2007年退団選手 投手

相木 崇

横手投げ、軟投型

右投右打
熊本市商高〜福岡大 オリックス01ドラフト4位〜05、阪神06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 オリックス 12 0 0 1 0 25 33 0 11 5 1 1 12 4.32
06 阪神 13 0 0 0 0 12 2/3 12 1 8 4 2 0 1 0.71
07 阪神 4 0 0 0 0 3 5 0 0 1 0 1 2 6.00
通算 7年 90 2 5 13 1 199 244 21 104 71 14 5 125 5.65

サイドスローの軟投型投手。かつては先発でも投げていたが、近年はもっぱらリリーフ専門。非常に柔らかいフォームの投手で、特にその長い腕は惚れ惚れするほどのしなりを見せる。球威、変化球とも平凡で特徴には乏しいが、ボールが遅れて出てくるそのフォームで打者のタイミングをずらすのが持ち味。
オリックス時代の2年目前半までは二軍で経験を積み、02年後半に一軍登場。すると初先発からいきなり連続完封。想像以上に実戦的なピッチングを披露し、最下位に喘ぐチームの救世主と目された。ただ長続きはせず、徐々に慣れられてきたせいか打ち込まれ、結果的にはその2勝しか出来なかった。翌03年の低迷後はリリーフ中心での起用に。04年立ち上がりこそ良かったものの徐々に内容悪化。翌年もパッとせず、06年から阪神へ。
移籍したシーズンは開幕一軍入りを果たし、春先リリーフで健闘。従来より腕をさらに下げて13試合で自責点1(失点は3)となかなかの好結果を残した。しかしどうも体力面に難があるのか、なかなかシーズン通して一軍定着できない。結局この年も春先だけで、それ以降は二軍暮らし。昨年も開幕直後に4試合に投げたのみで、大半を二軍で過ごした。
目先をかわす変則タイプとして貴重な存在だが、常に一瞬だけ、それも春先だけというのが大きな障害となった。シーズン後戦力外通告を受け、今季は社会人でプレーすることに。

石井 貴

救援復活、力投型

右投右打
藤嶺藤沢高〜三菱重工横浜 西武94ドラフト1位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 西武 7 0 2 4 0 28 42 4 8 11 1 0 25 8.04
06 西武 46 0 4 1 0 38 2/3 39 4 22 8 0 2 15 3.49
07 西武 8 0 0 0 0 7 1/3 10 0 5 4 1 0 6 7.36
通算 14年 321 13 68 58 13 1136 1219 84 671 361 36 20 477 3.78

西武のベテラン右腕。かつて3度の二桁勝利を記録した実績充分の投手で、気合満点の投球スタイルが特徴。
圧倒的な速球を引っさげて、社会人からドラフト1位入団。しかし即戦力の期待とは裏腹に、1,2年目はぱっとしなかった。当時は「速いだけ」で、もう一つ未熟な印象が付きまとっていた。しかし3年目に抑えをこなしてから急成長。以降4年間で二桁勝利3回と、なかなかの安定感を発揮。主力投手にのし上がった。
急成長の要因は制球力の向上で、やはり投手は「制球が命」と改めて実感させた。かなり速い投手だが奪三振は少なく、球威で押し込むタイプ。ストレート以上にシュートに威力があり、140km以上で内角に切れ込む。
強力投手陣の一角として活躍していたが、01年不調で5勝止まり。翌年持ち直したものの、03年は故障で大不振に陥り、そこから不調続き。若い頃から完投の少ない投手で、序盤からかなり熱っぽく投げるためにスタミナが持たない。復活を期する04年も中盤で捉まるケースが非常に多く、わずか1勝に終わった。
不振続きで立場が怪しかったが、プレーオフ、日本シリーズで見違えるような大活躍。固さの残るチームを体で引っ張り、シリーズMVPを獲得した。これで復活といきたかったのだが、しかし翌年はまたもさっぱり。楽天戦の2勝だけ、しかも内1勝はアウト一つの救援勝利で、8点台の防御率と散々な結果に終わった。
06年こそ持ち直し、9年ぶりに40試合以上に登板。久々にシーズンで健在なところを見せたが、昨年は開幕から二軍暮らし。夏場の8月にようやく昇格したが、防御率7点台と揮わず。ついに昨年限りでの引退を決めることとなった。
熱投という言葉が似合う投手で、いい時は小気味よくぐいぐい押し込み、逆に悪い時は単調になって滅多打ちというパターンが非常に多かった。晩年は結果が伴わないシーズンが多かったが、それでも乗った時の投球は迫力満点だった。引退後は二軍投手コーチに就任が決定。

石堂 克利

長身右腕、急台頭急降下型

右投左打
愛工大名電高 ヤクルト99ドラフト1位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ヤクルト 5 0 1 2 0 21 1/3 26 6 13 8 0 0 16 6.75
06 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - -
07 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 26 0 11 10 0 123 2/3 156 27 76 41 6 5 85 6.19

03年終盤から急台頭を見せた先発型右腕。わずか5試合の登板だったがきっちりゲームをつくり4勝。半ば忘れられかけていた存在だったが、一気に注目度が上昇した。
99年のドラフト1位。入団時の評価は「投手でも野手でも」というもので、高校の先輩イチローになぞらえて野手としての期待も大きかった選手。それでも投手としてプロ生活を始めたが、02年まで全く一軍に登場せず。度重なる故障で実力を発揮する機会もなく、同期入団のドラフト2位・牧谷と同様に野手転向も現実味を帯びていた。
本当にファンの間でも忘れられた名前となっていたが、ようやく体調万全となって登場。決して速いわけではなく、圧倒的な能力の持ち主というわけではないが、長身から繰り出す大きなカーブを駆使し、角度ある投球で安定感を発揮。勢いは翌年序盤まで持続し、開幕から3連勝スタート。ローテーション定着で主力投手入りが大いに期待された。
しかしそこから急ブレーキ。慣れられてきたか滅多打ちを食うケースが目立ち始め、最終的には6勝も7点近い防御率。狂った歯車は戻らず、05年は3度の先発で2度序盤KO。早々に二軍落ちし、終盤まで一軍に戻れなかった。
鮮烈な活躍で浮上したは良かったが、あっという間に沈み込んでしまった。06年は一軍登板なく、フェニックスリーグでは一時野手に挑戦。それでも投手にこだわった昨年だったが一軍には上がれず、とうとう戦力外となってしまった。やはり投手としては限界だったろうか。打撃投手兼スコアラーに転身、一瞬の輝きで終わってしまった。

稲嶺 茂夫

リリーフ左腕、球威不足型

左投左打
東海大相模高〜東海大 横浜01ドラフト7位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 横浜 - - - - - - - - - - - - - -
06 横浜 2 0 0 0 0 2 1/3 4 0 1 1 0 0 0 0.00
07 横浜 - - - - - - - - - - - - - -
通算 7年 26 0 0 2 0 26 39 10 23 13 1 0 18 6.23

中堅の左腕投手。大学からプロ入りして6年が経過しているが、02年に19試合に投げた以外はほとんど二軍暮らし。大学時代から肘の故障を抱えていて、なかなか台頭できずにいる。
小柄な投手で、変化球でかわす技巧派タイプ。ただ特に癖があるわけでもなく、球威不足もあってなかなか抑え切れていない。2年目の02年に一軍定着しかけたが、防御率6点台と内容は伴わなかった。あまり特徴のない投手。
肘の不安もあって04,05年は二軍暮らし。06年終盤3年ぶりに一軍登板を果たした。しかし昨年はまた完全な二軍暮らし。そのファームでは30試合に投げて防御率1点台と健闘したが、やはり球威が一軍では辛いと見られたかお呼びはかからず。ついに戦力外を通告されてしまった。左腕といっても癖がなく、年齢の割に実績も乏しかった。今季からはスカウトに転身。

ランス・カーター

起用転々、平凡型

右投右打
オリックス07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 オリックス 34 0 3 5 6 86 1/3 102 14 50 22 3 1 43 4.48
通算 1年

オリックスの新外国人投手。当初はクローザーとして起用されていたが、シーズン途中から先発に転向。
もともと本国でもリリーフをやっていた投手で、03年にはメジャーで26セーブを挙げオールスターにも出場。実績からも当然不動の抑え役を期待された。しかし開幕戦での登板はいきなり被弾。その後6セーブは挙げたものの、リリーフ18試合中8試合で失点と内容は不安定そのもの。最後を任せるにはあまりに心もとない投球だった。結局序盤で抑えを外れることに。
メジャーで活躍していた当時の姿は知らないが、昨年の姿を見る限りスピードも変化球も平均点という印象。抑えとしては威圧感に乏しく、被安打も四球も多くては成績が安定しないのも道理だった。1点を争う終盤の短いイニングでは恐怖感が強かった。
構想は失敗に終わったが、しかし先発した広島戦で6回無失点の好投。これを契機に先発の一員として回転することに。しばらくはなかなかねちっこい投球を見せた。ただこれも長続きはせず、8月に入ると先発も外された。その後のリリーフ登板も4試合連続失点と精彩を欠き、終盤は二軍落ち。外国人としてはあまりに微妙な結果で、一年限りで解雇に。この内容では致し方なし。

鎌倉 健

大型サイド、半トルネード型

右投右打
川之江高 日本ハム03ドラフト3巡〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 日本ハム 19 0 7 5 0 92 107 15 40 22 2 1 38 3.72
06 日本ハム 7 0 0 2 0 10 2/3 7 2 4 4 1 2 5 4.22
07 日本ハム - - - - - - - - - - - - - -
通算 5年 28 0 7 7 0 105 2/3 121 17 47 27 5 3 46 3.92

05年急成長で先発入りしたサイドスロー右腕。189cmの長身を大きく捻って、半ばトルネード投法のようなフォームで投げ込む。140km台中盤を越えるスピードが持ち味。
高校時代、甲子園での活躍で一躍脚光を浴び、ドラフト3巡でプロ入り。1年目から一軍登板も経験した。ただまだまだ荒削りで、04年は二軍で1勝も出来ず。もう少し時間がかかるかと思われていた。
しかし3年目の05年急台頭。開幕早々に一軍入りすると、ミラバルの故障もあって先発登板。3度目の先発でプロ入り初勝利を記録し、そのままローテーション定着を果たした。故障で夏場に一時離脱したが、復帰後も先発に戻り3勝。トータルでチームでは金村に次ぐ7勝を挙げ、一気に飛躍のシーズンとなった。
カットボールやスライダーもあるが、魅力はなんといっても速球。空振りを取るというよりも詰まらせる球質で、無骨でも押し切ってしまうだけの威力がある。荒削りな割に四球は少なく、防御率も充分合格点。
順調な成長を見せていたが、06年故障。これが致命的なものになってしまった。06年はわずかな登板数に終わり、昨年も二軍暮らし。シーズン後には戦力外となってしまった。
昨年マウンドの映像を見たが、故障の影響でフォームは手投げのようなものに変わり、球速も大幅に落ち込みとかつての勢いは完全に消えてしまった。大きな可能性を感じさせただけにこういう形になってしまったのは非常に残念。特徴のある投手だったが…。

河本 育之

ベテランリリーフ、球威型

左投左打
田布施工高〜新日鉄光 ロッテ92ドラフト2位〜99、巨人00〜04途中、日本ハム04途中、楽天05〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 楽天 13 0 0 0 0 8 2/3 14 2 9 6 0 1 7 7.27
06 楽天 40 0 2 2 0 27 2/3 30 1 30 14 0 0 15 4.88
07 楽天 8 0 0 0 0 4 2/3 6 2 3 6 1 0 5 9.64
通算 16年 500 0 36 43 95 637 2/3 565 65 634 294 6 27 253 3.57

ベテランのリリーフ左腕。ルーキーイヤーに鮮烈なデビューを果たし、ロッテ時代は抑えとして活躍。
入団当初はとにかく速く、力強い投手だった。140km中盤の速球を武器にぐいぐい押しまくるスタイルで、1年目から抑えに定着。94年こそ不調だったものの、それ以外は安定してセーブを稼ぎ、97年にはリーグ最多の25セーブをマーク。ダブルストッパーを形成した成本とは対照的なスタイルで、成本が柔なら河本が剛といったイメージ。奪三振も多く、安定感も高かった。
長らくリリーフの軸となっていたが、しかし98年から不振。00年、前々から獲得を狙っていた巨人に移籍。当然ストッパーを期待されたが完全に期待を裏切った。
もともと、フォームからして力任せの垢抜けない投法で、細かい制球やテクニックとは無縁の投手。ロッテ時代からそれは変わっていないが、移籍後は投げてみなければわからない傾向が顕著になってきた。中継ぎとしても不満な成績に終始し、巨人ではもうひとつの結果に終わった。
04年途中日本ハムに移籍。久々に安定感を見せ、まだ死んではいないことを証明した。楽天移籍の05年は不振も、06年は9年ぶりに40試合に登板。ワンポイントではあるが、40目前の年齢にしてタフなところを見せた。引退も考えられた状況から持ち直し。
ただ昨年はわずか8試合の登板、それも内容が悪く、シーズンのほとんどを二軍で過ごすことに。さすがにこれでは厳しく、シーズン後戦力外通告。実績ある左腕とはいえ40歳の年齢では移籍は難しく、引退ということになった。通算500登板のうち、先発はわずか5回だけ。生涯リリーフで、思っていた以上に息の長い選手となった。

クリストファー・オーデル・ギッセル

長身右腕、先発型

右投右打
西武06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 西武 18 2 6 4 0 109 112 10 85 30 4 3 48 3.96
07 西武 14 0 1 9 0 74 1/3 92 8 56 24 5 1 43 5.21
通算 2年 32 2 7 13 0 183 1/3 204 18 141 54 9 4 91 4.47

06年来日の外国人投手。メジャーでの実績はほとんどないが、05年は3Aで8勝。頭数がなかなか揃わない先発陣のテコ入れとして入団。
同じく新入団のグラマンも含めて、チームに外国人投手が4人という状態で、開幕は二軍スタート。なかなか出番が回ってこなかったが、5月の後半にようやく昇格、即先発すると10奪三振の好投で初勝利を挙げ、そのままローテーション入りとなった。交流戦終了時点では2勝だったが、その後もまずまずの投球を見せてトータル6勝。及第点といえる働きを見せた。
これといった特徴はないが、長身からボールに切れがあり、奪三振も多め。制球もまずまずで、早い投球テンポで打ち取るのが持ち味。6イニングを2〜3失点でまとめたいタイプ。
さらに先発不足が懸念された昨年は開幕からローテーション入り。しかし初戦で勝ったのが最後の白星になってしまった。援護になかなか恵まれず、勝てないことからリズムを崩したか6月には内容悪化。再調整後の8月も調子は戻らず、最後は連続序盤KO。結局9連敗でシーズンを終え、オフには戦力外になってしまった。
5月終了時で4点台の防御率もいいほうではないが、6月以降は6点台と完全に調子を崩した。8つの負け越しは不運な面もあったが誤算であったことも確か。幸先は良かったのだが…。

フランクリン・グラセスキ

長身左腕、豪腕型

左投左右打
中日07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 中日 17 0 3 0 0 23 12 0 13 18 0 2 6 2.35
通算 1年

195cmの長身左腕。ドミニカ出身の投手で、力のあるボールが魅力。
昨年中日はリリーフ要員としてこのグラセスキを含めて3人(途中育成から昇格のクルスも含めれば4人)の外国人投手を獲得。その中でも唯一の左腕がこのグラセスキ。球威はなかなかのもので、被安打が非常に少なく、被弾もない。
難点は四死球が多いことで、この辺りが非常に荒っぽい。重要な場面を任せきるにはここが心もとなく、春先良く使われて4月までに3勝したが、徐々に登板機会が減っていった。さらに夏場に故障してしまい、シーズン終了を待たずに解雇に。大化けする要素も多分にありそうだったが。

倉野 信次

総合力、バランス型

右投右打
宇治山田高〜青学大 ダイエー/ソフトバンク97ドラフト3位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ソフトバンク 15 0 1 1 0 30 1/3 39 4 11 7 2 0 21 6.23
06 ソフトバンク 2 0 0 1 0 8 1/3 13 4 1 1 0 0 8 8.64
07 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - -
通算 11年 164 1 19 9 1 341 1/3 372 40 176 157 18 10 174 4.59

先発・リリーフ兼業の投手。谷間の先発やリリーフなどさまざまな役割をこなす。もう一つ適性が見えず中途半端な状態だったが、04年チームの危機をたびたび救う活躍を見せた。
ボール自体は平凡。そこそこの球速にそれなりの球種を持ち、切れも普通レベル。シュートとスライダーを軸に左右を揺さぶるコンビネーションピッチャーで、致命的な穴もない代わりに飛びぬけた部分もない。ただそういうタイプにしては制球力がいまいち。これがもう一つ飛躍できずにいた原因。使いやすい投手で一軍での登板機会もそれなりに多かったが、なかなか一皮むけなかった。
01年後半活躍し、7勝。ただし運に恵まれた感も強く、真の信頼を勝ち取るまでには至らなかった。その後2年低迷が続き、04年ダメならもうあとがないところにいた。しかしこの年は開幕からリリーフで好投を見せ、その後機会を得て先発すると想像以上の快投。谷間の先発と片付けられない活躍が続き、後半には堂々のローテーション入りで自己最多の9勝をマーク。防御率も非常に優秀で、04年のチームでは一番といえるほどの安定感を見せた。
しかし05年はさっぱり。前年決まっていた制球が甘く、せっかく築いた信用をまたふいにしてしまった。06年はさらに悪く、5月に2度登板しただけ。先発ではそこそこもリリーフで滅多打ちされ、ほぼフルシーズン二軍暮らしで終わった。また元の立場に逆戻り。
どうも真の制球力に遠く、成績が安定してこない。昨年はとうとう一軍登板のないまま終わり、そのまま戦力外となってしまった。トライアウト参加も声はかからず、引退で球団職員となることに。もう少し投球術が欲しかった。

黒木 知宏

元エース、故障低迷型

右投右打 最多勝(98)、最優秀勝率(98)
延岡学園高〜新王子製紙春日井 ロッテ95ドラフト2位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ロッテ 3 0 2 1 0 17 2/3 21 3 9 3 2 1 9 4.58
06 ロッテ 5 0 0 0 1 4 5 1 3 4 0 0 3 6.75
07 ロッテ 1 0 0 0 0 1 1/3 0 0 2 1 0 0 0 0.00
通算 13年 199 38 76 68 1 1208 2/3 1090 116 879 433 14 49 461 3.43

ジョニーの愛称で知られたかつてのロッテのエース。チームの支柱として活躍したが、再三の故障に長期間苦しむ。
即戦力投手として入団。1年目から5勝を挙げローテーション入りしたが、当初はそれほど目立った存在ではなかった。しかし3年目の97年にリーグトップの13完投で12勝を挙げ、一気に主力投手に。そしてその翌年最多勝、それ以上にチームの18連敗という特殊状況での奮闘で大いに名を売った。
オーソドックスなフォームから、低めにボールを集め球威で打ち取るタイプ。しかし集中力が半端ではない。私見だが、その原点はやはり、98年の連敗記録のマウンドにあるような気がする。これ以降、明らかにマウンドでの気迫が変わった。
立て続けにエースが去った投手陣を一身に支え、97年から5年連続二桁勝利。防御率も安定し、リーグを代表するエースともなった。特に01年は開幕から神がかりとも言えるほどの快進撃を見せたが、故障で途中リタイア。ここから苦難が始まった。
故障は当初考えられたよりはるかに深刻で、その後2年間登板なし。投げられない状態が続き、一時は復帰も危ぶまれるほどだった。04年待望の実戦復帰もまた故障。完全復活とまでは至らず。
05年は終盤に復帰して3試合先発。完投目前という投球も見せ2勝を挙げた。しかし06年も登板は一桁に終わり、逆に復活が遠のいた印象も強まった。昨年もわずか一度の登板に終わり、シーズン後ついに戦力外に。
本人は現役にこだわりを見せていたが、ロッテだからこそここまで待ってくれたのも事実。非情な見方だが、近年の実績・内容では戦力として厳しく、引退もやむをえないところだった。大きく輝いた投手だったが、後半は不遇に終わった。

黒田 博樹

剛球大器、大黒柱型

右投右打 最多勝(05)、ベストナイン(05)、Gグラブ(05)、最優秀防御率(06)
上宮高〜専大 広島97ドラフト2位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 広島 29 11 15 12 0 212 2/3 183 17 165 42 7 7 75 3.17
06 広島 26 7 13 6 1 189 1/3 169 12 144 21 7 5 39 1.85
07 広島 26 7 12 8 0 179 2/3 176 20 123 42 5 1 71 3.56
通算 11年 271 74 103 89 1 1700 1/3 1706 182 1257 445 42 43 697 3.69

プロを代表する先発右腕の一人。大学時代に神宮のスピード記録を塗り替えた剛速球の持ち主で、コンスタントに150kmを記録する速球派。
同期の澤崎以上に素質を評価されたルーキーイヤーは6勝。しかし翌年は1勝と大きく期待を裏切る。速球に自信がある分力任せの投球が目立ち、ボールがいかないときはどうしようもないという、幼稚で荒削りな投球内容だった。こういうタイプは過去にも多く、大概はモノにならずに終わってしまうのがオチだったのだが、4年目に至って脱皮を果たした。
調子の悪い時でもそれなりの投球ができるようになった00年に9勝を挙げると、01年は開幕から好調を維持し、リーグトップの13完投を含む12勝。メンタルコントロールを覚えたことで、調子を維持するコツも覚えたようだ。なかなか打線の援護を得られない苦しい内容にも腐らず、これ以降投手陣の柱として一本立ちした。
もともとボールは一級品の投手。狭い球場、不安な守備陣に足を引っ張られなかなか安定した勝ち星を得られないが、能力の高さはリーグでもトップクラスの存在。速さだけではなく球種も多彩で、完投能力の高さは現役随一。01年から3年連続二桁勝利で不動のエースとなった。
03,04年とどうも春先不調で、04年は最後まで調子が上がらず7勝止まり。ちょっと歯がゆいシーズンが続いたが、05年は序盤から好調。自己新の15勝で下柳と並ぶ最多勝、初のタイトルに輝いた。06年はさらに大きな存在感を見せ、特に交流戦以降は8連勝を記録。終盤肘を痛めて戦列を離れたが、リーグでは斎藤雅樹以来17年ぶりとなる、1点台の圧倒的な防御率でタイトル獲得。25度の先発で5回以前に降板したのは一度だけ、中日・横浜相手には6試合に投げて0点台という凄まじい安定感を見せた。
FA件取得で去就が注目されたが昨年も残留。さすがに前年程のインパクトではないが、3年連続の二桁勝利と結果を残した。ただ前半は順調だったものの、オールスター以降は3勝3敗で防御率4点台とやや失速。後半は黒田にしては精彩を欠いた印象だった。
被弾も四球も倍増してしまったのは気がかりだが、「勝ちを計算できる投手」であることは変わりない。オフに今度はFA宣言し、ドジャースと契約。今季はメジャーでプレーすることに。4番と同時にエース流出は、チームにとっては大きな痛手。

酒井 順也 (純也)

速球派、未熟型

右投右打
矢上高 巨人99ドラフト5位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 巨人 9 0 0 1 0 13 23 6 7 3 0 1 16 11.08
06 巨人 7 0 0 0 0 6 1/3 10 0 0 4 0 2 2 2.84
07 巨人 - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 38 0 1 4 0 55 73 11 32 27 3 6 41 6.71

一軍定着を期待されながら、なかなかそれを果たせずにいる右腕。毎年のように名前を挙げられていたが、伸び悩み続けた。
高校からドラフト下位で入団。3年目には二軍の規定投球回に達し、一軍登板も果たした。翌年プロ初勝利とここまでは順調だったが、そこから足踏み。04年は二軍で6勝も一軍登板なく、05年は終盤3年ぶりの先発も早々にKO。
一軍での成績を見ても分かるように、制球が依然として未熟。リリーフの弱いチームで台頭のチャンスは多いのだが、被弾も非常に多くなかなか二軍を卒業できない。ボールもばらつきがあって、期待を裏切り続けている。
06年は二軍で最多セーブとなるも、一軍ではまたもわずかな登板に終わった。オフにサイドスローにも挑戦したが、昨年は登板なくとうとう戦力外に。ジャンプアップすべき03年に躓いたのがあまりに痛かった。今季は社会人でプレーすることに。

佐久本 昌広

切れ勝負、リリーフ型

左投左打
久留米工大付高〜大和銀行 ダイエー96ドラフト4位〜02、阪神03〜05、横浜06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 阪神 1 0 0 0 0 1 4 0 0 1 0 0 4 36.00
06 横浜 21 0 0 1 0 16 1/3 16 2 14 8 2 1 7 3.86
07 横浜 - - - - - - - - - - - - - -
通算 12年 183 0 19 24 4 335 400 38 222 150 13 15 174 4.67

ダイエー時代、勝利の方程式に入り損ねたリリーフ型左腕。社会人からプロ入りし、即戦力として活躍したが、先発挑戦に失敗。これ以降長期の不振に陥った。
1年目から中継ぎ左腕として24試合に登板。2年目には大きな信頼を掴み、49試合に投げて8勝3セーブの活躍を見せた。しかし翌年、チーム事情から先発に廻ったところから、ボタンの掛け違えが始まった。その年こそ6勝したものの、翌年は3勝、00年以降は1勝とまさにジリ貧状態。
ボール自体は全て平凡。切れのみで勝負するタイプで、それも短いイニングでこそ生きる球質だった。決め球を持たないため打ち取るまでに多くの球数を要し、2-3のカウントが多いフルハウス投手。当然テンポも悪く、スタミナにも欠けるため5回前後でもうアップアップになってしまう。この先発転向は明らかに失敗だった。そこそこあった球威も発揮できず、どんどん尻すぼみ。
02年わずか7試合の登板に終わると阪神に移籍。しかしこれも復活の契機とはならなかった。凋落傾向に歯止めはかからず、敗戦処理も失格の内容。05年はサイドスローに転向も、唯一の登板で滅多打ち。
戦力外となったが、リリーフ左腕不足の横浜にテストを経て入団。06年は主にワンポイントとして、ダイエー時代以来実に5年ぶりに20試合以上の登板を果たした。左打者は2割そこそこに抑え、まずは及第点と言える内容。久々に持ち直したシーズンとなった。
とはいえ最後の登板は6月の頭で、後半は二軍暮らし。昨年はフルシーズン二軍で過ごし、シーズン後戦力外に。通算登板の8割近くが前半6年でのもので、プロ生活後半は不振のまま終わってしまった。現役を退き横浜の打撃投手に。

佐々岡 真司

ベテラン大黒柱、万能鉄腕型

右投右打 MVP(91)、最優秀防御率(91)、最多勝(91)、ベストナイン(91)、沢村賞(91)
浜田商高〜NTT中国 広島90ドラフト1位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 広島 30 0 1 6 0 54 75 14 37 19 0 2 38 6.33
06 広島 27 0 8 8 0 149 2/3 155 24 82 29 5 2 68 4.09
07 広島 12 0 2 7 0 45 2/3 75 9 21 5 4 0 33 6.50
通算 18年 570 66 138 153 106 2344 1/3 2340 259 1806 595 66 41 933 3.58

通算100勝100セーブを達成したベテラン右腕。入団1年目から90年代を中心に長期に渡ってチームを支えてきた投手の大黒柱。大豊作「90年ドラフト」組の一人。
ルーキーイヤーは先発にリリーフにフル回転し、13勝17セーブと新人王でもおかしくない成績。いきなり主力投手となり、先発に専念した2年目はさらに大飛躍。投手タイトルを総なめにしてチームを優勝に導き、MVPに輝いた。ただしこの時期からチームの投手陣は下り坂に入り、佐々岡にかかる負担も非常に大きくなってしまった。これ以降はチーム事情から役割が転々とし、たびたび先発・抑えを兼業するなどかなりの酷使。入団時からどこでもいけるオールマイティさを見せていたことが、その後の運命を決したようにも思える。「他に信頼できる投手がいない」という事情から非常に便利に使われた。
30歳を越えベテランの域に入っても状況は相変わらず。99年に先発復帰し15勝、ノーヒットノーランも記録するなど大活躍。さらに翌年も10勝したが、01年はまたもシーズン途中から抑えに。小山田が安定した02年は先発に復帰と、とにかくめまぐるしい。シーズン中の配置転換は一度や二度ではない。しかしそれをきっちりとこなしてしまうのだから、途方もない万能ぶりとも言える。
若い頃は球界でもトップクラスの球速を誇り、力勝負も出来る投手だった。さすがに今は球威も大きく落ちたが、経験に裏打ちされた多彩な球種と投球術で活躍。これだけ無茶な起用をされながら、ここまで大きな故障は一つもないというのは凄い。
さしもの鉄腕もここ数年は内容が悪く、05年は開幕から5連敗。年齢的にもいよいよ引退が近いと思わせた。しかし06年は先発で「復活」。開幕からローテーションに名を連ね、6月時点で6勝を挙げる活躍。まだまだ死んでいないことを見せ付けた。4年ぶりに規定投球回に到達し最終的にシーズン8勝をマーク。
ただこれが最後の輝きだったか、昨年は開幕直後こそ良かったものの5月に連続序盤KO。その後も内容は上向かず5連敗を喫し、5月以降の防御率は9点オーバー。さすがに限界ということで、シーズン終了前に引退を表明した。
最後は完全に燃え尽きたという印象。同期に比べてやや地味な存在だったが、18年間タフに投げ続けた功績は非常に大きい。間違いなく球史に残る大投手の一人。

三東 洋

速球左腕、先発台頭型

左投左打
益田東高〜駒大〜ヤマハ 阪神03ドラフト6巡〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 阪神 - - - - - - - - - - - - - -
06 阪神 - - - - - - - - - - - - - -
07 阪神 - - - - - - - - - - - - - -
通算 5年 27 0 5 0 0 50 2/3 45 4 48 30 0 4 26 4.62

03年チームに大量入団した左腕投手の一人。社会人出身で、結局は下位指名だったが一時は自由枠獲得も噂された存在。
即戦力として期待されたが、1年目はほぼ二軍暮らし。わずか5試合の登板に終わり、期待されたリリーフでの活躍はならなかった。球威は充分なものの制球が悪く、2年目の04年も前半は自滅の連続。三振か四球かの極端な内容だったが、制球が少し安定した夏以降急変した。
もともとボールの威力は一級品で、被安打自体は少なめ。少しまとまりが出てきたことで、逆に荒れ球として効果を出すようになってきた。特に終盤、先発に廻ってからは一回り大きくなった印象。四球も格段に減り、巧みな牽制術も再三見せた。勝ち運にも乗って負けなしの5勝をマーク。
制球難を思えば、初めから窮屈なリリーフは向いていなかったのだろう。先発で大きな可能性を見せたが、その矢先に肩の故障でリタイア。想像以上の重傷で、これ以降丸3年間登板なく、ついに昨年限りで戦力外、引退を表明。
これからというところでの故障はあまりに痛かった。ローテーション入りも夢ではなかっただけに非常に残念。負け知らずでグラウンドを去ることに。

エステバン・ジャン

長身速球派、ボーク多発型

右投右打
阪神07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 阪神 21 0 6 5 0 104 1/3 110 9 52 31 8 4 54 4.66
通算 1年

ドミニカ出身の外国人投手。メジャーで通算33勝51セーブと先発でもリリーフでも実績豊富な選手で、井川の抜けた先発陣の穴埋めとして獲得。
触れ込みの158という数字には届かないものの、150km前後のスピードを持つ速球派。実績からも能力からも期待は大きく開幕ローテーション入り。初登板で早速初勝利を挙げたものの春先は内容が悪く、5月には3連続KOなど打ち込まれる場面も。気温が上がるとともに調子を上げ、7月には3連勝を記録。一時は7点を越えていた防御率も4点台まで良化させた。ただ8月最後の登板で2回持たずに大炎上KO。これが結局シーズン最後の登板となってしまった。
ジャンの特徴で際立っているのがとんでもないボークの多さ。オールスター時点で7を数え、その後も加算してシーズン12。これは03年のブロックを上回るプロ野球記録となった。通算記録で24というのが最多の数字なのだから、いかに破格の多さだったかわかる。
夏場の状態は非常に良く、勝てなかった8月も最後の登板までは常に2失点と安定していた。ただ推定年俸2億以上の高額選手で、そのコストには見合わないと判断されたか昨年限りで退団に。春先から夏場の投球ができていればまた評価も違ったかも知れない。

ジェーソン・ジョンソン

大物外国人、誤算続き型

右投右打
西武07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 西武 7 0 1 4 0 41 1/3 44 4 19 10 2 3 20 4.35
通算 1年

西武の外国人投手。メジャー通算55勝、二度の二桁勝利の実績を持つ右腕で、エース松坂の抜けた先発陣の軸候補として獲得。推定年俸3億5千万の大型補強。
糖尿病を患っており、腰にインスリン投与器具をつけてプレーしている。先発要員として非常に期待は大きく開幕2戦目に登板。しかしその直後に肘を痛め、いきなり長期の戦線離脱となってしまった。ようやく6月中旬に復帰し、7月に入って来日初勝利。しかしその後連敗、加えて肘の違和感を訴え離脱。結局シーズン1勝と戦力にならず、一年限りで解雇に。
アクシデントゆえやむをえない面もあったが、投球内容も高年俸に見合うかというときついものがあり、これはあまりに大きな見込み違いだった。エース級の働きを求められたのだが。

ダン・セラフィニ

馬力型左腕、荒れ球型

左投右打
ロッテ04〜05、オリックス06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ロッテ 27 2 11 4 0 151 1/3 137 12 117 56 5 5 49 2.91
06 オリックス 7 0 0 4 0 21 2/3 34 7 11 11 4 3 24 9.97
07 オリックス 9 0 2 5 0 45 57 3 23 20 1 3 27 5.40
通算 4年 74 2 18 17 0 298 2/3 308 33 217 122 14 13 137 4.13

ドスンといったイメージの威力あるボールが持ち味の外国人左腕。ロッテ入団当初はリリーフで起用されていたが、途中から先発に。
もともと打線の弱いと言われていたチームに外国人野手が3人。さらに投手ではミンチーという大きな存在があって、扱いはリザーブ要員といったもの。だがチーム全体に計算できる左腕が少ないといった事情もあって、徐々に出番が増えていった。
当初は酷いノーコンで、リリーフで出てきてもまともな投球は出来なかった。しかしミンチーが離脱し、先発で起用されるようになって雰囲気が変わった。球威は一級品で、まともに決まれば容易に打てる投手ではない。時々顔を出す制球難が悩みの種だったが、ダイエー戦3勝の相性も買われて、貴重な先発左腕として残留。
2年目の05年は安定感が大きく向上。制球が荒れ球レベルに落ち着いたことで、非常に攻略の難しい投手となった。特にオールスター以降6勝を記録し、二桁11勝をマーク。プレーオフ・日本シリーズでも好投を見せ、日本一への大きな戦力となった。
典型的な荒れ球投手で、とんでもないボール球が続いたかと思えば突然絶妙のコースに決まったりもする。的が絞りづらい上に、速球は140km台後半を計時しかなりの威力。牽制の鋭さも特徴の一つで、走者を出しても粘り強さを見せる。
条件が折り合わず自由契約に。二桁左腕となれば当然引く手数多で、先発補強を目指すオリックス入りとなった。しかし移籍以降はまるで活躍できず。06年は4試合中3度KOと散々なスタートを切り、4月末からは故障で長期離脱。やっと復帰したと思ったらまた臍ヘルニアの手術で離脱。1勝もできないまま終わってしまった。昨年は序盤に2勝といい雰囲気に見えたが、すぐに躓いてその後4連敗。内容もどんどん悪化し、5月中旬に故障で登録抹消。そのまま7月には早々と解雇されてしまった。
先発の軸という期待もあっただけに、2年で2勝9敗では大誤算という他ない。05年オフに足首を痛めた影響からか、これ以降滅多打ちにあうことが多くなった。結局良かったのは05年だけという結果に終わった。

ダーウィン・クビアン

リリーフ右腕、球威型

右投右打
阪神05〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 阪神 4 0 0 1 0 10 2/3 11 4 12 3 0 0 7 5.91
06 阪神 49 0 1 2 2 73 2/3 58 6 55 29 4 7 31 3.79
07 阪神 35 0 2 2 0 61 2/3 60 3 34 20 1 4 23 3.36
通算 3年 88 0 3 5 2 146 129 13 101 52 5 11 61 3.76

150kmの速球とチェンジアップを武器とする外国人投手。06年主にリリーフで急台頭。登録名は「ダーウィン」。
04年の秋季キャンプでテストを受け、合格を勝ち取っての入団。長いリーチから勢いのあるボールを放り、バネの強さは相当のもの。1年目は一軍登板はほとんどなかったが、二軍では9勝を挙げてリーグ最多勝に輝いた。
2年目は春先から好調。ウィリアムスの故障出遅れもあって開幕一軍入りを果たすと、リリーフの一角に食い込む活躍を見せた。当初は負け試合中心の登板だったが、8試合連続無失点、15試合19イニング自責点0という快投で信頼急上昇。特に5月の活躍は目を見張るものがあった。一気に主力投手となり、ウィリアムス復帰後も一軍残留。7月以降は完全に一軍定着となった。
ボールの威力は一球品で、被打率が非常に低い。やや上ずることも多いが、球威で押し切ることもしばしば。ただ一時先発に廻った7月以降は疲れが出たかだいぶ落ち込んだ。特に8月は失点がかさみ、最後はやや息切れした形となった。
粗っぽさは多分にある投手で、四死球と暴投は多め。昨年は途中昇格で35試合に登板。ムラは強かったが、7月辺りはかなりの力投を見せた。終盤もまずまずで決して悪くはなかったが、2度の先発はいずれも失敗。手薄な先発陣の穴埋めにはならなかった。リリーフは充実しているということからか再契約はせず。制球難が顔を出さなければ使いでのある投手で、他球団移籍もありだと思ったが…。

高津 臣吾

経験豊富、大ストッパー型

右投右打 最優秀救援(94,99,01,03)
広島工高〜亜大 ヤクルト91ドラフト3位〜03、米メジャー(ホワイトソックス04〜05、メッツ05)、ヤクルト06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ホワイトソックス 31 0 1 2 8 28 2/3 30 9 32 16 0 1 19 5.97
メッツ 9 0 1 0 0 7 2/3 11 2 6 3 0 0 2 2.35
メジャー通算 99 0 8 6 27 98 2/3 81 17 88 40 2 2 37 3.38
06 ヤクルト 48 0 1 2 13 42 2/3 33 3 31 15 1 1 13 2.74
07 ヤクルト 25 0 0 5 13 23 1/3 32 4 15 7 0 0 16 6.17
日本通算 15年 598 4 36 46 286 761 1/3 714 81 591 255 27 11 271 3.20

通算セーブ日本一を誇るストッパー。これほどの長い期間抑えで活躍した投手は過去に例がなく、名実ともに歴史に残る大投手。メジャーに渡ったあと、06年日本に復帰。
入団1,2年目は先発をすることもあったが、成績はいまいち。しかし3年目にストッパーに抜擢されると、いきなり20セーブ。その年以降、先発転向に失敗し不調だった97,98年以外常に守護神として君臨した。20セーブ以上は過去8回を数え、4度のタイトル獲得。成績の安定感は図抜けている。ヤクルトを強豪チームに変えたのは、もちろん古田の功績が大きいが、この高津の存在も大きい。
なんといっても武器はシンカー。サイドにしては威力のある直球とこのシンカーで、若い頃は力でねじ伏せてきた。しかしそのシンカーに陰りが見え、球威もやや落ちたのが不調だった頃。並みの投手ならここまでなのだが、ここで力に頼らない投球に転換できたのが凄い。復活した99年以降の3年間は以前を上回る成績。豊富な経験と高い安定感で他の追随を許さず。
しかし01年以降は3年連続30セーブ以上を記録も、かつての安定感は影を潜めていた。02年の防御率3.89はストッパー定着後ワースト2位。03年も被安打が増え、かつての絶対感とは程遠い内容。年齢的にも衰えが見えていたが、ここでFAでのメジャー挑戦。渡米1年目は19セーブを挙げ、改めて力のあるところを見せ付けた。環境が変わって若返ったような内容だった。
好調は2年続かず、05年は内容大幅悪化。06年は古巣ヤクルトの春季キャンプに参加し、3年ぶり復帰となった。渡米前から衰えが見え、年齢からも不安のほうが大きかったが、予想を上回る働きを見せた。五十嵐が低迷、石井弘が故障で穴の開いたリリーフ陣を、同じくアメリカ帰りの木田とともに支える活躍。8月下旬からは完全にクローザーとなり、ここから10セーブ。通算でもチームトップの13セーブを挙げ、まだまだ健在であるところを見せ付けた。
ただ昨年は大きく落ち込んだ。春先こそ良かったものの5月以降は乱調で、故障などもあり夏場には二軍落ちも。6月前半から4ヶ月近くセーブはなく、最終盤に2セーブ追加も防御率は6点台と自己ワースト。衰えは隠せずシーズン後戦力外に。
現役続行を希望しているが、現在のところ去就は未定。90年代のヤクルト黄金期を支えた古田と同時にチームを去ることに。渡米後はカーブに重きを置いた投球になったが、さすがに球威が苦しく引退がかなり近い状態にある。日米通算313セーブは佐々木に次ぎ、日本での286セーブは歴代1位。間違いなく時代を代表した大投手もいよいよグラウンドを去るか。

立石 尚行

サイド本格派、起伏型

右投右打
市船橋高〜NTT関東 日本ハム99ドラフト3位〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 日本ハム 28 0 5 1 0 72 2/3 77 7 47 18 3 3 18 2.23
06 日本ハム 11 0 3 2 0 49 2/3 55 3 26 15 0 0 15 2.72
07 日本ハム - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 181 1 25 19 1 481 507 62 328 180 18 9 222 4.15

サイドスローだが技巧派ではなく、真っ直ぐを主体とした力のピッチングをする投手。所属していた社会人チームの統廃合で、29歳でのプロ入り。そのためプロのキャリアは10年に満たないが、すでに三十代後半のベテラン投手。
1年目はやや空回りした印象で1勝止まり。しかし00年はローテーションに定着、9勝をマークし面目を躍如。能力の高さを印象付けた。ただ翌年は3勝と期待を裏切り、02年はわずか8試合登板。やや足踏みが続いていた。
左打者でも臆せず懐を攻め、乗っているときにはグイグイと速球で押してくる。だがこの不調期間は少しおとなしくなっていた。慎重になりすぎてかえって良さを殺し、小さくなってしまっていた印象。
持ち直したのは03年。先発から完全にリリーフに専念し40試合に登板。内容はいまひとつも持ち味の力強さを取り戻した。04年は登板数こそ減ったものの、内容は格段に上昇。一時は抜群の安定感を見せた。遠ざかっていた先発も久々に経験し、3年ぶりの先発勝利も飾った。05年は後半ローテーションに入るなど9試合に先発し、5勝を挙げた。
握力が落ちてしまう関係で、先発ではほぼ5回限定。その代わり任されたイニングはきっちり抑えてくれる。以前に比べ四死球も随分減り、安心感の高い投球を続けた。故障で大きく出遅れ登板数の減った06年も11試合すべて先発登板。登板した試合チームは8勝3敗と大きく勝ち越した。
地味でも貴重な存在として活躍を続けていたが、昨年は思わぬアクシデント。キャンプ前に顔面神経痛を患い、そのまま一度も一軍に上がれずに終わってしまった。一軍登板なしはプロ初。
年齢的な問題もありシーズン後戦力外に。近年は非常に安定感があっただけに残念。現役を引退し今後は日本ハムの球団職員に。

田中 充

救援左腕、ショートリリーフ型

左投左打
浦和学院高〜東洋大〜NTT関東〜NTT東日本 ロッテ02ドラフト4巡〜04途中、ヤクルト04途中〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ヤクルト 3 0 0 0 0 2 2/3 7 3 0 0 0 0 4 13.50
06 ヤクルト 10 0 0 1 0 4 9 0 2 4 0 1 8 18.00
07 ヤクルト 4 0 0 0 0 2 2 0 3 3 2 0 1 4.50
通算 6年 79 0 2 1 0 62 2/3 78 10 32 18 7 2 47 6.75

切れの良さを身上に打たせて取る左腕投手。意外と左投手には少ない、フォークを持ち球にしている。社会人から即戦力として入団もあまり結果を残せていなかったが、04年途中ヤクルトへの移籍でチャンスを掴んだ。
ロッテも左腕のリリーフは少ないチームで、チャンスは確実にあったはずなのだがものにはできず。やや逃げ腰になるところがあり、あまりパッとしない存在だった。しかし04年移籍後は見違える活躍。登板機会は一気に増え、本人にとって大きな転機となった。
ロッテ時代に比べると四死球がグッと減った。ボールの切れも増した印象で、移籍直後は非常に安定。一時はリリーフ左腕の中心に立った。ただその勢いを持続できなかったのはもったいない。夏場には捉まる場面が増え、結果5点台の防御率で終了。05年以降は出番がガタッと減り、内容も散々。ほとんど二軍暮らしに。
なかなか「これ」という特徴がないのが辛いところ。昨年は夏場の4試合登板に終わり、シーズン後戦力外通告。リリーフ左腕が高井しかいない状況でも一軍に食い込めなかったのではやむをえないところ。移籍直後の活躍が唯一の輝きだったか。

田之上 慶三郎

晩成苦労人、総合力型

右投右打 最優秀勝率(01)
指宿商高 ダイエー/ソフトバンク90ドラフト外〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ソフトバンク 9 0 3 3 0 48 51 6 27 13 0 1 22 4.13
06 ソフトバンク 5 0 1 3 0 22 2/3 35 2 9 5 1 0 13 5.16
07 ソフトバンク 4 0 1 2 0 18 24 5 11 7 2 0 11 5.50
通算 18年 153 9 39 42 0 657 700 63 366 189 12 15 307 4.21

ドラフト外入団で高校時代も全くの無名から主力に這い上がった遅咲きの投手。下積みを経て一時はエース格に。
最初の6年は二軍暮らし。入団から3年間のチームは田淵監督時代に当たり、選手の半数以上が入れ替わった激動の時代。ここを奇跡的に生き延び、7年目に一軍初登板。翌年は一軍定着でプロ初を含む4勝を挙げた。それ以降01年までは谷間の先発が多く、あくまで地味な存在だった。しかし01年は開幕からローテーションに名を連ね大飛躍。13勝7敗の堂々たる成績でローテーションの中心となり、見事最高勝率のタイトル獲得。それまでの通算勝利が14。日本シリーズでの好投があったとはいえ、ここまでの活躍は誰も予想しなかったろう。
非常にオーソドックスなフォームで、スピードは平凡なものの、緩いカーブとの緩急をうまく使う。このカーブと、そしてフォークが持ち球。球種も多く、コーナーを突いて打たせて取るタイプ。なぜかオリックス戦に強く、6勝と不本意に終わった02年も内5勝がオリックス戦。
ただ03年以降は故障も多く、全く結果を残せなくなった。04年は9年ぶりに一軍登板なし。05年谷間の先発要員として3勝を挙げ復活の気配を見せたが、06年は初戦勝利のあと3連敗。そして昨年も4月末に一年ぶりの先発勝利の後連敗。その後は一軍登板なく、シーズン後戦力外通告。ついに現役引退となった。
低めに集まっている時は味のある投球を見せるが、近年は球威が落ち、ごまかしきれなくなってきた。スタミナも落ち込み、さすがにここまでという印象。しかし自身も語った通りほぼテスト生に近い存在から18年もプレーし主力にまでなったのは立派。今季からは二軍コンディショニングコーチ補佐に就任、後進の指導に当たる。

デニー友利 (友利 結、デニー)

サイド豪腕、晩成型

右投右打
興南高 大洋・横浜87ドラフト1位〜96、西武97〜02、横浜03〜04、米マイナー05、中日06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 米・レッドソックス2A
06 中日 31 0 0 1 0 20 1/3 25 2 11 4 4 0 7 3.10
07 中日 8 0 0 0 0 5 2/3 3 1 5 0 0 0 1 1.59
日本通算 20年 399 0 18 29 30 441 2/3 427 51 420 128 36 12 191 3.89

サイドスローからの力ある速球を武器とするリリーフ型投手。かつてはノーコンの荒削りで初勝利までに9年を要したほどだが、移籍をきっかけに一本立ちした晩成選手。
興南高校からドラフト1位で大洋に入団。類稀な剛球の持ち主で、期待も大きかったがいかんせんコントロールがメチャクチャ。最初の5年間は鳴かず飛ばずで、制球難を克服するためにサイドスローに転向。それでも剛球は健在だったが、今度はストライクが投げられる代わりに甘い球ばかり投げてしまう状態。当時は「本塁打配球王」の称号をつけられてしまうほどで、結局横浜時代は素質をさっぱり活かせないまま終わった。
トレードがプラスに働いた好例だろう。西武移籍後は開き直って伸び伸び投げ、リリーフに獅子奮迅。長身と長い腕を利した癖のある速球でいきなり一本立ち。制球さえ安定すればと言われていたが、本当にそれだけで生まれ変わった。しなる腕から繰り出される140km台中盤の速球は威力充分。右打者にはかなりの脅威となった。
02年故障で3試合登板に終わり、03年は古巣横浜へ7年ぶりに復帰。チームのリリーフ陣が壊滅状態に陥る中、まさに孤軍奮闘の働きを見せた。さすがに抑えではポカが多すぎて信頼が置けなかったが、他に頼れる投手がいるでもなく、非常に重用されるシーズンとなった。佐々木復帰であまり目立たなかった04年も前半は投げまくり。しかし疲労からか徐々に内容が悪化し、後半は二軍暮らしで終わった。
不本意な成績に終わり、年齢的な不安も再度表面化してきたが、シーズン後なんとメジャー挑戦を希望して退団。しかしさすがに厳しく、メジャーのマウンドには立てなかった。一年を経て06年は中日に入団。31試合に登板を果たした。
20年目となる昨年は開幕から6試合連続無失点の好スタートも故障。その後は活躍できず、シーズン後に戦力外に。現役続行の意志を見せてもいたがついに引退となった。本格化に時間はかかったが、リリーバーとして息の長い活躍を見せた。米レッドソックスの国際担当顧問に就任。

徳元 敏

サイドスロー、馬力型

右投左打
沖縄水産高〜東農大生産学部 オリックス99年ドラフト5位〜04、楽天05〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 楽天 8 0 0 0 0 8 2/3 11 0 1 12 2 0 8 8.31
06 楽天 28 0 3 1 0 26 1/3 16 0 10 11 1 0 4 1.37
07 楽天 2 0 0 0 0 2/3 1 1 0 1 0 0 1 13.50
通算 9年 148 1 6 15 1 262 2/3 293 35 128 112 25 6 144 4.93

球威で押す横手投げ右腕。空振りを奪うのではなく、力で打者を押さえ込むタイプ。どちらかといえば勢い重視か。
あまり名の通った選手ではなかったが、1年目から中継ぎで一軍登場、35試合に登板した。ただあまりきめ細かい投手ではなく、内容はもう一つ。その後2年は低迷。しかし02年、プロ入り初勝利をマークするとその後先発に転向。勝ち星には恵まれなかったがなかなかの内容で、成長の跡を見せた。
しかしここからどうも足踏みが続いている。03年は期待されながら6点台の防御率と打ち込まれ、アピールに失敗。ほとんどいいところなく終わってしまった。せっかくのチャンスを自ら潰してしまった感が強い。04年は夏場に一軍合流し、前年とは一味違うところを見せたが、オバンドーに打ち込まれ日本ハムだけに滅多打ち。他は良かったのに印象を悪くしてしまった。楽天入りでチャンスもあった05年だが、またもアピールに失敗。これだけ四球を出しては抑えられるはずもなく、後半は二軍暮らし。
何年も不振が続き、後がないところまで追い込まれていたが、06年は久々に持ち直し。というよりも、プロ入り後一番と言える結果を残した。6月に昇格以降リリーフで好投。8月には14試合に投げて2勝を挙げ、これまでどうしても破れなかった「2勝の壁」を突破。28試合に投げて1点台前半の防御率、被本塁打0と後半は大きな戦力となった。
しかし…この輝きを全く持続できなかった。昨年は一転して自己最少のわずか2試合登板。二軍でも7点台の防御率ではチャンスは貰えず、ほとんど二軍暮らしでシーズン終了。戦力外にもなってしまった。
絶頂から一気に奈落というこの2年。一本立ちを果たしたと思えたのだが…。日本の南から北まで渡り歩いた投手は、今季故郷の沖縄電力でプレーすることに。

富岡 久貴 (大記)

快速左腕、渡り鳥型

左投左打
高崎工高〜東京ガス 西武95ドラフト1位〜97、広島98、西武99〜02、横浜03〜04、西武05、楽天06〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 西武 - - - - - - - - - - - - - -
06 楽天 - - - - - - - - - - - - - -
07 楽天 - - - - - - - - - - - - - -
通算 13年 76 0 1 4 0 100 2/3 103 8 77 72 5 11 47 4.20

一級品の球威を持ちながら、それを全く活かせぬままの投手。制球が課題で、即戦力の期待を受けての入団ながらほとんど一軍には顔を出さず。
ドラフト1位入団も3年間で登板はわずか7試合。カープに移籍した4年目に16試合に投げ、すぐに呼び戻されたのは潜在能力の高さゆえか。しかし出戻り以降もさっぱり。01年も1イニングで4つの四球を出すありさまで、2度目の西武でも結果は出ず横浜へ移籍。
絶対的な左腕不足の横浜ではかなり貴重な存在で、03年はプロ入り最多の登板機会を得た。防御率もリリーフとしては不満が残るが自己ベスト。しかし信頼を掴むまでは至らず、翌年は登板機会激減。10年目にして幸運なプロ初勝利を記録したが、わずか4試合の登板では喜べない。そしてシーズン後またも戦力外に。
トライアウトで現役続行を模索していたが、名乗りを上げたのはまたも西武。同球団に3度在籍するという珍事となった。しかし一年間二軍暮らしで、シーズン後にはまたも解雇の危機に。それでも不思議と首がつながり、今度は金銭トレードで楽天へ移籍。
チームを転々として、楽天がのべ6球団目。ただ相変わらず一軍は遠く、とうとう3年間二軍暮らし。さしもの渡り鳥もここが限度で、昨年限りで戦力外に。
綱渡りでも13年のキャリアを積んできたが、結局04年の1勝のみ。ついに素材の魅力のみで終わってしまったか。今季は故郷群馬に戻りBCリーグでプレーすることに。

ジャレッド・フェルナンデス

ナックルボーラー、超軟投型

右投右打
広島07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 広島 30 0 3 8 0 92 1/3 117 16 33 34 1 0 62 6.04
通算 1年

昨年の新外国人投手で、ある意味最も注目された選手。日本にはいない、投球を完全に特化した「フルタイム」ナックルボーラーで、その魔球は大いに話題になった。
登板してみるとまさしくこれは異質の存在。投球のほとんどがナックルで、カウントを稼ぐのも打ち取るのもすべてこの球種。「最後の魔球」などとも称されるナックルは、その特殊な投げ方から真に追求すれば必然的に「キャッチボール投法」となり、平均的な投球フォームからは大きく逸脱する。その点でフェルナンデスは紛れもない「ナックルボーラー」で、ほとんど体重移動もないフォームは実に特徴的。たまに織り交ぜる直球も120kmに届かない超遅球。彼の登板はこれまでの日本野球にはなかった光景。
公式戦初登板では先発して10失点と散々な結果。しかし次の登板では好投し、リリーフ登板4イニング無失点で来日初勝利。その後しばらくは好投が続いた。
しかし6月辺りから慣れられてきたか捉まり始め、一時良化した防御率も大幅悪化。肩肘の消耗が小さく、疲労の少ない投法ということもあって後半はリリーフが中心となった。ただそれでも不安定には変わりなく、シーズン防御率6点台で終了。
特異な存在で連投が効くという利点もあるが、投げてみなければわからないタイプで計算はしづらい。阪神には相性良く2勝を挙げたが、この成績ではやはり微妙か。面白い存在だったが一年限り。

藤崎 紘範

総合力、平凡型

右投右打
宮崎第一高 近鉄99ドラフト5位〜04、楽天05〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 楽天 5 0 0 3 0 16 1/3 25 3 8 6 0 2 15 8.27
06 楽天 21 0 0 2 0 35 35 3 23 12 1 1 20 5.14
07 楽天 - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 49 0 1 7 0 97 117 9 51 38 5 4 64 5.94

ドラフト下位入団ながら早いうちから一軍登板した投手。1年目から先発機会を得、一年先輩のユウキ(オ)とともに若手の有望株とみなされた。
スピードは平凡だが多彩な球種で幅広く攻めるタイプ。ただこれといって特徴がなく、デビューは早かったが一軍定着は出来なかった。4年目にプロ初勝利も登板機会は毎年一桁。04年1試合の登板に終わると、分配ドラフトを待たずに自由契約に。
それでもテストで合格を勝ち取り楽天入り。オープン戦非常に好調で、開幕2戦目に先発というチャンスを得た。だがその試合で滅多打ちされると、その後の登板もいまいちで5月以降は二軍暮らし。06年はリリーフで一時健闘し自己最多の登板機会を得たものの、長続きはせず交流戦後半から立て続けに失点。前半だけの登板に終わった。
球威が一軍ではちょっと物足りないという印象で、あまりに決め手に欠ける。昨年はプロ生活ではじめて一軍登板なく終わり、シーズン後戦力外に。今季からは打撃投手に転進することとなった。何か一つ「癖」が欲しかった。

ホセロ・ディアス

速球リリーフ、制球難型

右投右打
横浜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 横浜 45 0 3 4 2 66 2/3 47 9 61 58 6 2 34 4.59
通算 1年

横浜の外国人投手。前年初めてメジャー登板したばかり、27歳の若い投手で、セットアッパーを期待されての獲得。登録名はホセロ。
150kmを越えるスピードが魅力の投手。開幕から8試合連続無失点、4月末には一時帰国したクルーンの代役として2セーブを挙げるなど、序盤は非常に良かった。しかし5月の後半から立て続けに失点し、防御率は大幅悪化。それ以降も不安定な投球が続き、復調はできず。
02年までは内野や捕手をやっていたということで、投手歴が浅いため非常に粗っぽく、特に制球がかなり悪い。投球イニングとほぼ同数の四死球は、リリーフでありながらチームワースト、リーグでも3番目という破格の多さ。これでは被安打は少ないのに失点が多くなってしまうのも無理からぬところ。
最後の登板で先発も試されたが2回KOで二軍落ち。球速と若さは大きな魅力だったが結局一年限りとなった。打撃で9打数3安打1ホーマーという好成績を残したが、投球が未熟すぎた。

前田 幸長

細腕左腕、汎用タフネス型

左投左打
福岡第一高 ロッテ89ドラフト1位〜95、中日96〜01、巨人02〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 巨人 50 0 0 0 0 62 67 9 58 18 1 2 32 4.65
06 巨人 28 0 0 0 0 23 2/3 32 4 15 3 0 1 19 7.23
07 巨人 15 0 0 1 0 10 2/3 20 2 5 1 0 0 6 5.06
通算 19年 595 36 78 110 9 1577 1544 195 1241 539 28 84 730 4.17

細身ながら息長く活躍する左腕。先発もリリーフもこなし、どんな場面でも投入できる汎用性の高さが売り。クイックモーションの名手として知られる。
高校時代に甲子園で評判となり、多大な期待を受けてロッテにドラフト1位入団。1年目から早くも一軍帯同を果たし、2年目にはローテーション定着。以来常にチームの中心投手として活躍したが、「次代のエース」という当初の期待ほど伸びなかった印象が強い。
自己最多は9勝。ナックルやSFFなど多彩な変化球を操るが、スピード自体の伸びがいまいちで少々決め手に欠けた。やや荒削りな軟投型といった印象で、ロッテ時代は常に負け越し。5年連続二桁敗戦という記録も残した。もちろんチームが不振だった影響が大きいが、安定感に欠ける投手だったのも確か。
転機は中日移籍後。先発時代は煮え切らなかったが、中継ぎに廻ることでガラッと印象が変わった。良くて3点台後半だった防御率が一気に良化。何より四死球が大幅に減った。見た目からは想像できぬタフさも見せ、谷間には先発もこなす奮投。巨人へFA移籍するとさらに貴重な戦力として認知され、03年には一時抑えも任されるほどの信頼を勝ち取った。
見た目は非常に華奢な感じの投手だが、高卒1年目からずっと一軍で投げ続けてほとんど故障していないタフさは相当なもの。02年から3年連続一桁の四死球で、自滅しないリリーフとして活躍。
だがさしもの鉄腕も、近年急激に色褪せてきた。05年夏場に調子を落とし、7月以降防御率7点台の乱調。翌年もその流れのまま、序盤失点続きで二軍落ち。再調整後は立て直したものの、序盤の不調が響き自己最悪のシーズン7点台の防御率に終わった。
一時増えた四死球はまた減ったが、奪三振率が低下し衰えを感じさせるようになってきた。昨年も二軍落ちを繰り返し、19年目で自己最低の15試合登板。内容もいまいちで目立たぬまま終わった。シーズン後メジャー挑戦のため退団を申し入れ自由契約に。今季で38歳の年齢に加えて明らかに下降線に入ってる状態であるが、果たしてどうか。

三澤 興一

技巧派、平均リリーフ型

右投右打
帝京高〜早大 巨人97ドラフト3位〜01途中、近鉄01途中〜03、巨人04、ヤクルト05〜06、中日07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ヤクルト 2 0 0 0 0 2 8 1 1 0 0 0 6 27.00
06 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - -
07 中日 - - - - - - - - - - - - - -
通算 11年 296 0 28 18 6 445 459 53 306 150 16 11 197 3.98

帝京高→早大と華やかなアマ球歴とは対照的に、プロでは地味な投手。先発をすることもあったが、もっぱら中継ぎが中心。ポーカーフェイスで淡々と投げ込むタイプで、ますます目立たない。
内角の速い球で体を起こして外角の変化球でしとめる、極めてオーソドックスなピッチングスタイル。スピードも切れもそこそこで、生命線は制球力。これが唯一にして最大の武器で、常に低めを意識する投球は面白みはないが基本に忠実。アマチュアの表舞台で長いこと揉まれたキャリアは伊達ではない。
1年目から一軍定着し、リリーフに谷間の先発にと様々な場面で登板。巨人で出番の減り始めた01年途中に近鉄に移籍。ここで勝ち運に乗り、負けなしの7勝を稼いで優勝の使者となった。翌年は自己最多の53試合に登板。03年も48試合に登板と中継ぎの中心となっていたが、なぜかトレードで巨人に復帰。ここから急速に色褪せてしまうことに。
巨人では当然リリーフとして期待されていたが、わずか15試合と寂しい登板数に。これで戦力外となり、トライアウトでヤクルト入り。ところが挽回どころかさらに状態は悪くなり、閉幕間際にやっと2試合に投げただけ。翌年は初めて一軍登板なしに終わり、再び戦力外に。
もともと防御率はだいたい4点台前後と圧倒的に抑える投手ではないのだが、近鉄移籍以降制球が雑になった印象で、本来の投球を見失っている。中日入りした昨年だったが二軍でもほとんど投げないままシーズンを終え、戦力外に。現役続行を希望で渡米との報道もあったが、近年の状態を見る限りかなり厳しいと言わざるをえない。元来あまり特徴のない投手だけに…。

宮越 徹

移籍浮上、バランス型

右投右打
郡山高 中日97ドラフト8位〜04、西武05〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 西武 21 0 4 1 0 61 47 9 47 17 1 3 19 2.80
06 西武 12 0 1 3 0 37 1/3 40 5 22 15 1 1 22 5.30
07 西武 3 0 1 0 0 13 1/3 16 2 8 4 1 1 4 2.70
通算 11年 56 0 6 6 0 137 135 24 92 43 4 6 74 4.86

05年移籍でチャンスを掴んだ投手。中日時代も期待されながら伸び悩んでいたが、ようやく実績を残した。
ドラフトの指名順位は低かったが、4年目に一軍初登板。それ以降は先発候補として、毎年期待の一人に挙げられていた。だが初勝利を挙げるまでには至らず、なかなか一軍に定着できず。期待値も徐々に下がってしまい、西武にトレード。
だが移籍がきっかけの一つになった。序盤こそこれまで同様だったが、後半は見違えるように安定し一軍に完全定着。念願のプロ初勝利も挙げ、先発入りも。2点台の防御率で4勝の好成績を残した。
スピードはそこそこで迫力には欠けるが、コーナーを攻める技巧派タイプ。投手層が厚いとは言えないチームで、先発にリリーフにとなかなかの貢献を果たした。被本塁打は多かったが、被打率は低かった。
しかし翌年は一転して元の状態に戻った印象。前半は一軍で投げていたが安定感に欠け、6月に初勝利も続くリリーフ登板で連続失点。登板間隔も起用法もまちまちだったことが災いしたか、前年の勢いを維持できなかった。後半は二軍で過ごし、また微妙な立場に。
いい状態が持続しない、もう一つ突き抜けないところが中日時代から続く傾向か。昨年は夏場に3試合先発登板、最初に勝ち星も次は制球に苦しみ、その次は事実上のKOで二軍落ち。そしてシーズン後戦力外となってしまった。一軍戦力に収まりきるにはもう一つ力が足りなかったか。今季からは楽天の打撃投手に転身することに。

山ア 健

サイドスロー、リリーフ型

右投右打
関東一高 広島91ドラフト4位〜01、ロッテ02〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ロッテ 40 0 1 2 1 40 1/3 34 5 30 12 3 4 15 3.35
06 ロッテ - - - - - - - - - - - - - -
07 ロッテ - - - - - - - - - - - - - -
通算 17年 222 6 17 18 4 390 2/3 407 52 242 77 19 7 176 4.05

サイドスローの技巧派投手。広島時代に一時大活躍で脚光を浴びるも、その後不振。ロッテ移籍後、リリーフとして復活してきた。
当初は無名の存在だったが、6年目の96年に突然の大ブレイク。先発に割り込み、4完封9勝という輝かしい好成績を残した。斎藤雅樹(元巨人)を真似て造ったというサイドスローは、確かに活躍時はコピーとも言うべき躍動感あるフォームだった。しかし翌年には早くもフォームが崩れてしまい、一気に不振に。下半身の躍動がなく、上体だけの手投げのような投球。当然ボールに力はなく、ただハーフスピードの打ち頃の球。もともと球威はなかったが、切れのみの投手がそれを失っては話にならない。3年続いた勝ち星なしから00年に6勝で復調も、運に恵まれた印象でそれほど良くは見えなかった。結局復活もこの年限りで、翌年6試合の登板に終わるとロッテに移籍。
移籍した02年は40試合に登板。リリーフの一角を占めたが防御率は悪く実質敗戦処理。03年は9試合とほぼ二軍で終わり、先が見えた印象だった。しかし04年からようやく巻き返し。後半なかなかに安定した投球を見せて、実に8年ぶりに3点台の防御率を記録した。
移籍後は投球の半分がスライダーで、外角中心のかわすスタイル。それでも良くなった要因は球威が持ち直してきたこと。かつての躍動感とまではいかないが、ジリ貧をようやく抜け出すことができた。これまでは好調の翌年必ず落ち込んでいたが、05年も状態維持。ビハインドゲーム中心の登板ゆえ目立たなかったが、淡々と自分の役割をこなした。
便利屋的存在としてチームに貢献していたが、06年肩を手術し登板なし。この故障が結果的に命取りとなった。引き続き昨年も、二軍でも登板ないまま終わり、シーズン後戦力外に。さすがに三十代後半の投手が丸2年実戦登板なしでは厳しい。最後は残念な形になってしまったが、長い低迷期を含みながらもなかなか息長く働いた。

吉井 理人

メジャー帰り、技巧派型

右投右打 最優秀救援(88)
箕島高 近鉄84ドラフト2位〜94、ヤクルト95〜97、米メジャー(メッツ98〜99、ロッキーズ00、エクスポズ01〜02)、オリックス03〜07途中、ロッテ07途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
メジャー通算 5年 162 3 32 47 0 757 1/3 805 112 447 222 23 17 389 4.62
05 オリックス 15 0 6 5 0 73 2/3 80 10 33 9 1 0 33 4.03
06 オリックス 19 0 7 9 0 101 2/3 109 10 33 22 2 1 43 3.81
07 オリックス 10 0 1 6 0 40 2/3 51 5 14 14 4 0 26 5.75
ロッテ 4 0 0 3 0 12 1/3 30 1 4 6 2 1 18 13.14
日本通算 19年 385 28 89 82 62 1330 1387 135 763 390 42 34 571 3.86

5年間のメジャー生活を経て日本球界に復帰した投手。ちょくちょくその噂はあったが、03年ついにそれが実現した。
近鉄時代は不動のストッパー。88年に急台頭を見せて10勝24セーブ、この年タイトルまで獲得し抑えの地位についた。以降3年間はリーグを代表するストッパーとして君臨したが、年々信頼度が低下し、さらに91年に故障。やはりストッパーというのは過酷なポジションらしく、吉井も91〜93年はまったく精彩を欠いていた。
復帰後は先発に廻っていたが、本領発揮はヤクルトに移籍した95年以降。内外角を揺さぶる投球スタイルを確立し、3年連続二桁勝利。防御率も安定し、主力投手に返り咲きを果たした。この時期がまさに絶頂期で、97年に自己最多の13勝を挙げると、そのオフFAでメジャーへ。メッツ移籍1年目はそこそこだったが、2年目の99年に12勝をマークし「メジャー・吉井」の地位を完全に確立した。ロッキーズ移籍後は苦戦したが、それでもレベルの高い投球術で通算32勝を記録。
メジャー実績に加えて日本での経験も豊富とあって、大いに注目された復帰初年。だが開幕すると球威の落ち込みは明らかで、得意の揺さぶりも全く通用しなかった。先発しても一回りどころか2イニングすら覚束なく、リリーフでもほとんど戦力にならずじまい。完全に期待を裏切り、散々な結果となってしまった。
もともと完全に緻密なタイプではなかったが、球威が落ちていたのが痛かった。内角を突いても打者を威圧することができないのではピッチングが成り立たない。04年もわずか3試合、それも目を覆うばかりの内容で終わり、一旦は自由契約に。
しかし現役に執念を燃やし、キャンプでテストの末、年俸10分の1でオリックスと再契約。どん底から這い上がった05年は、久々に輝きを見せた。交流戦中に一軍昇格すると、古巣ヤクルト戦に先発勝利。これで波に乗り、その後8月頭まで無傷の先発6連勝。球威が多少持ち直し、円熟の投球術を発揮。後半5連敗で失速したが、チームにとっても大きな戦力となった。06年も先発の一角として働き、前年を上回る7勝をマーク。復帰後初めて100イニングを越え、3点台の防御率を記録した。
40歳を越えての復活には頭が下がる。しかし昨年は再び球威が激しく落ち込み、開幕3連敗スタート。一つ勝ったあとさらに3連敗を喫し、どんどん内容も悪化していった。この不振から中継ぎ転向を示唆されるも、先発にこだわり移籍志願。期限ギリギリでロッテへ移籍となったが、それでも落ち込みは止まらず。ロッテで4試合の先発はいずれも5回持たずにKO。結局6連敗という形でシーズンを終え、戦力外に。
現役続行の意志も見せていたがこの内容で42歳の年齢ではどうにもならず、ついに引退ということになった。良かった05,06年でもほぼ5回限定で、体力的にはもう限界。それに加えて投球術も通用しなくなったとあっては仕方ない。今季は日本ハムの一軍投手コーチに就任。豊富な経験を後続に伝授する立場に。

吉田 修司

鉄腕リリーフ、晩成大化け型

左投左打 最多ホールド(98,01)
滝高〜北海道拓殖銀行 巨人89ドラフト1位〜94途中、ダイエー/ソフトバンク94途中〜06、オリックス07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - -
06 ソフトバンク 8 0 0 1 0 3 5 0 1 1 1 1 4 12.00
07 オリックス 36 0 2 0 1 20 2/3 24 0 12 4 1 1 6 2.61
通算 19年 533 2 37 32 23 610 1/3 593 40 511 261 16 23 242 3.57

優勝時のダイエーを支えた左のリリーフの柱。驚くようなボールは持たないものの、強心臓と駆け引きの巧みさで「勝利の方程式」の軸となった。チームを初優勝に導いた原動力の一人。
社会人から巨人にドラフト1位入団。だが当時のチームは強力投手陣を擁し、さらに本人も左という以外にこれといった特徴がなかった。球速もそこそこで、パームを投げる投手程度の認識。2年目に3勝、3年目に2勝を挙げたものの、一軍定着までには至らず4年目からは出番も激減。花開かないまま、94年途中にダイエーへトレード。
移籍後も数年はほとんど二軍暮らしで戦力になっていなかったが、97年に突然の変身を遂げた。この年49試合に登板して一軍定着、翌年には63試合に投げて10セーブを稼ぐなど、30歳を越えて急激に開花。以降投手陣になくてはならない存在となり、98年から6年連続50試合以上登板、そのうち4度60試合以上登板というタフネスぶりを発揮した。この間の通算登板は422に上り、まさに大黒柱といった存在となった。
技術的には巨人時代から格段の進歩を見せた。豊富な球種を操り、変化球のコーナーワークに持ち味を発揮。右打者の懐も積極的に突き、対左にとどまらない投球術を見せた。ピンチに動ぜぬ精神力に加えて球速自体も以前より増しており、まさに晩成と言える選手。
だがさすがの鉄腕も03年は防御率が5点台に落ち込み、生命線の制球力にも陰りを見せ始めた。さらに肘を故障し、04,05年は全く投げられない状態。一度は戦力外を通告されたが秋季キャンプのテストで現役続行。06年終盤に3年ぶりの一軍登板を果たした。しかし内容はさっぱりで、今度こそ戦力外に。
現役にこだわり、テストを経て昨年はオリックスへ。40歳を越えての移籍には不安が大きかったが、前半はかなりの戦力となり健在ぶりをアピール。ショートリリーフ専門でオールスターまでに35試合に登板。5月に4年ぶりの勝利、7月にこれも4年ぶりのセーブも記録した。
まさに意地を見せた形だったが、日程が進むにつれ打たれる場面も増え、後半はほとんど二軍に。年齢的な問題とこの尻すぼみのためか、シーズン後再び戦力外に。トライアウトにも参加したが、とうとう引退ということになった。通算500試合以上の登板は、そのうち8割以上が30歳を越えてからのもの。最後にもう一花咲かせたのも見事だった。

吉田 豊彦

鉄人左腕、晩成覚醒型

左投左打
国東高〜本田技研熊本 南海・ダイエー88ドラフト1位〜97、阪神98〜01、近鉄02〜04、楽天05〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 楽天 50 0 2 2 1 47 2/3 48 2 43 7 5 3 18 3.40
06 楽天 41 0 1 1 1 31 32 0 24 10 4 1 11 3.19
07 楽天 16 0 0 0 0 10 22 2 8 3 0 0 11 9.90
通算 20年 619 49 81 102 17 1596 1631 197 1075 640 71 47 776 4.38

現役最多の通算登板数を誇った鉄人左腕。投手としては小柄な体格ながら、40歳となってからも主力として活躍を見せた。南海ホークス最後のドラフト1位。
入団前は無名に近い存在だったが、1年目から即戦力の期待に応えて活躍。2年目にはローテーション入りを果たし早くも10勝を挙げた。その後2年はいまひとつだったが、92年に11勝で完全な主力投手に。計3度の二桁勝利を記録し、一時はエースの称号も手中にした。だが当時からピッチングは雑な面が強く、勢いで押し捲る猪突猛進のスタイル。二桁勝利の翌年は必ず不調で、エースと呼ぶには一歩も二歩も物足りなかった。勢いだけでは持続せず、96年に大不振に陥ると信頼は一気に低下。ローテーションからはずされ、98年阪神へ移籍。
移籍直後はリリーフで登板機会も多かったが、内容は不安定。99年先発を任されるも2勝に終わり、01年には出番激減。年々成績も低下し、とうとう自由契約まで追い込まれた。今振り返れば、この時期は最悪の状態だった。
36歳の高齢、投球術もいまいちとあって再起は難しいと思われたが、近鉄にテスト入団。ここから予想を覆す復活劇が始まった。ショートリリーフで信頼を掴み、42試合登板で自身初の2点台の防御率を記録。かつては見られなかった安定感を発揮し、翌年はさらに成績向上。リリーフの中心にどっかりと座り、一時はストッパーも任される快進撃。3勝8セーブの好成績で、チームで最も信頼される投手に変身を遂げた。
この年齢でも、依然投球は若々しい速球中心のスタイル。荒々しさはそのままに、かつてよりもはるかにしたたかになった。球速はむしろ増した印象で、鋭い腕の振りは小気味よささえ感じさせる。
05年は新球団楽天に移籍。期待外れの多かった投手陣の中で、ほぼ計算通りの活躍を見せた。数少ない信頼できる左腕リリーフとして、僅差の終盤には必ずと言っていいほど登場し、チームトップの50試合に登板。翌年も変わらぬ活躍を見せ、5年連続40試合以上登板を記録。チームになくてはならない存在に。
これほど息の長い選手になるとは予想外だった。たださしもの鉄腕も昨年は大不振。序盤から派手に打ち込まれ、前半の防御率は10点を越える惨状。その後多少持ち直しはしたが、ついに現役を退くこととなった。近鉄移籍後の活躍は見事なものだったが、いよいよ燃え尽きてしまったか。ついに優勝には縁がなく、最下位を9度も経験するなどチーム運には恵まれなかったが、長いキャリアを全うした。今季は楽天の二軍投手コーチに就任。彼の引退で、南海の生き残りはついに大道一人に。

サンティアゴ・ラミレス

速球右腕、リリーフ型

右投右打
中日07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 中日 27 0 1 0 0 26 1/3 27 3 11 12 0 0 16 5.47
通算 1年

150kmに迫るスピードが売りの外国人右腕。左腕のグラセスキ同様ドミニカ出身で、06年メジャー初登板したばかりの投手。3Aでは1点未満の好防御率を記録した。育成選手のエンリケ・ラミレスと区別するため、登録は「S・ラミレス」。
岩瀬につなぐ候補の一人として開幕一軍入り。序盤はなかなか好調で、4月終了時点で1点台の防御率、来日初勝利も記録した。しかし5月に満塁弾を浴び、一気に防御率悪化。しばらく二軍調整後復帰した。
オールスター前の時点では、一度派手に打たれた以外は地味ながらもそこそこという印象もあった。しかし後半戦に入ると立て続けに大炎上。防御率は一挙に5点台まで悪化してしまった。8月上旬からはずっと二軍暮らしとなり、結局一年限り。
もともとそれほどいいという印象ではなかったが、リリーフで3被弾も夏場の大乱調も非常に印象が悪かった。格安選手でもあり、当たれば儲けものといった期待だったか。

龍太郎 (土居 龍太郎)

スライダー投手、伸び悩み型

右投右打
高知高〜法大 横浜03自由枠〜06途中、ロッテ06途中〜07
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
05 横浜 13 0 1 4 0 48 63 3 26 17 1 1 24 4.50
06 ロッテ - - - - - - - - - - - - - -
07 ロッテ - - - - - - - - - - - - - -
通算 5年 32 0 1 5 0 89 2/3 105 9 56 35 2 3 42 4.22

自由枠入団の右腕投手。豊作世代の法政のエースだが、ここまでプロでは結果を出せず。
大学時代はスライダーの曲がりの大きさで評判を取った投手。しかし即戦力とはいかず、1年目は一軍どころか二軍でもいまいちの成績。しかし2年目はやや腕を下げて、フォームを変えてシーズン途中から一軍に。白星はつかなかったが先発マウンドも経験、まずまずの防御率で一軍定着の足がかりを掴んだ。
投じる球の半分以上がスライダーで、西口ばりに大きく曲がるのが特徴。ただ体の開きが早くなる癖があり、そうなるとこのスライダーも格好の餌食となってしまう。腕を下げたことで右打者には良くなったが、左打者にはかなり弱くなってしまった。
05年は5月に念願のプロ初勝利。しかしこれで台頭とはいかず、結局その1勝止まりに終わってしまった。06年途中にロッテへ移籍したが、一度も一軍登板できず。昨年も引き続き二軍定住で、シーズン後戦力外に。もともと諸般の事情から繰り上がりでの自由枠ではあったが、5年で1勝という寂しい結果に終わった。


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