退団投手 2008年

東 和政

横手球威、伸び悩み型

右投右打
宿毛高 横浜01ドラフト4位〜04途中、西武04途中〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 西武 5 0 1 0 0 0 9 12 2 3 1 0 1 6 6.00
07 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
08 西武 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 8年 48 0 2 1 0 0 71 1/3 94 12 37 39 9 3 58 7.32

スリークォーターというよりもサイドハンドに近いところで腕を振る右腕。中央では無名だったが、高校時代は「四国のドクターK」と呼ばれていた存在。
高卒ながら1年目から一軍のマウンドに立ち、2年目の02年には一気に28試合に登板。これは完全な投手陣崩壊というチーム事情が大きかったが、技術的にも体力的にも未熟な状態ながら良く投げ、光るところも随所に見せていた。
魅力は140kmを越えるシュート気味の速球。しかしこれは諸刃の剣で、3年目は悪い面が前面に出てしまった。横手投手は抜ければ即死球という怖さがあり、それを恐れれば腕が振れずダメになる。死球騒動で動揺し、その後出番激減。
04年途中西武に移籍。環境が変わったことで少し持ち直し、移籍直後はなかなかいい投球を見せた。しかし良かったのは一時的なもので、これ以降はまたほとんど二軍暮らし。06年は7月の登板で打者一人で4年ぶりの幸運な勝ち投手となったが、07年はプロ入り以来初めて一軍登板なし。そして昨年も一軍に上がれないまま終わり、戦力外通告。
ファームで23試合に投げて防御率6点台ではさすがに苦しい。まだ若い投手だが、このジリ貧状態では厳しいか。

ウインストン・アブレイユ

速球リリーフ、そこそこ型

右投右打
ロッテ08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ロッテ 20 0 1 2 0 6 21 2/3 23 2 24 8 0 0 8 3.32
通算 1年

昨年のロッテの新外国人。150km超を誇る速球投手で、メジャー実績はここ2年程だけだが、マイナーは12年で10球団を渡り歩いたというキャリアの持ち主。かつての「YFK」がそっくり抜けたリリーフ要員として入団。
まるで泳いでいるかのような大きな腕の使い方が特徴的。スピードは評判通りで常に150km前後を計時する。手薄となったリリーフの一角で起用された。ただ球速があり奪三振も多い割に成績はそこそこレベル。悪くもないが取り立てて良くもない。20試合中6試合で失点ということは3度に1度は失点の勘定になり、勝ちパターンに固定するには不安が強い。5月以降その傾向は顕著になり、はっきり不安定となってしまった。
5月末に肘を痛め、手術のため帰国。結局シーズン中の復帰はなく、前半のみの投球だった。戦力外となり1年限りに。万全でもこの不安定さでは苦しかったか。

入来 祐作

本格力投型

右投右打
PL学園高〜亜大〜本田技研 巨人97ドラフト1位〜03、日本ハム04〜05、(米マイナー06〜07)、横浜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 3 0 0 0 0 0 6 1/3 7 0 2 2 2 0 6 8.53
通算 10年 215 9 35 35 3 0 781 1/3 725 93 674 297 27 15 327 3.77

上背はないが、回転のきれいな速球でぐいぐい押してくる本格派右腕。社会人から即戦力として巨人入団、井口獲得に失敗した巨人が大慌てで西武を逆転し逆指名を取り付けた選手。入来智の実弟で、巨人では2年間チームメイトにもなった。
そこまでしながら当初は酷い扱いで、先発なのかリリーフなのかはっきりしない起用法が続いていた。もともとストレートの回転のいい入来は、逆に言えば長打を食らいやすく、1点を争うリリーフには向かないタイプ。中継ぎで良ければ先発に、という起用法は向いていなかったかもしれない。
01年あたりは戦力外待遇でトレードの噂もちらほらあったが、そこからそれを覆す大活躍。チームトップの13勝を挙げ一気にエース格に。ようやく素質開花といった雰囲気だったが、翌年は勝ち運に見放されてわずか5勝。さらに03年は故障で一年を棒に振り、どうも入団時からツキがないという印象。この年限りで日本ハムへトレード。
移籍1年目は2勝止まりと、先発不足に悩むチームの期待を大きく裏切ってしまった。衰えも懸念されたが、しかし翌年巻き返し。当初は中継ぎだったが、先発に廻ると好調維持。もうひとつ勝ち星は伸びなかったが、一時はチームで一番の安定感を見せた。一年遅れで先発の軸的存在に。
大卒社会人経由のため、キャリアの割に年齢は高め。05年オフポスティングでのメジャー移籍を図るが入札なく、自由契約となってメッツと契約。しかし渡米後は大きな苦難を味わった。メジャー契約ながらマイナーでのスタートとなり、しかも禁止薬物陽性反応で50試合の出場停止処分。メッツを解雇された07年はブルージェイズ傘下のマイナーチームでプレーしたが、結局2年の米生活で一度もメジャーのマウンドには立てなかった。
オフに横浜の入団テストに合格、昨年3年ぶりに日本球界復帰。しかし30代後半に入り、力は完全に落ちていた。開幕一軍もリリーフ3試合すべて失点で二軍落ち。そのまま再昇格なく、シーズン後戦力外、その後引退を表明。
期待が大きいと裏切り、逆境になると跳ね返してくるここまでのキャリアだったが、全体的に不遇だったという印象も強い。環境次第ではもっといい成績を残せたかもしれない。

リン・インチェ(林英傑)

台湾代表左腕、発展途上型

左投左打
楽天06〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 楽天 5 0 0 2 0 0 27 22 4 9 13 3 1 13 4.33
07 楽天 4 0 0 0 0 0 6 10 0 4 1 0 0 3 4.50
08 楽天 5 0 0 2 0 0 10 1/3 10 2 3 5 2 3 6 5.23
通算 3年 14 0 0 4 0 0 43 1/3 42 6 16 19 5 4 22 4.57

台湾から来日の外国人投手。入団時24歳とまだ若いながら、母国では最多勝や防御率1位などすでに実績充分で、WBCにも代表入りした。以前から日本球界が触手を伸ばしていた逸材で、左のエースとなる事を期待されての入団。登録名は「インチェ」。
チームの期待は大きく、開幕2戦目に早くも先発。次の登板では勝ちはつかなかったものの8回を無失点とかなりの好投を見せた。その後も先発で投げ続けたが、4月下旬に故障離脱。初勝利を挙げられない内に戦列を離れてしまった。
スピードのある速球派左腕という触れ込みだったが、ここまでの投球ではだいぶイメージが違って変化球主体のかわすスタイル。台湾では奪三振も多かったのだが、そういう面を見せていない。故障は不運だったがちょっと期待はずれという印象も。
07年は序盤リリーフで3試合投げたが、その後は長期の二軍暮らし。シーズン終了直前に久々登板したが打ち込まれ、台湾時代のチームメイトで「雙林」と並び称された林恩宇ともども全く戦力にならなかった。そして昨年も序盤試されたものの、先発では4回4失点KO、リリーフでもいいところを見せられず5月初めを最後に二軍暮らし。1勝もできないまま3年が経過し、シーズン後とうとう戦力外に。
言葉は悪いがあまりにも「聞いていた話と違う」という印象。若いといえど3年で一軍実績がほぼなしでは…。結局日本では全く光るところを見せられなかった。

デーブ・ウィリアムス

先発候補、技巧派型

左投左打
横浜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 7 0 2 2 0 0 25 1/3 41 3 8 4 2 1 12 4.26
通算 1年

横浜の新外国人投手。メジャー通算22勝、05年にシーズン10勝の実績を持つ左腕で、先発の一人を期待されての獲得。
長身だがスピードはあまりなく、投法を変えて変化球を打たせて取る技巧派投手。目先をかわすごまかしのタイプで、圧倒的に抑えるというタイプではない。期待されたがオープン戦の内容が悪く開幕は二軍スタート。5月に昇格して2度先発も被安打が多く、いずれも序盤降板で再度二軍落ち。
それでも夏場に再昇格直後は2勝を挙げたが、8月末の先発で初回3連続被弾を浴びKO、監督が試合直後に解雇を匂わす異例のコメントを残し、そのままシーズン終了を待たずに契約解除された。戦力になっていたとは到底言えず解雇は仕方ないが、シーズン残りもわずかの時期に慌てて切る(最後の登板から自由契約公示までわずか十日余りという急ぎよう)意味があったのかどうか。この辺りの顛末は横浜のチーム状態を象徴するドタバタに見えて、「貧すれば鈍す」という印象も残る。ともかく苦しい投手陣の補強とはならなかった。

上原 浩治

エース、精密制球型

右投右打 新人王(99)、最優秀防御率(99,04)、最多勝(99,02)、最多奪三振(99,03)、沢村賞(99,02)、ベストナイン(99,02)、Gグラブ(99,03)
東海大仰星高〜大体大 巨人99ドラフト1位〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 巨人 24 5 8 9 0 0 168 1/3 157 24 151 21 1 0 60 3.21
07 巨人 55 0 4 3 32 4 62 47 4 66 4 1 1 12 1.74
08 巨人 26 2 6 5 1 5 89 2/3 90 11 72 16 0 0 38 3.81
通算 10年 279 56 112 62 33 9 1549 1354 183 1376 206 28 10 518 3.01

「球界のエース」と称されることも多い、巨人のエース。鮮烈なデビューを果たしたルーキーイヤー以降常に中心投手として投げ、これまで数多のタイトルにも輝いた完成度の非常に高い投手。
大学屈指の好投手として、99年逆指名入団。そして1年目にいきなりの20勝。最多勝に防御率、奪三振に沢村賞と投手タイトルを総なめにし、二桁とか即戦力という言葉をはるかに上回る活躍で周囲の度肝を抜いた。もちろん文句なしの新人王。
とにかく完成度が高いのが最大の特徴で、どこをとっても破綻がない。球速は速球投手として平均的なレベルだが、制球力は桁違い。ここまで四球率は通算でも9イニング平均で1個台前半。そして絶対の自信を持っているのがフォークボール。カウント球に勝負球に数種のバリエーションを持っており、その質の高さには並々ならぬ自信を持っている。テイクバックも腕の振りも小さく、投手としてはちょっと規格外のフォームなのだが、これもまたタイミングをはずす一因。抜群の制球力で追い込み、テンポ良く試合を進める投手。完投能力も高い。
00,01年は1年目の疲労からやや低迷したが、02年2度目の最多勝に沢村賞で復活。不調時は速球が走らずフォーク頼みの苦しい投球でスタミナ切れも目立ったが、バリエーションを増やすことで払拭した。03年は2度目の最多奪三振に輝いて16勝。04年はアテネ五輪にも出場し、ペナントでも2度目の最優秀防御率。4年連続5度目の二桁勝利を達成。
完全な大黒柱として君臨してきたが、これ以降ちょっと不調に。被弾の多さが目に付くようになり、05,06年と連続で二桁勝利に届かず。さらに07年は故障で出遅れと苦難が続いたが、意外な形での復活劇を見せた。4月末に昇格すると、不振の豊田に代わって抑えで起用されるようになり、そこで期待通りの活躍。精緻なコントロールと切れで安定した投球を見せ、チームでは93年の石毛以来実に14年ぶりという30セーブ到達、球団新記録の32セーブをマークした。長らく巷間で「現投手陣で適性は一番」と囁かれていた下馬評が正しかったことを証明。
これで満を持して先発復帰の昨年だったが、序盤これまでにない大不振。開幕4連敗を喫して二軍落ちを経験した。6月復帰以降はリリーフで廻り、北京五輪から帰国後先発復帰。終盤4勝を挙げてどうにか立て直した。
前半の不調で6勝止まり、防御率も3点台後半に終わったが、それでも終盤はスピードも回復して光も見えた。ドラフト時から強いメジャー志向の持ち主で、オフにFA権を行使し今季はオリオールズに。

マイク・ウッド

技巧派右腕、中庸安定型

右投右打
横浜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 26 0 3 12 0 0 136 1/3 159 15 57 45 11 5 71 4.69
通算 1年

先発を期待されて入団の外国人右腕。メジャー通算16勝、28歳と比較的若い選手。
球速は平凡で、多彩な変化球を駆使して打たせて取る技巧派投手。横浜は昨年3人が新たに入団し4人の外国人投手がいたが、開幕から一軍にとどまり続けたのはこのウッドだけだった。開幕2戦目に先発し以降ローテーションの一角として回転。開幕投手の寺原が途中抑え転向、三浦も故障離脱という状況でただ一人ローテーションを守り続けた。
ただその成績は低迷するチーム事情を反映し、開幕から6月途中まで6連敗。その間の内容は降板後逆転されたり致命的に援護がなかったりと非常に勝ち運に恵まれなかった。交流戦最終戦にようやく来日初勝利も、その後も3連敗。勝てない焦りからか5月以降は自身の投球も落ちて、防御率は4点台後半に。終盤まで投げ続けたがわずか3勝で12敗の大負け。
序盤に2勝ぐらいはしていてもおかしくなかった。とはいえ自身の内容も勝ち星量産できるようなものではなく、5回3失点ぐらいが標準といった印象。一番の問題はこの投手がチーム最多先発というチーム事情。本来ならローテの4,5番手辺りの力量で、エースの働きを求めるのはあまりに酷だった。外国人全員刷新でウッドも1年限り。もっとチーム状態のいい時期ならもう少し勝てた気もする。

遠藤 政隆

ベテランリリーフ、馬力型

右投右打
日大明誠高〜熊谷組 中日94ドラフト4位〜06、ヤクルト07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 中日 - - - - - - - - - - - - - - -
07 ヤクルト 38 0 2 5 2 4 44 42 5 28 20 6 1 20 4.09
08 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - - -
通算 15年 332 1 28 21 6 4 451 2/3 418 59 432 218 30 27 227 4.52

球威で押すリリーフ右腕。かつての大洋のエース・遠藤一彦氏のいとこだが、外見も選手としてのタイプも全く似ていない。
社会人から入団して当初は目立たなかったが、3年目の96年にすべて救援で8勝を記録。ここからプロ生活のほとんどをリリーフで過ごすことになった。ただ、やや精神的に脆い面があり、ここ一番の制球力に安定感がない。97年も40試合に登板も防御率は5点台。その後低迷し、なかなか信頼を掴めなかった。
140km台中盤をコンスタントに計時する速球には迫力があり、スライダーもかなりの威力。ボールだけならストッパーになってもおかしくないだけのものを持っているのだが、もう一つ煮え切らない。荒れ球も時にとんでもなく大崩れするレベルで、なかなか洗練されないという印象だった。
一時は去就を危ぶまれるほど存在感が薄くなっていたが、01年に復活。以降3年間は非常に安定し、重要な場面でも任せられるようになった。以前とは比べ物にならないほど制球も安定し、連投OKの馬力でどんな場面でも使える投手として活躍を見せた。
しかし04年からは一転して不振。ホームランを打たれまくり、05年はシーズンの大半を二軍暮らし。夏場以降に一軍合流も内容は冴えず、2年続けて7点台の防御率と散々。06年はウエスタンのセーブ王となるも初めて一軍登板なしに終わり、シーズン後戦力外に。トライアウトを経てヤクルトへ移籍。
数年越しの不調で復活は厳しいかと見ていたが、しかし07年は見事に盛り返した。開幕から安定感ある投球を見せ、投手層の薄いチームを救う活躍。7月には実に9年ぶりのセーブも記録した。
一度解雇されてからの復活は見事。まだまだ力が落ちていないところを見せ付けた。ただばてたのか、7月後半から失点がかさむようになり、終盤は二軍落ちしてしまった。この失速を引きずって昨年は二軍でも冴えない成績で一軍昇格なし。シーズン後再び戦力外に。現役続行希望だったが声はかからず、ついに引退ということに。

小倉 恒

変則速球、叩き上げ復活型

右投右打
鹿沼商工高〜全足利 ヤクルト93ドラフト7位〜96 オリックス97〜04、楽天05〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 楽天 58 0 6 7 4 15 62 55 5 51 13 1 1 15 2.18
07 楽天 39 0 2 1 0 11 29 2/3 33 1 27 6 0 0 19 5.76
08 楽天 8 0 0 0 0 1 7 2/3 11 4 10 1 2 0 8 9.39
通算 16年 401 6 50 48 32 29 881 1/3 891 116 656 198 22 11 385 3.93

出身が全足利というクラブチームの雑草投手。全くの無名からわずか一回、それも補強選手(都市対抗特有のシステム)での出場でドラフトにかかった、いわばシンデレラボーイ。
ヤクルト時代は、時折一軍に昇格はするものの、定着するまでは至らなかった。しかしサイドハンドからのボールの切れは充分一軍レベル。そこを買われてオリックスへ移籍。それでもすぐには結果が出なかったが、99年から一気にブレイク。リリーフ総崩れのチームにあって、孤軍奮闘といった趣だった。
01年から先発転向。金田、川越ら主力がリタイアする中、加藤伸とともに安定してローテーションを維持。自身初の二桁勝利を挙げ、先発の柱にまで成長した。翌年も故障で出遅れたものの、復帰後は抜群の安定感を発揮。ほとんどの投手が負け越している中7勝で勝ち越し。
生命線は、サイドからの力のある真っ直ぐ。さらにほとんどの球種を投げられる器用さ(加藤大輔に教わってナックルも、という話)で、粘り強い投球が持ち味だった。しかし03年からやや腕を上げたことで、球速は増したが丁寧さ・粘り強さが少し失われてしまった。そしてここから一気に成績が落ちてしまった。
03年は先発で失敗が続き、シーズン途中からリリーフに。投手陣崩壊の中ではまともな方ではあったが、それでも13敗と散々。翌年からははっきり状態が悪くなり、防御率もどんどん悪化。楽天入りの05年も期待されながらわずか15試合の登板に終わり、一度は自由契約に。
しかしかつての恩師でもある野村監督が存在を惜しみ、トライアウトを経て元の球団と再契約という異例の事態に。崖っぷちからの生還で発奮したか、06年は劇的な復活を果たした。リリーフの中心的存在としてフル回転し、終盤は不調に陥った福盛に代わって抑えも務める大活躍。3年ぶりの50試合以上登板は自己最多、防御率も6年ぶりの2点台を記録。大車輪の働きを見せた。全盛期を思わせる投球は見事の一言。
死地から鮮烈な復活劇を見せたが、さすがに07年後半から衰えがはっきり見えてきた。昨年は序盤振るわず長期二軍。7月再昇格も、3被弾5失点の炎上を見せ、8月以降は登板なし。ついに引退を表明した。
決して派手な存在ではなかったが、30歳近くなってから開花し、先発にリリーフに息の長い活躍を見せた。低迷するチームを支える働きが多かった投手だった。今季からオリックスの打撃投手に。

ラモン・オルティズ

先発右腕、平凡型

右投右打
オリックス08途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス 17 0 4 7 0 0 82 102 10 32 20 7 1 53 5.82
通算 1年

オリックスの新外国人投手。当初入団予定だったパウエルが二重契約問題で御破算となってしまい、開幕直後に入団が決定した。
メジャー通算84勝、二桁勝利4度という大きな実績を持つ。当然期待は先発で、デイビー、平野が故障という事情もあって軸にも期待された。一度二軍登板したあと5月に昇格即先発。しかしその試合は6失点KOされ、ここから3連敗。5月末に来日初勝利を挙げてから3連勝と調子を上げたが、そのあとまた3連敗と失速。
実績豊富な投手だが、日本での登板を見る限りでは非常に平凡。スピードも変化球もこれといった特徴がなく、相手に嫌がられるような癖も少ない。四球こそ少ないものの被安打は非常に多く、5回までも持たない苦しい投球が目立った。
結局シーズン4勝止まり、内3勝が交流戦でのもので、同一リーグとの対戦では防御率7点台で1勝5敗と散々。若手の伸びてきた投手陣に居場所はなく、1年限りで退団。メジャー16勝した03年当時の力はもうなかった。

リック・ガトームソン

先発右腕、球威型

右投右打
ヤクルト05途中〜06、ソフトバンク07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ヤクルト 25 2 9 10 0 0 173 2/3 145 9 127 38 7 3 55 2.85
07 ソフトバンク 22 1 5 7 0 0 143 138 10 89 28 9 2 56 3.52
08 ソフトバンク 18 2 5 7 0 0 100 104 11 51 35 4 0 45 4.05
通算 4年 81 5 27 29 0 0 513 2/3 489 39 329 131 23 5 201 3.52

速球とスライダーの切れを武器とする右腕。05年開幕後、先発候補の立て続けの故障からシーズン途中ヤクルト入りした。
メジャー実績はなく、04年は2Aで25セーブとリリーフでの活躍。来日して二軍戦で登板も内容が悪く心配させたが、一軍で強行先発させるとまずまずの投球。2戦目では勝ち投手となり、すんなりローテーションに収まった。前半は出入りが激しかったが、オールスター以降は防御率3点台、4勝1敗と安定。トータルでも8勝を挙げ、先発の一角として充分な働き。
小さいモーションから力のある球が特徴で、スピードもかなりあり、スライダーはなかなかの威力。投手のタイプとしては同僚のゴンザレスとほぼ同じだが、球威に関してはこちらのほうがやや上か。
2年目の06年は開幕連敗スタートもそこから4連勝。前半は非常に好調で、楽天戦ではノーヒットノーランの快挙を達成。オールスターまでに6勝を挙げ二桁確実という活躍を見せた。ただ外国人枠の関係で快挙の翌日登録抹消など前半は登板間隔がまちまち。起用法が落ち着いた後半は逆に自身が調子を落としてしまい9勝止まり。それでもチーム唯一の防御率2点台で、右の柱として大きな存在感を見せた。
大きな戦力だったが契約が折り合わず、07年ソフトバンクへ移籍。ここから今まで見せなかった問題児ぶりを発揮するようになってしまった。移籍初年は開幕直前に不注意で指を怪我し、開幕後もなかなか安定せず。さらには8月禁止薬物の使用で20日間の出場停止処分。原因は増毛剤だったようだが、日本では初の「ドーピング違反」として処分され、とんでもない汚点を残しシーズン5勝と大誤算に。
そして巻き返しに期待された昨年だったが、あまり状態は変わらず。開幕直後は経験を買われて不在馬原の代役プランもあったがすぐに立ち消え。先発で廻るも内容は非常に不安定。走者を負っては苛々を募らせ、自らリズムを崩していく繰り返しだった。しかも夏場にはまたも故障で離脱。結局前年と全く同じ5勝7敗、防御率はさらに悪化してシーズン終了。
ヤクルト時代これほどマウンドで苛々する姿は見せなかったのだが、移籍と同時に性格まで変わってしまったような落差だった。2年で10勝では完全に期待はずれで、広いホームに移ったのに被弾も増加。扱いづらさも見せて昨年限りで契約解除。数字以上に、いて欲しい時に限っていないというのが痛かった。

門倉 健

大型右腕、乱調型

右投右打 最多奪三振(05)
聖望学園高〜東北福祉大 中日96ドラフト2位〜99、近鉄00〜03、横浜04〜06、巨人07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 横浜 28 2 10 9 0 0 154 1/3 187 19 114 51 3 1 83 4.84
07 巨人 12 0 1 5 0 0 31 2/3 36 7 26 14 0 2 21 5.97
08 巨人 11 0 0 2 0 2 12 2/3 13 2 16 6 0 0 5 3.55
通算 13年 302 18 76 82 10 2 1276 1296 155 1146 536 42 46 618 4.36

05年史上4人目の「12球団から勝利」という記録を残した右腕。パで唯一在籍した近鉄とは対戦も出来なくなってしまったが、新球団の楽天と古巣の中日に勝っての達成となった。
191cmの長身から投げ下ろす速球とフォークを武器にする投手。特にフォークは二階から落ちてくる威力で、プロ入り即7勝をマーク。さらに97,98年と連続二桁勝利を挙げて、一躍エース候補と呼ばれた。ところがここから伸び悩み。どうもフォームに迷いがあり、年々腕が下がる悪癖。せっかくの長身をあまり活かせず、99年2勝と不振に終わると翌年は近鉄へトレード。
しかし移籍後も期待されながら不振は脱せず、01年は8勝も防御率は6点台。先発を確保しきれず、日本シリーズも登板はなかった。さらに02年はプロ入り後初の0勝と大低迷。翌年6勝で立ち直るも良かったのは前半だけで、横浜移籍の04年も先発では全く結果が出ずリリーフに。佐々木離脱以降は抑えにも起用されたが、好調が長続きしなかった。
球速はまずまずあり、威力は充分。何が悪いのか、ボールだけを見ていると良くわからない投手。どうも精神的なものか詰めの甘さが目立ち、二桁当然の力を持ちながら、なかなか壁を破りきれない。
05年大発奮を見せ、かつてなかったほどの安定感を一年維持。防御率を大幅に良化させ、中日時代以来7年ぶりの二桁、自己最多の11勝をマーク。同僚三浦と並んで奪三振タイトルにも輝いた。しかしこれが続かないのが悪いところ。06年は開幕3連敗、その間の防御率が10点オーバーと散々なスタート。その後巻き返して最終的にはチーム唯一の10勝を挙げたが、内容自体は5点近い防御率で誉められるようなものではなく、二桁勝てたのは運に恵まれた印象が強かった。
この評価は球団も同様だったようで、契約交渉が不調。FA権を行使し07年は巨人へ移籍した。しかし開幕ローテーション入りも3連敗で脱落、さらに腰を痛めて長期離脱。6点近い防御率でわずか1勝と冴えない結果に終わった。移籍2年目の昨年はリリーフで序盤そこそこも、5月に入ると不安定となり二軍落ち、そのまま再昇格なく、前年に引き続き自己最少の登板数を更新してシーズンを終えた。
もう30代中盤の年齢でかつての球威はなく、にもかかわらず依然乱調癖が抜けない。先発では辛いとなると非常に使いにくい投手となる。オフの契約交渉が決裂、移籍志願で自由契約に。国内から手は上がらず今季は渡米しマイナー契約。

川上 憲伸

力投エース、気合型

右投右打 新人王(98)、最多勝(04,06)、MVP(04)、ベストナイン(04,06)、Gグラブ(04,07)、沢村賞(04)、最多奪三振(06)
徳島商高〜明大 中日98ドラフト1位〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 中日 29 6 17 7 0 0 215 166 22 194 39 5 3 60 2.51
07 中日 26 0 12 8 0 0 167 1/3 175 18 145 23 6 1 66 3.55
08 中日 20 1 9 5 0 1 117 1/3 99 11 112 25 5 1 30 2.30
通算 11年 257 29 112 72 1 1 1642 1/3 1543 169 1328 351 42 23 587 3.22

中日先発陣の大黒柱。気合みなぎる投球とともに、球界一のカットボールの使い手と言われ、02年にはノーヒットノーランも記録した実力者。
ルーキーイヤーにいきなり14勝を挙げ、大学時代からライバルだった高橋由(巨)を抑えて新人王。しかしその後低迷。故障もあって、00年は2勝止まりで終わるなど歯がゆいシーズンが続いた。ややジリ貧気味だったが、02年カットボールを引っさげて完全復活。投球の幅が一気に広がり、防御率タイトルを最後まで争う安定感で4年ぶりの二桁勝利。翌年は故障でシーズンのほとんどを棒に振ってしまったが、04年は開幕から鬱憤を晴らすかのように好調。自己最多の17勝を挙げ、堂々の最多勝獲得。エースとしてチームを牽引し、優勝に大きく貢献。MVPに沢村賞と最高のシーズンを送った。
メチャクチャ速いという訳ではないが、スピードは充分に速球派のレベル。ぐいぐいと向かっていく強気の投球が売りで、球速より球威のタイプ。プロ入り当初はバリエーションが少なく不調時をしのぐのが苦しかった。しかし今は球種も増え、安定した制球力などバランスの取れたハイレベルの投手。
05年はオールスターまでに9勝を挙げながら、8月以降1勝と大失速。しかし06年は前年以上の猛ダッシュを見せ、オールスター時点で1点台の防御率に10勝。通年で自己最多タイの17勝を挙げ、2度目の最多勝に輝いた。初の奪三振タイトルも手にし、エースとしてチームを優勝奪回に導く活躍。
もう99〜01年の姿ではなく、紛れもない不動のエース。07年も先発の中心としてチームを引っ張った。前年ほどの勢いはなかったものの、4年連続の二桁勝利。昨年は開幕直後に体調不良を理由に登録抹消となるなどスタートが悪く、また夏の五輪出場後肩の違和感で復帰が遅れるなど順調ではなかったが、それでも投げればさすがの安定感を発揮。4年続いていた二桁勝利は途絶えるも2点台前半の防御率。あと8イニング弱投げていれば五輪特例でタイトルも可能だった。
若干隔年傾向は残っているが、悪くとも10勝以上で、その振幅は非常に小さくなった。長年チームを引っ張ってきたがオフにFA宣言、メジャー挑戦を表明し、今季はブレーブスと契約。

河端 龍

中継ぎ、気合型

右投右打
西城陽高〜龍谷大 ヤクルト99ドラフト5位〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - - -
07 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - - -
08 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 1/3 0 0 1 0 0 0 0 0.00
通算 10年 231 0 13 14 0 6 255 1/3 247 25 218 81 6 10 103 3.63

故障に苦しんだかつての中継ぎエース。入団以来主力リリーフとして活躍してきたが、06年以降登板なしの状態に。
ドラフト下位入団ながら1年目から一軍登板。故障で棒に振った2年目を経て、3年目の01年に一気に飛躍を遂げた。それほど速さがあるわけではなく、ボールだけなら平均的な投手。しかし気迫に満ちたマウンド捌きと、制球に気を使った落ち着いた投球で、終盤の優勝争いの場面で大活躍。先発陣に疲れが見えていただけに、この人の存在は大きかった。
後ろに五十嵐や石井弘が控えていたため、それほど目立つ場面は少ない。しかしどんな場面でも安心して使える汎用性の高さはチーム一とも言え、投手陣に必要不可欠な存在。肝の据わった投球で毎年しっかりと安定した数字を残してきた。
04年は自己最高の登板機会を記録し、05年はチームの苦しい時にプロ入り初先発も経験(見事勝ち投手に)。しかし06年開幕前に右肩を故障、これが全治一年を要する重傷で、長いリハビリ状態に入った。層が薄いと言われる投手陣に大きなダメージとなってしまった。06,07年と丸2年一軍登板なしに。
07年後半二軍でようやく復帰登板。昨年は70番というコーチのような大きな背番号に変わり、背水で復活に挑んだが、実戦からは遠ざかったまま。9月末に二軍で久々登板したが1イニング3失点に終わり、その数日後引退を表明。3年ぶりの一軍マウンドは引退試合となった。
地味でも状況を選ばず登板できる貴重な存在だっただけに、故障で寿命を縮めた形になったのは残念だった。今後は球団広報としてチームを支えることに。

川村 丈夫

変則力投、リリーフ転向型

右投右打
厚木高〜立大〜日本石油 横浜97ドラフト1位〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 横浜 57 0 4 4 3 21 56 59 3 34 22 2 1 24 3.86
07 横浜 35 0 3 1 0 7 55 55 3 53 23 2 1 22 3.60
08 横浜 9 0 1 0 1 1 6 1/3 6 0 4 1 0 0 3 4.26
通算 12年 368 9 71 64 4 59 1115 1/3 1063 144 815 315 19 20 461 3.72

右腕の使い方が独特の、変則的な投げ方をする投手。テイクバックのトップで腕を一度折りたたみ、砲丸投げのような押し出すようなリリースで投げる。そして大きく右側に踏み込むクロスファイヤー投法。球威も充分で、好調時には右打者にかなりの恐怖感を抱かせる投手。
アマチュア時代全日本の一員としてオリンピックにも出場した実力派で、ドラフト1位入団、即戦力の期待通り1年目から10勝。いきなりローテーションの一角を占め主力投手となった。2年目は8勝止まりも翌99年は波に乗って17勝。20勝の上原がいたためタイトルには届かなかったが、先発の軸となる活躍を見せた。
ただ調子の波が大きいという悪癖を持ち、成績も隔年傾向。強気に攻め込むかわりに手痛い失投も多く、被本塁打がかなり多いタイプ。シーズンの中でも波が激しく、勝てないときにはとことん勝てない。これ以降二桁勝利はなく、安定感のなさから「素質一流、成績二流」というイメージが強かった。02年の故障から翌年復帰も5勝のみで後半失速。先発としての存在感は大きく低下していた。
年々期待値も下がっていたが、04年リリーフに転向。これが大きな転機となった。チームトップの58試合に登板し、中継ぎの柱に定着。05年はさらに向上し、先発時代とは別人のような安定感を発揮。セットアッパーとしてクルーンにつなぐ役割となり、リーグ3位のホールドを記録。一時落ち込んでいたスピードも甦り、特徴だった一発病も影を潜めた。この配置転換は大成功。
06年は春先乱調気味で、前半大不調。前年後半から落としていた調子を戻せず、チームの低迷に一役買ってしまった。それでも後半は巻き返し、クルーン離脱中は代役として初めての抑えも経験。3年連続の50試合以上登板を記録した。07年は先発再転向でスタートしたが、年齢的に中盤がきつく、5月中にリリーフに戻った。3勝はすべてリリーフでのもの。
リリーフとして生き返り、長年主力として活躍してきたが、昨年は一気に存在感のないシーズンに。開幕二軍で4月末に昇格、早速セーブを挙げるなど出足は良かったが、5月に入るとすっきりしない投球が続き二軍落ち。そのままシーズン終盤まで進み、9月に引退を表明。現役生活を閉じることとなった。
年齢的なもの以上に精神的に限界を感じていたようで、仕方のないところか。安定感のある投手ではなかったが、長きに亘って主力であり続けた。今季は二軍投手コーチに就任、後進の指導に当たる。

マシュー・キニー

長身先発、決め手不足型

右投右打
西武08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 西武 17 0 2 4 0 0 80 1/3 87 4 64 35 6 1 40 4.48
通算 1年

西武の新外国人。長身の先発タイプで、03年メジャーで10勝の実績を持つ。07年まで在籍のギッセルに替わる存在。
開幕ローテーション入りで3戦目に先発登板。その試合は好投しながら敗れたものの、続く2試合は連勝。非常にいいスタートを切った。だが良かったのはここまで。これ以降はさっぱりで、連続KOで5月初めに二軍落ち。
スピードは大したことはなく、球種を駆使して打たせて取るタイプ。体格も投球スタイルも前任者のギッセルそっくりで、決め手不足も共通。相手が慣れていなかった最初の4試合は安定していたが、その後は中盤を乗り切れないようになった。
オールスター前に再昇格も内容はもう一つのままで、8月末から3連敗でシーズン終了。結局4月頭の2勝目以降全く勝てなかった。ポストシーズンは一切登板なく、一年限りということに。さほどスタミナがないのに球数が多い、じれったい投球ではしんどい。

ラファエル・クルス

育成上がり、剛球型

右投右打
中日07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 中日 17 0 1 3 0 3 20 1/3 13 2 18 6 1 1 6 2.66
08 中日 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 2年

育成枠入団から支配下登録された投手。MAX154kmの豪腕で、一軍でもなかなかの好結果を残した。
ドミニカ出身。もともとは捕手をやっていて、5〜6年前に投手転向したという経歴。キャンプでのテストを経て中日入りとなった。投手歴の浅さから育成枠での入団だったが、開幕前からなかなかの高評価。実戦に入るとさらに評価を高め、6月末に支配下登録。後半は一軍マウンドにも登場。
二軍戦で154kmを計時した剛球が最大の特徴。186cm、109kgという威圧感のある体型で、スリークォーターからいかにも重そうな速球を投げ込む。力任せの投球で一軍デビュー当初は打ち込まれ3敗を喫したが、初勝利からは10試合連続無失点でシーズン終了。上でも通用するところを見せた。
二軍では07年23試合3失点(自責2)10セーブという圧倒的な成績。荒削りでも力のあるところを見せたが、昨年はオープン戦で肘を痛め開幕前にリタイア。実戦復帰は遠く、7月に早くも自由契約となってしまった。大化けしそうな雰囲気もあっただけに故障に泣いたのは非常に残念。

佐藤 宏志

変則左腕、勢い重視型

左投左打
瀬戸内高〜亜大 巨人00ドラフト3位〜06、楽天07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 巨人 8 0 0 0 0 0 9 1/3 7 0 10 2 1 1 3 2.89
07 楽天 1 0 0 0 0 0 1 1/3 2 1 1 0 1 0 1 6.75
08 楽天 1 0 0 0 0 0 1/3 1 0 0 0 0 0 0 0.00
通算 9年 57 0 3 2 1 7 91 104 22 77 30 4 3 58 5.74

独特のフォームから、勢いでぐいぐい押していくリリーフ左腕。大学在学中に巨人のキャンプにゲスト参加、そこで当時の長嶋監督に見初められた。球威とスライダーの切れが持ち味。
個人的にはそんなに買っていなかった投手で、4年目まで一軍登板わずか1試合のみ。01年にファームで10勝を挙げたが、徐々にスケールが小さくなっていた印象だった。しかし従来の腕の振りを取り戻した04年、リリーフで一気に出番が増えた。一時は落ちていた球速も元に戻し、先発も経験するなど飛躍のシーズンに。
テイクバック時にグラブをはめた右手を打者に突き出すようなフォーム。特徴的な腕の使い方をする投手で、左腕をかなりきつくひねる。制球は微妙なかわりにタイミングは計りにくい。ただ良くも悪くも勢いの投手で、その時によってムラが大きい。この辺りが魅力でもあり、欠点でもある。
ようやくの台頭だったが、それをピークに以降は出番が減る一方。05年は不調から夏場に二軍落ち、一気に存在感が薄くなり06年は8試合の登板でシーズン後戦力外。
無償トレードという形で07年楽天に移籍。貴重なリリーフ左腕と見込まれたが、全く戦力にならなかった。07年は終盤に、昨年は開幕直後の3月に1試合ずつ投げたのみでずっと二軍暮らし。昨年は失点こそないものの、左打者二人に対して犠打とヒットではいい要素もなかった。
環境が変わってもジリ貧が止まらず、シーズン後再び戦力外。トライアウト参加も声はかからず、このまま見納めということに。昨年二軍では好防御率も、四球が多く内容としてはいまひとつだった。移籍で巻き返せなかったのは痛かった。

姜 建銘 (ジャン・チェンミン)

無四球台頭、急落型

右投右打
巨人05途中〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 巨人 10 1 3 2 0 0 59 2/3 48 2 31 7 1 2 12 1.81
07 巨人 17 0 2 4 0 0 41 2/3 45 6 30 13 0 1 24 5.18
08 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 4年 27 1 5 6 0 0 101 1/3 93 8 61 20 1 3 36 3.20

06年後半に彗星のごとく現れた台湾出身の先発右腕。安定感の高い投球で一躍主力に食い込んだ若手投手。
05年6月末に巨人入り。まだ学生の身分で、当然プロ経験はなし。年齢からも育成を主眼に置いた獲得だった。05年は二軍でわずか2試合のみの登板で、06年6月に初昇格も負け試合に1イニング投げただけ。ここまではまだ一軍には遠い存在と思われた。しかし8月中旬に再昇格すると、初先発で7回3安打7奪三振の快投初勝利。続く登板も1失点の好投、さらに次の試合で完封勝利を飾り、足並みの乱れていた先発陣に一気に割り込んだ。低迷するチームにあって最大の光明に。
バランスの取れた癖のないフォームで、特筆すべきはコントロールの良さ。06年初登板から28イニング連続無四球を記録し、初めての四球は敬遠だった。トータルでも9イニング平均1.2は、四球が少ないことで名高い上原にも匹敵する数字。当然投球テンポも良く、非常に軽快な印象を残した。
この活躍で背番号も17と若返り、大いに期待された07年だったが、信じられないような不振に。開幕ローテーション入りも最初に勝ったきり3連敗で二軍落ち。その後も一向に調子は戻らず、一軍と二軍を行ったり来たりの状態でシーズンを終えてしまった。ファームでも冴えない成績で、06年の勢いは完全に失われてしまった。
前年よりイニング数が減ったにもかかわらず四球はほぼ倍増。まるで別人の投球ぶりだった。秋の教育リーグでもガタガタで、昨年は一軍登板なく、二軍でも2試合に投げたのみ。シーズン後には戦力外となってしまった。トライアウト参加も声はかからず、再起は厳しそうな状勢。これほど短い輝きで終わってしまうとは…。

正田 樹

大型左腕、伸び悩み型

左投左打 新人王(02)
桐生一高 日本ハム00ドラフト1位〜06、阪神07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 日本ハム - - - - - - - - - - - - - - -
07 阪神 - - - - - - - - - - - - - - -
08 阪神 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 84 6 24 37 0 0 445 1/3 490 52 239 205 13 22 241 4.87

夏の甲子園優勝の実績を持つ先発型左腕。故障などもあって1,2年目は出てこなかったが、02年ローテーションに名乗り。
高校時代から武器は大きなカーブと速球との緩急。加えてその速球は、手元で微妙にスライドする癖球。そのため、左打者よりも右打者相手のほうが成績がいい。特に02年はその癖球を駆使して台頭、高めに広がった新ストライクゾーンも追い風となり、9勝を挙げて新人王獲得。左のエース候補に名乗りを上げた。
だがこれ以降伸び悩みに陥った。好不調の波が激しく、悪い時は極端に打ち込まれるケースが多い。03年は制球も粗く、防御率大幅悪化。リーグワーストの15敗と散々で、大きく期待を裏切った。04年は8勝で勝ち越したものの、打線に助けられた格好で防御率はまたも5点台。相変わらず四死球も多く、内容はあまり向上せず。そして05年からは故障もあって一軍も遠くなってしまった。
デビュー当初に比べるとカーブの割合が増え、かつての緩急が戻りつつはある。だがどうもムラッ気が消えず、早々に打ち込まれる極端さが消えない。奪三振とほぼ同数の四球というのはやはり多すぎで、制球面も大きな課題。
06年一軍登板なく終わり、07年開幕直前に阪神へトレード。環境が大きく変わったが、一軍は遠いままだった。昨年も二軍暮らしで終わり、3年一軍登板なくシーズン後戦力外に。移籍で巻き返したかったが…。トライアウト参加も国内からオファーはなかったが、今季は台湾に。かつての輝きを取り戻せるか。

ショーン・ダグラス

先発助っ人、故障離脱型

右投右打
広島06〜07、ヤクルト08途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 広島 20 0 9 6 0 0 97 2/3 85 13 71 30 6 1 37 3.41
07 広島 - - - - - - - - - - - - - - -
08 ヤクルト 6 1 2 2 0 0 32 30 3 16 11 2 1 14 3.94
通算 3年 26 1 11 8 0 0 129 2/3 115 16 87 41 8 2 51 3.54

06年広島入りの長身外国人右腕。05年3Aで9勝を挙げ、メジャー昇格後5勝。イチローを7打数ノーヒットに抑えた。まさに伸び上がってきたタイミングで来日。
長身から投げ下ろすというよりも、非常に球持ちが良く腕が遅れて出てくるタイプ。個人的には、ダイエー時代のペドラザを連想した。ナチュラルにシュートする速球に威力があり、制球もなかなか安定している。
開幕ローテーション入りし、2戦目に7回無失点で初勝利。しばらくは勝敗が交互に来る状態だったが、3勝目から4連勝をマーク。黒田とともに先発の軸となる活躍を見せた。
チームにとって大きな存在となったが、6月の末に下半身の故障で登録抹消。すぐに復帰したが、今度は肘を痛めて再度離脱、後半はほとんど投げられなかった。この故障は尾を引き、翌年は一度も投げられず。この時点で一度退団。
昨年は本国に戻っていたが、7月テストを経てヤクルト入りが決定。二軍で1勝したあと一軍登録され、8月後半からローテーション入りした。最初の3試合は好投が続き復活をアピールしたが、そのあとの3試合はいまいちの内容。6試合で2勝の結果でシーズン終了。
トータルとしては良くも悪くもないといった感じだが、10月またも肘を痛めてしまった。前回も故障した箇所であり再び退団に。06年当時の投球ではなかった上に故障再発ではやむをえないところ。

竹岡 和宏

苦労人、一芸型

右投右打
守山高〜近大〜日本IBM〜中山硬式野球クラブ〜米3A ダイエー/ソフトバンク04ドラフト8巡〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ソフトバンク 22 0 1 0 0 1 28 2/3 31 1 10 6 2 0 6 1.88
07 ソフトバンク 7 0 0 0 0 0 12 7 0 5 3 0 0 2 1.50
08 ソフトバンク 19 0 0 1 0 0 24 19 3 15 11 1 0 6 2.25
通算 5年 77 0 4 3 0 2 116 110 6 52 47 8 4 39 3.03

04年29歳でプロ入りを果たした遅れてきた投手。社会人やクラブチーム、さらにアメリカに渡ってマイナーで揉まれた苦労人で、テストで認められてのプロ入り。
最大にして唯一の持ち味は、長身のサイドスローから繰り出すツーシーム。自分でも変化が完全に予測できないという癖球で、これでひたすら散らして打ち取るのがスタイル。球威はなかなかあって、好調だとかなり打ちづらい。
ドラフト8巡でも一芸が認められ、開幕から一軍入り。一時は非常に好調で、まさかの先発で勝利投手になるなど、1年目としては上出来の成績。2年目の05年も序盤は健闘し、防御率を大幅に向上させた。
課題は幅の狭さで、ほぼツーシーム一辺倒のため、粘られると非常に苦しい。自分でも変化が予測できないということは、制球も当然アバウトということで、とんでもなく甘いところに投げてしまうこともしばしば。
06年は自己最多の22試合に登板。内容も悪くなかったが翌年は終盤に7試合に投げたのみ。敗戦処理中心で数字ほどの信頼は掴めなかった。それは登板数の増えた昨年も同様で、防御率も被打率もいいのだが、一方で四球や被弾が多く見かけの数字ほど安定感はなかった。8月以降は登板なく、シーズン後戦力外に。
他球団が興味との報もあったが、声はかからず今季は再び米球界に挑戦することに。面白みも多い投手だが、もう一つ何か武器になる球種があれば信頼も掴めたのだが。

トム・デイビー

長身助っ人、球威型

右投右打
広島03途中〜05、オリックス06〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 オリックス 24 4 10 8 0 0 165 159 9 77 53 8 5 48 2.62
07 オリックス 26 2 8 11 0 0 162 2/3 180 9 78 44 9 1 58 3.21
08 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
通算 6年 92 11 32 31 1 0 569 1/3 581 46 320 185 31 11 199 3.15

03年途中入団の外国人投手。身長2mの巨漢で、長身から投げ下ろす速球に威力のある球威型。長身投手で高々と足を上げるフォームはかつてのミンチーを彷彿とさせるが、投球スタイルは異なる。
途中入団の03年は当初リリーフで起用されていたが、その後先発に定着。そこからが本領発揮で、強気の攻めと安定した制球力で、2点台前半と抜群の防御率。常に不足しがちなチームの先発陣の軸となる働きを見せた。先発陣の重要なキーマンとして当然残留。しかし翌04年はあまり調子が上がらぬうちに肩痛を発してしまい、戦線離脱のアクシデント。開幕前から離脱のブロックともども、チームにとって痛い誤算になってしまった。結局シーズン中の復帰はならず、そのまま一度は退団へ。
このまま消え去るかと思われたが、翌春季キャンプにテスト参加し、再契約へ。故障上がりの不安もあったが、2点台の防御率で6勝とまずまずの結果を残した。特に前半はすべて3失点以内という安定感で、手薄な先発陣を支える働き。内容的にはもっと勝っていてもおかしくなかった。
再び広島を退団し06年からはオリックスへ。期待通りローテーションの柱となる活躍で、自身初の二桁勝利達成。防御率も2点台と上々。07年は前年ほどの安定感ではなかったが、それでも先発の軸として健在。援護に恵まれず負け越してしまったが、期待通りの働きはきっちり見せた。
三振は少なめだが、球威で押し打たせて取る。大崩れしないのが魅力で、計算の立てやすい投手。軸として昨年も計算されていたが、開幕直前に肩の痛みを訴え戦線離脱。重症であることが分かりシーズン絶望の事態に。結局復帰の見通しが立たないまま8月に自由契約。実績充分の投手で故障癒えればという反面、以前の故障歴もあり年齢も厳しいか。

戸部 浩

中継ぎ転向、一軍半型

右投右打
樹徳高〜日大〜東芝府中〜東芝 ロッテ00ドラフト3位〜06、楽天07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ロッテ - - - - - - - - - - - - - - -
07 楽天 11 0 0 0 0 0 14 1/3 22 4 8 13 2 2 20 12.56
08 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 73 0 2 2 1 0 87 1/3 108 18 63 44 6 7 62 6.39

03年中継ぎで台頭を見せた投手。即戦力の期待を裏切り二軍を脱することができなかったが、ようやく実績を残した。
社会人からプロ入りも02年までは毎年登板数一桁。しかし03年は一気に35試合に登板と出番を増やした。変身の理由はシュートの確立。腕を下げることでこの球種の威力が増した。これまでは逃げ腰で煮え切らない印象だったが、自信がついたことで大胆に攻められるようになったのが大きい。もともと武器だったスライダーも活かせるようになった。
しかし04年はあまり登板機会なし。薮田の台頭で影が薄くなり、二軍でも状態が良くなかった。防御率は3点台でも内容はかなり悪く、これ以降は元の状態に逆戻り。2年間登板なく、07年楽天へ。
移籍を契機としたかったところだったが、久々の一軍登板もいいところが全くなかった。11試合登板で失点しなかったのが4試合では敗戦処理としても失格。いいように打ち込まれ、ボロボロの成績に終わった。
二軍で好成績でも一軍でこれではあまりに苦しい。昨年は二軍で主力リリーフを務めるも、ついに一度も一軍に上がれず。34歳の年齢からも戦力外となったのはやむをえなかった。03年の台頭を持続できなかったのが痛かった。現役を退いて、今季はソフトバンクの打撃投手に転身することに。

ドミンゴ・グスマン

剛球派、力任せ型

右投右打
横浜02〜03、中日04〜06、楽天07途中〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 中日 4 0 2 2 0 0 18 1/3 19 1 13 2 1 2 8 3.93
07 楽天 11 0 2 4 0 0 55 2/3 56 6 40 22 5 7 31 5.01
08 楽天 23 1 2 7 0 0 102 1/3 99 6 65 34 7 5 44 3.87
通算 7年 108 8 30 37 0 0 585 2/3 580 51 451 174 34 29 261 4.01

身体能力の高さを感じさせる先発型右腕。横浜テスト入団の投手で、技術は未熟なもののボールの力は相当なもの。好調時には手がつけられない投球を見せる。
野手投げに近いような荒削りなフォームだが、体のバネが強く力感は非常に高い。球威は十二分で、ストレートの球速は平均にならしても140km台後半を記録する。当初は本当に力だけの投手だったが、日本でスライダーを習得。投球の幅が広がった。
02年、開幕一軍は果たしたものの技術の未熟さはいかんともしがたく、当初は低迷。しかし夏場以降に急成長を見せ先発で活躍を見せた。その勢いを駆って03年は開幕からローテーションに座り、チームが低迷する中先発を守り通した。8勝止まりで防御率4点台後半ではあったが、素質の高さは実証。
しかし安定感のなさを嫌われてか、横浜を戦力外に。これだけの投手を放っておくはずもなく、同一リーグの中日が獲得。育ての親ともいえる森投手コーチとともに移籍し、優勝へ大きな戦力となった。前半こそ相変わらず不安定だったものの、後半、特に夏場は非常に安定。念願の二桁勝利に到達し、負け数はわずかに5。広島戦には6勝無敗と無類の強さを見せ、古巣横浜相手にも2戦2勝としっかり恩返しを果たした。
大きく生まれ変わり、横浜が手放したことが改めて信じられない出来だった。しかしこれ以降故障に泣くことに。05年は肩痛で開幕出遅れ、復帰後肘を痛めと故障続き。これが尾を引いたか翌年も序盤の登板だけで二軍落ちし、8月に早くも解雇されてしまった。
しばらく離れていたが、07年途中楽天にテスト入団し日本球界復帰。先発として2勝を挙げた。昨年は小山がオープン戦不調ということで、スピードを買われて抑え起用。しかしこれが誤算だった。開幕戦いきなり2点リードを守れず逆転サヨナラ負け、翌日も9回に同点打を浴び、一週間も持たずに抑え失格ということに。先発に戻ってからは今度は勝ち運に見放され、6月から5連敗。パッとしない成績でシーズンを終えた。
はまれば面白い投手だが粗っぽさも強く、安定感には欠ける。苦肉の策とはいえ抑え起用は無謀だったか。シーズン後戦力外に。力は充分持っているがムラッ気は微妙か。

クリストファー・ニコースキー

リリーフ左腕、不安定型

左投左打
ソフトバンク07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 ソフトバンク 46 0 1 1 0 12 34 25 1 24 21 8 1 12 3.18
08 ソフトバンク 39 0 2 4 2 7 42 2/3 43 1 31 19 5 1 22 4.64
通算 2年 85 0 3 5 2 19 76 2/3 68 2 55 40 13 2 34 3.99

リリーフ専門の外国人左腕。メジャーでは8球団を渡り歩き通算336試合登板の実績を持つ。AP通信へ日本野球に関するコラムを寄稿するという話題にも。
スピードもそこそこあり、スライダーの切れもまずまず。1年目シーズン序盤は11試合で自責1となかなかの好投を見せた。だが5月以降投球内容が悪くなり、信頼低下。特に夏場に入ってはっきり状態が悪くなり、かなり不安定な状態に。
タイプとしてはグーリン獲得時のかつての要求「阪神ウィリアムスのような投手」に合致しているのだが、好不調の落差が激しく、中間の状態がないのが困りもの。いい時は非常に切れが良く相手を寄せ付けない投球をするが、悪い時は四球が多く自滅気味。リリーフとしてこの不安定さは致命的で、投げてみなければわからないというのでは重要な場面では使いにくい。走者を置くとはっきり投げ急ぎが出るのもマイナス。
昨年は好調が伝えられ、序盤は不在馬原の代役抑えを務めた時期も。だが前述の傾向は全く変わっていなかった。気温が上がってくるとともに不安定さが顕著になり、夏場ははっきりガタガタに。試合を壊す場面も目立ち、登板数も減っていった。結局前年より成績を落とし、シーズン後戦力外に。
間隔が空きすぎることや敗戦処理での起用などで不満を口にしていたが、そういう状態に仕向けたのは自身の投球に他ならない。ボール自体に力はあったのだが、「投げてみなければ分からない」では重要な場面は任せられなかった。今季は韓国SKでプレーすることに。

野口 茂樹

一芸活躍、急降下型

左投左打 最優秀防御率(98,01)、MVP(99)、最多奪三振(01)、Gグラブ(01)
丹原高 中日93ドラフト3位〜05、巨人06〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 巨人 1 0 0 0 0 0 3 7 0 1 1 0 1 3 9.00
07 巨人 31 0 1 1 0 4 29 1/3 34 4 28 20 3 0 14 4.30
08 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 16年 281 37 81 79 2 4 1405 2/3 1408 132 1122 528 39 42 577 3.69

絶対の武器・スライダーを駆使し、一度は天下を取った先発左腕。98〜01年の4年間で54勝を挙げ、この時期は完全にエースとして君臨していた。どっしりとした体型で球威もあるタイプ。
入団後、早い時期から期待されていたものの、3年目の抜擢には応えられず。一軍定着までには結構もたついた感がある。精神的に弱い部分があり、素質を活かしきれない面が強かった。
しかし98年になって突如才能開花。勝ち続けることで自信を深め、さらに好調を維持する好循環。この年14勝を挙げ、2.34の好成績で防御率タイトルを獲得。ようやく持てる才能を発揮できるようになり、翌年は19勝の堂々たる成績。防御率もリーグ2位で、完全に一本立ち。どころかリーグを代表する投手にまで成長した。00年は疲労からかスライダーの切れが悪く不調に終わったが、翌年は復活。打線の援護がなく12勝止まりだったが、2度目の防御率タイトルに輝いた。完封5、無四球5の数字は文句のつけようがない。
しかし翌02年から急落が始まる。故障でほぼ一年を棒に振りわずか5試合登板、2勝。これで築き上げてきた自信をいっぺんに失ってしまった。03年は9勝でも防御率は4点台で内容は精彩を欠いた。さらに04年は出足こそ良かったもののそこから大乱調。投げてみなければわからない不安定な状態で、とうとう夏場に先発をはずされ、リリーフ失敗が続くと一軍からもはずされてしまった。
わずか数年で一気に色褪せ、トレード要員を宣告されるまでに追い込まれるとは全くの予想外だった。06年FAで巨人へ移籍。しかしジリ貧傾向を止めることはできず、自己ワーストのシーズンに。先発して3回KO、肘痛を訴え、これが唯一の一軍登板に終わってしまった。
まだ老け込むような年でもないのだが、かつての輝きは完全に失ってしまった。07年はワンポイント中心の起用で前半はなかなかいいところを見せたが、徐々に調子を落として尻すぼみ。そして昨年は1年目以来15年ぶりに一軍登板なく終わり、シーズン後戦力外に。
元来の気の弱さに加えて、力も大幅に落ちている。楽天のテストを受けるも「球威不足」と判定され不合格。米球界挑戦を打ち出しているが、130kmがやっとの状態に落ちており相当難しい。このまま終わってしまうのは寂しいが…。

ジェレミー・パウエル (J.P)

長身右腕、衰退型

右投右打 最多勝(02)、最多奪三振(02)、最優秀勝率(02)
近鉄01途中〜04、オリックス05、巨人06〜07、ソフトバンク08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 巨人 28 3 10 10 0 0 187 1/3 196 9 131 31 11 4 69 3.31
07 巨人 7 0 0 2 0 0 40 1/3 52 3 20 12 7 0 26 5.80
08 ソフトバンク 12 0 2 6 0 0 66 1/3 92 9 36 27 2 2 39 5.29
通算 8年 173 23 69 65 0 0 1157 1/3 1195 116 858 324 75 16 511 3.97

4度の二桁勝利を記録している外国人右腕。ラソーダ氏の紹介で近鉄入りし、当初は勝ち運に乗ることは出来なかったが、2年目に大飛躍。
1年目ははっきりいってまったく特徴なし。4勝にとどまり地味な存在だったが、2年目に大変身。開幕から常にローテーションの中心に座る活躍で、特に奪三振率が大幅に上昇。前年とは別人のような内容で、最多勝、最多奪三振、最高勝率と三つのタイトルを獲得。完封、無四球完投ともにリーグトップを記録し、一気にエースとなった。翌年も先発の軸として14勝をマーク。
持ち味は長身から投げ下ろす速球と大きな縦割れのカーブ。特にカーブは、落差とともにチェンジアップの役割も兼ねる。強気な内角攻めも特徴で、非常に死球が多い。特に02年の21という数字は、68年の森安(東映)以来という破格の多さ。
04年は10勝に届かず不本意なシーズンに終わったが、合併でオリックス移籍の05年は先発の中心に君臨し14勝の活躍。特に夏場から後半の働きが光った。巨人移籍の06年は開幕から先発6連勝。前半のチームの快進撃を支える投球を見せた。しかし5月末からパタッと勝てなくなり、8月中旬まで悪夢の8連敗。最終的に勝ち負けイーブンでチームの浮き沈みを象徴するような結果となった。
それでも二桁勝利の安定した戦力であったが、07年は開幕直前に膝を痛め離脱。前半は一度も投げられず、後半復帰後も精彩を欠いた。1勝もできずに終わり、もちろん自己最低のシーズンに。
巨人を離れた昨年はキャンプ直前に二重契約問題が勃発。すったもんだの挙句ソフトバンクへの移籍となった。だが前年の故障から、すでに全盛期の力は失っていた。4月中旬の初登板こそ勝ったものの、それ以降さっぱり勝てず。二軍調整をはさんでも良化の気配が見えず6連敗を喫した。8月後半にようやく2勝目を挙げるも、5失点で実質KOという内容で、以降は登板なし。戦力にならず、シーズン後解雇に。
奪三振率の大幅な低下が示すとおり、球速はガタ落ちで得意のカーブも切れが鈍っていた。投球の軸となるものがなくなっている状態で、カウントを稼ぐのにも四苦八苦。これでは勝てるはずもなく、無理を押して獲得した甲斐は全くなかった。実績充分でも力が相当落ちており、これが見納めとなりそう。

トラビス・ヒューズ

リリーフ右腕、制球難型

右投右打
横浜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 21 0 1 1 1 2 22 23 3 18 11 1 0 12 4.91
通算 1年

速球が売りのリリーフ投手。メジャー実績は乏しいものの、近3年3Aで41セーブ、07年も24セーブという成績。クルーンの移籍で空席となった抑え候補を視野に入れての獲得。
球速はある投手だが、期待は早々にしぼんだ。2度目の登板でセーブを挙げるも、続く登板で2点リードを守れず。連続で失点して4月初めに二軍落ち。再昇格の5月はまずまずだったものの、6月に入ると大乱調。7試合中5試合で失点し、交流戦終了を待たずに再度二軍落ち。
マイナーレベルでも四死球がかなり多かったが、この傾向はやはりはっきり出た。イニングの半分以上の四死球では抑えはおろか中継ぎとしても怖い。
二軍では1点未満の防御率で5勝1敗と良かったが、下で働いても意味がなく、8月に早くも解雇。見切られるのも早かった。

ジム・ブラウワー

途中入団、リリーフ型

右投右打
広島08途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 21 0 0 2 0 12 20 1/3 26 0 13 8 0 4 9 3.98
通算 1年

昨年途中加入の外国人投手。メジャーでは8球団を渡り歩いたジャーニーマンで、通算354試合登板の実績を持つ。クライマックスシリーズ進出の戦力向上を期待されて獲得。
メジャーでも主にリリーフだった投手で、04年には89試合登板という記録も持つ。7月末に契約が発表されると二軍調整を経ずにすぐに一軍登録。8月以降リリーフで起用されると、最初の6試合7イニングを無失点に抑え力のあるところを見せた。しかし8月後半に入ると失点が続くようになり、終盤は登板数減少。
まずまずのスピードと高速シンカーを持っていたが、慣れられるのも早かった印象。すでに35歳のベテランでもあり、1年契約を延長はせず退団。本当に急場の補強という形だった。

星野 順治

癖球サイド、切れ重視型

右投右打
新潟商高〜NKK ダイエー/ソフトバンク98ドラフト4位〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ソフトバンク 1 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 0 0.00
07 ソフトバンク 5 0 0 0 0 1 3 2/3 5 0 1 2 0 0 1 2.45
08 ソフトバンク 3 0 0 1 0 0 7 9 0 3 6 1 0 7 9.00
通算 11年 156 15 50 48 0 1 732 2/3 740 94 373 205 41 3 347 4.26

プロ入り後にサイドスローに転向し、2年目に大躍進した投手。99年10勝を挙げ優勝の原動力となった。
直球、変化球とも見た目は平凡で、圧倒的なボールはまったくない。外からは良さがわかりにくいが、打者の手元で微妙に動く癖球が持ち味でボールの切れが身上。勝負度胸が良く、強打者でも臆せず胸元を淡々とえぐれるのが魅力。
故障で00年は出遅れ、3勝止まりに終わったが、翌01年は開幕からローテーションに定着し自己最多の13勝。02年も開幕から好調で4連勝。しかしその後失速、一時は中継ぎに降格され、結局二桁には届かずに終わった。絶対的なボールを持たず、きめ細かい制球力もない故に一度不調に陥るとなかなか復調できない。いい時には抜群の安定感を見せるのだが、この出入りの激しさでなかなか安定しない。
03年は故障で出遅れ、しかもその間にチームは若い投手が急台頭し立場が微妙に。危ない状況だったが、04年は緊急先発からチャンスを得てローテーション復帰。7勝を挙げて存在感を見せた。翌年は4連勝と絶好のスタートを切って8勝を挙げた。
だがこの05年後半から急激に存在感を失った。8勝目のあと3連続KOを喫して終盤はファーム落ち。06年はチャンスすら巡ってこず、夏場に一度リリーフ登板したのみ。07年も一軍にいたのはわずか1ヶ月で、2年続けて登板数一桁。すっかり影が薄くなってしまった。
非常に逆球が多い投手で、制球は極めてアバウト。散らすというより散ってくれればという捕手泣かせの投球で、城島がいなくなり不安定な捕手陣ではリードしきれなかったかもしれない。昨年は夏場に昇格して3年ぶりの先発機会もあったが、もはや球威の衰えが明白だった。結果は残せず、シーズン後引退を表明。
ちょっと燃え尽きてしまうのが早すぎた感もあるが、懐を攻められないほどスピードダウンしては仕方ないところ。今季からは二軍のコーチ補佐に転身。

マット・ホワイト

リリーフ左腕、向上型

左投右打
横浜07途中〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 横浜 24 0 0 3 0 6 32 2/3 35 6 26 11 1 0 18 4.96
08 横浜 15 0 1 0 2 3 14 16 0 12 3 0 0 7 4.50
通算 2年 39 0 1 3 2 9 46 2/3 51 6 38 14 1 0 25 4.82

07年途中入団の外国人投手。新外国人の一人チアソンが全く戦力にならず、期限ギリギリの6月末に獲得された。登録名は「マットホワイト」。
来日してまずは二軍で2度先発したが、計16失点とボロボロ。それでも一軍に呼ばれ、7月末から3試合先発起用。一度は好投もあったが勝ちにはつながらず2敗。ここまでは正直微妙すぎる内容だった。その後はリリーフに。
印象が変わったのは終盤。リリーフに廻って投球が安定し、9月以降は19試合とかなりの登板数をこなした。9月下旬から9試合連続無失点でシーズンを終え、8月末で7点近かった防御率も最終的には4点台に改善。上り調子を評価され残留。
昨年も開幕当初はなかなか好調で、クルーンの抜けた抑え役も務め2セーブ。しかし5月に肩の違和感で離脱、その後家庭の事情で一時帰国、このブランクを境に内容を大きく落としてしまった。6月後半に復帰も7月連続炎上、すぐに腰痛で二軍落ち。8月には早くも解雇されてしまった。
いいところも見せていただけに、5月以降順調さを欠いたのが残念。もったいない印象もあるが、チームが大低迷して余裕がないということも考えればやむなしか。

ヴィクトル・マルテ

パワーピッチャー、未熟型

右投右打
広島06〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 広島 12 0 0 1 0 1 11 1/3 5 1 5 6 1 3 2 1.59
07 広島 17 0 0 1 0 2 17 1/3 28 2 13 10 2 1 16 8.31
08 広島 1 0 0 0 0 0 2 4 0 2 1 0 1 3 13.50
通算 3年 30 0 0 2 0 3 30 2/3 37 3 20 17 3 5 21 6.16

ドミニカのカープアカデミー出身投手。06年支配下登録され、一軍実績も残した。
カープアカデミー出身者はかつてのチェコやペレスの印象が強く、近年は一軍にあまり登場しないため少し影が薄くなっていた。マルテも当初は二軍にいたが、夏場以降一軍にも顔を出し好成績を残した。二軍では抑えを任されてチームトップ、リーグ2位の13セーブを挙げる活躍。
テイクバック時に右腕を高々と掲げ、迫力満点のパワーピッチングを見せる。150kmを越す球速を誇り、マウンドでの威圧感はすでに充分。ただそれ以外、特に制球はかなり未熟で、抑えてはいても四球が多かった。
07年は登板機会増加。ただ奪三振が増えた代わりに被安打も増えてしまい、ほとんど抑えられず。失点がかさみ防御率はずっと酷い状態。登板機会は減って後半はほぼ二軍に終わった。昨年はさらに一軍が遠ざかり、6月の2回3失点が唯一の登板だった。終始二軍暮らしでシーズン後戦力外に。
昨年二軍ではリーグのセーブ王となったが、一軍ではここ2年粗さが前面に出すぎて通用しなかった。もう若いとも言えず、見切られても仕方ないところか。

山村 路直

元大器、故障再起型

右投右打
松山中央高〜九州共立大 ダイエー/ソフトバンク01ドラフト1位〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ソフトバンク 1 0 0 0 0 0 2/3 0 0 0 0 0 0 0 0.00
07 ソフトバンク 23 0 2 2 0 1 26 29 3 12 12 1 1 11 3.81
08 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
通算 8年 25 0 2 2 0 1 27 2/3 30 3 12 12 1 1 11 3.58

ドラフト1位で鳴り物入りでプロ入りしながら、再三の故障に泣かされてきた投手。7年目の07年、ようやく一軍で実績を残すに至った。
大学では田上の1年、新垣の2年先輩。アマチュア屈指の豪腕投手として早くから知られ、ドラフトの目玉として争奪戦も繰り広げられた。山田とともに逆指名でダイエー入り、当然即戦力で1年目から主力級の活躍も期待された。しかしここから苦難の日々が続くことに。
期待された1年目は故障で一度も実戦登板できずに終了。この後もひたすら故障続きの生活となった。何度も肩・肘を痛め、手術に及んだのは計5回。4年目まで一軍はおろか二軍でもごくわずかな登板数。
ようやく故障禍から開放されたのが05年。この年二軍で初めて二桁登板を果たし、一軍初登板も経験した。06年まではまだ試運転、顔見せ程度といった感じだったが、07年はオープン戦でアピールし念願の開幕一軍入り。リリーフとして序盤登板機会を得、プロ初勝利も記録した。
度重なる故障からかつてのスケールには及ばないようだが、スピードは140km台後半を記録し球威は感じさせる。シュートや速球で体を起こし、フォークやスライダーでしとめるという投球スタイル。ただステップ幅の小さいフォームに加えてややアーム気味の投法で、全体的にボールが浮き気味。少し決め手にも欠けている印象。
登板はほぼ前半に偏り、後半は二軍暮らし。底も見せた印象もあり、昨年は一度も一軍に上がれず、シーズン後戦力外となってしまった。若いうちの故障連発はあまりにも痛すぎたか。即戦力間違い無しと謳われた「山山コンビ」は揃って同じ年に戦力外という結果に終わった。

エリック・ヤング

テスト入団、力不足型

右投右打
オリックス08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス 11 0 0 1 0 0 10 1/3 16 2 14 5 0 0 8 6.97
通算 1年

春季キャンプでテスト入団の外国人投手。メジャー実績は乏しく、主にマイナーや独立リーグでプレーしていた選手。
2m近い長身から150kmの速球を投げ下ろすという触れ込み。年俸は1500万で、「当たれば儲け物」という扱いだった。やはりそう当たるものではなく、4月中旬に昇格して以降すべてリリーフで投げたが11試合中6試合で失点。三振は良く取るがそれ以上にヒットを打たれ、戦力というレベルには達していなかった。コリンズ監督が辞任するとまもなく二軍落ち。
確かに速さはあるがそれだけであり、被打率は3割後半といいように打ち込まれた。結局5月中旬を最後に二度と一軍には戻れず、1年限りで解雇。二軍でも酷く打たれており、やはり力不足だったか。

吉川 勝成

球威型サイド、リリーフ型

右投右打
天理高〜龍谷大 近鉄00ドラフト9位〜04、オリックス05〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 オリックス 15 0 0 0 0 1 11 2/3 14 3 7 6 3 1 7 5.40
07 オリックス 1 0 0 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 0.00
08 オリックス 2 0 0 0 0 0 3 6 2 2 1 0 0 3 9.00
通算 9年 108 0 4 8 1 6 118 2/3 152 9 60 43 7 1 57 4.32

04年リリーフで急台頭したサイドスロー投手。プロ入り以来毎年一軍には登場していても全く無名の存在だったが、一気に右のリリーフの軸とも言える活躍を見せた。
高校時代には名門で甲子園出場、大学では最終学年の秋にMVPというキャリアを持つが、しかしドラフトは9位と極端な下位入団。それでも1年目から一軍登板を果たすが、当初は制球が粗く戦力にはならなかった。03年まで4年間の通算登板は11試合。しかし04年はまるで別人のように大変身。制球はグッと安定し、横手からの速球を武器に登板機会急増。気がつけばリリーフ陣で最も安定した投手となっていた。
凄く速いというほどではないが、球威はかなりあるタイプ。シュートとスライダーを基本線に左右を揺さぶっていく。以前は制球の不安からか単調になりがちだったが、大胆に懐を攻めて好結果に結びついた。さすがに後半は疲労の色が見えたが、50試合登板で4勝、防御率も2点台に収めた。
近鉄投手陣最後の成長株で、05年は球団合併でオリックス入り。当然同じ役回りが期待されたが、疲労からか一転して不安定に。前半こそ登板数は多かったが調子は上がらず、むしろ内容悪化で数字を大幅に落としてしまった。翌年も不安定な状態は脱せず、昇格・抹消を繰り返して登板数はさらに半減。オリックス入り後はどうもパッとしない。
ジリ貧は加速し、07年はとうとうわずか1試合、それもシーズン最終戦にやっと投げただけに終わった。昨年も開幕直後に2試合、いずれも失点で以降ずっと二軍暮らし。シーズン後戦力外となり、そのまま引退ということになった。04年の活躍は目覚しかったが、その状態に戻せなかった。

吉武 真太郎

技巧派、リリーフ再浮上型

右投右打
国東高 ダイエー/ソフトバンク94ドラフト4位〜06、巨人07〜08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
06 ソフトバンク 60 0 3 2 0 20 65 2/3 70 4 36 20 3 0 22 3.02
07 巨人 16 0 2 0 0 0 19 12 1 11 5 0 0 4 1.89
08 巨人 3 0 0 1 0 0 2 1/3 4 0 2 2 0 0 3 11.57
通算 15年 319 16 30 41 5 52 669 682 69 402 201 24 12 283 3.81

リリーフで奮迅の働きを見せた中堅右腕。若い内にエース候補と目されるも長期の不振に陥っていたが、リリーフとして復活。
高校時代に名の通った存在ではなかったが、プロ入り2年目に早くも台頭。先発で5勝を挙げて新星として注目された。翌年は先発にリリーフにフル回転して規定投球回到達。球速は平凡ながらも年齢に似ぬ制球力があり、当時貧弱だった投手陣の軸になることが期待された。97年は7勝ながら、無四球完投がリーグトップの4試合。四球で自滅しない安定感があり、強気の攻めにも特徴があった。
順調に来ていたが、しかし5勝で終わった98年を境に急激な低迷が始まる。故障もあったが、それが癒えてもかつての面影は戻ってこない。リリーフでも結果を出せず、ベンチの信頼も完全に失っていた。
すっかり影が薄くなっていたが、10年目に入ってようやく復調の兆し。03年は中継ぎとして一時はかなりの安定感を見せた。あまり長続きせず、翌年は後半だけしか働けなかったが、それでも内容は上々。その流れから05年一気に躍進してチームトップの61試合に登板。5月中旬まで18試合連続無失点を続け、セットアッパー役を務めた。その後も厳しい場面を任され、菊地原に次ぐリーグ2位の32ホールドを記録。翌年は藤岡の活躍で一歩引いたような形だったが、それでも2年連続の60試合登板。安定した働きを見せた。
投球スタイルは徹底的にくさいところを突いて打ち損じを誘うもの。カットボールの習得で勝負球ができたのが大きなプラスとなった。この球種のコントロールに絶対の自信を持っており、右打者の外角・左打者の内角での出し入れが最大の持ち味。球威が平凡なため、得意球で懐を突ける左打者のほうが攻めやすい。
完全な主力投手だったが、意外なことにプロテクト漏れで、FA小久保の人的補償として巨人へ。中継ぎの柱に期待されたが、前年終盤から失点がかさみ始めた勤続疲労はあったようだ。序盤1試合に登板したあと長期の二軍調整。終盤復調でなかなかの投球を見せたが、トータルで見れば期待を裏切った形となった。
元来そう体力のあるほうではなく、この点がプロテクト漏れの原因だったかもしれない。昨年は序盤に3試合投げただけで以降は二軍。若いリリーフ投手が台頭したこともあり、働き場所を失ってしまった。シーズン後戦力外に。
05,06年の状態ならもう少し活躍が続くかと思ったが、移籍と同時に色褪せてしまった。現役を退き、今季からは巨人の打撃投手に。

ダニエル・リオス

先発期待、大失敗型

右投右打
ヤクルト08
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ヤクルト 11 0 2 7 0 0 64 1/3 80 7 37 26 5 2 39 5.46
通算 1年

巨人へ移籍したグライシンガーに替わる外国人投手。最多勝投手の穴埋めという非常に大きな期待を受けての入団。
アメリカでの実績は99年の3A10勝が目立つ程度だが、02年から韓国でプレーし花開いた。6年連続二桁勝利という安定した実績を残し、07年は22勝、投手三冠にMVPという華々しい活躍。オフにはオリックスも獲得に動いていたが、グライシンガーとの再契約を逃したヤクルトが大きく上回る条件を提示して契約に。
もちろん期待はエースとしての働きだったが、目論見は大きく裏切られた。6連打された初登板を皮切りに、どうにも失点が多く4月は1勝のみ。5月に入って良化の気配も見せたが、2勝目のあとまた失点がかさんで連敗。6月初めに再調整のため二軍落ち。
ここまででも充分大誤算だったが、その後さらに悪い展開が待っていた。6月末にドーピング違反が発覚し1年間の出場停止処分。筋肉増強剤の陽性反応で、球団は即日解雇の方針を発表。7月中旬に自由契約となった。
わずか一月前にゴンザレス(巨)がドーピングで解雇されたばかりであり、立て続けの不祥事となった。投球自体も被安打多く四死球多くと不安定そのもので完全な目算違いだったが、それ以上にとんでもない汚点を残してしまった。後味の悪さという点からもこの補強は大失敗に終わった。


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