2006年退団選手 投手

記載39名 井川・岡島・桑田らがメジャー挑戦

天野 浩一

リリーフタイプ、球威不足型

右投右打
高松東高〜四国学院大 広島02ドラフト10巡〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 広島 45 0 3 2 0 47 52 8 39 16 28 5.36
05 広島 14 0 0 0 0 15 1/3 26 7 9 11 17 9.98
06 広島 - - - - - - - - - - - -
通算 5年 121 0 5 6 0 131 1/3 129 19 92 52 65 4.45

03年前半活躍を見せ台頭した中継ぎ投手。テンポの良いピッチングで、短いイニングながら高い安定感を見せた。この年の広島投手陣では、最も成長した投手。
出身大学は無名だがそれもそのはず、四国の大学からプロ入りした選手はこの天野が初めて。無名ゆえドラフトでも10巡目とかなり下位の入団だったが、1年目から一軍で登板し結果も残した。その勢いのまま翌年を迎え、一気に飛躍。
武器はスライダーとパームを操る。勝負球を持っているのは強みだが、ただ若干線が細い。スタミナに不安点があり、03,04年と続けて後半に失速。特に04年後半からははっきり内容が悪化し、ちょっと通用しなくなってきた。05年は夏場を中心に登板も、10点近い防御率と散々。苦しい投手陣の助けにはならなかった。
被弾が年々増加し、球威不足の傾向がはっきり。ジリ貧の流れは止まらず、昨年は初めて一軍登板なし。二軍でも成績はいまいちに終わり、シーズン後戦力外通告を受けた。スピードが平凡で、ちょっと力強さに欠けたのは否めない。四国リーグ入りで再起を期すことに。

井川 慶

本格派左腕、大器型

左投左打 最多奪三振(02,04,06)、最優秀防御率(03)、最多勝(03)、沢村賞(03)、MVP(03)、ベストナイン(03)
水戸商高 阪神98ドラフト2位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 阪神 29 6 14 11 0 200 1/3 190 29 228 60 83 3.73
05 阪神 27 2 13 9 0 172 1/3 199 23 145 61 74 3.86
06 阪神 29 8 14 9 0 209 180 17 194 55 69 2.97
通算 9年 190 35 86 60 1 1244 1149 116 1071 422 434 3.14

阪神の大黒柱で、球界でも屈指の先発左腕。高校時代から評判の大型左腕だったが、想像以上に順調な成長を見せた大器。
01年に藪や川尻といったベテランが離脱したローテーションを一人で支え、初めて規定投球回に到達。それまでは通算2勝だったがこの年9勝、リーグワーストの13敗だったが防御率はリーグ2位。一時は防御率1位に立つ活躍で、打線がまともなら15勝は出来たかもしれない。これ以降は完全に主軸投手となり、02年は開幕から投手陣の軸としてチームの快進撃を支え、一時は防御率独走状態。後半息切れしてタイトルは逃したが14勝。さらに翌年はシーズンを見越した調整に成功し、前年ばてた夏場から快進撃。終盤どんどん勝ち星を積み上げついに20勝到達。二度も取り逃した防御率のタイトルも獲得し、見事MVPにも選出。この打高投低時代にあって三年連続の防御率2点台。あっという間にエースにのし上がった。
185センチの長身から繰り出す速球と切れのいいチェンジアップが武器。球種はそう多くはないが、このチェンジアップの切れが抜群で奪三振も多い。当初四球が多かったが徐々に修正し、現在は荒れ球程度にはまとまっている。
押しも押されもせぬエースで結果も残しているが、04,05年はやや印象度ダウン。200イニング以上が続いた疲労からか、04年は被本塁打が急増で防御率も悪化。さらに05年はチェンジアップの切れが鈍り、持ち味だった奪三振が大幅減。ここぞというところで踏ん張れない場面も目立ち、歯がゆい印象が強かった。
04年末に突然のメジャー移籍志願で大揉め。これがあっただけに余計にふがいない印象の一年だった。昨年もシーズン前半はもうひとつ煮え切らない状態だったが、交流戦以降9勝5敗と調子を上げ信頼回復。3年ぶりに防御率を2点台にし、05年減らした奪三振も回復して3度目のタイトルにも輝いた。
これで5年連続二桁勝利、そのうち200イニングに届かなかったのは05年だけで、改めてエースの力を見せた。オフにポスティングを球団が容認し、今季はヤンキースへ。

井場 友和

豪腕、自滅型

右投右打
九州学院高〜福岡大〜富士重工 日本ハム01ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 日本ハム 39 0 2 1 0 54 54 9 65 30 29 4.83
05 日本ハム 22 0 1 1 0 20 2/3 22 0 15 15 11 4.79
06 日本ハム - - - - - - - - - - - -
通算 6年 149 0 8 7 15 168 2/3 159 25 190 77 78 4.16

勢いある速球とフォークで勝負する豪腕タイプの投手。日本ハムに絶えて久しいストッパー候補として入団。ルーキーイヤーの01年は40試合に登板。チームの低迷でセーブ数は少なかったが、2点台の防御率と高い奪三振率で力を見せ付けた。
どっしりした体格から、大塚(現メジャー)に似た力強いフォームで真上から投げ込む。ボールに角度があり、球威には目を見張るものがある。日本ハムはこれまで本格派投手が次々故障し、ストッパーもなかなか定着しなかった。当然ベンチの期待は大きかったのだが…。
02年、開幕早々から度重なるリリーフ失敗。せっかくの球威を活かせぬままベンチの期待を裏切り中継ぎ降格に。思わぬ形で露呈した欠点は度胸のなさ。2点、3点差ある場面ではいいが、1点差でマウンドに上がると途端にピッチングに余裕がなくなる変わりよう。また変化球でカウントが稼げない欠点も発覚し、一転して重要な場面では起用しづらい投手に変貌してしまった。
03年の大低迷を経て、04年は投手陣の相次ぐ故障からチャンスを経て復帰。精神面の弱さは若干克服したが、しかし相変わらず安定感はない。投げてみなければわからない投手で、いい時はフォークも切れて三振の山、悪い時は制球難で自滅という極端なタイプ。その欠点は05年も克服されず、信頼は掴めないままに終わった。
ストッパーはともかくとしても、中継ぎとしても重要な場面では怖さが残る。昨年はプロ入り後初めて一軍登板なしに終わり、シーズン後戦力外に。上のリリーフ陣が強化された上に、二軍でも四球多発ではさすがに辛い。力でねじ伏せられる投手は貴重なだけに期待は小さくなかったのだが。国内に獲得球団はなく、今季は台湾へ。

岩下 修壱 (修一)

変則左腕、復活型

左投左打
浜松工高〜三菱自工名古屋〜三菱自動車岡崎 オリックス00ドラフト4位〜05、日本ハム06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 オリックス 9 0 0 0 0 5 1/3 8 1 4 3 3 5.06
05 オリックス 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 -
06 日本ハム 3 0 0 0 0 3 1/3 0 0 1 4 0 0.00
通算 7年 98 0 3 0 0 63 54 6 56 49 32 4.57

ワンポイントを生業とするサイドスロー左腕。一塁側に大きく踏み込むフォームで、ベースを斜めにクロスする投球が持ち味。左腕の使い方も独特で、左打者からはかなり見づらいタイプ。
27歳と遅いプロ入りだが、社会人で揉まれた経験を生かして1年目から44試合に登板。即戦力の期待通りの活躍を見せた。2年目の01年も当然のごとく一軍戦力として計算されていた。ところがここで思わぬアクシデント。急性骨髄性白血病という難病で、7月に入院という不運に見舞われた。
しかしそれを克服したのは見事の一言。驚異的な回復力で11月には退院。その後のリハビリも順調にこなし、なんと翌02年のオープン戦には早くも実戦登板。どころか開幕一軍まで達してしまった。03年は初勝利もマーク。
ただここ数年は登板数少なく、少々寂しい状態。特に05年はわずか1試合、打者一人に投げただけだった。自由契約となった後、春季キャンプのテストで日本ハムに滑り込み入団となったが、昨年も夏場に3試合のみの登板。1安打も許さなかったが、4四死球は微妙なところで、シーズン後戦力外になってしまった。今季からは打撃投手に。

岡島 秀樹

一芸本格、不安定型

左投左打
東山高 巨人94ドラフト3位〜05、日本ハム06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 巨人 53 0 4 3 5 46 2/3 33 5 53 21 16 3.09
05 巨人 42 0 1 0 0 53 55 10 56 23 28 4.75
06 日本ハム 55 0 2 2 4 54 2/3 46 5 63 15 13 2.14
通算 13年 439 2 34 32 41 642 549 63 681 319 240 3.36

当代随一のカーブで知られるリリーフ左腕。かつてはストッパーを務めた経験も持ち、奪三振の多さが特徴的な投手。
入団当初は本当にカーブだけのピッチャーで、スピードは平凡な投手だった。それがいつのまにか速球の威力を増し、97年に急台頭。入団時から変わっていないのはそのフォーム。体ごと目一杯腕を振り、リリース以降顔までそむけてしまうフォームは、コントロールがつきにくい一方、バッターにはどこにくるかわからない恐怖感を呼ぶ。しかしやっぱり制球難で、これはフォームを変えない限り無理と思われた。
しかし、数を投げるうちにリリースのコツをつかみ、制球が安定。こうなると天下一品のカーブを武器に、面白いように三振をとりまくる。01年は25セーブを挙げ、ストッパーとして活躍を見せた。
球威抜群の速球に、大きく曲がるカーブのコンビネーション、当然のように奪三振率は高いが、防御率がそれほど良くない。被打率は決して高くないのに、なぜか点を取られている。いい時と悪い時の差がありすぎて、時折まだ制球難が顔を出す。この辺がいまいち、「抑えは岡島で大丈夫」という信頼を勝ち取れない原因になっていた。
02年は河原が抑えに固定され、岡島はセットアッパーとして固定起用。この年は良かったが、河原が不振に陥った翌年以降は岡島も不安定になってしまった。ここ数年は投げてみなければわからない状態で、防御率も5点台近くに。
物足りないシーズンが続き存在感も薄くなっていたが、昨年移籍で復活。開幕土壇場に實松との交換で日本ハム入りすると、4月末に一軍昇格。するとリリーフ左腕の中心的存在としてかなりの活躍を見せた。特に6月から8月にかけて20試合連続無失点を記録。強力と言われ優勝の原動力ともなったリリーフ陣の一角を占め、久々に存在感をアピールしたシーズンとなった。
2点台の防御率は5年ぶりで、セーブを挙げたのも2年ぶり。交流戦当初は打たれる場面が続いたが、新しい環境が見事にはまり、間違いなく移籍はプラスに働いた。はまればやはりこのぐらいはやれる力はある。FA宣言で今季はメジャーへ。

岡本 劼能 (克道)

真向勝負、リリーフ型

右投右打
柳ヶ浦高〜東芝 ダイエー/ソフトバンク97ドラフト5位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 ダイエー 7 0 0 0 0 7 2/3 7 1 7 3 4 4.70
05 ソフトバンク 14 0 1 0 0 15 15 2 16 2 8 4.80
06 ソフトバンク - - - - - - - - - - - -
通算 10年 291 0 17 16 51 295 2/3 261 30 298 94 98 2.98

リリーフで名を成した投手。飛びぬけて速いわけではないが伸びのあるストレートが武器で、度胸よくグイグイ押す投球スタイル。ドラフト下位入団ながら、1年目から抑えで活躍を見せた。
1年目の97年、いきなり19セーブ、22セーブポイントを挙げ颯爽とデビュー。これは04年三瀬に破られるまで、パ・リーグの新人最多記録だった。翌98年も21セーブを記録し、長年抑えに苦労してきたチームに久々現れた本格派のストッパーだった。3年目の故障でしばらく低迷が続いたが、01年に復活。この年はセットアッパーをこなして66試合に登板、翌02年は力の落ちたペドラザに替わって終盤は久々の抑えもこなし、欠かせぬリリーフの主力として活躍。
直球はMAXで145kmくらいと圧倒的に速いわけではないが、ほとんどの打者が振り遅れ空振りするほどの伸びを見せる。カブレラにも臆せず直球で挑むほどの自信を持ち、基本的に真向勝負のピッチャー。その割に大怪我が少ないのは制球も安定しているため。ただ根本的に切れ勝負の投手なので、疲労がたまると厳しくなる。03年はその課題を露呈したシーズンとなった。変化球勝負は出来ないタイプなので、速球が走らないと一気に打ち込まれてしまう。
03年シーズンでは不調も日本シリーズでは大活躍を見せたが、これ以降は故障多発で登板数激減。シーズンの大半を二軍で過ごし、その能力にも陰りが見えてきた。04,05年と不調が続き、昨年はプロ入り後初めて一軍登板なしに。シーズン後戦力外通告を受けたのもやむをえない印象。
リリーフ実績充分の投手だが、ここ数年は故障のためかスピードがかなり落ち込んでいる。イニング数を越える奪三振が示すとおり力勝負の投手なので、球速が落ちた現状では武器と言えるものがなくなりつつある。現役にこだわるが、状況はかなり厳しい。

クリス・オクスプリング

豪州代表右腕、先発型

右投左打
阪神06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
06 阪神 16 0 4 3 0 77 1/3 78 8 55 26 44 5.12
通算 1年

昨年の阪神新外国人。アテネ五輪オーストラリア代表で、準決勝の日本戦に先発して勝ち投手に。この投球で日本での知名度が一気に上がった。この年のオフから獲得の噂があり、昨年阪神入り。
メジャーでの実績は皆無に近いものの、バランスの取れた投球で開幕ローテーション入り。初登板は勝てなかったものの7回無失点で力のあるところを見せた。4度目の先発で初勝利を挙げ、そこから3勝を上積み。枠の関係でウィリアムス復帰後はダーウィンと入れ替わりで飛び飛びの登板だったが、交流戦終了時で無傷の4連勝と前半は上々の結果を残した。
しかし交流戦が終わって7月に入ると別人のように乱調に。急激に打たれ始めたちまち3連敗。8月末に3回KOとなると完全に見切りをつけられ、これ以降登板機会は与えられなかった。
そこまで3点台だった防御率が7月以降8点台とボロボロ。先発としては5回がだいたい山で、勝っているときもやや波は激しかったが、ここまで極端な面を見せるとは。ここまではっきり通用しなくなってしまうと起用は難しい。シーズン後自由契約となったのもやむなし。

落合 英二

力投リリーフ、淡々型

右投右打 最優秀中継ぎ(98)
作新学院高〜日大 中日92ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 中日 42 0 4 3 10 44 46 3 17 12 12 2.46
05 中日 31 0 2 1 0 47 2/3 64 6 27 11 25 4.72
06 中日 5 0 0 0 0 4 1/3 6 1 3 2 4 8.31
通算 15年 463 5 37 45 24 675 704 50 393 161 247 3.29

長期間セットアッパーとして活躍した右腕。連投は平気だが先発ローテに入ると故障する、よくわからない人。中日投手陣のリーダー格と言われ、00年V逸の原因に、この人の故障を挙げる人もいる。
もともと故障の多い投手で、素質は高く評価されながら大学時代もよく故障していた。球威、制球ともに高いレベルでまとまった感じで、凄みはないが大けがも少ない、安定感の高い投手。制球良く、シュートで内角をえぐる度胸も充分。ただスピードがある割には抑えの迫力にはやや欠ける。
97年までは先発の機会も多かったが、98年以降は完全にリリーフ専門に。98,99年と2年連続50試合以上登板。00年は故障で21試合の登板にとどまったが、復帰した01年は45試合に登板し防御率1点台。それ以降も当たり前のように難しいリリーフをこなした。故障がちな割には息が長く、球威の衰えもない頼もしい投手。制球力は非常に高く、特に暴投に関しては00年を最後に記録していない。
常に安定した働きで、04年は岩瀬が不調の間抑え役もこなす活躍も見せた。しかし先発に挑戦した05年不調。勝手が違ったのか被安打が多く、先発では6試合で1勝1敗、防御率5点台という内容。その後リリーフに戻ったが、10年ぶりに4点台の防御率と波に乗れないままに終わってしまった。さらに昨年は肩も痛め、夏場に5試合だけの登板。これは登板なしに終わった1年目を除けば自己最少の数字で、8点台の防御率はもちろん自己ワースト。
長期に渡ってチームを支えたが、シーズン後戦力外通告を受け、昨年限りで現役を去ることに。年齢と故障不安を考慮した上での先発転向だったのだろうが、逆に引退を早めるような形になってしまったのは残念。04年の時点ではまだ衰えを感じさせなかったのだが。

ウェス・オバミュラー

途中入団、乱調型

右投右打
オリックス06途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
06 オリックス 14 0 1 6 0 42 1/3 46 3 27 33 25 5.32
通算 1年

昨年開幕後に入団した外国人投手。メジャー通算9勝、04年には6勝を挙げた右腕で、セラフィニ故障離脱を受けて獲得された。
5月に一軍昇格すると即先発。その試合は勝敗つかずも5回無失点でいけるかと思わせた。しかし次の登板は大乱調で初回KO、その後1勝はしたがあまりパッとせず、6月の中旬に二軍落ちとなってしまった。
それほど球威はなく打たせて取るタイプだが、あまりにも四死球が多すぎるのが問題。ストライクゾーンの問題もあるだろうが、やや決め手がないという印象。その後7月に再昇格しリリーフなどで投げたが内容は変わらず。8月中旬の先発で2回持たずにKOされると以降は登板なしに終わった。
昨今の外国人投手の傾向として、よほどの球威がない限り低めにきっちり集められる制球力がないと、癖球というだけでは辛くなっている。この内容では昨年限りもやむなし。

金田 政彦

軟投左腕、先発型

左投左打 最優秀防御率(02)
高田高〜日産自動車九州 オリックス93ドラフト2位〜04、楽天05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 オリックス 14 0 2 7 0 67 1/3 84 13 44 22 40 5.35
05 楽天 25 1 3 6 0 88 1/3 114 9 48 30 59 6.01
06 楽天 2 0 0 2 0 8 11 1 2 4 6 6.75
通算 14年 244 12 52 65 1 1036 2/3 1092 91 638 399 479 4.16

「究極の軟投派」星野伸之の薫陶を受けた技巧派左腕。入団当初は地味な中継ぎ投手だったが、96年に先発の一角を占め6勝。その後故障で低迷したが、99年に二桁勝利を挙げ一躍エース候補に踊り出た。しかし先発の軸に期待された00年は6勝止まり。01年も故障があったとはいえ8勝に終わり、「エース」と呼ぶには物足りない成績に終始。
球速は130キロ中盤程度で、どちらかといえばかなり遅い投手。特徴的なのがドロンとした軌道のスローカーブで、さらに間合いも非常に長い“焦らし”の投手。多彩な球種と緩急を駆使し、打たせて取るのが持ち味。ただエースと呼ぶには迫力不足の面もあり、それまでの実績が豊富なわけではないのに急に柱にされたのは気の毒だった。先発の三番手くらいで淡々と投げるのが似合いそうなのだが。
どうも煮え切らない投球が続いていたが、02年は開幕から内容良く、終盤故障でリタイアしながら見事最優秀防御率のタイトルを獲得。しかし翌年は元の金田に戻ってしまった。どうも詰めの甘い投手で、そこそこのピッチングをしていても肝心なところで失敗が多く、あとから振り返るとあそこをしのいでいれば…というケースが非常に多い。その癖は近年特に顕著で、また故障の多さも難点の一つ。04年も開幕に出遅れた上、復帰後も精彩を欠く投球が続いた。
もともと大勝ちは望みにくいタイプだが、ここ数年の出来は衰えもうかがわせる。楽天移籍で期待の大きかった05年も、序盤いい時期もあったが長続きせず、夏場には先発脱落。リリーフでも結果は出ず、落ちる一方の防御率はとうとう6点台に。
崖っぷちの昨年は前半二度先発機会があったが、いずれも5回まで持たずに2敗。これ以降は登板機会もなく、シーズン後戦力外通告を受けてしまった。トライアウト受験もすでに37歳、成績も落ちる一方とあって獲得球団はなし。味のある投手ではあるが、球威がなくリリーフでは使いづらいタイプなのもマイナスだったか。実質引退となり、今季はソフトバンクの打撃投手に。

ダニエル・J・カラスコ

変幻投法、期待はずれ型

右投右打
ソフトバンク06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
06 ソフトバンク 3 0 0 3 0 10 1/3 22 3 9 11 17 14.81
通算 1年

昨年のソフトバンクの新外国人。メジャー通算14勝の実績を持ち、05年は20試合先発で6勝。当初はリリーフを期待されていたが、キャンプで評価を上げて先発に。開幕ローテーション入り。
だが公式戦に入ると評価は一気に急落した。初登板の西武戦は9失点で5回持たずKO、次の登板も5失点で3回KOと散々な内容で早々に二軍落ち。一ヶ月間を空けて先発登板したが、またも3回KOといいところなく、全くの期待はずれに終わってしまった。
上からも横からも投げられる変幻投法、などと話題にもなったが、制球が悪くストライクも高めばかり。数年前に在籍したラジオの悪い時と非常に似ていて、これではどうにも抑えられない。二軍では好成績も、一軍でこれでは非常に厳しい。
あまりの内容の悪さに、さすがに見切られたかこれ以降昇格なし。結局いい面は見せられずに終わった。一年限りで解雇に。

ゲーリー・グローバー

先発右腕、いまいち型

右投右打
巨人06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
06 巨人 20 0 5 7 0 96 125 13 63 25 53 4.97
通算 1年

先発陣補強の一環として獲得された外国人投手。長身から投げ下ろす速球とスライダーが主な武器。メジャー通算21勝、01年から3年連続40試合以上登板の中堅投手。
オープン戦では非常に評価が高く、そのまま開幕ローテーション入り。二度目の登板で初勝利を挙げた。だが投球内容は徐々に悪化。3勝目から勝てなくなり、6月には二軍落ち。一月後に復帰して一時は好投を見せたが、トータル5勝といまいちな結果に終わった。
投球内容としては、被安打があまりに多く左右ともに被打率は3割超。良くなったとはいっても後半も防御率は4点台で、リリーフテストもうまくいかなかった。この球威ではもっとコースを厳しく突けないと芳しい結果は残せないだろう。残留はならず昨年限り。

桑田 真澄

熟練技巧、秀才努力型

右投右打 最優秀防御率(87,02)、ベストナイン(87)、沢村賞(87)、Gグラブ(87,88,91,94,97,98,02)、MVP(94)、最多奪三振(94)
PL学園高 巨人86ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 巨人 16 0 3 5 0 79 1/3 100 16 39 32 57 6.47
05 巨人 12 0 0 7 0 49 2/3 65 7 34 28 40 7.25
06 巨人 3 0 1 1 0 11 2/3 19 4 5 1 9 6.94
通算 21年 442 118 173 141 14 2761 2/3 2641 264 1980 828 1089 3.55

巨人投手王国時代の最後の生き残り。高校時代からマスコミの話題を独占し続けた選手。80年代後半から90年代前半までは、明らかにプロ野球界の主役であった。
PL学園のエースとして戦後最多の甲子園20勝、主砲清原との「KKコンビ」の名は全国に轟いた。個人的に「カーブピッチャー」でプロではきついのではと思っていたのだが、その予想は早々に崩された。高校時代より明らかに球速を増し、1年目から2勝。2年目には早くも先発定着して15勝に最優秀防御率。ここから6年連続二桁勝利の輝かしい成績を残し、チームの「最強先発投手陣」の中心に座り続けた。投手としては小柄ながら、体格のハンデを努力で克服した「秀才」投手。また守備も一流で総合能力が高く、多くの選手が目標に掲げる存在だった。94年には早くも通算100勝を達成。
しかし95年、自身初めてともいえる大きな故障で戦列を離脱すると、ここから苦難が始まる。復帰した97,98年こそ二桁勝利を挙げるものの、防御率は悪化の一途。99年以降はリリーフにも廻ったが、しかし失った信用を回復するまでは至らない。00,01年と年を追うごとにワースト記録を塗り替えてしまう。
もともと飛びぬけたボールのない彼は、全てのものを平均以上にした「万能」投手。それだけに、球威が落ちてしまうとごまかしが効かなくなってしまった。球威・制球・変化球・技術、すべての物を総動員できた全盛期に比べ、球威・変化球を失い片肺飛行のピッチング。限界とさえ思える状態だった。
しかし02年、そんな風評を吹き飛ばし鮮烈な復活。前年終盤から球威が(全盛期には及ばないとはいえ)戻り、ピッチングの軸を取り戻した。ハイレベルな数字で15年ぶりの最優秀防御率を獲得し、チームの優勝に大いなる貢献を果たした。
個人的にも復活は無理と見ていただけに、この活躍には脱帽。しかしこの輝きを最後に、翌年から一気に落ち込みが始まる。一時持ち直した球威はまたガタ落ちし、はっきりと衰えを感じさせるようになってしまった。それは急激に悪化した被打率が如実に物語っている。衰退に歯止めはかからず、05年は一つも勝てずに7敗。昨年2年ぶりの白星を挙げるも捻挫で二軍落ちし、4月の3試合のみで以降は登板なし。事実上戦力外に近い立場に追い込まれた。
すでに先発では5回が精一杯で、落ち込んだ球威ではリリーフも困難。9月に自身サイトで退団意思を表明し、移籍先を探すも声はかからず。パイレーツとマイナー契約し、メジャーを目指すこととなった。すべての面で状況は非常に厳しいが、執念で大望を果たせるか。

後藤 光貴

バランス派、故障急落型

右投右打
鯖江高〜新日鉄堺〜大和銀行 西武00ドラフト7位〜04、巨人05、西武06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 西武 6 0 3 2 0 31 2/3 38 6 17 15 21 5.97
05 巨人 5 0 0 2 0 15 22 0 9 10 16 9.60
06 西武 - - - - - - - - - - - -
通算 7年 87 2 23 16 0 363 1/3 335 55 284 121 153 3.79

ドラフトの指名ミスでプロ入りが一年遅れた投手。本来なら99年の入団だったが、社会人の同一チームから投手を二人以上指名する際には事前の許可が必要、というルールに引っかかり(ホークス水田の指名順位が先だった)、指名されながら入団できなかった。
いずれにしても下位での指名だったが、想像以上に実戦的で使い勝手のいい投手だった。1年目はファームで活躍し、01年は高い奪三振率で一軍中継ぎで好投。翌年には先発の一角にも加わり、7勝をマーク。彼の存在のおかげで先発陣に穴がなくなり、チームの独走優勝にもつながった。成長の勢いは止まらず、03年はただ一人ローテーションを守り続け、二桁勝利達成。主力投手の一員として一本立ちを果たした。
それほど圧倒的なものはないが、変化球の制球が良く、バランスの取れたタイプ。基本的にはストライクを先行させて、打たせて取る。凄みは薄いが安心感を感じさせる。
全く順調に来ていたここまでだったが、04年右肩痛で春先に離脱し、故障が癒えても復調ならず。スピードが落ち、投球が一気に苦しくなってしまった。05年開幕直後に巨人へ移籍したが、ここでも内容は散々でいいところのないまま。昨年は西武に戻ったが、一軍登板のないままシーズン終了。極端な落ち込みから脱することは出来なかった。
故障以降で目立つのが激増した四死球。もともと被安打も被本塁打も多めの投手ではあるが、球威の落ち込みから決め手を失ってしまった印象。戦力外通告を受け、引退を表明。非常に短い活躍期間に終わったのが惜しまれる。

佐々木 貴賀

快速球左腕、力勝負型

左投左打
高松西高 日本ハム00ドラフト4位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 日本ハム 20 0 1 0 0 19 20 2 20 16 13 6.16
05 日本ハム 6 0 0 0 0 9 2/3 7 0 8 9 3 2.79
06 日本ハム - - - - - - - - - - - -
通算 7年 113 0 4 10 1 152 1/3 133 25 137 128 98 5.79

躍動感あふれるフォームの本格派左腕。高校時代から評判だった速球派で、好調時には150キロ近いスピードを誇る。
1年目高卒ながら一軍登板を経験すると、01年からはリリーフの一角に。まだ細身の体ながら、体を目一杯使って投げ込む様は迫力充分。また度胸も良く、ピンチでも物怖じしない。
ただし技術的には荒削りそのもので、自慢のスピードも安定しない。特に制球は不安定で、あまりにもムラがありすぎる。01年の防御率は6点台で、02年は42イニングでリーグワーストの12暴投。03年前半アメリカへ武者修行に出たものの、あまり変化は感じられなかった。04年も相変わらず四球が多く、内容はさっぱり良くなかった。
能力の高さは確かながら、あまりにも雑すぎ、そして成長も遅い。05年はわずか一桁の登板にとどまり、そして昨年はついに一軍登板なし。二軍でもわずか10試合10イニングしか登板せず、シーズン後戦力外通告を受けて自由契約に。
トライアウト参加も獲得球団は現れず。気持ちとボールの強さは魅力だが、粗さが全く解消されていないのが痛い。自滅癖がなくなるだけでも大きく変わったはずなのだが。

芝草 宇宙

未完の大器、球威型

右投右打
帝京高 日本ハム88ドラフト6位〜05、ソフトバンク06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 日本ハム 50 0 2 2 0 53 59 8 40 16 32 5.43
05 日本ハム - - - - - - - - - - - -
06 ソフトバンク - - - - - - - - - - - -
通算 19年 430 14 46 56 17 941 983 123 494 395 443 4.24

ボールの威力は一級品と言われ、長いこと大きな期待を受けていた投手。甲子園で活躍した投手で、先発ではなかなか芽が出なかったが、リリーフでようやく開花した。
最初の3年間は二軍暮らしも、91年に初勝利を完封で挙げる鮮烈デビュー。期待は一気に高まったが、先発時代は時折いいものは見せるものの、それが1シーズン続かない。ようやくローテーション定着した96年に7勝を挙げたが、それが自己最多。もう一歩がなかなか抜け出せず、。00年には登板機会が減少し、影が薄くなりかけていた。
しかし01年からリリーフに専念すると、ようやく安定して力を出せるようになった。それ以降4年連続50試合以上登板。予想以上にタフなところを見せ、02年は不調の井場に代わって抑えに廻り11セーブ。リリーフでの地位は完全に確立された。
スリークォーターよりはサイドスローに近く、140キロを超えるシュート気味の球が持ち味。ちょっと制球が上ずり加減で抜け球が多いところが、短所でもあり長所でもあった。死球が多い投手で、右打者にはなかなか怖い球筋。もうベテランの域だが球威は依然として健在で、好調時には力強い投球を見せる。
リリーフの中心的存在だったが、年々内容は悪化して04年は防御率5点台。不安定なところを嫌われたか、05年は一転一軍に上がれないままに終わった。シーズン後移籍を志願しソフトバンクへ移籍。しかし昨年は一軍はおろか二軍でも登板なく、全く働けないまま終わってしまった。シーズン後自由契約に。
今季38歳のベテランで二年間登板なしは相当に厳しいハンデ。今季は台湾へ。一時はメジャーが興味を持っているという報もあったが…。

ショーン・マシュー・ソニア

長身右腕、リリーフ型

右投右打
横浜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
06 横浜 27 0 1 0 0 30 2/3 29 1 37 14 13 3.82
通算 1年

横浜の新外国人投手。抑えのクルーン、先発のベバリンに続く3人目の投手で、開幕直前に入団決定。
チームの投手陣、特に開幕直後はリリーフの誤算が相次ぎ、4月の中旬に一軍昇格。初登板2失点のあとは6イニング無失点に抑えるが、どうも前半は出入りが極端すぎた印象。競ったゲームでは使いづらいと見られたか、リリーフといってももっぱら敗戦処理という形が中心の起用となっていった。27試合に投げたものの目立つ活躍はできず、結局一年限りで解雇。
奪三振が多く、7月まで被弾0など見るべきところもあったが、全体的には印象が薄い。起用法の問題もあるが、クローザーでないリリーフ専門の外国人というのはやはり物足りなさが残る。もう一年様子を見ても良かったかもしれないが、低迷するチーム事情から言えばやむをえないところか。

田ア 昌弘

長身右腕、中継ぎ型

右投右打
高田高〜九州工大〜JR九州 横浜02ドラフト5位〜04途中、西武04途中〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 横浜 1 0 0 0 0 1 0 0 1 1 0 0.00
西武 10 0 1 2 0 12 1/3 13 3 13 7 6 4.38
05 西武 4 0 0 0 0 5 1/3 11 3 4 4 10 16.88
06 西武 6 0 0 0 0 4 1/3 11 0 4 3 6 12.46
通算 5年 61 0 5 5 0 88 93 17 76 37 52 5.32

03年急台頭した中継ぎ右腕。崩壊した投手陣を良く支え、実のあるピッチングを再三見せた。
社会人時代何度もドラフト候補として名前があがったが、圧倒的な速球を持つ反面荒削りな面が強く、プロ入りは27歳と遅め。1年目はほとんど二軍暮らしで即戦力とはいかなかったが、逆にそれで実戦的な技術を身につけたようだ。
03年はアマチュア時代の荒々しさが影を潜め、力を抑え目にして成功。被本塁打こそ多かったものの内容はなかなかのものだった。しかし04年は大きく停滞。シーズン途中に西武へ移籍したが、良かったのはほんの一時期だけだった。二軍生活に逆戻り。
四死球の大幅増加はストライクゾーンの差か? ボールに勢いはあるが、被本塁打の多さは相変わらず。05年もわずか4試合の登板内容は散々で、シーズンのほとんどを二軍暮らし。昨年は開幕一軍入りも、6試合目に大量失点。二軍落ちするとそのまま再昇格なく終わった。
シーズン後戦力外となり、トライアウト参加も声はかからず。二軍では格違いの投球を見せたが、32歳の年齢で一軍実績が実質03年だけというのは厳しいか。リリーフ層の薄い西武でアピールできなかったのは痛かった。

伊達 昌司

リリーフ右腕、強気型

右投右打
法政二高〜法大〜プリンスホテル 阪神01ドラフト2位〜02、日本ハム03〜05途中、巨人05途中〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 日本ハム 19 0 1 0 0 21 2/3 22 2 7 9 4 1.66
05 巨人 7 0 0 0 0 7 1/3 15 1 5 1 8 9.82
06 巨人 - - - - - - - - - - - -
通算 6年 146 0 12 7 9 211 194 19 117 99 78 3.33

リリーフ中心の右腕。そこそこ速いストレートよりもシュートに魅力のあるタイプ。懐を攻める度胸の良さはリリーフにうってつけの存在。
社会人からプロ入りした1年目から一軍定着を果たし、即戦力の期待にしっかり応えた。2年目には41試合に登板とリリーフの中心的存在に。しかしそれ以上に存在感を見せたのが、日本ハムに移籍した03年。ストッパーに想定されていた建山の故障で代役に指名され、春先は連日の登板を見事にこなした。疲労から安定感にはやや欠けたが、暫定ストッパーとしては期待以上の活躍。51試合登板、5勝9セーブと自己ベストの数字を残し、防御率も2点台にまとめた。
左右を揺さぶり低めでしとめる投球で、奪三振は少なめだがリスクは小さい。被本塁打が少なかったのも収穫だった。四死球の大幅な増加は左右に狭いゾーンのせいか。中継ぎとして非常に使いやすいタイプで、併殺を狙えるのも強み。
ただ04年は前年後半からの故障を引きずってしまい、不本意なシーズンに。これ以降どうも精彩を欠き、05年開幕直後に巨人へ移籍したが、パッとしない成績でほとんど二軍暮らしに終わった。昨年は一度も上に呼ばれず、初めて登板なしに終わるとシーズン後戦力外に。
もともとスリークォーターの腕を、05年途中からさらに下げてほぼ完全なサイドスローに。トライアウト参加も声はかからず。二軍では格違いの投球で、まだ一軍でもある程度はやれそうにも思えたのだが。

玉木 重雄

便利屋、鉄腕型

右投右打
カスペル・リベロ高(ブラジル)〜三菱自動車川崎 広島96ドラフト3位〜04、楽天05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 広島 37 0 0 2 0 42 1/3 30 7 33 12 17 3.61
05 楽天 22 0 2 0 0 23 28 1 17 13 9 3.52
06 楽天 - - - - - - - - - - - -
通算 11年 373 0 34 23 8 509 486 50 386 218 219 3.87

屈指のタフさを誇ったリリーバー。入団以来常に中継ぎの主力として働き、50試合以上登板が過去3度。使いべりのしなさでは群を抜く。
1年目から30試合に投げ、一軍定着。3年目には50試合に登板して6勝を挙げた。どちらかと言えば負け試合での登板が多いタイプで、4年目まではいずれも4点台の防御率と成績自体は平凡だった。しかし00年から安定感が増し、01年からは重要な場面の登板が増加、必然として9勝の活躍となった。見た目どっしりした感じで、いかにもタフそうな感じ。ずば抜けたボールは無いが、それなりの球威がありボールが重いタイプ。また縦のスライダーにも威力がある。
03年はさすがに2年続いた登板過多が堪えたか、肩の不調で5点台の防御率と不本意な成績に終わった。ここまで投げ続けた勤続疲労もあり、ベテランの年齢で不安も増したが、04年はしっかり復活。特に前半は抜群の内容で、中継ぎの柱に返り咲いた。後半は内容が落ちたが、被打率はシーズン通して好成績。トータルでも2割に満たなかった。
05年楽天に移籍。主力で投げていた投手の加入は新生チームにとって大きな戦力と期待された。しかし、ここで長年の疲労が一気に表出してしまったのは皮肉。これまでほとんどなかった故障が続き、開幕出遅れに続いて後半も離脱。入団以来最少の登板数に終わってしまった。昨年も状態は上向かず、とうとう昇格できないまま戦力外通告。昨年限りで引退することに。
経験も力もリリーフの柱になれるだけの投手だっただけに、移籍以降万全の状態がなかったのが非常に残念。今季は巨人の二軍コーチに就任、同時にブラジル出身のキャリアを活かしてのスカウト活動にも当たることに。

張 誌家(チャン・ズージャ)

能力エース級、気ムラ型

右投右打
西武02途中〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 西武 22 3 9 8 0 146 137 22 119 67 60 3.70
05 西武 - - - - - - - - - - - -
06 西武 - - - - - - - - - - - -
通算 5年 63 7 26 19 1 387 351 54 352 167 164 3.81

元台湾ナショナルチームのエース。02年1月に兵役を終え、シーズン途中に加入。若さから当初は育成中心になるかと思われたが、想像以上のスケールの大きさで松坂が故障した穴を見事に埋めた。
140キロ台後半の速球と、そしてほとんど同じ腕の振りで繰り出されるチェンジアップの威力が抜群で、打者に容易に的を絞らせない。1年目の夏場に28イニング連続奪三振の日本記録も樹立し、瞬く間に主力投手の座に着いた。
結局1年目は10勝4敗と見事な活躍。さすが台湾のエースと思わせたが、これで慢心してしまったのがいけなかった。03年はキャンプから明らかに実力を過信した態度を見せ、いざ開幕すると前年とは別人のようにメロメロ。相手チームがじっくりと研究してきた間、本人は太ったりしていたのだから無理もない。被安打激増は球の切れを失っていた証拠で、二桁勝利どころかローテーションすら任せきれない脆さを見せてしまった。
投じるボールは圧倒的で、まさに一流投手のそれ。松坂と両輪となる先発の柱だが、メンタルコントロールには大いに問題がある。7勝止まり、5点近い防御率に終わった反省から、04年は前半快調に飛ばしオールスターまでで7勝。しかしアテネ五輪代表として離脱後、復帰してからはさっぱり冴えなかった。五輪での敗退後ろくに練習をしていなかったという噂もあり、どうもこういうところがいまいち信頼しきれない。
それでも万全ならば10勝級の能力だったが、05年来故障の連続。ストッパー候補にも挙げられた昨年も登板なく、とうとうシーズン後解雇されてしまった。
まだ26歳と若い投手だが、故障の影響でスピードがガタ落ちしたという話も伝え聞く。鮮烈なデビューからわずか4年でなんとも寂しい結果になってしまった。

ブラッド・トーマス

剛球左腕、リリーフ再生型

左投左打
日本ハム05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
05 日本ハム 38 0 1 5 1 48 1/3 54 1 51 44 25 4.66
06 日本ハム 40 0 4 1 1 45 2/3 50 2 43 27 19 3.74
通算 2年 78 0 5 6 2 94 104 3 94 71 44 4.21

オーストラリア出身の長身左腕。05年春季キャンプでのテストを経て入団。抜群のスピードと同時に制球難も併せ持つ。
打力はいいが先発が弱いと言われたチームで、期待されて開幕ローテーション入り。しかし散々な結果が待っていた。初登板は4回途中でKO、その後2回先発登板したが、いずれも2回途中でKOとボロボロ。とにかくコントロールが悪く、歩かせては置きにいって痛打の連続。先発3試合で5割を越える被打率ではどうにもならず、早々に二軍落ち。
開幕直後の内容はとうてい一軍レベルになく、これっきりかとも思われたが6月に一軍復帰。今度はリリーフに廻り、ようやくまともな投球を見せるようになった。依然制球力には難があるものの、速球の威力は抜群。腕を振れるようになって、徐々に重要な場面の登板も増加。オールスター以降は20試合22イニングでわずか1失点と別人のように大安定。後半は大きな戦力となった。
193cmの長身から投げ下ろす速球は150キロに達し、迫力満点の投球。少々浮いても力で押しつぶせる。難点はやはり制球力のなさで、これが長所にも短所にもなる荒れ球タイプ。
当然昨年は開幕からリリーフで回転し40試合に登板。ただ前年後半の安定感はなく、特に前半は悪かった。夏場に持ち直したが、岡島の大活躍で存在感はもうひとつ。悪いというほどでもなかったが、シーズン後退団ということになった。
荒れ球のリリーバーははまれば強力だが計算しづらい面もあり、扱いが難しいところも。そういう点が嫌われたかもしれない。先発で派手な失敗歴があるのが惜しい。

戸叶 尚

両刀、癖球型

右投右打
佐野商高 横浜93ドラフト5位〜00、オリックス01〜04、楽天05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 オリックス 40 0 4 0 0 48 1/3 43 6 29 28 14 2.61
05 楽天 12 0 0 0 0 12 6 2 15 7 7 5.25
06 楽天 - - - - - - - - - - - -
通算 14年 252 0 32 35 0 593 1/3 579 87 466 298 311 4.72

横手からの癖球が身上の投手。スピードはそこそこあるが、基本的には左右の揺さぶりが武器。その割にちょっと粗っぽさも残るタイプ。
横浜時代は主に先発。97年に二桁の10勝をマーク、特に巨人に強かったため鮮烈な印象があるが、防御率は4点台。翌年も5点台で、どうもここ一番に打たれ弱かった。結局主力として働いたのはこの2年だけで、完投もゼロ。決め球が無いため球数が多く、非常に不安定なピッチングが多かった。
オリックス移籍後もなかなか4点台の壁は破れず。先発もリリーフもこなせる便利な投手ながら、安定感のなさがどうにも物足りなかった。通算防御率も4点台後半と、主力としてはかなりいまいちな数字。しかしリリーフ専念となった04年は新境地を見せた。特にスライダーの切れがパワーアップし、これまで見られなかった安定感を発揮。プロ入り後初めて2点台の防御率に抑え、どうしても弱いリリーフ陣の中で唯一頼れる存在となった。
これまでは無骨な力押しばかりが目立ったが、ずいぶんと落ち着いてきた。ただ楽天に移った05年は不本意な内容。前半はほとんど二軍暮らしで、当初の期待からするとずいぶん物足りない成績に終わった。
昨年も二軍生活が続き、さらに夏場にガン発覚の衝撃。幸いにも手術は成功し復帰を目指していたが、シーズン後戦力外となってしまった。もう一つ突き抜けない面のある投手だったが、こういう形でグラウンドを去るのは非常に残念。年齢的にもまだまだ余力があったのだが…。通算69試合先発してついに完投を記録することなく終わった。

苫米地 鉄人

大型右腕、故障低迷型

右投右打
山梨学院大付高 広島00ドラフト6位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 与四死 自責点 防御率
04 広島 - - - - - - - - - - - -
05 広島 - - - - - - - - - - - -
06 広島 - - - - - - - - - - - -
通算 7年 44 1 7 6 0 104 101 20 102 61 55 4.76

高卒ルーキー、それもドラフト下位入団ながら、1年目から一軍戦力になった投手。若いながらも度胸満点のピッチングが売り。
身長185cmと堂々たる体格の持ち主で、球威は入団時からすでに一軍レベル。高卒とは思えないマウンドさばきで、中継ぎで2勝。体格の割にスピードは平凡だったが、打者の手元で変化する癖球はかなり威力があった。
01年は故障のため登板なしも、02年は復帰して5勝をマーク。かつてより球速が増しており、1年目を上回る結果を残した。大いに期待を抱かせいよいよ飛躍かと思われたが、ここで故障。せっかくのチャンスをふいにしてしまった。
数年を経過しても依然つきまとう体力の不安は厳しい。これからというところで完全にブランクが空いてしまった。一時はローテーション入りも期待されていたのだが…。やはり1年目からの抜擢には無理があったのだろうか。
二軍でも数えるほどしか投げられずにいたが、昨年は二軍でチーム最多登板。しかし防御率6点台後半と内容は散々で、ついに4年も一軍マウンドから遠ざかってしまった。シーズン後戦力外となり、そのまま現役を去ることに。故障の連続で飛躍しきれずに終わってしまった。

鳥谷部 健一

未完の大器、伸び悩み型

右投左打
柏陵高 西武98ドラフト3位〜05、中日06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 西武 3 0 0 0 0 5 3 0 6 3 1 1.80
05 西武 - - - - - - - - - - - -
06 中日 - - - - - - - - - - - -
通算 9年 13 0 2 1 0 36 1/3 37 4 21 22 16 3.96

毎年のように期待を集めるが、なかなか殻を打ち破れない長身右腕。190cmの体格から投げ下ろす速球は魅力たっぷりなのだが、なかなかあと一歩が乗り越えられない。
雰囲気としてはチームの先輩で同じ背番号をつけていた渡辺久信を髣髴とさせる。02年のキャンプではかなりの評判で、そのまま一軍帯同ともなったがブレイクの好機とはならず。03年終盤にプロ初勝利を飾ったものの、04年はまたほとんど二軍暮らしで終わってしまった。どうも同じところでうろうろしているような印象で、ここまで来ると時間がかかりすぎという気もする。
05年は4年ぶりに一軍登板なしに終わり、シーズン後戦力外に。テストを経て中日入りしたが、やはり昨年も一軍登板なし。売りだったスピードも低下して、一軍に食い込む材料がなくなってしまった。再び戦力外となり、今度は声がかからず。02〜03年頃のチャンスをモノにできなかったのが痛恨だった。

ケビン・バーン

長身右腕、両極端型

右投左打
近鉄03〜04、オリックス05、ロッテ06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 近鉄 27 0 6 8 0 173 2/3 190 10 154 60 75 3.89
05 オリックス 22 0 4 13 0 109 1/3 117 10 70 52 57 4.69
06 ロッテ 28 0 3 5 0 65 1/3 60 9 48 29 32 4.41
通算 4年 107 2 21 33 0 478 476 45 379 198 227 4.27

球団合併に伴い移籍したオリックスでは「ケビン」と登録名を変えた投手。昨年ロッテに移籍し、登録名を再び「バーン」に変更。長身から投げ下ろす140キロ台中盤の速球を武器にする右腕。
03年にバーグマン、ジョンソンに代わって来日。開幕直後は先発としていきなり完封勝ちするなど上々の立ち上がりを見せた。ただしそこからKOの連続で、先発からはずされると今度は球の速さを見込まれて抑えに。しかし抑えでは先発以上にひどい内容。結局リリーフでは点差の離れた場面でしか起用できず、最終的には先発に戻った。後半は巻き返して1年目は8勝。
持っているボール自体は良く、150キロに迫る速球とスライダー、カーブのコンビネーションで攻めるオーソドックスタイプで、好調ならなかなかの好投手。しかし外国人には珍しく球筋が素直で、不調だと滅多打ちにあう悪癖を持つ。これがもう一つ安定感のない原因。
残留した04年は、夏場から失速気味で前年よりも勝ち星減少したが、防御率は向上。前半は先発の軸になる活躍。しかしオリックス移籍した05年は一転不調。序盤不運な負けが続くと段々不安定になり、最後まで調子が上がらなかった。4勝13敗と大きく負け越し、防御率も大幅に悪化。
少々見切られた感もあったが、オリックスに移籍したセラフィニと入れ替わるように昨年はロッテ入り。しかし序盤先発も7点台の防御率では10勝投手の穴埋めにはなれなかった。リリーフに廻ったその後は22試合で防御率1点台と別人のような投球を見せたが、あまり重要でない場面での登板が多く、それほど目立たないまま終わった。
ここ二年随分奪三振率が落ちて、そういう面でも随分印象が薄くなってしまった。トータルではそんなに悪くない数字でも、精神力がなく粘れないという印象でいまいち信頼しきれない。結局ロッテは一年限りに。なんだかんだで1年目の8勝が自己最多だった。

セドリック・バワーズ

球威一流、荒削り型

左投右打
横浜04途中〜05、楽天06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 横浜 20 1 7 4 0 104 1/3 102 13 90 45 41 3.54
05 横浜 18 2 7 5 0 112 2/3 104 14 96 70 48 3.83
06 楽天 - - - - - - - - - - - -
通算 3年 38 3 14 9 0 217 206 27 186 115 89 3.69

04年横浜に途中入団の外国人左腕。本来は育成目的での獲得だったが、いかんせん層の薄い投手陣、その上ウォーカー、ギャラードが計算違いで早々に一軍起用となった。
投げてみると、左腕投手としてはかなり上位の球威・球速を披露。カーブとのコンビネーションも良く、マウンドでの姿は威圧感たっぷり。二度目の先発で完投勝利を記録し、あっという間に先発に定着。後半は完全に軸となり、瞬く間に7勝。想像以上の大収穫だった。
経験不足ゆえか、さすがにその他の面はやはり脆い。制球はかなり未熟で、ストライクに決まりさえすればそうそう打たれないのだが、悪いときにはとことんストライクが入らない。序盤から四球連発であっという間に自滅というのがダメなときのパターン。走者への手当ても万全とはいえない。
05年は開幕からローテーション入りしたが、前年よりも出入りが激しくなってしまった。心配された制球難はむしろ悪化し、夏場に3連続KOされると二軍落ち。信用を失ったままシーズンを終えてしまった。
ボールの威力だけなら10勝は充分に可能で、先発を充実させたい楽天が獲得。好補強かと思われたが、大きな誤算となってしまった。母親の看病のため帰国し開幕に間に合わず、復帰を目指した二軍戦で故障発生。そのまま投げることができずに終わってしまった。
結局楽天では一軍登板なしで解雇。戦力として期待は大きかったのだが…。

平本 学

サイド豪腕、未完の大器型

右投左右打
大産大付高〜立命大 ヤクルト01ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 ヤクルト 11 0 0 1 0 9 1/3 10 1 6 6 6 5.79
05 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
06 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
通算 6年 12 0 0 2 0 9 2/3 14 1 6 9 10 9.31

サイドスローから150キロの速球を投げ込む豪腕タイプ。荒削りでも類稀な素質の持ち主としてドラフト1位で入団。
大学時代から「素質は一級品でも未完成」と言われていたが、プロ入りするとこれは桁外れの粗っぽさだった。1年目キャンプのシート打撃で、投じた球の半分以上がボールという暴れっぷり。一軍初登板はわずか1アウトで被安打4、与四死球3と散々。球威は評判通りも制球力のなさは評判以上で、これ以降も治るどころか悪化の一途。03年は二軍で9イニング22四球6死球という信じられないような数字を残してしまった。
あまりのノーコンぶりに一軍昇格もままならなかったが、04年は夏場に一軍合流。点差が離れた気楽な場面がほとんどだったが、だいぶ落ち着いた姿を見せるようになった。9月に入ると打ち込まれてしまったが、それでもこれまでとは雲泥の差。やっとここまできたという印象。
ただこの後が続かず、ここ二年は一軍登板なし。昨年は二軍でもわずか1試合の登板しかなかった。ドラ1といえども大卒6年経過でこの実績ではもう猶予はなく、シーズン後戦力外に。トライアウト受験も声はかからず。やはりと言っては失礼だが、「未完の大器」は「未完」のまま終わってしまった。

ジェイソン・ベバリン

先発型右腕、癖球型

右投左打
ヤクルト03〜04、横浜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 ヤクルト 22 0 9 11 0 136 1/3 141 16 81 71 67 4.42
06 横浜 8 0 0 4 0 32 1/3 58 6 29 16 40 11.13
通算 3年 49 0 17 19 0 274 2/3 313 38 204 128 155 5.08

かつてヤクルトに在籍した先発型の外国人投手。肘の故障で退団後、一年置いて昨年横浜入り。
03年開幕直前にヤクルトに入団。196cmの長身から低めに集めるのが持ち味で、タイプとしては先に在籍したホッジスとやや似ている。生命線は縦に割れるカーブで、速球も微妙に動く癖球。まさにホッジスのコピーのような投手だが、来日するといきなり先発で4連勝。ホッジスが不振に喘ぐのとは対照的に、チームの苦しい先発陣を支える存在となった。さすがにいつまでも勢いは続かず、ちょっとムラのあるところも見せたが、好調時にはかなりの力を出すとあって残留。
6回前後を投げて試合をつくるタイプで、完投はあまり期待できない。特にカーブが打ちづらい球種で、ボールが低めに集まっているときは攻略が厄介な投手。逆に不調時はボールが浮いて、被安打が多くなる。
2年目の04年は6月に5勝負けなしの活躍で、前半だけで8勝をマーク。ただ四球がだいぶ増え、全体的には前年ほどの冴えがなかった。さらに8月に二年続けて右ひじ痛でリタイア。復帰までに一年を要するとあって、この年限りで退団。
リハビリが明けた05年秋、楽天の入団テストを受けていたが、春季キャンプ直前に横浜入りが決定。ただヤクルト時代の17勝の内9勝がその横浜相手で、内容が落ちた上に故障ブランク明けと不安要素が非常に大きかった。開幕してみると不安的中。6試合に先発して3連敗、内容も悪いとあって二軍落ち。8月に再昇格も散々に打ち込まれ、結局1勝もできずに終わった。
先発の苦しいチームとしては、せめて半々でも好投して欲しかったところ。この内容ではいかんともしがたく、シーズン後解雇。やはり当初の力は戻っていなかったか。

本間 忠

中堅右腕、叩き上げ型

右投右打
日本文理高〜日本文理大中退〜野田サンダース ヤクルト00ドラフト6位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
05 ヤクルト 11 0 0 0 0 18 2/3 10 2 17 3 4 1.93
06 ヤクルト - - - - - - - - - - - -
通算 7年 62 0 5 3 0 94 1/3 96 13 67 38 39 3.72

大学中退後、実家の建築業を手伝いながらクラブチームでプレーし、入団テストを経てプロ入りを果たした叩き上げ。中継ぎを中心に、ここまでまずまずの実績。
ヤクルト入り前年にも、高野忍とともに巨人の入団テストに合格していたが、ドラフトでは指名されず。翌年もテストに挑戦を続け、晴れてヤクルトに指名された。テスト生上がりとはいえすでに一定の力を持っており、1年目から一軍で29試合に登板。3点台の防御率で3勝と上々の結果を残した。翌年も2勝を挙げ、ここまでは順調なプロ生活。
しかし翌年故障もあって不振に終わると、ちょっとジリ貧状態に。二軍では主力投手として活躍もなかなか一軍に上がれず、04年は登板なしに終わった。このままいくと危ないところだったが、05年夏場に昇格して久々に登板数を二桁に戻し復調。防御率も1点台と安定したところを見せた。
ギリギリの立場で踏み止まったが、昨年はまた一軍昇格なし。シーズン後戦力外通告を受け、退団となった。まずまず制球力があって中継ぎで面白い投手ではあったが…。今季から発足する北信越独立リーグに投手コーチとして参加が決定。地元で指導者として再出発。

前川 勝彦

ノーコン、問題児型

左投左打
PL学園高 近鉄97ドラフト1位〜03、阪神04〜05、オリックス06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 阪神 3 0 0 2 0 14 1/3 18 3 14 13 16 10.50
05 阪神 2 0 0 0 0 3 2/3 3 0 2 5 1 2.45
06 オリックス 24 0 1 7 0 59 2/3 68 3 46 34 29 4.37
通算 10年 149 16 31 45 0 609 628 48 417 389 356 5.26

一時は西武キラーとして大いに名を売った左腕。グラウンド以外の部分で何かとトラブルの多いやんちゃ坊主。
PL学園からドラフト1位入団。二軍で四球の記録を作ったほど酷いノーコンだったが、4年目の00年に急台頭。西武に無類の強さを見せ、この年8勝を挙げてローテーションに定着。翌年も変わらずの西武食いを続け、チーム勝ち頭の12勝。数字だけならエースに成り上がった。ただし防御率は5点台後半。これは明らかに強力打線のおかげといえ、チームの信頼はもう一つ。せっかく優勝を経験しても終盤にローテーションをはずされ、日本シリーズでは敗戦処理になっていた。
00年は与四球ワースト、01年は与死球ワーストとノーコンは相変わらず。この2年で20勝を稼いだのが不思議なほどで、当然そんな状態が長続きするはずもない。02年から西武に通用しなくなると、その途端に勝てる要素がなくなってしまった。翌年は二軍暮らしのほうが長く、シーズン後阪神へトレード。
年齢の割に貫禄たっぷりのどっしりとした体型で、ぱっと見の印象は「ガキ大将」。球威のある投球が持ち味だが、それもストライクが入っての話。荒れ球程度にまとまっていれば打ちづらいのだが、なかなかそうはいかないのが大問題。とにかく制球が良くならない。
移籍したものの阪神ではほとんど一軍登板なし。全く戦力にならず、相木とのトレードで昨年はオリックスへ。開幕一軍でローテーション入り、3年ぶりの白星を挙げる絶好のスタートを切った。しかしこれ以降は不安定となり、6連敗で1勝7敗と大きく負け越し。シーズン通しての先発定着はならず、いまひとつの結果に終わった。
59イニングで34四死球は前川としては普通レベルだが、やはり標準からすれば非常に多い。球威には目を見張るものがあるが、どうしても投球に無駄が多すぎて計算しづらい。
それでも過去二年に比べれば復調気配もあったが、オフにとんでもない不祥事を起こしてしまった。年明け早々無免許ひき逃げ事件を起こし、解雇処分に。これまでのトラブルとは比較にならない「犯罪」で、残念ではあるが解雇は当然の結果。こういう不祥事は二度と起こって欲しくない。

松坂 大輔

超大者投手、怪物型

右投右打 新人王(99)、最多勝(99〜01)、ベストナイン(99〜01)、Gグラブ(99〜01,03〜06)、最多奪三振(00,01,03,05)、沢村賞(01)、最優秀防御率(03,04)
横浜高 西武99ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 西武 23 10 10 6 0 146 127 7 127 48 47 2.90
05 西武 28 15 14 13 0 215 172 13 226 59 55 2.30
06 西武 25 13 17 5 0 186 1/3 138 13 200 37 44 2.13
通算 8年 204 72 108 60 1 1402 2/3 1102 112 1355 557 459 2.95

言わずと知れた「平成の怪物」。甲子園での飛びぬけた存在感、プロ入りしてからの活躍、もはや語り尽くされていると言ってもいいほど。とにかくすべてに飛び抜けた存在のスター選手。
高校時代に甲子園春夏連覇、史上二人目の決勝戦ノーヒットノーランと、その名前はすでに全国に轟いていた。プロ入りすると、その並外れた能力を改めて誇示。いきなりローテーション入りどころかエース級の活躍を見せ、並居る強打者を撫で斬りに。高卒新人で16勝は66年の堀内以来33年ぶりという大記録。さらに最多勝は54年の宅和以来45年ぶりという凄まじさ。新人王どころの騒ぎではなく、ベストナイン、ゴールデングラブとタイトルラッシュ。桁外れの活躍は日本中の注目を集めた。
能力はすでにこの時点で国内トップクラス。唸りを上げる剛速球は150キロをコンスタントに記録し、またスライダーは鋭く曲がり落ちる特級のボール。粗めの制球でも力でねじ伏せる投球はまさに「怪物」。フィールディングも機敏で、ついでに打撃も得意とあらゆる面で規格外のスケールを誇る。完投能力も抜群で、まともならヒットを打つことも難しいと思わせる。
入団から3年連続最多勝は圧巻の一言。だが01年は勝ち越すことができず、投球の「子供っぽさ」も指摘されるようになっていた。ここ一番の大事な試合を落とすことが多く、「意外に勝負弱い」という風評も立ち始めた。翌年は高めに広がった新ストライクゾーンを追い風としながら、今度は蓄積疲労からか肘の故障で戦線離脱。この辺りの松坂は実に運がない印象だった。
だがこれ以降を見る限り、この苦しみは無駄ではなかったと思われる。03年は16勝で復活。何より初めての最優秀防御率獲得で、若さにあふれる力押しから「勝てる」投手にステップアップした。特に無駄な四球が格段に減り、より完成度を増してきた印象。翌04年は五輪出場で10勝にとどまったが、2年連続の防御率トップで安定。05年は久々に負け数が増えてしまったが、防御率は自己ベストの2点台前半。自己最多の奪三振も記録し、そのスケールにはいささかの陰りも見られない。かつて多かった四球もグンと減り、ほとんど隙はなくなってきている。
昨年はまずWBCで優勝に大きく貢献しMVP獲得。シーズンでも過去最高の安定感でチームを支え続けた。防御率はオールスター後まで1点台を維持し、最終的にも自己ベスト。17勝も自己最多で、前年の杉内に続いて昨年は斉藤和に及ばずゴールデングラブ以外のタイトルには届かなかったが、完璧といっていい投球で君臨。優勝した日本ハム相手にはこの二年9試合でわずか9失点、8勝と圧倒的に抑えた。4年連続7度の二桁勝利のみならず、2年連続4度目の200奪三振、3年連続4度目のリーグ最多完投と、改めて恐ろしい投手という他はない。
その投球はついに完成品に達したといえるかもしれない。かねてからの噂通り、オフにポスティングでメジャーへの移籍が決定。制度の見直し論が出るほどの高額が動き、怪物に新たなステータスが加わることに。豊作と言われる同世代の中でも、やはり頭一つ抜け、目標とされる存在でもある。シーズン15勝、二桁完投200イニングの穴はチームにとってあまりに大きく、影響は投手陣全体に及びそうだがやむをえないところか。次のステージでの活躍が注目される。

ルイス・マルティネス

長身左腕、気ムラ型

左投左打
中日05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
05 中日 18 0 8 4 0 109 1/3 109 12 88 32 41 3.38
06 中日 23 0 6 9 0 112 1/3 126 9 75 44 53 4.25
通算 2年 41 0 14 13 0 221 2/3 235 21 163 76 94 3.82

2m近い長身から投げ下ろす、先発型左腕。26歳と非常に若い投手で、05年入団した3人の外国人左腕の筆頭的存在。
開幕一軍はならなかったものの、5月の終わりに一軍昇格。即先発でまずまずの結果を残し、次の登板で勝ち投手に。これ以降ローテーションに定着し、8勝とまずまずの成績を残した。のっそりとしたフォームで鈍重にも見えるが、ボールにかなりの角度があって打ちづらい。低めに集めるチェンジアップも効果的。スピードガン表示は平凡だが、球威はかなりのもので長打はなかなか狙いにくいタイプ。
難点はエンジンのかかりが遅いことで、乗ってくるまでに時間がかかる。立ち上がりは制球力も悪く、ここをどうしのぐかが課題。また気分屋的なところも垣間見られ、ちょっと計算は立てづらいタイプかもしれない。
昨年は3,4番手の先発として開幕からローテーション入り。良くもなく悪くもなくといった感じでシーズン6勝。ただ8月上旬を最後に勝ち星がなく、終盤は3連敗でシーズン終了。前年からするとちょっと物足りない結果に終わった。
崩れる時は序盤という傾向は変わらず、投げてみなければ分からない面はやはり強かった。終盤の不調で見切られたか、シーズン後自由契約に。決して悪い投手ではなかったが…。

ジャスティン・ミラー

テスト入団、乱調型

右投右打
ロッテ06途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
06 ロッテ 12 0 0 1 0 11 2/3 18 3 11 10 14 10.80
通算 1年

昨年途中入団の外国人投手。メジャー通算12勝、02年には9勝の実績を持つ右腕で、シーズン開幕後テストを経て入団。
5月の頭に入団発表され、末日に一軍昇格。その後リリーフで5試合に登板したが、結果は散々。5試合中3試合で失点し、特に広島戦では1点リードで登板して一死も取れずに逆転負け。中日戦で7失点すると、即二軍落ちとなった。
つんのめったようなというか躓いたような倒れ込むフォームが特徴。ただボールそのものは微妙なところ。長期二軍落ちのあと終盤に再昇格したが、失点こそ少ないものの毎回のように四球を出し、重要な場面はとても任せられない投球だった。シーズン後すぐに自由契約。戦力にはならずに終わった。

矢野 英司

剛球右腕、故障多発型

右投右打
横浜高〜法大 横浜99ドラフト2位〜03、近鉄04、楽天05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 近鉄 16 0 1 0 0 13 1/3 22 2 11 9 18 12.15
05 楽天 5 0 0 2 0 9 14 2 4 5 9 9.00
06 楽天 - - - - - - - - - - - -
通算 8年 58 0 4 7 1 105 1/3 125 14 77 46 73 6.24

六大学bPの評判を引っさげて入団した投手。150キロの速球が武器で、同年入団の巨人・上原と新人王を争うものと見られていた。しかし1年目はわずか2勝。大きく期待を裏切るとそれ以降は故障の連続ですっかり存在感が薄くなってしまった。
球速は前評判通りだったが、それ以外の点は未熟そのもの。制球力もなく切れもいまいちで、力不足をさらけ出した1年目だった。それだけに2年目にかかる期待は大きかったが、ヒジの故障で離脱。手術しても完治に至らず、翌年のキャンプでまたも離脱。とうとう3年一軍登板なしが続き、シーズン後トレード。
近鉄移籍の04年は力のある投手としてリリーフに期待され、久々に一軍マウンドに上がった。しかしすぐに捉まり、期待に応えることはできなかった。夏場に一軍再昇格で4年ぶりの勝ち星を挙げはしたが、内容は散々で復活とまではいかず。分配ドラフトで楽天入りした翌年も、最初の先発では好投したが次は2回持たずにKO。その後3度のリリーフ登板すべてに失点し、戦力にならずに終わった。肘の故障も再発。
スピード自体は落ちていないが、高めばかりに浮きがちでボールも見やすいため打ち込まれている。そして一番の問題は度重なる故障。これでだいぶチャンスを棒に振ってしまった。昨年はまた一軍登板なく、シーズン後戦力外に。期待の大きかった大器だが、プロではほとんど結果を残せなかった。今季は米独立リーグでプレーするという報。

矢野 諭

試行錯誤、微復活型

右投右打
帝京五高 日本ハム97ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 日本ハム - - - - - - - - - - - -
05 日本ハム 24 0 0 1 0 25 23 3 8 8 13 4.68
06 日本ハム - - - - - - - - - - - -
通算 10年 39 0 2 3 0 64 1/3 69 9 28 39 39 5.46

かつてのドラフト1位右腕。1年目に脚光を浴びるも長く低迷が続いていた。05年中継ぎでようやく復活。
甲子園には無縁だったが、四国屈指の逸材としてプロ入り。1年目、先発で初登板すると6回零封で初勝利を記録。高卒ながら5試合すべて先発で2勝を挙げ、将来のエース候補と大いに期待された。しかしそのオフに故障。ここから長い不振に陥る。
2年目以降は苦難の連続。投球フォームを何度も変更し、トルネード投法を試したかと思えばまた元に戻したりと、ひたすら試行錯誤が続いた。それでもなかなか結果が出せず、03,04年は一軍登板なし。当初の輝きを取り戻せず。
年数が経過し、そろそろ危ない立場となっていたが、05年中継ぎで久々に結果を残した。5月に一軍昇格すると、13試合を2失点とかなりの好投。その後捉まるようになり前半だけに終わったが、本当に久しぶりに状態を持ち直した。
土俵際ギリギリのところで踏み止まったが、しかし昨年はまた一軍登板なし。二軍ではかなり好投していたが、充実したリリーフ陣に食い込むことはできなかった。現役を諦めて、今季からは打撃投手に転身することに。低迷期があまりに長すぎたか。

山部 太

元・速球派、ワンポイント型

左投左打
八幡浜工高〜NTT四国 ヤクルト94ドラフト1位〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
04 ヤクルト 25 0 0 1 0 23 36 6 22 18 25 9.78
05 ヤクルト 40 0 0 2 0 21 25 1 21 14 15 6.43
06 ヤクルト 1 0 0 0 0 1/3 0 0 1 0 0 0.00
通算 13年 269 7 45 45 2 740 2/3 683 93 651 398 362 4.40

ワンポイント登板が主の軟投技巧派左腕。かつては石井一をもしのぐ速球派だったが、故障を契機にモデルチェンジ。
若い頃は荒削りだが威力十分の速球で、迫力ある投球が売りだった。1年目は1勝しかできず即戦力の期待には応えられなかったが、2年目の95年に大ブレイク。先発の一角を完全に占めて、チーム勝ち頭の16勝。優勝の大きな戦力となった。しかし翌年7勝と大きく後退。ここから長い低迷に陥った。
左投手は総じて右投手よりコントロールが悪い傾向があるが、この山部も御多分に漏れず。制球難矯正に手間取る間に故障で離脱。唯一の武器だったスピードまで失ってしまった。99年に6勝で持ち直したものの、その後また故障低迷。スピードが極端に落ちたため、サイドスローに転向して出直しを図った。
02年先発で復帰し5勝も、防御率5点台でいまいち。しかしリリーフに専念した03年は防御率1点台と、見違えるような結果を残した。変化球を効果的に使い、球の切れで高い奪三振率もマーク。体調が良かったのか球威もなかなかのもので、完全なイメージチェンジに成功した。これ以降は完全にワンポイントが主戦場に。
ただせっかく持ち直したものの、その後二年の成績がいまいち。一回の失点で跳ね上がる防御率は度外視しても被打率が悪い。05年は後半ガタッと崩れて成績が大幅悪化。通年で3割、オールスター以降3割6分と左殺しの役目も果たせなかった。もともと制球のいいほうでなく四球も多め。
球速は130キロ前後と、かつての速球派の面影はもう全くない。モデルチェンジを延命を果たしたが、慣れられてしまった印象。昨年はずっと二軍で過ごし、シーズン終了前に引退を表明。同じく引退の土橋とともに、本拠地最終戦を引退試合とした。速球派時代は毎年のようにトレード候補として紙上を賑わしてきたが、それも今は昔。今季は二軍コーチに就任。

コリー・リー

緊急補強、先発型

左投左右打
日本ハム05途中〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
05 日本ハム 9 0 3 4 0 55 1/3 51 6 29 19 21 3.42
06 日本ハム 11 0 5 3 0 63 58 5 41 36 24 3.43
通算 2年 20 0 8 7 0 118 1/3 109 11 70 55 45 3.42

故障解雇となったミラバルに代わって05年途中に獲得された外国人投手。地味ながらも貴重な先発左腕として働いた。
7月頭に来日し、13日に二軍戦登板、18日に一軍先発とまさに緊急補強といった趣だった。その初登板でいきなりボーク二つを記録しどうなるかと思われたが、8月に入ると実力発揮。かなり安定した投球を見せるようになり、この月だけで3勝を挙げた。それが勝ち星のすべてだったが、ローテーションに定着し、まずまず期待に応えた。
力ではなく癖球気味の球質で打たせて取るタイプ。目を引く部分は少なく凄みは感じないが、8月以降の登板はすべて中盤まで3失点以内と、ゲームをつくることに関しては非常に安定していた。3〜4番手の先発としてなかなか手堅い働き。
昨年は開幕からローテーション入りし、6月初めまでに5勝。計算通りの活躍を見せていたが、ここで左肩を痛めるアクシデント。そのまま後半は登板なく、シーズン終了を待たずに契約解除が決定してしまった。なかなかの戦力だったが、復帰に相当の時間がかかるとあってはやむをえないか。10勝前後の力は充分に持っていたが。

マイク・ロマノ

癖球、両刀型

右投右打
広島05〜06
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四死球 自責点 防御率
05 広島 27 0 5 4 1 73 1/3 65 12 48 37 37 4.54
06 広島 31 1 5 9 0 103 2/3 122 19 65 49 65 5.64
通算 2年 58 1 10 13 1 177 187 31 113 86 102 5.19

05年広島入りの外国人投手。マイナーでのキャリアが豊富なベテランで、入団時推定年俸1600万の格安助っ人。近年高い成功率を残しているシュールストロムスカウトの推薦。
持ち味はいわゆる「汚い回転」の速球と、チェンジアップやスライダーを駆使する投球。圧倒的なものは特にないが、したたかな攻めで打たせて取るのが身上。
当初の構想では先発要員だったが、オープン戦でのテストはいまいち。ローテーション入りは果たせなかったが、その代わりリリーフでは安定。四球こそ多めだが被打率が低く、なかなかの働きを見せた。後半戦に入ると今度は先発に廻って連勝。利便性の高さを見せた。
アメリカの自宅がハリケーン「カトリーヌ」によって全壊という被害に遭い、8月末に緊急帰国。戦列を離れたままシーズンを終えることになったが再契約。しかし2年目の昨年はすべての面で後退してしまった。開幕から乱調気味で、先発・リリーフいずれでも防御率5点台。後半の先発はさらに悪く、6試合で7被弾27失点。被打率は大幅に悪化し、不安定なままのシーズンだった。
完全に慣れられてしまったか。この内容では昨年限りはやむをえないところ。もう少しやれると思ったが…。


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