退団投手 2004年

さらにマレンも復帰し総勢48名

赤堀 元之

総合力、昔日の栄光型

右投右打 最優秀防御率(92)、最優秀救援(92〜94、96、97)
静岡高 近鉄89ドラフト4位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 近鉄 11 0 1 1 0 12 1/3 18 1 3 4 9 6.57
03 近鉄 1 0 0 0 0 1 2 1 0 1 1 9.00
04 近鉄 4 0 0 0 0 2 2/3 4 0 3 4 5 16.88
通算 16年 380 2 58 45 139 794 1/3 703 56 590 322 254 2.88

かつての近鉄のストッパーであり、パ・リーグを代表するリリーバーだった投手。長期間活躍することが難しいストッパーとして、彼は実質6年間投げ続けた。大魔神佐々木に匹敵する記録。
入団4年目の92年から3年連続20セーブ以上で5度の最優秀救援に輝く。92年は規定投球回に達し(最後の2試合は先発、内1回は完封)て防御率1位の凄まじさ。彼は佐々木のように1イニング限定ではなく、同点の場面でも登板していた。ストッパー6年間の平均投球回数が88イニング。これほどタフなストッパーは近年存在しない。
毎年のようにオフには先発志願していたが、代わりがいないという理由で却下され続け、ようやく大塚という後継者を得た98年に先発転向。しかし長年の酷使のツケが、ここで一気に出た。98年以降はケガのデパート状態で、ほとんど鳴かず飛ばず。
速球派には珍しく若いころから制球に破綻がなく、抑えを長いこと務めるうちに投球術も高めていった彼は、先発にも充分対応できたはず。ようやく念願かなったときにはケガの連続という不運。
99年以降、もう6年も満足な成績は残せていない。02年は中継ぎで登板も炎上の連続。昨年は久々に球速が甦り、再びストッパーに挑戦したものの散々。スピードはあってもかつての球威とは何かが違う。春先に登板したきりで姿を消し、ついに現役引退を決意。
黄金時代を築きながら、燃え尽きてしまったように見えるのが悲しい。最後の7年間で30試合にしか投げられず、7勝8敗で終わった。しかし抑えとして君臨した92〜97年までの姿は、今振り返っても燦然と輝いている。今季からコーチに就任。

飯島 一彦

魔球駆使、制球不安型

右投右打
藤岡高〜神工大〜新日鉄君津 ダイエー02ドラフト6位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 ダイエー 24 0 3 3 1 34 2/3 30 4 26 23 15 3.89
03 ダイエー 1 0 0 0 0 1/3 2 0 0 1 1 27.00
04 ダイエー - - - - - - - - - - - -
通算 3年 25 0 3 3 1 35 32 4 26 24 16 4.11

ドラフト6位と当初の注目度は低かったが、非常に落差の大きいシンカーで脚光を浴び、開幕一軍入り。中継ぎ登板で好投を繰り返し、02年一番の掘り出し物といわれた投手。
サイドハンドにしてはそこそこの球威があり、右打者にはスライダー、左打者にはシンカーを決め球に。どちらも鋭い落差を誇り、開幕から9試合登板して13イニング無失点の活躍。三振が取れるというのは相当に大きな武器で、一時は不調のペドラザに代わって抑えに座るのでは、と言われていたほど。
ただ時間がたつとともに当初の球威が落ちて、決め球の切れも悪くなり投球内容も悪化した。中盤に二軍落ちしたあと一軍に戻れなかった最大の理由は体力不足。一年通して働けるスタミナに欠け、しかも疲労はその後も尾を引いた。これ以降全く精彩を欠き、昨年は一軍の声さえかからず、シーズン後戦力外に。
能力的には声がかかってもおかしくなかったが、ジリ貧の状態を嫌われたかそのまま引退に。少し制球力が足りなかったのが致命傷になったかもしれない。

伊良部 秀輝

出戻り剛腕、お騒がせ型

右投右打 最多勝(94)、最多奪三振(94〜96)、最優秀防御率(95,96)、ベストナイン(94,95)
尽誠学園高 ロッテ88ドラフト1位〜96、米メジャー(ヤンキース97〜99、エクスポズ00〜01、レンジャーズ02)、阪神03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 レンジャーズ 38 0 3 8 16 47 51 11 30 16 30 5.74
メジャー通算 6年 126 4 34 35 16 514 547 91 405 175 294 5.15
03 阪神 27 3 13 8 0 173 186 24 164 53 74 3.85
04 阪神 3 0 0 2 0 11 2/3 26 5 7 5 17 13.11
日本通算 11年 273 43 72 69 11 1286 1/3 1136 108 1282 601 508 3.55

スピードガン日本最速記録を持つ剛腕投手。6年間のメジャー生活を経て03年、阪神へ入団。よきにつけ悪しきにつけ注目を集める存在。
甲子園でも注目を集めた速球を引っさげドラフト1位入団。2年目に9セーブをあげ一軍定着すると、翌年は先発に定着し8勝。しかし「速いだけ」の投手を脱することが出来ず、91,92年はトータルで3勝止まりと低迷。やや伸び悩みを見せていた。
壁を乗り越えたのは93年。この年8勝を挙げ復活を果たすと、翌年は15勝で最多勝獲得。もともと日本最速だった速球に加えて、さらに投球術を確立し、完全に一本立ちを果たした。95,96年と連続で最優秀防御率、94年から三年連続最多奪三振と、まさに手がつけられない状態。この期間の伊良部は日本最高の投手と呼べる存在だった。
しかし、目標とするメジャー挑戦が現実味を帯びてくるとともに球団との摩擦が深刻化。97年、すったもんだの騒動を経てヤンキース入り。ところがアメリカへ渡ってもお騒がせ振りは変わらず。すっかり「トラブルメイカー」のイメージが固まってしまった。
ヤンキースでは活躍したが、移籍後低迷。02年は久々に抑えに転向したが、病気を患い失速してしまった。この三年の不振のため復帰後の活躍も不安視されていたが、投げてみるとそういった雑音は実力で封殺。
03年前半の活躍は見事に尽きる。かつての荒々しい気性は抑えられ、緩急を駆使し味のある投球を見せて13勝。かつてからは想像しづらいほどの大人の投球を見せた。しかし良かったのは夏場までで、後半は急失速。日本シリーズでは流れを決定付けるKO劇の大失態。前半と後半で大きく評価を変えてしまった。走者を出したときの対応に大きな欠点を見せ、翌年が注目されたが失速は止まらず。開幕から連続KOで戦力として見切られてしまった。
もはや弱点は知れ渡ってしまい、ここにきて急激に衰えた印象もある。まだ去就がはっきりしていないが、見通しはあまり良くない。

ピート・ウォーカー

先発右腕、平均的外国人型

右投右打
横浜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 横浜 10 0 2 4 0 46 1/3 63 18 23 20 35 6.80
通算 1年

先発陣充実のためにシーズン直前に獲得された投手。35歳というベテラン選手で、02年にはメジャーで二桁勝利の実績を持つ。質・量ともに物足りないチームの先発穴埋めを期待された。
来日する外国人投手のいかにも平均像といったタイプで、球速はあまりなく、いわゆる「汚い回転」のボールで打たせて取るタイプ。メインの球種はスライダーで、これがいいところに集まればペースをつかめるが、単調で球威もないため大怪我もしやすい。ビシッと完璧に抑えるのはなかなか難しい投手。
このタイプは被安打が多いのは覚悟の上だが、ウォーカーはちょっと被本塁打が多すぎるのが泣き所。横浜投手陣全体の特徴とも言えるが、常に走者を背負うスタイルでは致命傷になりやすい。また、ある程度多くなるとは言っても被打率3割超は打たれすぎ。先発としては計算は立てづらい。
同じようなタイプでも活躍している選手はもう少し球威があることを考えると、この年齢で故障上がりというのはかなりきついか。結局2勝止まりで戦力にはならなかった。外国人投手の見立ては実績も当てになるとは言えず、やはり難しい。

宇高 伸次

下手本格派、評判倒れ型

右投右打
PL学園高〜近大 近鉄99ドラフト1位〜03、横浜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 近鉄 - - - - - - - - - - - -
03 近鉄 - - - - - - - - - - - -
04 横浜 - - - - - - - - - - - -
通算 6年 31 0 2 2 0 56 1/3 55 5 27 29 22 3.51

大学時代に名を轟かせ、逆指名1位入団。しかし全くの期待外れ。「契約金泥棒」とも言われかねない実績の投手。
アマチュアでの「アンダーの本格派」という触れ込みはあまり信用できないものだが、彼の場合実際球速はある。ただし「下手投げとしては」という条件付きで、打者を空振りさせるほどは速くない。もともと速球投手なので、変化球も特筆すべきものはない。なんだか、すべてに中途半端。「これ」という売りがない以上、開き直って制球を磨くほかないのだが。
堤オーナーの鶴の一声があるまで、実は西武の本命はこの宇高だった。西武が松坂に方向転換したおかげで近鉄逆指名となったわけだが、どうも残り物に福はなかったようだ。残り物というには、当時の名声は高かったのだが。
ついに二年続けての一軍登板なしで横浜に移籍。しかし環境が変わっても一軍登板なく、とうとう三年連続の二軍暮らしで戦力外に。年齢も一杯一杯でこの実績では買い手はつかなかった。通算2勝はあまりに不本意。

内薗 直樹

リリーフ向き、力投型

右投右打
鹿児島実〜三菱重工長崎 巨人00ドラフト4位〜02途中、西武02途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 西武 17 0 0 0 0 24 1/3 21 3 19 9 9 3.33
03 西武 4 0 0 0 0 7 13 1 6 3 6 7.71
04 西武 1 0 0 0 0 2/3 3 0 0 2 2 27.00
通算 5年 26 0 0 0 0 36 43 6 30 15 22 5.50

150キロに迫る速球が売りの投手。入団当時ジャイアンツが抑え不在だったことから、ストッパー候補の期待を受けての入団。しかしこうした豪腕投手にありがちな脆さも併せ持ち、1年目終盤に4試合に登板しただけで、以降は二軍暮らし。
02年開幕後にトレードで西武へ。年齢的に勝負の懸かったシーズンだったが、移籍がチャンスをもたらした。徐々に一軍での登板機会が増え始め、シーズン後半はほとんど一軍定着。登板場面はほとんどリードされた場面だったが、リリーフ投手としてようやくキャリアを積むことが出来た。しかし翌年はまた逆戻り。手薄なリリーフ陣という好条件を生かせず、前年の実績が霞んでしまった。
自慢の球速は平均して140キロ以上と威力あり、それとフォークのコンビネーションが武器。いかにもリリーフタイプの投手だが、どうももう一つ未熟な面が強い。同タイプの森に比べても荒っぽいのはどうにかしたいところだが、成長が感じられないのも事実。一か八かではやはり起用は難しい。
昨年はわずか1試合の登板で被安打3、与四球2と散々。すでに30歳の年齢もあって、シーズン後戦力外に。一度逃したチャンスはそうそう巡っては来なかった。

戎 信行

技巧派、一瞬の輝き型

右投右打 最優秀防御率(00)
育英高 オリックス91ドラフト2位〜02途中、ヤクルト02途中〜03、近鉄04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 ヤクルト 1 0 0 1 0 4 1/3 4 0 3 3 2 4.15
03 ヤクルト 5 0 1 3 0 22 36 6 9 1 18 7.36
04 近鉄 - - - - - - - - - - - -
通算 14年 74 10 14 15 0 326 351 33 182 113 147 4.06

00年に突然の大ブレイクで最優秀防御率のタイトルを取った投手。それまでの九年間で1勝も出来ず、生き残っていたのが不思議といわれたほど。突然の大出世に誰もが驚かされた。
兵庫・育英高で甲子園出場だが、甲子園で見たときの印象は評判ほどのピッチャーじゃない、というもの(当時は故障で精彩を欠いていたらしい)。オリックスがドラフト2位で採ったのも、球団創設まもないための地元優先の獲得といわれた。そんな印象を裏付けるように、九年間未勝利どころか、通算登板がわずか27。ただでさえ保有選手を少なくしているチームにあって、よくリストラされずにきたものだと改めて思う。
何で解雇されなかったのかという事情は部外者なのでさっぱりわからないが、99年に加藤伸一(のちに近鉄)がFA移籍してきたことが転機といわれる。加藤を参考にしたシュートを軸に、丹念にコーナーを攻める投球で台頭。意外と球威もあり、落ち着いたマウンド捌きで逆になんでここまで出てこなかったのかと思わせるほどのものを見せた。00年の快進撃は決して勢いだけのものではない。
しかし、実績を残したことで油断が生じたか、翌年の調整に失敗し低調に終わってから大不振に。02年には故障で挽回の機会すら逃し、ヤクルトに移籍も復活はならず。「一発屋」と呼ばれるのもやむをえない状態に陥ってしまった。
昨年近鉄に移籍したが、状況は悪くなる一方。一軍登板なしでは、さすがにここまでと見極めざるを得ない。大輪の花を咲かせながら、一瞬で枯らしてしまった印象。

嘉勢 敏弘

異色のオーソドックス型

左投左打
北陽高 オリックス95ドラフト1位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 オリックス 33 0 0 2 0 18 16 3 6 6 7 3.50
03 オリックス 9 0 0 1 0 5 2/3 15 3 1 3 10 15.88
04 オリックス 1 0 0 0 0 3 7 0 0 2 4 12.00
通算 10年 136 0 3 7 0 137 2/3 144 21 86 65 74 4.84

投手から野手へ、そしてまた投手へ再転向した異色の左腕。北陽高のエースとして甲子園出場。しかし打者としての素質を高く評価され、プロ入り後すぐ外野に転向。次代の中心打者と期待され、早くから一軍出場も果たした。
野手としての期待は「第二のイチロー」といったものだったのだが、しかし大きく伸び悩んでしまった。徐々に影も薄くなり、あまり名前も出てこなくなった00年に転機が訪れる。このシーズン中、何の前触れもなく突然マウンドへ。左腕不足からの窮余の策だったが、意外にも通用するだけのものを見せ、そのままなし崩しに21試合に登板。初勝利まで上げるともう流れは完全に投手に傾き、翌年から正式に投手へ復帰。
経歴こそ特殊だが、ピッチングはいたってオーソドックス。ずっしりした体形から、力強い球を放る。どちらかといえば球威型で、三振を取るタイプではなく打たせて取るタイプ。01年はリーグ最多の70試合に登板し3点台の防御率と、投手として及第点以上の成績を残した。
チームに少ない左腕リリーフとして重要な存在となっていたが、しかし03年から急激に低迷。チーム全体と足並みを揃えるかのように、いきなり全く通用しなくなってしまった。不調は昨年も継続し、わずか1試合の登板、それも滅多打ちといった内容。
急造投手だけに、力任せの投球が慣れられてしまったかもしれない。二年続けての大低迷でシーズン後戦力外に。異色のキャリアを歩んだが、どちらかに専念していればまた違っていただろうか。今季からは阪神の打撃投手に。

加藤 伸一

技巧派、苦労渡世人型

右投右打 カムバック賞(96)
倉吉北高 南海/ダイエー84ドラフト1位〜95、広島96〜98、オリックス99〜01、近鉄02〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 近鉄 2 0 0 1 0 7 1/3 14 2 4 4 8 9.82
03 近鉄 16 0 6 6 0 82 98 10 23 26 39 4.28
04 近鉄 11 0 2 3 0 47 1/3 63 13 18 15 37 7.04
通算 21年 350 44 92 106 12 1764 1/3 1916 231 743 607 825 4.21

大ベテランのシュートピッチャー。20年以上のキャリアを、どちらかといえば地味な球団ばかりで過ごしてきた、非常な苦労人。
プロ入りは南海ホークスの末期(つまり低迷期)。戦力枯渇したチームにあって、入団早々から一軍に抜擢。1年目から主力として投げ、2年目には9勝を上げ「将来のエース」と期待された。しかしそれ以降故障が目立つようになり、思うように勝ち星を挙げられない。いつしか呼び名も「ガラスのエース」に変化。ダイエー元年に初の二桁勝利も、翌年からまた故障。95年オフ、ついに自由契約。
しかし、度重なる故障からシュートを駆使する技巧派に転身した彼は、移籍した広島で華麗に復活。淡々と内角をえぐる姿は感動モノだった。翌97年はまた故障も、98年には8勝。ところが、今度はチームの若返り策からまたも戦力外に。ローテーション投手が自由契約という珍しいケースとなった。当然他球団から引く手数多(その中には一度クビになったダイエーの名も)で、オリックスに移籍。移籍三年目の01年は小倉とともに先発陣を守り、なんと12年ぶりの二桁勝利。FA権を取得し、近鉄へ移籍。
若い頃から打たせて取るタイプだったが、今は完全な技巧派。威力あるシュートはストレートよりも球速があり、それを軸に左右の揺さぶりで攻める。とにかく内角攻めが身上だが球種も多彩。年を重ねたオリックス時代が一番速かったという印象もある。
移籍した02年は故障で2試合登板のみ。それでもただでは死なず、03年は復活して6勝を上げた。しかし40近い年齢、度重なる故障から球威はがた落ちしており、自慢のシュートもあまり腰を引かせられなくなってしまった。昨年も先発に名を連ねたが、衰えは隠せず。もうすでに完投能力はなく、7点台の防御率ではゲームもつくれなかった。
さすがに限界という印象で、戦力外から引退表明。最後まで優勝には縁がなく、通算100勝までもう一歩で届かなかったが、こういうところも地味な加藤らしさか。しかし21年の現役生活は誇っていい勲章。

ヘクター・カラスコ

剛球リリーフ、被弾炎上型

右投右打
近鉄04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 近鉄 53 0 8 8 5 76 74 12 70 42 47 5.57
通算 1年

ストッパー候補として獲得した外国人投手。35歳のベテランだが常時150キロを越える剛速球が魅力で、メジャーでも通算30勝16セーブの実績を誇る。大塚移籍以降定着しない抑えにと期待の大きかった投手。
オープン戦では自慢の速球を武器にかなりの投球を見せ、これはかなりの戦力になると思わせた。しかし開幕直後のロッテ戦に二発の被弾で逆転されたのを皮切りに、西武戦では最終回に6点を奪われサヨナラ負けを喫する悪夢のピッチング。自信も信頼もすっかり失い、構想は一時完全に瓦解した。
どっしりとした体型から、非常に小さなフォームで速球を投げ込む。このフォームの小ささが曲者で、スピードの割には案外打者は威圧感を感じていないかもしれない。タイミングも取りやすいのかも知れず、何よりリリーフとして致命的だったのは被弾の多さ。意外に制球がまとまっているが、逆に変にストライクが集まりすぎて、思い切り良く振り切られている印象だった。
一度ファーム落ちしてから一軍復帰。復帰後は大いに巻き返して、ようやくリリーフとして戦力になった。ボールを見ている限りではこんなに打ち込まれる投手ではなく、実際被打率も悪くはない。ただ被弾癖だけはどうにも治らず、時折とんでもない炎上も見せた。解せなかったのは起用法で、妙にロングリリーフが多い。初めは完璧に抑えていながら3イニング目や4イニング目に捉まるケースも目に付いた。どう考えてもロング向きとは思えないのだが…。タフな投手なのだろうが、どんなに速い球もいつかは見慣れる。これはもう少し配慮が欲しかった。
序盤あまりにも悲惨だった防御率をここまで向上させたのだから、やはり力はある。しかし印象の悪さは否めず、一年限りで解雇。化ける要素は感じられるも、この年齢ではあまりにリスキーか。

川口 知哉

大物ドラ1、超ノーコン型

左投左打
平安高 オリックス98ドラフト1位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 オリックス 7 0 0 1 0 11 12 0 12 8 3 2.45
03 オリックス 1 0 0 0 0 2/3 2 0 2 1 1 13.50
04 オリックス - - - - - - - - - - - -
通算 7年 9 0 0 1 0 12 14 0 14 10 5 3.75

平安高のエースとして、甲子園を湧かせた大型左腕。大きな期待を背負ってのドラフト1位入団だったが、自信満々の発言とは裏腹に自滅の連発。二軍でもフォアボールを連発し、一軍から見放されたまま。ここまで全くの期待外れ。
四年間でわずか1試合の登板とやや忘れられかけた02年終盤、三年ぶりに一軍登板。かなり腕を下げたフォームとなり、どうにかこうにか結果を出した。ただしノーコンは相変わらず。先発したマウンドでは4回までに100球を要するお粗末振りで、結果オーライの感が強い。結局信頼を勝ち取るまでには至らず、翌年の登板はわずかに1試合。それすらも内容は覚束なく、昨年はまた登板なしに終わった。
スケールが小さくなっても治らない制球難は厳しいの一言で、飛躍のきっかけは見えず戦力外はやむをえないところ。合同トライアウトに挑むもまた制球難をさらしてしまい、買い手はつかなかった。かつての輝きは一度も見せられずに終わってしまった。

川崎 憲次郎

先発完投、故障多発型

右投右打 カムバック賞(93)、最多勝(98)、沢村賞(98)
津久見高 ヤクルト89ドラフト1位〜00、中日01〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 中日 - - - - - - - - - - - -
03 中日 - - - - - - - - - - - -
04 中日 3 0 0 1 0 2 1/3 8 0 3 4 9 34.71
通算 16年 237 64 88 81 2 1411 1/3 1356 158 874 509 578 3.69

かつては「巨人キラー」として知られた右腕。高校時代から話題になった大器で、プロ入り後すぐにその素質を実証。速球を武器にした本格派として、高卒ルーキーながらいきなり4勝をあげ、2年目には早くも二桁勝利。92年こそ故障で棒に振ったものの、93年には復活しカムバック賞、日本シリーズMVPにも輝き、大型右腕として名をはせた。
この当時は剛腕とも言える速球派だったが、95年に故障。丸二年を棒に振り、球威はすっかり落ちた。しかし新球シュートを会得、厳しい内角攻めに活路を見出し、97年に見事復帰。翌98年には17勝で最多勝に輝き、新生川崎をアピールした。
復活の礎となったシュートだが、実際にはそれほど鋭い切れ味があったわけではない。しかし徹底したコースへの意識と、何より相手打者への強烈なアピールが、この球種を大きく化けさせた。経験に裏打ちされた強気の投球も功を奏した。
しかし、「現役最高の巨人キラー」の称号を戴いて中日にFA移籍した01年から状況は一変する。もともと技巧派、と言い切るにはやや雑なタイプで、99年頃からすでに力の衰えをカバーしきれなくなってはいた。しかし移籍以降はそれとは別問題。故障に次ぐ故障の連続で、三年間一軍登板なし。これは中日にとってとんだ高い買い物となってしまった。03年オールスターファン投票1位で物議をかもしたのは記憶に新しいところで、事の是非はともあれファンの失望がうかがえる。
正念場となった昨年、開幕戦先発で度肝を抜いたが結果は散々。やはり年齢的な衰えとブランクのハンデは隠しようがなく、内角を突いても怖がってもらえなくなってしまった。結局満足な結果は残せず、ついに現役引退。四度の二桁勝利を記録も、中日での四年間はあまりにも寂しい内容に終わってしまった。

河野 昌人

故障低迷、球威型

右投右打
龍谷高 広島97ドラフト3位〜03、ダイエー04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 広島 21 0 0 0 0 28 39 4 33 14 20 6.43
03 広島 1 0 0 0 0 1 2 0 1 2 2 18.00
04 ダイエー 10 0 0 1 1 10 1/3 15 0 6 6 10 8.71
通算 8年 110 0 7 16 10 184 205 20 151 111 119 5.82

大型右腕。高卒2年目に早くもプロ初勝利。00年は9セーブを上げ、一時はカープのストッパー的存在に。この年シドニー五輪にも出場した。
スピードガン表示はたいしたことはないが、大柄な体から重い速球を投げ込む。一軍デビューが早く、体力面でまだ発展途上だったが、随所に光る部分を見せていた。
しかしこの00年の活躍を最後に、翌年からは低迷。度重なる故障で球威が低下し、見た目以上に生きたボールがこなくなってしまった。02年中継ぎでかなり起用されたものの、防御率6点台と内容は良くない。翌年はほとんど二軍暮らしで、とうとうシーズン終了後に戦力外に。
ダイエーにテスト入団した昨年は、実績あるリリーフが軒並み故障という幸運に恵まれて春先からかなり期待された。しかし実戦に入ると制球の不安を露呈し、結局抑えどころかリリーフの一角にも残れず。シーズン終了後、再び戦力外に。
このチャンスを活かせなかったのは痛い。もともと球威で押すタイプで奪三振は多くなかっただけに、先発向きだったと見るが、しかし今の状態ではそれも厳しいだろう。ジリ貧傾向を止められなかった。

河原 隆一

ワンポイント、不安定型

左投左打
横浜商高〜関東学院大 横浜94ドラフト1位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 横浜 34 0 1 1 0 16 1/3 23 1 21 12 11 6.06
03 横浜 29 0 0 1 0 17 24 3 13 15 16 8.47
04 横浜 - - - - - - - - - - - -
通算 11年 271 0 5 11 2 245 1/3 273 27 231 179 157 5.76

大学時代、複数球団が獲得に動いた大物左腕。地元出身の地元育ち、満を持してのドラフト1位入団だったが、その期待には応えられなかった。
球威自体はあるものの、制球が恐ろしく悪く、はっきりいえばプロ未満のレベル。96年などは7イニングで19個の四死球を出し、自滅の連続の毎日。サイドスロー転向もやむをえない状態だった。
97年以降、主にワンポイントとして一軍定着。確実に起用はされているが、とても一本立ちとはいえない。99,00年こそ安定していたが、01年以降は見るも無残な防御率。相変わらず制球難も健在で、左殺しで登板して結局歩かせてしまう場面も多々。
ワンポイントとしても落第で、昨年はとうとう一軍登板なし。決して力のない投手ではないはずなのだが、制球の悪さとともに精神面の弱さも問題。逃げ回った挙句に四球では使いようもなく、左を抑えられないワンポイント要員では存在意義がない。課題を克服できぬままついに戦力外に。2勝2セーブを挙げた00年がベストだった。

木村 龍治

総合力、切れ重視型

右投右打
中京高〜青学大 巨人93ドラフト4位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 巨人 3 0 0 0 0 2 5 0 1 1 2 9.00
03 巨人 7 0 1 0 0 7 2/3 13 1 3 11 13 15.26
04 巨人 - - - - - - - - - - - -
通算 12年 172 0 10 5 2 186 195 22 124 77 87 4.21

そこそこ力のある真っ直ぐとシュート・スライダーで、左右の揺さぶりを身上とする投手。ボールの切れは早くから一軍級といわれていたが、一軍定着には時間がかかった。
七年目の99年、53試合に登板してようやく主力投手の一員となる。その前年までは毎年トレード要員に挙げられるほどきわどい位置にいた。ここでようやく力に頼らない投球術を身につけ、安定した活躍。翌年も50試合以上に登板し、完全に中継ぎの柱となった。
しかし01年は故障のため低迷。戦列を離れる間に若手が台頭、一気に存在感が薄くなり、翌年からはさらに出番が激減。わずか一桁の登板数が続き、完全に崖っぷちに立たされてしまった。内容も年々悪化し、03年は三年ぶりの勝ち星を上げたとはいえ、状態は散々。そして昨年はとうとう一軍登板ゼロに終わってしまった。
中継ぎとしては便利なタイプだったが、しかしそれも過去の話。もともと絶対的な能力はなく、アピールする面に乏しい。特に問題は制球力が悪化していたことで、細かい制球をこそ磨かなければいけない投手がこれでは不振もやむなしだった。年齢的にも向上は望めず、現役引退。活躍期間は短かった。

エディ・ギャラード

快速球、ストッパー型

右投右打 最優秀救援(00)
中日00〜03途中、横浜03途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 中日 47 0 1 1 34 47 1/3 40 3 27 15 8 1.52
03 中日 36 0 2 3 22 35 1/3 29 6 33 10 16 4.08
横浜
04 横浜 13 0 2 2 0 13 15 3 5 7 12 8.31
通算 5年 194 0 6 9 120 189 1/3 155 19 141 57 61 2.90

00年、開幕前日に急遽入団発表されたストッパー。昨今のメジャーの投手不足、ましてシーズン途中(この場合は直前)の入団ともなればそうそういい投手は来ないのだが、彼は珍しく本格的な速球投手。その速球を武器に、宣銅烈が去ったドラゴンズの守護神となった。
外国人速球派には珍しく、コントロールもいい。当然のごとく奪三振も多い。1年目いきなりタイトルホルダーとなり、以降三年間クローザーとして君臨。ただ当初の輝きは徐々に色あせていて、防御率こそいいものの走者を自ら背負うこともしばしば。02年辺りは残した数字ほどの信頼はもたれていなかった印象。
03年は開幕からなかなか調子が上がらず、故障を契機に大塚にポジションを奪われた。故障明けに起用法をめぐって首脳陣と対立し、ついにシーズン途中退団。トレード期限はすでに過ぎていたが、ウェーバー公示で同一リーグの横浜へ移籍という異例の事態となった。
移籍後は横浜のストッパーに定着。特に中日戦での闘志は並々ならぬもので、こういうところを見ると外国人はモチベーション次第と改めて痛感させる。働き場を得たと思ったのもつかの間、今度は急転の佐々木復帰。二年続けて似たような状況になるというのも珍しい。
動向が注目された昨年は、早々に故障でリタイア。離脱前も期待外れの内容で、やはりモチベーションの低下はあったのではないだろうか。結局シーズン中の復帰はなく、そのまま退団に。本気になればまだ充分速いが、多少力任せのため慣れられた面も強い。

具 臺晟(ク・デソン)

先発台頭、ドクターK型

左投左打
オリックス01〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 オリックス 22 1 5 7 0 146 1/3 122 13 144 50 41 2.52
03 オリックス 19 0 6 8 0 113 2/3 131 23 118 58 63 4.99
04 オリックス 18 3 6 10 0 116 2/3 105 24 99 52 56 4.32
通算 4年 110 5 24 34 10 503 454 74 504 235 217 3.88

シドニー五輪で活躍した韓国のストッパー。左腕からの快速球を武器に三振を取り捲るスタイルで、オリックスでも当然ストッパーとして起用。
しかし抑えとしてはどうにも不安定なピッチャーで、調子の良し悪しの差が激しすぎた。好調時には相手を全く寄せ付けない快刀乱麻のピッチングだが、不調時にはストライク一つ満足に取れない自滅型。勝負を左右する抑えのエースとしてはあまりに頼りない内容だった。
業を煮やした首脳陣はシーズン途中から先発へ転向。転向直後こそあまり変化は見られなかったが、しかしこれがはまった。開幕から完全に先発に廻った02年は勝ち星こそ伸びなかったものの圧倒的な安定感を見せ、同僚金田に次ぐリーグ2位の防御率をマーク。相変わらず高い奪三振率とあわせ、リーグトップクラスの先発左腕の印象を残した。
「トルネード投法」といってもいいほど上体をひねったフォームから、やや横振りに腕を使うタイプ。先発にまわって力をセーブすることでコントロールが安定し、逆にボールの力を引き出せるようになった。左投手ながら、右打者の懐に食い込むボールは威力絶大。さらに真横にすべるスライダーは変化が大きく、空振りを奪える強力な球。
しかし03年以降はまた精彩を欠く。故障がちになり、また投球自体も良かった頃に比べると随分雑になってきた。03年は5点近い防御率でチーム全体と足並みを揃え、昨年は春先にふがいない投球の連続。その後巻き返しはしたが、一時は首脳陣との確執を伝えられるなど不本意なシーズンとなった。
球団合併を契機に昨年限りで退団。かねてから噂のあった米球界入りの運びとなった。スピードガン表示はさほどではないが、見た目以上の切れがあり非常に奪三振が多い投手。ただムラッ気がどこまでも付きまとう。35歳ということでそろそろ衰えも気になってきそう。

酒井 大輔

速球派右腕、荒削り型

右投右打
春日丘高 広島99ドラフト7位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 広島 25 0 0 1 0 26 2/3 34 7 17 18 32 10.80
03 広島 11 0 0 0 0 15 1/3 23 5 10 1 10 5.87
04 広島 - - - - - - - - - - - -
通算 6年 66 0 1 1 0 83 2/3 98 19 64 50 58 6.24

カープの若手投手の中でも期待株といわれた一人。ドラフト下位指名ながら140キロ台中盤を記録するストレートが威力充分。伸びはあまりないが押しつぶすような球威が持ち味。
2年目の00年に初登板を果たすと、01年は終盤に先発も経験しプロ初勝利。登板機会も一気に増え、飛躍が期待された02年だったが、ここで大きく足踏み。防御率10点台と散々に打ち込まれ、一軍定着の絶好の機会を取りこぼしてしまった。翌年は出番が減少。毎年期待される投手なのだが、もう一つ伸びてこない。
伸び悩みに陥っていたところで、昨年はさらに故障で戦線離脱。一度も投げられない重症で、これで選手生命も縮めてしまった。シーズン終了を待たずに戦力外通告を受け、今季からは中日の打撃投手に。魅力的な素材だっただけに非常に惜しい。02年のチャンスを逃したのが悔やまれる。

佐藤 秀樹

総合力、復活型

右投右打
富士宮西高〜三菱重工横浜 中日93ドラフト1位〜98、西武99〜02、ヤクルト03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 西武 - - - - - - - - - - - -
03 ヤクルト 28 0 5 4 0 63 1/3 73 9 34 20 33 4.69
04 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
通算 12年 145 6 22 25 1 458 1/3 485 58 326 252 235 4.61

かつてのドラフト1位投手。素質は10勝級のそれだったが、どうもそれを活かしきることが出来なかった。
即戦力として入団し4勝、2年目の94年にはローテーション入りし7勝を挙げ、ここまでは非常に順調だった。球威、変化球とも高いレベルで、非常によくまとまったタイプ。翌年の二桁勝利は堅いと思われたが、ここで大きなつまずき。95年3勝、6点台の防御率で信用失墜。首脳陣も呆れるほどの激情型で、ピンチに自分を見失ってしまう精神的な未熟さはいかんともしがたく、また故障も多かった。このあともたびたびチャンスは与えられたが信頼獲得には至らなかった。
99年西武に移籍。しかし多少良かったのは移籍した年のみで、その後はほとんど一軍出場もなし。自由契約も必然で、素質の高さを買われてもすでに中堅の年齢とあって、ヤクルト移籍もそれほど期待値は高くなかった。
しかし03年は前半戦見違えるようなピッチングを披露。球威はかなり落ちたが、かつては見られなかった粘っこい投球でローテーションを支え、主力の誤算続きだった先発陣の穴を見事に埋めた。後半中継ぎにまわって失速したものの、7年ぶりの勝利を含む5勝は予想外の活躍。
ドラフト1位の意地を垣間見せた再生のシーズンだったが、これが二年続かないのが悲しいところ。昨年は一軍登板ゼロに終わり、シーズン終了後再び戦力外に。もう34歳という年齢から日本では難しく、今季は台湾に。あと一歩が突き抜けない投手だったが、どこまで踏ん張っていけるか。

フリオ・サンタナ

速球右腕、短期勝負型

右投右打
巨人03途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
03 巨人 25 0 2 1 5 27 1/3 35 3 21 8 15 4.94
04 巨人 - - - - - - - - - - - -
通算 2年 25 0 2 1 5 27 1/3 35 3 21 8 15 4.94

どうにもならないほどのリリーフ崩壊を受けて、シーズン途中に急遽獲得された投手。ドミニカ出身でずんぐりした体形から、150キロの速球が武器。
中南米出身、速球が売り、リリーフタイプと、これだけ揃うと思い出すのが02年まで在籍したアルモンテ。見た感じも似ていて、特に鋭い変化球がないところもそっくり。考えてみればなんでアルモンテを切ったのだろう。
タイプ的に長いイニングは向かず、また球速の割に打たれやすい。終盤は抑えも任されたが、防御率を見てもわかるとおり信頼とは程遠い内容。抑えを任せるにはちょっと力不足だった。
残留となった昨年だが、忘れ去られたかのように一軍にお呼びがかからずじまい。外国人選手が優雅に二軍生活を送っている様は一つの象徴とも言えた。当然昨年限りで、この辺り、飽きられた子供の玩具のような扱いにも思える。大型補強、巨大戦力と派手に喧伝されるが、このサンタナの例を見れば実態は単なる「ポイ捨て」。こういう姿勢では実のある補強ができようはずもない。

潮崎 哲也

魔球翻弄、万能型

右投右打
鳴門高〜松下電器 西武90〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 西武 28 0 6 5 0 81 62 7 59 13 35 3.89
03 西武 37 0 1 3 0 50 55 6 29 24 27 4.86
04 西武 13 0 1 0 0 12 1/3 20 2 14 5 9 6.57
通算 15年 523 9 82 55 55 1249 1/3 1122 106 967 408 439 3.16

横手からシンカーを駆使する実力派投手。そのシンカーは全盛期には信じられない落差を誇り、魔球と呼んで差し支えないほどの威力だった。
「大豊作の90年」生き残りの一人。入団時からその魔球で三振の山を築き、主力リリーフに定着。当時同僚の鹿取、のちに入団の杉山とともに「サンフレッチェ」と呼ばれ、タイトルこそ無縁だったものの常勝森西武を支えた。2年目にはほとんどリリーフで10勝。絶対の威力を誇る魔球以外にも、若い頃はストレートも速くそうは打たれない凄みも持っていた。
長いことリリーフ専門であったが97年に先発転向。その年12勝を挙げたが、その翌年から成績が年々下降。さすがに切れもスピードも落ちたため痛打される場面が目立つようになった。投球術だけではごまかしきれなくなってきたのだろうか。それでも02年辺りは谷間の先発でいい仕事をしていたが、03年は完全に中継ぎ専門。手の施しようのないほど乱れる場面が増え、あまり重要な場面での登板もなくなっていた。
キャリアのかなりの部分をリリーフで過ごしながら、これまで大きな故障はほとんどしていない鉄腕。強気の攻めにも定評があったが、しかし球威の衰えは明らかで、得意のシンカーも制球の精度が落ちてきた。昨年も衰えは隠せず、ついに現役引退を決意。もう少しベテランの味を見たかったところだったが、やむをえないところ。タイトルに縁がなかったのが惜しい。

柴田 佳主也

変則左腕、ワンポイント型

左投左打
明石高〜阿部企業 近鉄91ドラフト4位〜01、日本ハム02、阪神03、ダイエー04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 日本ハム 3 0 0 0 0 2 2/3 5 1 3 2 5 16.88
03 阪神 9 0 1 0 0 6 7 0 4 3 1 1.50
04 ダイエー 9 0 0 0 0 5 1/3 9 0 3 1 5 8.44
通算 14年 259 0 4 1 1 176 2/3 183 15 103 79 70 3.57

完全にショートリリーフ専門の投手。左横手からの変化球攻めで打者を翻弄する。スピードはビックリするほど遅いが、それでも抑えてしまうところが最大の魅力。
入団から数年は一軍登板もなかったが、97年からは完全に一軍戦力に。ワンポイント登板を淡々とこなし、01年は日本シリーズにも登板した。ところがシリーズ終了後突然の解雇通告。テストを経て日本ハムに入団したがほとんど一軍に上がれず。03年は阪神にテスト入団も、またも一年で自由契約に。ここ数年はチームを転々としている。
年齢がそれなりにいっていることもあるが、こうも簡単に切られる原因は本人の性格にもあったりする。全く遠慮のない性格で、活躍しながら近鉄を追われたのも首脳陣批判が元になったという声も。しかしそれでも拾う球団があるのは秀でた一芸のおかげだろう。ただしその一芸にも陰りが見えてきた。
昨年リリーフに苦しむダイエーに拾われたが、期待された「左殺し」はまったくできずに終わった。もともと遅い投手だが、微妙に切れ味が鈍ったか? ぼちぼちパターンを見切られつつあるのも辛い。対左に3割以上打たれては存在意義がない。
結局ダイエーも戦力外で、なんと四年連続解雇という珍事に。四度目の買い手は現れず、昨年限りでユニフォームを脱ぐこととなった。02年以降も近鉄残留ならどうだっただろうか。

関口 伊織

先発断念、馬力型

左投左打
大宮工高〜東洋大〜日本通運 横浜96ドラフト2位〜00、近鉄01〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 近鉄 12 0 0 0 0 11 1/3 10 4 13 6 6 4.76
03 近鉄 1 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0.00
04 近鉄 7 0 0 0 0 5 1/3 8 0 6 7 7 11.81
通算 9年 221 5 14 16 1 352 1/3 327 42 300 201 154 3.93

中継ぎ型の左腕。球威のあるパワー型の投手で、連投OKの馬力が特徴。ただ制球は悪く、力任せの印象は強い。
即戦力として入団し、1年目から数多く起用される。当初は先発だったが安定感はいまひとつで、96年には規定投球回未満でリーグ最多与四球。ポカも多く、それほど活躍したという印象は無い。
それでも2,3年目は中継ぎローテの一員として活躍。だが99年は登板なし。00年もわずか3試合。不調のシーズンが続くと01年開幕直後にトレード。この移籍が功を奏したのか、01年は53試合に登板、近鉄継投策の中にしっかりと入った。
とはいえ内容的には褒められたものでもない。4点台の防御率は不満だし、四球が多いのも相変わらず。信頼を勝ち取ったとは到底言えず、02年以降は登板機会激減。03年わずか1試合の登板、昨年も7試合にとどまり、シーズン終了後戦力外に。
トライアウトに参加もオファーはなく、見納めとなりそう。昨年も四死球がイニング数を越えるなど、依然として制球がままならない。もう少し良ければだいぶ違ったろうが…。

関根 裕之

技巧派、一発病型

右投右打
岩倉高〜東北福祉大 日本ハム94ドラフト1位〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 日本ハム 12 1 3 4 0 61 2/3 51 12 55 17 27 3.94
03 日本ハム 34 0 5 5 0 80 92 15 49 30 53 5.96
04 日本ハム - - - - - - - - - - - -
通算 11年 180 12 47 45 0 795 789 119 525 270 377 4.27

技巧派の先発投手。入団時は快速球を誇る本格派だったが、2年目に故障で大幅にスピードダウン。しかしそこから立ち直りローテーションの一角を占めるようになった。
98年に9勝を上げると、99,00年と2年連続二桁勝利。球威が落ちた替わりに打たせて取るピッチングを身につけ、押しも押されぬ主力投手になった、ように見えた。
ただ勝ち星の割に内容はいまひとつ。二桁勝っても防御率はいずれも4点台。故障で球威がガタ落ちして以降、低めを丹念につくピッチングが身上なのだが、悲しいかなそれを徹底できるほどの制球力が無い。不用意に甘いところに投げて一発を食らうケースが多く、打線に助けられた面がかなり大きい。
それでも01年、02年は内容が向上していたが、今度は故障禍に悩まされ、勝ち星は伸びず。03年は故障癒えたものの、さらに球威が低下してしまった。
正念場に立った昨年だったが、一軍登板なし。戦力外通告を受け、どうやらこのまま引退になりそう。ここというところで、特に01年に故障に泣かされたのが惜しい。もう一つ緻密にはなりきれなかった。

竹下 慎太郎

中継ぎ左腕、苦労人型

左投左打
大分工高〜三菱自動車川崎〜大分公式野球倶楽部 横浜01ドラフト8位〜03、阪神04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死球 自責点 防御率
02 横浜 44 0 2 3 0 39 1/3 43 5 43 18 21 4.81
03 横浜 14 0 0 0 0 11 2/3 12 2 12 4 3 2.31
04 阪神 - - - - - - - - - - - -
通算 4年 111 0 3 3 0 93 2/3 104 13 84 40 39 3.75

クラブチームを経て30歳でのプロ入り、「子連れルーキー」として話題になった左腕。ドラフトではかなりの下位だったが、1年目から積極的に起用された。
多彩な球種を駆使して、コーナーを突いていくのが持ち味。身長186cmとなかなかの大型投手で、腕の長い、投手らしい体形。ワンポイントでの登板がほとんどだが、新人年はまずまずの結果を残した。
だがこれ以降もう一つ。2年目はより厳しい場面での登板が増えたが、内容は悪化。03年以降は登板機会がガタッと減ってしまった。非常にオーソドックスで、実を言えば癖のない素直な投手。ワンポイントとしてはちょっと正直すぎて向いていない印象で、起用法を一考すべきかも。
無償トレードで昨年阪神に移ったが、一軍からは遠ざかる一方。キャリアは浅くともすでにベテランの年齢で、シーズン後戦力外に。もう少し向いた場面でのチャンスが欲しかった印象。

鶴田 泰

故障多発、先発型

右投右打
塩山商高〜駒大 中日93ドラフト2位〜00、広島01〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死球 自責点 防御率
02 広島 17 0 4 6 0 72 2/3 95 18 54 31 49 6.07
03 広島 17 0 2 3 0 53 1/3 55 8 41 23 25 4.22
04 広島 2 0 0 0 0 3 2/3 5 1 2 1 3 7.36
通算 12年 125 2 21 31 2 416 1/3 446 61 323 160 193 4.17

オーソドックスな先発右腕。93年、ルーキーながら7勝を挙げ一躍ローテーション投手となったが、一番良かったのがその年。故障が多く、一年間まともに働くことがほとんど無い。しかし淡々と生き長らえて、選手生命はなかなか長くなった。
ピッチングスタイルはいろんな球種を織り交ぜる半技巧派タイプ。1年目はフォークの切れが良く面白いように三振をとったが、今はそこまでの切れはない。そのかわり全体的に破綻の無い投手。一年間働ければ、計算の立てやすいタイプなのだが。
95〜98の4年間は実働ほとんどゼロ。それでも解雇されなかったのは、やはり能力があるからだろう。01年広島に移籍。やはりフルシーズンは働けなかったが、谷間の先発としてなかなか存在感を出した。移籍後三シーズン続けて一軍で勝ち星。
02年登板はオール先発というように、リリーフよりは先発というタイプ。しかし昨年はわずか2試合の登板に終わり、シーズン終了後現役引退。古巣中日で打撃投手を務めることになった。細く長くの典型だったが、もう少しタフならばというところが惜しまれる。

成本 年秀

技巧派、ストッパー型

右投右打 最優秀救援(96)、カムバック賞(01)
西宮東高〜京産大〜大阪ガス ロッテ93ドラフト2位〜00、阪神01〜02、ヤクルト03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
02 阪神 - - - - - - - - - - - -
03 ヤクルト 32 0 0 0 0 39 2/3 43 11 35 10 23 5.22
04 ヤクルト 7 0 0 0 0 7 1/3 13 1 3 1 4 4.91
通算 12年 271 0 26 20 83 402 1/3 368 42 359 152 149 3.33

技巧派、としてはいるがそれは現在の姿。ロッテ時代は速球とスライダーを武器にした投手。故障のためモデルチェンジを余儀なくされたが、もともとその素養はあった。
ロッテ入団2年目に抑えに定着。河本とダブルストッパーを形成し、3年間で63セーブの荒稼ぎ。しかし酷使がたたったか、97年に故障。それから苦闘を味わった。
ロッテ時代もスライダーの切れは一級品だったが、最大の武器はむしろ制球力だった。落ち着いた投球が身上で、大崩れする心配がほとんど無い。かつての同僚河本とは正反対のタイプで、今思えばこのダブルストッパーは非常に個性的だった。
故障から低迷が続き、00年オフ解雇。テスト入団した阪神で華麗に復活した。いささかも錆び付いていない投球術で、低めに丁寧にボールを集める安定したピッチング。自由契約から抑えに返り咲き、最下位阪神で20セーブは立派の一言。しかし翌年は再び故障で一軍登板なし。この年齢でこの故障の多さはかなり不安。早々に見切りをつけられたのもやむをえないか。
再びテストでヤクルト入り。03年は中継ぎとして32試合には投げたが、内容はあまり芳しくない。昨年はわずか7試合の登板にとどまり、シーズン後またも戦力外となった。度重なる故障で球威はだいぶ衰え、生命線の低目の球が痛打されるようになったのは苦しい。一時ロッテ復帰の話もあったが、いつしか立ち消えとなり今季は台湾へ。

西川 慎一

ワンポイントリリーフ型

左投左打
大洲農高〜NTT四国 近鉄94ドラフト2位〜00途中、阪神00途中〜02、広島03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
02 阪神 5 0 0 0 0 3 2/3 7 0 2 3 6 14.73
03 広島 43 0 0 0 0 22 2/3 34 5 12 12 18 7.15
04 広島 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00
通算 11年 282 0 4 5 0 246 1/3 271 24 159 133 107 3.91

入団時から一貫してショートリリーフ専門。左腕ゆえの起用法だが、使いべりしないタフさはある。
27歳での遅いプロ入り。3年目まではほとんど一軍にいなかったが、97年からワンポイント要員に定着。以来ほとんどのシーズンで登板試合数より少ない投球イニング。スピードは決してないが切れの良さが身上。それだけに慣れられると苦しいのが難点。
00年、阪神移籍直後は好投したが、それ以降不振。出番が大幅に減ったところで03年は広島に移籍。菊地原を欠き、実質ただ一人のリリーフ左腕として、久しぶりにかなりの登板機会に恵まれた。しかし内容はあまり良くなく、他の左腕が台頭してきた昨年はわずか1試合、一つのアウトも取れずに解雇。
かつてより奪三振率が大幅に落ち、年齢とともに切れが落ちている傾向も見える。悪い表現をすれば「ごまかし」のピッチャーであり、そろそろ手詰まりだったかもしれない。デビューがもう少し早ければというのが惜しいところ。

マーチン・バルガス

若手助っ人、荒削り型

右投右打
中日02途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
02 中日 8 0 2 4 0 48 2/3 41 5 35 23 18 3.33
03 中日 6 0 0 2 0 21 2/3 34 3 15 9 16 6.65
04 中日 6 0 2 3 0 31 29 1 28 14 14 4.06
通算 3年 20 0 4 9 0 101 1/3 104 9 78 46 48 4.26

02年途中に入団した外国人投手。入団時まだ24歳と非常に若い選手で、バンチ・ギャラードのいる環境で育成目的と思われたが、バンチの故障で一軍昇格。2勝4敗と負け越しはしたが、防御率は上々で意外に戦力になった。
一見野手投げのようなフォームで、「スネークボール」と呼ばれた癖球を繰り出す。ときおり横で投げたりもするが、基本は球威で押すピッチャー。想像よりも良かったのが制球力で、右打者の懐を攻める球は威力充分。体の使い方はバネの強さを感じさせる。
03年は内容悪化も、昨年はまた2勝。荒削りな点は多いが、年齢を考えれば先行きが楽しみな投手だったが、昨年限りで自由契約に。起用法に不満も持っていたようで、確かにこの点は所属したチームが悪かったと思える。まともに使ってやればもっと働けそうで、かなり惜しい。他球団は声をかけても良さそうな気もするが…。

マーク・バルデス

癖球、元守護神型

右投右打
阪神02、中日03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
02 阪神 42 0 4 3 22 52 2/3 40 1 39 19 9 1.54
03 中日 37 0 0 3 1 58 2/3 54 8 38 30 29 4.45
04 中日 30 0 1 1 1 25 2/3 28 2 17 12 10 3.51
通算 3年 109 0 5 7 24 137 122 11 94 61 48 3.15

特徴のあるもみあげが話題を呼んだ投手。02年キャンプ直前に入団と遅い獲得だったが、前半の阪神快進撃の原動力となった一人。ストッパーとして起用され、安定した活躍。かなりの信頼を勝ち取った。
球速は140キロ前半と平凡だが、全ての球が手元で動くのが持ち味。純粋な真っ直ぐは一つもなく、また当初は非常にコントロールが良かった。球威のある球を内外角に丁寧に散らして打者を打ち取るタイプ。ボールの重さも相当ありそうで、短いイニングでの起用が勿体なく見えるほど安定していた。
ストッパーとして地位を確立したが、先発を志願。条件で折り合わずに中日へ移籍したが、ここでケチがついた。前年のコントロールがまるで見られず、先発ではKOの連続。それならばとリリーフに戻ったが、それでもいい時の投球は取り戻せなかった。結局1勝も出来ず、不本意なシーズンとなった。
前年とほとんど同じ投球イニングながら四死球はほぼ倍増、わずか1本だった被本塁打も8被弾とまるで別人のような内容。昨年はリリーフに専念で少し良化したが、それでも内容は今ひとつに終わった。結局信頼は取り戻せず、昨年限りで解雇。結果的に先発転向失敗が後々まで響いてしまった。

ジェイソン・フィリップス

長身右腕、不安定型

右投右打
オリックス03途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
03 オリックス 7 0 2 3 0 38 2/3 50 3 21 16 30 6.98
04 オリックス 14 0 2 7 0 59 79 13 36 35 51 7.78
通算 2年 21 0 4 10 0 97 2/3 129 16 57 51 81 7.46

03年途中入団の外国人投手。ツーシームなどを軸に左右を揺さぶって打たせて取るタイプで、完全な先発型。圧倒的な力があるわけではなく、6イニングを3点程度にまとめてくれれば、という投手。
1年目は7試合に先発したものの終盤は故障離脱。7点近い防御率もまだ底を見せていないという評価なのか、昨年も残留となった。しかし2年目を迎えても状態はあまり変わらず。具が不調に喘ぎ、期待されたムーアもぱっとしない中でチャンスを与えられたが、正直言って戦力になったとはいいがたい。まともだったのはほんの一時期だけで、それ以外はぼろぼろ。防御率は7点台後半に突入し、完全に期待を裏切った。
球威がいまいちなのはともかくとしても、制球が悪く、全体的に高めに浮きすぎ。特に立ち上がりはいつも悪く、序盤に捉まって大量失点もしばしば。最初からゲームを壊してしまうのではどうにもならず、苦しい投手陣の助けにはならなかった。せっかくの角度も全く活かせず、昨年限りで解雇。癖球でもこの技術の低さでは通用しなかった。

舩木 聖士

球威勝負、尻すぼみ型

右投右打
尾道商高〜NKK 阪神96ドラフト1位〜02、ロッテ03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
02 阪神 2 0 0 0 0 1 2 0 2 1 2 18.00
03 ロッテ 16 0 0 0 0 26 24 4 24 22 18 6.23
04 ロッテ 1 0 0 0 0 1 3 0 1 1 2 18.00
通算 9年 101 4 9 24 0 314 2/3 345 35 234 171 178 5.09

ドラフト1位入団。1年目こそ6勝を挙げたが、以降完全に低迷。いまや過去の人といった趣。
アーム式の投法から球威で勝負するタイプで、スピードガン表示は平凡。基本的にコースをきちんと攻めなければいけないタイプだが、そこまでの制球力がないのが問題。そのため一度故障後、立ち直れるだけの技術を持っていなかった。2年目以後は3勝したのみで、00年以降はほとんど二軍暮らし。
生き残りのかかった02年も復活はならず、テスト入団で再起を期した翌年も、登板数こそ増えたが結局は敗戦処理がやっと。昨年はわずか1試合の登板で見切られ、二度目の戦力外に。
ファームでは圧倒的に上位の力を持っているが、それで期待を抱かせる年齢はとうの昔に越えている。せめてもう少しコントロールが良ければリリーフの目もあるのだが、現状では再起はかなり厳しい。ちょっと雑すぎた。

クリス・ブロック

先発型右腕、強打者(笑)型

右投右打
広島03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
03 広島 24 1 8 8 0 144 165 23 88 46 63 3.94
04 広島 - - - - - - - - - - - -
通算 2年

03年開幕直前になって入団決定した外国人投手。カープの外国人投手はミンチー以降とにかく当らなかったが、久々に有意義な補強となった。
投手としては外国人投手の平均像という感じで、やや癖のある球で打たせて取るタイプ。それゆえ被打率は高いが、それはやむをえない。被本塁打の多さもホーム球場を考えればある程度は仕方ない。問題は、というか最大の特徴はボークの多さ。02年のセ・リーグ最多ボークは3、然るにブロックの記録したボークは11。ここまでくるともう、単に走者がいると平常心をなくすというレベルではなく、ルールに適合していないんじゃないかと思えるほど。
そのボーク以上に目を見張らされたのが打撃。外国人強打者という風格を漂わせ、打率は堂々の3割をマーク。ホームランも2本放ち、盗塁まで記録とむしろ本職と言えるほど。終盤のチャンスに代打起用され死球を受けるという珍記録も残した。
投手としては及第点、打者としては驚異的という1年目だったが、昨年は開幕前に故障で早々と戦線離脱。結局一度も実戦には戻れず、残念ながら解雇となってしまった。勝ちが先行しにくいタイプではあっても、きっちりローテーションを守れる投手だっただけに惜しい。得難いキャラクターだったが、復帰が不透明とあっては致し方ない。もう一度打棒を見たかったところだが。

細見 和史

平均点投手、期待外れ型

右投右打
北嵯峨高〜同大 横浜96ドラフト1位〜02、西武03、阪神04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 横浜 27 0 0 1 0 38 33 6 29 13 15 3.55
03 西武 2 0 0 0 0 1 1/3 3 1 0 3 2 13.50
04 阪神 - - - - - - - - - - - -
通算 9年 56 0 5 9 0 144 2/3 140 18 94 54 71 4.42

かつてのドラフト1位だが全くの期待外れ。本来先発ローテーション入りを嘱望されていたが、それを果たせぬまま9年が過ぎてしまった。
入団後4年間で一軍登板はわずか1。5年目の00年、ようやく後半に台頭し5勝を挙げたが、翌年はまた勝ち星なしの5敗。球威、制球ともに平凡で、どうも大成する感じがしない。迫力に欠け、スケールに乏しい投手。
02年、中継ぎでそこそこの実績を残したが、西武に移籍した03年はさっぱり。コーナーをつかなければいけない投手で、ゾーンの狭いパはきつかった面もあるが、リリーフが非常に厳しかった西武で貢献できなかったのはやはり問題。一年限りでの放出もやむをえない印象。
わずか一年でセ・リーグへ復帰、今度は阪神だが、結局一軍には声がかからないまま終了。二軍成績もぱっとせず、またも解雇となってしまった。実績も乏しい上に上積みも期待しにくく、さすがにここまでか。あまりに平凡すぎた印象。

トニー・マウンス

技巧派左腕、球威不足型

左投左打
ヤクルト04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 ヤクルト 12 0 3 6 0 55 73 12 41 32 37 6.05
通算 1年

先発を期待されて入団した外国人投手。多彩な球種を駆使して打ち取る技巧派で、長身だがスピード自体は平凡。
来日する外国人投手の平均像をそのまま左腕に当てはめたような投手で、球種は豊富でも球威はもう一つ足りない。いいとされた制球力もやや高めに集まりがちで、結局決め球に欠けるためコースを狙いすぎて四球というパターンも多かった。どうしても突出した部分がないため、被安打も多く投球が苦しい。
登板12試合で暴投6というのは苦しさの表れ。あまり戦力的にプラスになったとはいえず、結局前半だけで見切りをつけられてしまった。3割台の被打率、6点台の防御率ではやむをえない。

ネイサン・ミンチ−

技巧派、タフネス型

右投右打 最優秀防御率(01)
広島98〜00、ロッテ01〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 ロッテ 32 7 15 14 0 230 1/3 222 18 132 58 73 2.85
03 ロッテ 30 3 14 9 0 192 1/3 233 19 96 59 97 4.54
04 ロッテ 12 0 4 3 0 72 2/3 77 11 37 30 46 5.70
通算 7年 187 21 74 70 0 1201 1/3 1277 110 626 365 486 3.64

常に中四日で投げたがるタフな先発投手。元巨人のガルベスと共に、昨今の日本球団の外国人投手志向を恐らくは強めた好投手。
母国では全くの無名投手だったが、来日1年目から15勝を上げ最多勝争いに加わる活躍で注目された。2年目こそ故障で棒に振ったものの、00年には12勝で復活。これ以降四年連続二桁勝利を挙げ、ロッテ移籍後も変わらぬ活躍を見せた。01年に最優秀防御率獲得、02年には15勝で防御率も2点台と非常に安定。二桁敗戦も継続していたが、03年にそれはストップ。
2メートルを越える長身ながら技の投手。スピードは平凡で被安打は多いが、癖球と変化球を駆使して打たせて取る粘っこさが持ち味。球種は実に多彩で、ナックルまで駆使する器用さ。登板数が非常に多いのも特徴で、それでローテーションをきちんと維持してくれるのが凄いところ。投手不足のチームには非常にありがたい存在。
だが来日7年目となる昨年は春からあまり調子が上がらず、夏場には故障で離脱。12試合4勝止まりと、非常に不本意なシーズンに終わった。セラフィニに目処が立ったこともあって、シーズン後に戦力外通告。獲得オファーもなく、これで見納めとなってしまう可能性が強くなっている。
年齢も35歳とピークを越えつつあり、走者を置いたときの不安定さも年々強まっていたのは確か。しかしこれほどの長期間安定していた外国人投手は球史でもそう多くはなく、もう見られないというのはなんとも寂しい。故障経過次第だが、まだ働く力はありそうなのだが。ただバックの守備力に大きく左右されるタイプで、どのチームでもとは言えないのが辛いところ。

トレイ・ムーア

技巧派左腕、強打者型

左投左打
阪神02〜03、オリックス04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 阪神 27 4 10 11 0 181 1/3 165 19 116 67 67 3.33
03 阪神 21 1 10 6 0 111 2/3 122 7 94 44 54 4.35
04 オリックス 16 1 6 6 0 83 2/3 105 12 63 65 58 6.24
通算 3年 64 6 26 23 0 376 2/3 392 38 273 176 179 4.28

02年加入の外国人左腕。球持ちの非常に良いタイプで、スライダーの切れに絶対の自信を持っている。スピードもまずまずで、以前阪神・巨人に在籍したメイに非常に良く似た投手。
入団時、すでにチームにはハンセルやカーライルといった外国人投手がいたが、競争に見事打ち勝ち開幕一軍入り。すると前半は相手をまったく寄せ付けない快進撃で、一気に投手陣の軸に。制球が安定しており、好調時には手がつけられない投球を見せた。特に右打者の膝元へのスライダーは威力抜群。また投手ながら打撃意欲も旺盛で、「二桁勝利と打率3割が目標」と公言するほど。2年目も二桁勝利を果たし、また打率3割も達成。
だが1年目に続いて2年目も夏場以降急失速を見せ、結果を残しながらも信頼は失ってしまった。特に03年は開幕7連勝しながら7月前半を最後に白星なし。後半は散々で防御率も悪化してしまった。この「後半勝てない」面が嫌われて、10勝を挙げながら戦力外に。
それでも実績を買われてオリックスに移籍した昨年だったが、クロスファイアの持ち味が左右の狭いパのストライクゾーンでは活きないという懸念が完全に的中してしまった。四死球は大幅増加し、置きにいった球を痛打されて防御率も低迷。前半だけで6勝はほぼ打線の援護のおかげで、内容は終始不安定。弱い投手陣を救う期待には応えられなかった。
調子に乗れないまま正念場の夏場を迎え、7月に連続KOを食らうとそのまま二軍落ち。以降二度と登板機会はなく解雇となった。シーズン前に噂された代打起用も結局絵に描いた餅に終わり、とうとう一度も「らしさ」を見せられなかったのが惜しまれる。

武藤 潤一郎

元・大型右腕、期待外れ型

右投右打
吉原商高〜専大〜プリンスホテル ロッテ93ドラフト1位〜01、日本ハム02〜03、西武04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 日本ハム 25 0 0 1 0 39 41 5 39 21 20 4.62
03 日本ハム 2 0 0 0 0 3 2 1 4 2 2 6.00
04 西武 - - - - - - - - - - - -
通算 12年 159 4 17 33 0 539 2/3 572 68 420 266 286 4.77

93年のドラフト1位。即戦力の大型投手として期待は大きかったが、当初全く使い物にならず。即戦力の期待にはまったく応えられなかった。
初めの3年間は防御率10点台と散々。球威はあるものの制球が完全に未熟で、マウンドでは常にサンドバッグ状態。どこで投げても滅多打ちで、ここまで派手に通用しなかったケースも珍しい。
あまりの惨状にもうだめかと思われたが、96年以降制球が少し安定。これでようやく「まともな」ピッチングができるようになり、泥沼状態から脱出に成功。ここからは好調が続き、98年にはローテーション入りし8勝。大器がようやく本領発揮かと思われた。だが長続きはせず、、良かったのは翌年まで。00年にはまた泥沼にはまり、元の木阿弥。01年はほとんど二軍暮らしで、オフには放出された。
年齢の割に球威はあるものの、やはりピッチングが未熟そのもの。調子の波の激しさは何年経っても解消されず、とうてい信頼を掴むまでには至らなかった。03年は二軍では抑え役も一軍にはほとんど上がれず。シーズン後戦力外に。
テストで西武に拾われたが、プロ入り後初めて一軍登板なしに終わり、またも解雇。二軍ではそこそこの数字を残しているが、いまさらファームでどうこうという年でもなく、さすがに見切られた格好となった。能力はもっとあったと思うのだが、結局制球難が大成を阻んでしまった。

ヘクター・メルカド

平凡左腕、期待はずれ型

左投左打
ダイエー04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
04 ダイエー 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1 -
通算 1年

前年どうしても固められなかったストッパー候補として獲得された外国人投手。アメリカ時代はメジャーでもリリーフで実績を残したとあって、当初の期待はなかなか高かった。
とにかく球が速い、150キロ前後は出る、奪三振率が高いという前評判だったが、実際に投げてみるとこれがとんだ評判倒れ。球速はせいぜい140キロ前後、球質も素直でフォームも見やすく、率直に言って何の変哲もない投手だった。変化球にも見るべきものがあるでもなく、制球も杜撰。ストッパーどころか一軍で抑えられる要素がほとんどなく、これは全くの期待はずれだった。
オープン戦で見る間に評価を下げ二軍暮らし。一度だけ登場した一軍マウンドも一つのアウトも取れずに終了。さらに肩痛発症で早々に姿を消した。これでは残留できる要素が何もない。実績は打者二人に1安打1四球のみ。
星野前阪神監督の「外国人投手は飛行機でやってくる間にスピードが落ちる」というジョークを実証したような存在。少なくともスピードが売りと言われた投手が全く速くなかったのはしゃれにならなかった。

ラモン・モレル

速球リリーフ、平凡型

右投右打
阪神04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
04 阪神 21 0 0 1 1 27 35 1 20 12 11 3.67
通算 1年

アメリカでの実績はいまいちながら、03年台湾でセーブ王を獲得した速球派リリーフ右腕。台湾では0点台の防御率と圧倒的な数字を残した。
150キロ近い速球を持ち、変化球も一通りのものは投げる。制球力も四球で自滅しないだけのものは持っている。と、実に理想的なプロフィールなのだが、実際に見るとそのどれもがパンチ不足という印象。ずば抜けたものがなく、リガンや安藤に比べるとちょっと見劣り感が否めなかった。
年俸の安さを考えればそれほど期待は大きくなかったのだろう。リザーブとしては立派なもので、それなりの結果は残した。被弾の少ないのは魅力だったが、戦力としてはチーム事情に合致していなかった。結局リザーブの域は出ず、一年限りで戦力外。そもそもこの投手が阪神に必要だったのか、やや疑問。

吉田 篤史

総合力、平均型

右投右打
日本文理高〜ヤマハ ロッテ92ドラフト1位〜03途中、阪神03途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 ロッテ 40 0 0 0 0 42 1/3 41 6 22 19 16 3.40
03 阪神 - - - - - - - - - - - -
04 阪神 - - - - - - - - - - - -
通算 13年 292 4 26 37 6 536 2/3 505 55 336 233 220 3.69

全体的にそこそこで、総合力で勝負する投手。これといった特徴はないが、レベルは決して低くはない。
即戦力としてロッテに入団し、1年目は先発で7勝と期待に応える。しかし2年目に0勝5敗と大不振に陥り、先発脱落。一時はやや忘れられた存在となっていた。復活したのは中継ぎとして。95年に1点台の防御率で一軍再定着を果たし、翌年は奮わなかったものの97年に大活躍。41試合に登板して1点台の防御率、5勝を挙げる働きでリリーフの中心的存在となった。これ以降は98年を除いてほぼ安定。迫力にこそ欠けるもののベテランらしい落ち着いたピッチングで、00年には不振の先発陣に代わってローテーション入りする時期もあった。
01,02年連続40試合以上登板と安定した活躍を見せていたが、03年から突然の不振に陥る。この年開幕二軍スタートとなると、シーズン途中に阪神へ移籍。しかし一向に調子が上がらず、プロ入り後初めて一軍登板のないままシーズン終了。一度狂った歯車は元に戻らず、昨年も登板なしに終わり戦力外に。
それまでとはあまりに違う姿はやや不可解だったが、環境の変化に対応し切れなかったのかもしれない。まだ34歳の若さだったが現役を引退、今季は横浜の投手コーチに就任。これといった特徴はなかったが、中継ぎでは安定した存在だった。

マシュー・ランデル

出戻り外国人、バランス型

右投右打
ダイエー99〜00、巨人03〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
02 米・独立リーグに所属
03 巨人 3 0 1 1 0 9 1/3 12 0 5 5 8 7.71
04 巨人 24 0 3 2 1 39 2/3 39 7 42 20 24 5.45
通算 4年 28 0 4 3 1 50 53 7 48 25 32 5.76

03年日本球界復帰の外国人投手。実績がほとんどなく年俸も格安の、いわば保険のような存在だったが、昨年前半は中継ぎとして予想以上に活躍した。
99年に一度ダイエーに入団。当時22歳、海外でのプロ経験ゼロという完全に育成目的での獲得だった。2年目にはわずか1試合ながらも一軍登板も果たし、もう少し鍛えれば戦力になるかと思わせたが、そのオフ唐突に退団。慣れない環境でホームシックになったということで、ダイエーでの実績は皆無のまま日本を去った。
その後独立リーグでプレーしていたが、テストを経て巨人に入団。こちらも育成目的だったと思われるが、4月末に先発で初勝利を記録。1年目こそそれだけの成績に終わったが、昨年は春先壊滅的だったリリーフ陣で奮闘。地味ながらも安定した活躍で、一時はもっとも信頼できるリリーフと言われたほど。アパート住まいで車も持たないつつましい環境も話題となった。
能力的に見るとスピードもそこそこで突出した部分のないタイプだが、スライダーの切れが増した印象。奪三振も飛躍的に伸び、被打率は充分合格点。特に開幕直後は安心感があった。
しかしもともと故障を抱えていた上、一年通して働いたことのない投手、登板数がかさむごとに調子を落としていった。先発に廻って乱調に陥るなど無理使いもたたり、夏前に故障離脱。そのままシーズン終了となると、惜しいことに戦力外となってしまった。
防御率は5点台と悪く見えるが、リリーフに限ってみれば3点台。体力不足も年齢と経歴を考えればこれから克服可能と思えただけにもったいない。何より格安の契約条件は邪魔になる存在ではないと思うのだが…。使い捨てにされたという印象も否めない。今季は韓国へ。

ジェロッド・リガン

速球派、リリーフ型

右投右打
阪神03途中〜04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
03 阪神 29 0 3 0 0 35 2/3 29 2 30 13 6 1.51
04 阪神 23 0 1 1 4 25 1/3 23 3 14 7 8 2.84
通算 2年 52 0 4 1 4 61 52 5 44 20 14 2.07

右のセットアッパーとして獲得された投手。03年、抑えに期待したポートが不振で、手薄になったリリーフ強化のために補強された。
外国人にしては珍しく、上体に頼らず比較的全身を使ったフォーム。平均して140キロ後半を投げられるなどスピードは評判どおりで、制球も意外といい。速いだけの投手ではなく良くまとまったタイプで、この補強は大成功となった。安藤とともに鉄壁に近いリレーをたびたび見せ、チームの逆転劇も何度か演出。1点台の防御率で優勝の大きな戦力となった。
低目への意識が強い投手で、安定感は非常に高い。変化球の制球も良く、1年目は暴投・ボークともになし。外国人にありがちな欠点が全く見当たらず、抑えを任せてもいい雰囲気を持っていた。
2年目の昨年も前年に続く活躍で、リリーフの起用法が一貫しなかったこともあり4セーブ。5月までは抜群の成績を残していた。だが6月に入って故障、それも「右ひじ靭帯断裂」という重症で、シーズン中の復帰は絶望。投げられない助っ人投手が契約してもらえるはずもなく、そのまま解雇となってしまった。
能力に全く瑕疵はなく、むしろこれほど安定したリリーフは稀有だけに、故障は本人にとってもチームにとっても痛恨事だった。まだまだ数字を伸ばせたはずで、非常に残念。

ライアン・ループ

先発型右腕、球威不足型

右投右打
日本ハム04
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 日本ハム 6 0 1 4 0 29 2/3 41 5 20 10 22 6.67
通算 1年

昨年新入団の巨漢投手。どうしてもなかなか揃わない先発陣の穴埋めを期待されて獲得された外国人。
デビルレイズ時代の99年に8勝の実績を持つ実力者ではあったが、その後故障低迷というのが不安材料。その不安はもろに的中してしまった。体格は充分でもやや球威に欠け、3割を越える被打率ではまず勝てない。四球は少ないものの逆にそれが打ちやすさにもつながっているようで、早々にファーム落ちしたまま復帰の声はかからず。
軸となる球はシンカーで左右の揺さぶりを身上とする投手だが、軸となる速球をかなり打ち込まれては投球が成り立たなかった。結局6試合に先発して1勝だけ。数の揃わない先発陣にも生き残れず、後半は登板ないまま解雇となった。外国人投手の故障歴はやはり要注意か。


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