす技巧派投手。ただこれといった特徴がないため、印象は薄い。ある程度球数を放れるのは魅力で、一昨年は一時先発もこなした。ある程度の可能性は見せたが、逆にスピードはかつてより落ち、限界も見せ始めたのも確か。
昨年はほとんど一軍で投げず、シーズン後戦力外に。現役続行を望んでいたが、結局それは果たせなかった。まだ30前ながら、99年をピークに一度も数字が上向かなかったのが痛い。

渡辺 正和

元ノーコン、技巧派型

左投左打
佐賀西高〜筑波大〜東京ガス ダイエー93ドラフト5位〜03
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
01 ダイエー 48 0 3 1 0 41 48 6 16 19 23 5.05
02 ダイエー 57 0 1 1 1 40 2/3 38 5 23 22 12 2.66
03 ダイエー 46 0 0 1 0 36 1/3 38 5 19 22 20 4.95
通算 11年 264 1 15 9 1 301 2/3 283 35 177 150 140 4.18

筑波大出身の異色の選手。大学時代から左腕から繰り出される速球は評判だったが、それと同時に制球難も有名。社会人に進んでもあまり変わらず、毎年ドラフト候補に名前があがりながら、見送られてきた。
93年、27歳でのプロ入りはギリギリの年齢。本格派左腕として期待は大きかったが、どうしてもここ一番に顔を出す制球難と気の弱さ。これが仇となりいつしか忘れられた存在に。いつクビになってもおかしくない存在だった。あまりに平凡な風貌から、王監督に「ヒゲを生やせ」と命じられたことも。
しかし00年、篠原の不調を埋める形で一軍に返り咲くと、中継ぎで八面六臂の活躍。年齢とともに衰えた球速が、逆に制球を安定させたのだから皮肉。そしてそのことが持ち球であるSFFの効果も高めた。防御率2点台、60試合登板6勝の大活躍。連覇の立役者となった。
変化の小さいスプリットフィンガードファーストボールだが、そのおかげでストレートとほとんど同じ球速・軌道で来て、打者の手元で小さく沈む。好調時にはこれが非常に効果的なボールとなった。00年以降完全にリリーフの主力に。
しかし年齢による球威の衰えは隠せず、昨年は非常に不安定な内容に終始した。腕を下げ気味にして左右のコンビネーションを使っていたが、ごまかしきれなくなった印象。徐々に重要な場面での登板は減り、シリーズが終わると戦力外に。今季38歳の年齢では声もかからず、そのまま引退となった。功労者の一人だけにややさびしいが、やはり限界は越えていた。一昨年以降球威ががた落ちしたのが痛かった。


2003年退団野手
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