退団投手 2009年

愛敬 尚史

先発覚醒、変則型

右投右打
金光第一高〜帝京大〜松下電器 近鉄01ドラフト2位〜04、楽天05〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
08 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
09 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 119 0 9 5 1 1 170 1/3 191 18 88 45 9 1 75 3.96

長いことショートリリーフ専門の投手だったが、06年先発で注目されたサイドスロー右腕。内外角に散らして打たせて取るタイプだが、球速は140km出せ、決して軟投型の投手ではない。
社会人から近鉄入りし、1年目から即戦力として活躍。当時の梨田監督の細かい継投策のもと、一軍での平均登板イニングが1回未満と完全なショートリリーフ専門。右のワンポイント的な使われ方をしていた。03年までは安定した一軍戦力で、特にルーキーイヤーは1点台の防御率と力のあるところを見せた。
しかし04年わずか1試合の登板に終わり、存在感が急落。戦力の手薄な楽天に移籍し、巻き返しが期待されたが毎回のように失点してボロボロに。左打者に極端に弱い使い勝手の悪さもあいまって、全く戦力になれなかった。
2年目以降から続く成績悪化で年齢的にも後がない状況だったが、06年意外な形で復活。4月下旬に昇格するとロングリリーフに成功。次の登板でプロ初先発すると、6回途中まで1失点の好投で3年ぶりの勝ち投手に。さらに次の登板ではあわや完投まで行き、瞬く間の先発3連勝でこれまでのショートリリーフから一転、ローテーションの一角に食い込むことに。また通算8勝ではあるがこの時点で負けがなく、歴代2位となる107試合連続無敗という「強運さ」も注目された。
結局次の登板から4連敗を喫し、その後は1勝を積み上げたのみ。8月以降は二軍落ちと活躍は一過性のもので終わってしまった。しかもこれが一瞬の輝きとなってしまい、翌年から3年間一軍登板なし。昨年も二軍でも数字が悪く、とうとうシーズン後戦力外となってしまった。
新たな側面を見せながら、それを持続できなかった。ここまで一軍から遠ざかってしまっては厳しかった。

会田 有志

二代目サブマリン、技巧派型

右投右打
佐野日大高〜中大 巨人06ドラフト(大・社)7巡〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 巨人 34 0 3 2 0 7 35 2/3 33 3 16 9 3 1 12 3.03
08 巨人 3 0 0 0 0 0 5 6 0 1 0 1 0 1 1.80
09 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 4年 37 0 3 2 0 7 40 2/3 39 3 17 9 4 1 13 2.88

07年中継ぎで活躍を見せた下手投げ投手。父・照夫氏は71年から80年までヤクルトに在籍し通算29勝を挙げたアンダースロー投手で、親子二代のサブマリン。
大・社ドラフト7巡目でプロ入り。当初はサイドスローで、即戦力の期待もあったが1年目は二軍暮らし。成績もあまり良くなかった。しかし秋季キャンプで腕を下げてアンダースローに転向したことが飛躍の契機に。2年目の07年は開幕から一軍に名を連ね、特に開幕直後は12試合で1失点と高い安定感を発揮、リリーフの一角に完全に食い込んだ。4月末にプロ初勝利、オールスター時点でチーム2位の7ホールドを記録。
サブマリンといえば渡辺俊を連想するが、印象はだいぶ異なる。緩急で打者の型を崩す渡辺に対し、こちらは癖のあるボールでコースを突いてくるタイプ。希少価値のある投法で目先をかわす意味でもリリーフとして面白い存在。
ただ脚光を浴びたものの成績は尻すぼみ。疲労からか7月に入ると調子を落とし、後半は登板なく終わってしまった。翌年は5月に昇格して3試合に投げたのがすべてで、昨年に至ってはとうとう一軍登板なし。
昨年は二軍でも平凡で、どうもこの位置に落ち着いてしまった感もあった。シーズン終了後引退を表明、二軍トレーニングコーチ補佐となることに。まだ25歳と、非常に早い決断になった。

スコット・アッチソン

リリーフ変身、バランス型

右投右打
阪神08〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 阪神 42 0 7 6 0 18 104 2/3 104 9 85 26 2 1 43 3.70
09 阪神 75 0 5 3 0 30 90 60 3 81 20 1 0 17 1.70
通算 2年 117 0 12 9 0 48 194 2/3 164 12 166 46 3 1 60 2.77

リリーフで大きな変わり身を見せた外国人投手。2年目の昨年は新セットアッパーとして活躍。
メジャーでもマイナーでもリリーフが中心の投手だったが、阪神では先発を期待されての獲得。開幕ローテーション入りし、初登板で早速来日初勝利を挙げ、4月末までに3勝をマークした。前評判通り四球は少なく、序盤は目立たないがなかなか安定していた。しかし5月以降急激に内容が悪化。肘の違和感を訴えて一度間隔を置いたが、6月の再昇格後は1勝のみで防御率6点台。7月に二軍落ちとなってしまった。
しかし大きく変わったのはこの後。再昇格した8月からリリーフに廻ると、別人のような投球を見せた。9月中旬まで17試合連続無失点の快投で、セットアッパー陣の一角に食い込む大活躍。終盤疲れたか痛打を浴びる場面が目立ったが、ガラリと評価を変える働きを見せた。
先発で5.75だった奪三振率がリリーフでは9.48に大幅上昇。上述の通り元来はリリーフだった投手で、やはりこちらのほうが向いていたのだろう。引き続きリリーフの昨年はそれをさらに実証する活躍。開幕当初こそ不安定だったものの、5月以降は抜群の安定感でタフネスぶりを発揮。特に7月中旬から9月頭まで17試合連続無失点。リーグトップの75試合登板で、チームトップの30ホールドを記録。
久保田故障、ウィリアムス不調で白紙になったリリーフ陣を支えた活躍は見事なもの。重要な戦力だったが、本人が米球界復帰希望ということで、昨年限りで退団。惜しいがやむをえないところか。

五十嵐 亮太

剛速球、直球力投型

右投右打 最優秀救援(04)
敬愛学園高 ヤクルト98ドラフト2位〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - - -
08 ヤクルト 44 0 3 2 3 12 43 2/3 35 3 42 6 2 3 12 2.47
09 ヤクルト 56 0 3 2 3 29 53 2/3 42 3 44 20 3 1 19 3.19
通算 12年 507 0 47 29 54 53 570 429 58 630 241 17 43 206 3.25

同僚の石井弘とともに「ロケットボーイズ」と命名された豪腕。登板すれば常に150km以上は当たり前という、絶対のスピードで一世を風靡した。日本人では最も160kmに近い、と言われ続けた存在。
高卒2年目に速球を武器に颯爽と登場。後先考えぬ全力投球でセットアッパーに定着した。高めに伸び上がってくる速球は絶対の威力を誇り、00年にはすべてリリーフで二桁11勝をマーク。この年から台頭してきた石井弘とともにセットアッパーとして君臨した。02年からは3年連続60試合以上登板。高津が退団した04年はストッパーとなり、セーブ数独走で最優秀救援のタイトル獲得。
しかし屈指の速球投手もこれ以降しばらく故障に苦しんだ。05年は開幕早々に離脱、後半立て直したものの、06年はさらなる不振。開幕戦に挙げたセーブが唯一のもので、5月以降乱調。ついに調子は戻らず、シーズン通して不調のまま終わってしまった。猛威を振るってきた速球に陰りが見え、常にイニング数を越えていた奪三振が大幅に減少。
07年肘の手術に踏み切り、一年登板なし。実戦復帰は公式戦終了後のフェニックスリーグだった。長く苦しみスタイルの変更もやむなしかと思われたが、08年復調の光を見せた。前半こそ手探りといった感じが強かったが、7月から状態急上昇。2年ぶりの勝利に終盤にはセーブも記録。スピードも戻り、3年ぶりに40試合以上の登板をこなした。防御率2点台は4年ぶり。
ピーク時ほどではないが、充分な復調を果たした。昨年はセットアッパーの座に返り咲き、特に4月末から7月上旬にかけて25試合連続無失点。交流戦13試合無失点と絶好調。チームトップの29ホールドで存在感を発揮した。
代名詞の速球復活で一時の不調は完全に脱した。ただ7月以降の後半だけで自責点15、防御率5点台とばてた印象も。オフFA宣言でメジャー挑戦を表明したが、体力面に不安を残す。年齢的に行くならこのタイミングなのは確か。

伊藤 剛

速球派右腕、球威型

右投右打
日大明誠高〜NTT関東 日本ハム99ドラフト6位〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 日本ハム 11 0 0 0 0 0 15 20 3 8 3 2 2 11 6.60
08 日本ハム 4 0 0 0 0 0 3 1/3 7 0 2 0 1 0 2 5.40
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 1/3 0 0 1 0 0 0 0 0.00
通算 11年 73 1 4 7 7 2 137 1/3 163 20 69 55 4 8 72 4.72

シュート気味の140km台中盤の速球で押し込む投手。マウンド上で割合に大きく見える投手で、球威はかなりのレベル。
ドラフト下位入団だが、球威の良さは早くから注目され、リリーフに期待された。1年目はそこそこだったものの、2年目は通用せず。以降3年は低迷が続き、03年は被打率5割超という滅多打ち。
年齢的にもこれ以上の向上は難しいかと思われたが、しかし04年、建山不調の穴を埋めストッパーに。制球力に格段の進歩を見せ、遅れてきた豪腕として急台頭を見せた。だが好事魔多し。あろうことか自身も故障を負ってしまい、せっかく掴みかけた大きなチャンスをみすみす逃してしまう不運。
チャンスが一転、翌年まで影響する故障でピンチとなってしまったが、06年復活。1位争いが白熱する終盤に一軍昇格。いきなり僅少リードの厳しいリリーフを任され、わずかな数だが重要な登板をこなした。存在感を見せたかに思えたが、しかし07年はまた不振。出足から不安定で、失点がかさみ5月に二軍落ち。以降は昇格なくシーズンを終えてしまった。
力はあると思えるのだが、どうしても一軍半の状態から抜け出せない。08年はわずか4試合の登板に終わり、ほとんど存在感なく終わってしまった。昨年はさらに出番なく、シーズン中に引退を表明。存在感を見せた04年の故障が実に残念だった。

ジェフ・ウィリアムス

変則速球派、リリーフ型

左投右打
阪神03〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 阪神 60 0 1 2 0 42 65 1/3 42 2 66 16 0 0 7 0.96
08 阪神 55 0 5 4 5 25 55 1/3 54 3 65 15 2 1 19 3.09
09 阪神 31 0 1 1 0 11 27 2/3 19 2 35 20 3 1 11 3.56
通算 7年 371 0 16 17 47 141 371 2/3 276 21 418 122 22 4 91 2.20

リリーフタイプの外国人投手としては、史上最高と言えるほどの活躍を見せてきた左腕。非常に威力のある速球に切れのあるスライダーで、来日から6年連続40試合以上登板を記録。JFKの一角として大いに名を馳せた存在。
これだけの投手だが、来日時の期待はそう高いものでもなかった。当初の構想では同時入団のポートが抑えで、このウィリアムスはセットアップの予定。しかしポートの投球が芳しくないのとは対照的に、こちらは圧倒的な存在感を発揮。必然的に抑えに廻ることとなり、強力な守護神に定着した。この年1点台の防御率で25セーブをマーク。翌年は役割が一定せず平凡な成績に終わったが、その代わりにオーストラリア代表としてアテネ五輪で日本代表を徹底的に封じ、苦杯をなめさせる強烈な活躍。久保田が抑えとなった05年は完全なセットアッパーとして定着し、藤川も含めた「JFKトリオ」として君臨。70試合以上の登板をこなし、この圧倒的な継投パターンはチームの特色ともなった。
当初は完全なサイドハンドで、ベースを真横によぎるスライダーは左打者のみならず右打者にも強力な武器。近年は少し腕が上がってスリークォーターより若干低い感じに。腕の振りが変わって球速が増し、150km級の速球をびしびし投げ込むようになった。制球も良く、短いイニングで攻略するのは至難の業。
06年はオフに行った膝の手術のため出遅れたが、復帰以降は相変わらずの活躍を見せた。そして07年はスタートから10試合連続無失点、一度失点のあと19試合連続無失点、一つ置いてまた17試合連続無失点という圧倒的な活躍。終盤ちょっと失点がかさむもシーズン防御率は1点未満。60試合に投げて失点一桁と、「鉄壁」という言葉ですら足りないほどの強烈な働きを見せた。
オフに薬物疑惑が浮上し、左肩痛で出遅れた08年だったが、前半は相変わらずの投球を見せた。藤川が五輪で離脱の夏場には久々に抑え役も。ただその辺りから少しリズムがおかしくなってきた。8月はだいぶ失点がかさみ、最終的には4年ぶりに3点台の防御率に。そして昨年は開幕からもう一つ不安定。08年辺りから右打者に捉えられ始め、それが顕著になってきた。それでも主力リリーフとして働いていたが、6月末に肩痛を訴え離脱。半月ほどで復帰も、すぐにまた肩の故障で離脱、後半をほぼ完全に棒に振った。登板数31は来日以来最少。
昨年でも左打者は1割未満に抑えており、投げられる状態ならば充分戦力になりえたが、立て続けの肩の故障はさすがに深刻。チームを支えてきた存在だが、すでに37歳の高齢で重大な故障を抱えたこともあり、昨年限りでついに退団ということとなった。左のセットアッパーの代表格といえる存在だっただけに寂しいところ。

レス・ウォーランド

先発左腕、技巧派型

左投左打
横浜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 横浜 21 1 5 10 0 0 110 2/3 128 10 85 50 4 4 59 4.80
通算 1年

先発ローテーション入りの外国人左腕。苦しい投手陣の中、開幕から夏場まで先発で廻り続けた。
メジャー実績は乏しく、どちらかといえば3Aが長かった投手。05年には韓国でプレーした経験も。横浜入りの昨年は開幕からローテーション入りで、4度目の登板で初勝利。6月4連敗と勝てない時期が続いたが、7月連勝で立て直し、オールスターまでに5勝。チームでは三浦に次ぐ数字を残していた。
スピードで押すタイプではなく、カーブ、チェンジアップを駆使して攻める技巧派。なかなか奪三振率は高いが、被安打、四球ともに多く、常に走者を負いながらしのいでいくというのが基本パターン。連勝は少し難しい投手で、展開に左右されやすいタイプ。
7月までは勝ったり負けたりでもそこそこの投球を見せていたのだが、8月かなりの不調に。中旬から3連敗を喫してシーズン10敗となると、ここで二軍落ち。以降一軍登板なく、見切られた形でシーズンを終えてしまった。毎回のようにピンチを迎える綱渡りの投球で信頼は低く、1年限りで解雇に。前半もう少し勝ちがついていれば状況が変わっていた可能性もありそうだが…。左打者を抑えきれないのもマイナスポイントか。

歌藤 達夫

バランスタイプ、球種多彩型

左投左打
奈良大付高〜東北福祉大〜ヤマハ オリックス04自由枠〜07途中、日本ハム07途中〜08、巨人09〜
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 日本ハム 11 0 0 0 0 0 9 2/3 9 0 6 3 0 0 2 1.86
08 日本ハム 14 0 0 0 0 0 10 2/3 16 4 7 4 1 0 10 8.44
09 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 6年 131 0 3 4 0 7 129 1/3 126 18 80 64 9 7 65 4.52

04年自由枠入団の投手。社会人出身、チームに少ない左腕ということで当然期待は即戦力。1年目から過酷ともいえるほどの登板機会を得た。
左腕として比較的オーソドックスなタイプながら、際立つのは球種の多さ。思いつく変化球は一通り投げられる印象で、投球の引き出しは想像以上に多い。ただその分やや決め手に欠ける面も。
1年目はチームに左腕リリーフが皆無の上に投手陣全体が崩壊中。この状況下でリリーフのみならず、時には先発にも立つフル回転で57試合に登板。防御率5点台後半とパッとしない成績ではあったが、苦しい状況下でチームにとってありがたい戦力となった。菊地原が加入しリリーフが充実した2年目は登板数も落ち着き、防御率を大幅に向上させた。
この2年間の実績で主力リリーフに定着かと思われたが、06年は一転して登板数大幅減。一軍・二軍を行ったり来たりで、大きく足踏みのシーズンとなってしまった。07年は開幕からずっと二軍で過ごし、シーズン途中に日本ハムへトレード。
移籍後後半は一軍昇格し、短いイニングで目立たないながらもなかなかの好投を見せた。しかし08年はまた冴えない成績に。昇格してしばらくは悪くなかったが、登板数が増えた7月一気に内容悪化。この月9試合で4本塁打を浴び、8月初めに二軍落ちするとそのままシーズン終了。そして戦力外に。
これといった決め手を持たずショートリリーフの適性には疑問符が付くが、さりとて先発にというほどのインパクトもないのが難しい。トライアウトを経て昨年は巨人へ移籍したが、二軍で9イニング19失点の大炎上では一度も昇格できず。再び戦力外となってしまった。近年の成績がかなり悪く、左腕といえど展望は厳しい。2年目までは良かったのだが…。

神田 義英

リリーフ右腕、平凡型

右投右打
高松商高〜川崎製鉄水島 ロッテ03ドラフト4巡〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 ロッテ 16 0 0 0 0 1 19 2/3 19 3 14 5 1 1 7 3.20
08 ロッテ 4 0 1 0 0 0 6 1/3 9 1 2 2 0 0 4 5.68
09 ロッテ - - - - - - - - - - - - - - -
通算 7年 79 0 3 4 1 12 113 2/3 121 21 94 46 7 8 64 5.07

中継ぎが中心の投手。スライダーやフォークを駆使するオーソドックスなタイプで、地味な存在だったが06年一軍台頭。
社会人から即戦力の期待を受けてプロ入りし、1年目は開幕一軍入りも果たした。春先には良く使われ先発も経験、初勝利も記録したが、長くは続かず二軍落ち。04年はリリーフで登板機会が増えたが、いまいちの成績でアピールは出来ず。まとまりはあるものの特徴に欠け、被弾が多く定着し切れなかった。制球力ももう一歩不足。
05年わずか6試合の登板に終わり当初の期待もしぼみかけたが、06年一転上昇に。開幕一軍もすぐにはずされたが、5月に昇格後は長期帯同。8月時点で0点台の防御率と安定し、4年目にしてついに開花のきっかけを掴んだ。一時は不調の薮田の代役も。
ただ後半は疲れたか失速し、07年はまた登板数減少。チャンスはあったはずだがアピールし切れなかった。そして08年はわずか4試合の登板と完全に一軍半の状態に逆戻り。二軍では登板数こそ多かったが防御率6点台と全く冴えない成績で、上昇一転ジリ貧に。
30歳になる昨年も落ち込みは止まらず、初めて一軍登板0に終わった。昨年の崩壊したリリーフ陣に食い込めないようではさすがに厳しく、シーズン後戦力外に。トライアウト参加も現状声はかからず、実績もあまりないため移籍は望み薄。06年の上昇ムードを持続できなかったのが痛かった。

マーカス・グウィン

途中入団、抑え候補型

右投右打
楽天08途中〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 楽天 19 0 1 1 3 0 18 2/3 21 2 16 7 4 0 8 3.86
09 楽天 47 0 3 4 4 4 48 37 4 44 29 5 3 19 3.56
通算 2年 66 0 4 5 7 4 66 2/3 58 6 60 36 9 3 27 3.65

08年7月末に急遽獲得された外国人投手。チームが長らく頭を痛めている抑え候補として期待された。
メジャー実績は07年3試合に投げたのみ。マイナーでリリーフ中心に投げていた投手。チームの抑えは前年好成績の小山が開幕前に乱調、抜擢したドミンゴも立て続けに失敗で早々に失格と、ずっと不在の状態。補強は急務の課題だった。07年までは新外国人の獲得期限は6月末までだったが、08年から1ヶ月延長。その期限ギリギリにセギノールとともに入団決定。
来日してファームで1試合投げるとすぐに昇格。初登板は4点リードの9回頭という場面だったが、二死から派手に崩れて3失点。しかしその後はいいところも見せて、5試合目に来日初セーブを挙げた。その後は抑え的起用が続き3セーブを記録したが、9月中旬に2発被弾で逆転負け。この後もエラーがらみで一挙4失点があるなど信用を落とし、定着とはいかなかった。
ムービング系の投手だが、最速151kmを計時したようにスピードは充分ある。奪三振もまずまず多いのだが、被安打も四死球も多め。安心できるレベルには程遠かった。抑えにはあまりに頼りなく、存在感は発揮できず。
入団から実戦登板を急ぎすぎた感もあり、この辺りも考慮してか昨年も残留。しかし08年よりさらに四球が増えてしまい、期待に応えることは出来なかった。前半はそれでも抑えることも多かったが、後半になると3敗を喫するなどはっきり不安定に。終盤は登板機会も減っていった。
力は感じさせても連続四球で押し出しなど制球が悪すぎた。勝ちパターンにも入りきれない投球では意味がなく、昨年限りで退団に。

ライアン・グリン

速球派、先発型

右投右打
楽天06途中、日本ハム07〜08、横浜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 日本ハム 24 0 9 8 0 0 155 129 16 111 33 6 4 38 2.21
08 日本ハム 26 2 7 14 0 0 163 1/3 160 18 99 61 3 5 66 3.64
09 横浜 23 0 3 15 0 0 118 135 17 69 35 4 5 67 5.11
通算 4年 94 3 26 44 0 0 563 2/3 567 66 400 165 19 18 227 3.62

先発タイプの外国人右腕。06年途中楽天入りし、07年は日本ハムで優勝に貢献。
楽天入団決定から来日まで少し間が空いたが、5月の中旬に来日すると即一軍登録。二軍での調整登板を経ずにすかさず起用された。2度目の登板から先発に廻り、以降ローテーションに定着。後半一時5連敗と躓きかけたが、その後持ち直して4連勝。最終的にはチームトップタイの7勝を挙げ、戦力不足のチームには大きな補強となった。
190cmの長身から投げる速球にかなり威力のあるタイプ。三振が奪えるのは魅力で、シュート回転のボールで右打者にはかなり強みを見せる。意外と四球も少なく、かなり安定した力量の持ち主。
楽天の新規外国人では初めての「当たり」となったが、契約が折り合わず07年は日本ハムへ。ここでは前年以上に安定感の高い投球を続け、特に5月から7月にかけて7連勝を記録。準エース的存在として連覇に貢献を果たした。援護に恵まれず10勝には届かなかったが、2点台前半の優秀な防御率。シーズン通して危なげがなく、8敗もしたのが不思議なほどの内容だった。
しかし08年は一転して不安定な内容。序盤悪くないながら負け越したことでリズムを崩したか、5,6月は内容も悪化で6月終了時で3勝10敗の大負け。8月以降巻き返して4勝を挙げたが、時遅く7勝、リーグワーストの14敗を喫してしまった。前年よりすべての面で成績悪化。
相変わらず援護に恵まれなかった(チーム内でも援護点が格段に少なかった)面も大きいが、奪三振減少で四球が大幅に増加。走者を意識しすぎる悪癖もまた顔を出すようになり、投球内容自体にも鋭さがなかった。シーズン後自由契約となり、昨年は横浜へ移籍。
だがここでも派手に負けを重ねることとなった。開幕からいきなり3連敗、交流戦では5試合で24失点を喫し全敗、7月にかけて6連敗で早くも10敗に。8月頭に勝った後はまた5連敗でシーズンを終え、3勝15敗の大負け。2年連続の二桁敗戦という結果に。
打線のいいチームに移ったはずが、ここでも援護に恵まれず。しかし投球内容もいいものではなく、07年の輝きは見せられなかった。横浜は1年限りで退団、二桁勝利には届かないままとなりそう。

ベン・コズロースキー

長身左腕、両刀型

左投左打
広島08〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 26 0 2 1 2 6 38 41 4 31 17 2 3 20 4.74
09 広島 1 0 0 0 0 0 1/3 3 0 0 0 1 1 2 54.00
通算 2年 27 0 2 1 2 6 38 1/3 44 4 31 17 3 4 22 5.17

198cmから投げ下ろす球威とカーブが持ち味の外国人左腕。実績はマイナーがほとんどで、先発にリリーフにと様々な場面で登板していた投手。
実績ある左腕リリーフが皆無に近いチーム事情から、開幕からリリーフでの起用。永川が不調で出遅れたこともあって、序盤は抑えで2セーブも挙げた。春先は好投していたものの、4月下旬ぐらいから失点が目立つようになり、6月1回6失点の大炎上でしばらく二軍生活。リリーフとしてはだんだん失速してしまったが、7月再昇格すると今度は先発起用。6回途中まで無失点の好投で来日初勝利を挙げ、ここからしばらくローテーション入りすることになった。先発で2勝、リリーフで2セーブ6ホールドという結果。
一見先発で持ち直したようにも見えるが、実際のところは少し微妙。中盤までが限界のスタミナのなさはともかく、リリーフで17イニング6四死球(ストライクを揃えすぎていた?)だったのが、先発4試合20イニングで倍増の13四死球。常に走者を負う投球で、加えて4ボーク。非常に危なっかしく、投げるごとにこちらでも内容は悪化してしまった。
リリーフとしては左打者に被打率が高く、先発での四球数も不満。どこで使うのがベストなのかどうもいまいち分からない。8月に入ると二軍落ちし、そのままシーズン終了。一時戦力外も年明けてから再契約で残留。
しかし昨年は4月に一度登板したのみ。それも1アウト取っただけで被安打3、死球1、暴投1の大荒れで、これで見切られ以降はずっと二軍で終わった。さすがに今度は退団の見込み。二軍でも5点台後半の防御率では戦力にはならなかった。

小宮山 悟

技巧派、理論派型

右投右打 最優秀防御率(97)
芝工大柏高〜早大 ロッテ90ドラフト1位〜99、横浜00〜01、NYメッツ02、ロッテ04〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
メジャー通算 25 0 0 3 0 - 43 1/3 53 7 33 12 3 1 27 5.61
07 ロッテ 41 0 3 1 0 3 56 1/3 65 2 24 12 2 1 25 3.99
08 ロッテ 33 0 3 2 0 2 39 1/3 48 5 18 9 2 0 25 5.72
09 ロッテ 12 0 1 0 1 1 13 2/3 24 2 7 1 2 0 15 9.88
日本通算 18年 455 83 117 141 4 7 2293 2389 224 1533 591 66 45 945 3.71

球界きっての頭脳派と呼ばれる大ベテラン投手。大学へは二浪して一般入試で進学。野茂をはじめ錚々たる面子が揃う90年ドラフトの生き残りで、1年目からローテーション投手として活躍。
球速は特に速くも遅くもなく平凡。特徴は緩急と、左右のコーナーを幅広く使う投球術。「見逃し三振が最高の快感」と豪語する、自他共に認める技巧派で、高めにはほとんど投げない制球力は若い頃から抜群だった。
2年目に10勝をマークし投手陣の軸となると、以降6度の二桁勝利。伊良部・ヒルマンと並ぶ三本柱はリーグでも屈指の存在と言われた。ただチームの低迷期と重なっているため通算では負け越し。また自身もなかなか2年続けて活躍ができず、投球術の評価の高さの割には成績に安定感はなかった。
頭脳派なのは間違いないが、それゆえかどうか「一言多い不平屋」という印象も。99年オフに自由契約となり横浜に移ったのも、球団との衝突が原因だった。投球術は依然健在で移籍2年目には12勝を挙げたが、それを手土産にFAでメジャーへ。しかし37歳での挑戦は厳しく、1勝もすることができなかった。翌年はどこにも所属せずこのまま引退かと思われたが、一年後かつて喧嘩別れした古巣ロッテへ復帰。
年齢からも、一年空いてしまったブランクからも不安一杯だった04年は3勝。さすがにスタミナも球威もかつての力は望むべくもないが、しかしブランク明けとは思えない投球も随所に見られた。そしてこれ以降は敗戦処理が中心とはいえしっかり一軍定着。05年には15年ぶりというセーブも記録した。少し落ちてきた内容も07年巻き返し、なんと42歳にして自己最多の41試合登板。健在ぶりを大いにアピールした。
しかしさすがに球威の衰えは隠せなくなってきた。08年は5月に4年ぶりの先発登板など一軍で投げ続け3勝を挙げたが、防御率は5点台後半と冴えない内容。そして昨年はさらに打ち込まれるようになり、5月中旬に6失点の炎上後二軍落ち。シーズン終了を待たず、ついに引退を表明した。
復帰後も極端に緩いボールを交えるなど「らしさ」を発揮していたが、昨年44歳は年齢的にもう限界だった。ホーム最終戦で引退登板、自身4年ぶりで最年長記録となるセーブを挙げて現役生活に幕。

ジャスティン・ジャマーノ

技巧派右腕、癖球型

右投右打
ソフトバンク09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 ソフトバンク 14 1 5 4 0 0 76 92 6 42 10 6 0 37 4.38
通算 1年

先発で活躍を見せた外国人投手。昨年途中昇格から連勝で貴重な戦力に。
メジャーでは07年に先発7勝の実績を持つ。だがキャンプなどでの評価が芳しくなく、開幕は二軍スタート。最初の2ヶ月はファームで過ごした。その二軍でもそう目立つ結果は残せていなかったが、離脱者続出のチーム事情から6月一軍昇格すると、評価一変。最初の登板で6回2安打1失点(コールドのため記録は完投)の快投を見せ、そこから先発4連勝をマーク。交流戦で急浮上したチームの原動力の一つともなった。
スピードは平凡で、打たせて取るのが持ち味の技巧派。打者の手元でシュートするツーシームをメインに、チェンジアップやカーブで緩急もつけてくるタイプ。好投を続けた最大の要因はほとんど高めに浮かない制球力で、低めを丁寧に突いてゴロを量産。また6試合で四死球7という少なさも光った。
わずか6試合の登板で、初回に援護点、それも投げ始める前に先制してもらったケースが既に4度もある運の強さも味方となった。しかし7月に連勝が止まると、それ以降は3連敗などして1勝4敗。失点が大幅に増え、最初の勢いは続かずに終わった。
メジャー7勝の07年も無傷の5連勝でスタートして、最終的に7勝10敗と尻すぼみに終わっており、日本でも同じような経過をたどった。これといった強力な武器がなく、慣れられると一気に苦しくなってしまう。残留前提で交渉も、枠の関係で押し出される可能性も高く、本人の希望もあり1年限りで退団へ。苦しい先発陣を救った功績者だが、2年目には不安も強くやむをえないところか。

正津 英志

実戦派、リリーフ型

右投右打
大野高〜龍谷大〜NTT北陸 中日98ドラフト3位〜04、西武05〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 西武 26 0 0 0 0 2 28 1/3 23 3 26 6 0 1 5 1.59
08 西武 32 0 3 0 0 9 30 2/3 26 3 16 13 2 0 8 2.35
09 西武 3 0 0 1 0 1 1 2/3 4 0 1 4 0 0 7 37.80
通算 12年 328 1 25 10 0 24 386 1/3 373 37 292 140 19 7 152 3.54

入団から4年連続40試合以上登板を記録したサイドスロー右腕。小柄ながら勢いのある投手で、重要な場面でも投入できる。非常に便利な存在。
アマチュア時代にさほど名の通った選手ではなかったが、1年目から一軍に定着。サイドスローからの力のあるボールで6勝を挙げ、リリーフの一角に定着。十二分な存在感を示した。さすがに酷使は堪えたのか、年々防御率は悪化していたが、01年は奮起して良化。厳しい場面の登板が多いながら通算で大きく勝ち越し。
と、ここまでは順調そのものだったが、02年故障。ここから不振に陥り、03年はわずか6試合の登板。内容も過去最低で、一気に存在感が薄くなってしまった。04年は一軍登板なしに終わり、シーズン後西武にトレード。
移籍の05年は前半こそ防御率6点台とさっぱりだったが、後半内容が大幅に良化。ショートリリーフ要員として、終盤はなかなかの戦力となった。球威も戻ってきた印象で、ギリギリの立場から移籍でどうやら復活。06年は5月に10失点の大乱調で防御率が大幅に悪化したものの、全体的には数字ほど悪くはなかった。そして07年は1点台の防御率と健闘。シーズン中盤になかなかの活躍を見せた。
好調時にはかなりの安定感を見せる投手で、08年も5月の昇格から7月末まで21試合で1点未満の防御率と重要な戦力となった。ただ8月以降急に調子を落とし3被弾9失点6自責点。この状態から昨年も脱出できず、4月3試合で7失点を喫して二軍落ち。これ以降再昇格はないままだった。3登板は移籍後最少。
シーズン後に37歳になるベテランということもあり、昨年限りで現役引退を表明。08年の夏場までは力を見せていたが、急激に状態が悪くなってしまった。今季からは古巣中日のスカウトとなることに。

ブライアン・スウィーニー

中堅外国人、技巧派型

右投右打
日本ハム07〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 日本ハム 21 0 6 8 0 0 109 1/3 109 11 56 36 2 6 45 3.70
08 日本ハム 28 1 12 5 0 0 163 139 22 90 72 3 4 63 3.48
09 日本ハム 21 1 5 8 0 0 118 1/3 144 10 58 52 2 4 70 5.32
通算 3年 70 2 23 21 0 0 390 2/3 392 43 204 160 7 14 178 4.10

日本ハムの外国人投手。マイナーでのキャリアが主の中堅選手で、やや数が不足がちの先発要員を期待されての入団。
開幕当初はローテーションに入り、連敗の後1勝。しかしその後3連敗、連続KOを喫し、5月に二軍落ち。6月末に再登録されたが、あくまで谷間の先発要員といった扱いだった。戦力として微妙な印象だったが、後半は起用数増加。金村・八木が一軍を離れる状況で決定的な先発不足に陥り、再びチャンスが廻ってきた。また自身も内容向上。8月以降で4勝を挙げ、防御率も1点近く良化。最終的には6勝とまずまずの結果を残した。
取り立てて特徴のない投手で、球速も変化球も平凡といった印象。触れ込みほど制球がいいわけではなく、まとまっているが少し物足りない。ただ後半は序盤のような炎上がなくなり、粘り強さを見せるようになった。
残留した2年目は前年後半からの状態を維持し、開幕から安定した投球。前半を終えて6勝、防御率2点台と好投を見せた。7月と終盤に打たれたものの、最終的に7つも勝ち越して二桁勝利達成、チームではダルビッシュに次ぐ12勝を挙げて大きく貢献。前年より被打率が大幅に向上し、リーグ上位の数字を残した。
ただ後半は防御率が悪化、特に四球が倍近く増え、援護に恵まれた面も強かった。3年目となる昨年は前年後半の流れのまま不調。開幕3連敗でスタートし、その後もパッとしない投球で夏場には一時二軍落ち。終盤も内容はさほど向上せず、シーズン5勝と大きく成績を落とした。完全に信頼を失い、ポストシーズンは登板なし。
被弾は大幅に減らしたのだが、3割打たれて四球も減らずでは失点がかさむのも無理はなかった。抑えて勝ったのは2度くらいで、どの相手にも満遍なく打たれており、慣れられてしまった感が強い。いい状態は2年続かず、昨年限りで退団。あまりに極端に落ちすぎた。

高木 晃次

変則左腕、晩成型

左投左打
横芝敬愛高 阪急・オリックス87ドラフト1位〜93、ダイエー94〜97、ヤクルト98〜01、ロッテ02〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 ロッテ 43 0 1 0 0 7 35 2/3 40 4 20 12 4 0 15 3.79
08 ロッテ 43 0 0 0 1 7 28 28 1 23 16 2 0 11 3.54
09 ロッテ 16 0 0 0 0 1 11 15 1 5 5 2 0 7 5.73
通算 23年 357 6 29 36 3 19 664 743 70 378 269 32 16 352 4.77

息の長い活躍を見せる技巧派左腕。もう中嶋(日)と二人だけとなってしまった阪急ブレーブスの生き残りで、プロ生活20年超、4球団を渡り歩いたベテラン投手。
高校からドラフト1位でプロ入り。入団当時は快速球を誇るも、制球が悪く素質を活かすことが出来ず。チームを転々とした遠因はここにある。90年に6勝2セーブで台頭するも翌年からはまた制球難で低迷。いつしか期待は大幅に薄れ、低迷期が続いた。移籍したダイエーでも登板機会はほとんどなく、この間故障で肝心のスピードも低下してしまった。戦力外を拾われたヤクルトでもチャンスを貰いながら結果は散々で、このまま消え去るかと思われた。
しかし99年に大きな転機を迎える。衰えた速球をカバーするためにサイドスローに挑戦。時に上、時に横と使い分ける変則投法で先発に割って入り、突然自己最高の9勝をマーク。目先を変えただけで長続きはせず、翌年には早くも見切られてしまったが、この成功が選手寿命を大幅に伸ばすことにつながった。
変則投法にさまざまな球種を駆使して、しのいで打たせて取るタイプ。ただ技巧派としてはムラがあり、あまり緻密ではないのが難点。ロッテに移った02年は良かったが、慣れられるとその後は不安定な時期が続いた。
ただこの選手の本領はここから。徐々に落ちていた成績を05年に向上させ、これ以降はビハインドゲームを任せられる投手として完全に定着。あれほど制球の悪かった投手が随分四球が少なくなり、味のある投球を見せるようになった。06年はパッとしなかったが翌年はまた成績向上。藤田の不振もあって出番が増え、20年目にして自己最多更新の43試合登板。ベテラン健在を見せ付けた。面白いのが40歳に近付いてまた球威が戻ってきたこと。08年は開幕直後に実に18年ぶりとなるセーブを挙げるも、オールスターまではパッとしない内容。しかし8月以降急変し、シーズン終了まで15試合連続無失点。防御率を3点台に改善し、前年と同数の登板数を記録。
安定感が高いとは言えないが、はまった時にはすいすいと抑えてしまう投手で、淡々と役割をこなしてきた。しかし昨年は投球内容がかなり落ちた。走者を多く出すようになり、失点せずとも不安定な投球で二軍落ちも。8月の登板で4失点と炎上すると、その後は一軍登板なくシーズン終了。そしてシーズン後戦力外に。
現役に意欲を持ち、トライアウトにも参加したが声はかからず。ついに引退ということになった。地味な存在ではあったが、23年の長いキャリアは稀有なもの。晩成型の選手として予想以上に活躍を見せた。今後はスコアラーとなることに。

高橋 尚成

実戦派、総合力型

左投左打 最優秀防御率(07)、ベストナイン(07)
修徳高〜駒大〜東芝 巨人00ドラフト1位〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 巨人 28 2 14 4 0 0 186 2/3 168 21 141 50 2 1 57 2.75
08 巨人 23 0 8 5 0 0 122 127 16 94 30 5 2 56 4.13
09 巨人 25 1 10 6 0 0 144 147 16 126 36 6 0 47 2.94
通算 10年 245 21 79 66 15 5 1289 1271 159 1032 359 36 18 530 3.70

目立つ部分は少ないが、バランスの良い実戦派の左腕投手。入団1年目からローテーションに定着、新人王を争い即戦力の名に恥じない結果を残した。非常に良くまとまった投手で、ブルペンよりも試合でこそ活きるタイプ。
武器はスクリューボールだが、それほどそれには頼っていない。真っ直ぐはそれほど速くなく突出した力は感じないが、総合的に破綻した部分が無い。制球も良く、ローテーションの3,4番手で存在感を発揮するタイプ。
01年はやや伸び悩み、途中中継ぎに廻されたりもしたがそれでも9勝。02年は1年先発に固定され、念願の二桁10勝を達成した。ここまではかなり順調だったが、しかし03年故障で後半戦を丸々棒に振ってわずか4勝。ここからしばらく不調に。
翌年復帰はしたものの、夏場に好調も9月に入るとKOの連続と出入りの激しすぎるシーズン。結果10敗を喫してしまった。この波が激しい傾向は次も続き、2年連続の二桁敗戦。06年はファウルボール直撃で右頬骨折のアクシデントに見舞われ、先発から脱落。後半は不調の豊田に代わって抑えで起用され15セーブを挙げたが、安定感には欠け成功したとは言いがたい内容だった。
しばらく停滞状態が続き期待値も低下していたが、07年突然の大変身。開幕ローテーションに入ると2連続完封を含む5連勝をマーク。その間の失点わずか3という快投を見せた。その後も快進撃は続き、6月中に5年ぶりの二桁勝利到達。後半は勢いに陰りも見えたが、最終的に自己最多の14勝、防御率タイトルに輝いた。不安定な状態から一変してリーグ優勝の原動力に。
この活躍から08年は開幕投手に。しかし前半はまた不安定な状態に逆戻り、5月には乱調続きで二軍落ちするなど苦しんだ。後半6勝と巻き返したがシーズン8勝にとどまり、前半の不調が響いて防御率は4点台に終わった。昨年は8月末で5勝と勝ち星が伸びずにいたが、9月以降波に乗り5戦全勝、3度目の二桁勝利を達成。
さすがに07年の投球はできすぎで、基本的には10勝前後というタイプ。貴重な先発左腕だったが、シーズン後メジャー移籍を希望してFA宣言。1月時点で去就は未定。正直突出した部分がなく、日本球界でもやや球威に欠けるタイプで、メジャーで果たしてどうなるか。

マット・チルダース

リリーフ候補、中途半端型

右投右打
楽天09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 楽天 3 0 0 0 0 0 4 1/3 8 1 2 2 0 2 5 10.38
通算 1年

昨年の楽天の新外国人投手。メジャー実績は貧弱だが、前年3Aで20セーブを記録。なかなか定まらない抑え候補の一人として獲得。
身長196cmの長身から速球とフォークを軸とする投手。オープン戦では好投を見せたものの、外国人枠に空きがなく開幕は二軍スタート。ようやくチャンスが巡ってきたのは6月に入ってから。
しかし初登板は何とか無失点も、続く2試合連続で失点。7月になるとリンデンと入れ替えで再び二軍落ちしてしまった。3試合だけのマウンドで評価を下すのは苦しいが、スピードにしろ制球にしろ中途半端という印象。リリーフとしてはだいぶ物足りない。
二軍では抑え役で6セーブを挙げたが、防御率が3点台中盤では魅力薄。結局2度とチャンスは訪れず1年限り、わずか3試合の登板で解雇となってしまった。ほとんど存在感はないままだった。

スコット・ドーマン

速球派、制球難型

右投右打
広島09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 広島 9 0 0 0 0 0 8 1/3 14 1 4 7 3 3 16 17.28
通算 1年

リリーフタイプの外国人右腕。メジャー通算164試合登板の実績の持ち主で、セットアッパーの期待も込めての獲得。
150kmの速球に力がある実力派という触れ込みだったが、開幕してみると非常に不安定。失点する場面も多く、極めつけは4月末の登板で4連続四死球という悲惨な投球。これでしばらく二軍落ちとなり、6月に再昇格したが、またも滅多打ちを食らいすぐに降格。これで完全に見切られてしまい、6月末に早々と解雇に。
速さはあったが、いかんせんイニング数を越える四死球、9試合で3暴投のノーコンぶりでは話にならなかった。メジャー成績でもやはり四死球は多く、改善はないと判断されても仕方ないところか。これは完全な見込み違いに終わった。

中村 泰広

先発候補、一軍半型

左投左打
郡山高〜慶大〜日本IBM野洲 阪神03ドラフト4巡〜07、日本ハム08、阪神09(育成)
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 阪神 15 0 2 2 0 1 29 1/3 22 1 37 12 2 0 10 3.07
08 日本ハム - - - - - - - - - - - - - - -
09 (阪神 - - - - - - - - - - - - - - -*育成枠)
通算 7年 29 0 3 2 0 1 53 1/3 48 1 54 29 7 1 25 4.22

社会人出身の中堅左腕。なかなか一軍定着できなかったが、07年前半先発でアピール。
高校では宮越(前西武)、大学では山本省(オ)と同期。アマチュア時代に目立った存在ではなかったが、即戦力候補としてプロ入り。当時の期待はリリーフで、左腕が同時に4人加入した中で開幕一軍入り。ただ5試合の登板で7失点を喫し、結局ほとんど二軍暮らし。それ以降もなかなか二軍を脱出できず、06年までは常に一桁の登板に終わっていた。
しかし5年目は初めて登板数が二桁に。4月下旬に昇格してリリーフで9試合連続無失点。先発した横浜戦で6回9奪三振零封の好投を見せた。次のリリーフ登板を含めて11試合20イニング連続無失点の快投。
奪三振の多さからわかるとおりボールの切れは高い。問題は制球難で、06年まではイニングとほぼ同数の四死球を出していた。07年序盤はそういうところが出ずに成功したが、しかし持続しきれず。5月末から失点が続き、最後2度の先発はいずれも序盤KO、しかも四球を出しまくって信用失墜。二軍落ちとなり、再昇格はできずに終わった。
いいところも見せたが変わらぬ課題も露呈してしまった。シーズン後金村とのトレードで日本ハムへ移籍。しかし故障もあり、さらに二軍で9点台の防御率と不振、一度も昇格できないままシーズン後戦力外となってしまった。トライアウトを経て育成契約で阪神に戻ったが、パッとしない二軍成績に加え肘の故障にも苦しみ、後半は登板なし。
昨年限りでの引退を表明。07年浮上も故障もあってあとを続けられなかった。

エイドリアン・バーンサイド

サイド左腕、クロスファイアー型

左投右打
巨人08〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 巨人 15 0 5 3 0 0 75 67 7 47 18 9 2 29 3.48
09 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 2年

同郷である阪神ウィリアムスばりのサイドスロー左腕。スピードガン表示は平凡だが切れ味の鋭さを感じさせる投手。
メジャー実績はなくマイナーのみだが、過去にアテネ五輪、WBCでオーストラリア代表となった投手。一躍脚光を浴びたのは07年オフの日本代表との壮行試合。ここで2イニングを5奪三振ノーヒットに抑える快投を見せた。これで注目されて巨人入り。
枠の関係からどの程度の出番があるか不透明な状況だったが、李承Yの不振やゴンザレスのドーピング解雇などもあって5月末に昇格。意外にも先発起用され早速来日初勝利を挙げた。これ以降ローテーションに定着しオールスターまでに4勝。その後も谷間を埋める形で登板しシーズン5勝をマーク、貴重な戦力となった。
角度を活かして球速以上に力強さを感じさせる投球が持ち味。ただ本来はリリーフ向きと思われ、先発では中盤、だいたい80球程度が山。平均登板イニングがきっちり5回で、この辺りで常にスタミナが切れてしまう。
チャンスを掴んだ1年目だったが、2年目の昨年は完全に枠から押し出された。ゴンザレスの大活躍にオビスポの台頭があり、投手3人枠を主力級4人で争う形となってはチャンスはなし。二軍でもあまりパッとしない成績とあって、1度も昇格することなく終わった。
戦力外となり、今季は韓国でプレーすることに。リリーフでなら妙味もありそうだったが、主戦力と見ると少々微妙か。

花田 真人

中継ぎ向き、平均型

右投右打
柳川高〜中大 ヤクルト00ドラフト5位〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 ヤクルト 41 0 2 2 2 2 50 2/3 49 6 43 17 0 1 27 4.80
08 ヤクルト 23 0 0 1 0 2 24 2/3 30 3 15 5 0 2 12 4.38
09 ヤクルト 3 0 0 0 0 0 2 1/3 3 1 3 0 0 0 2 7.71
通算 10年 215 0 10 7 2 21 286 2/3 300 44 225 72 6 14 133 4.18

非常にまとまったタイプの右腕投手。これといって目を惹く特徴には欠けるが、バランスの良さと強気の投球が光る。
高校時代に甲子園に出場し、アマチュアではそれなりに場数も踏んでいる。ただまとまりはあるものの面白みのない投手で、それほど注目はされていなかった。ドラフト下位でプロ入り後もそれはあまり変わらず、1,2年目はほとんど二軍暮らし。
しかしまとまりの良さは安定感にも通じる。02年は22試合に登板して中継ぎ戦力としてアピール。徐々に一軍戦力として台頭してきた。速球、変化球ともに切れはそこそこ。いかにも中継ぎ向きの投手と言える。
スライダーの切れには自信を持っており、03年は奪三振も多く3勝を飾った。翌04年は大乱調で停滞したが、05年以降急上昇。ずっと主戦だった河端の故障などで生じたチャンスを活かした。40試合登板で返り咲くと、翌年はさらに出番を増やして50試合突破。チームでは木田に次ぐホールドを記録し、完全に主力リリーフの一員となった。
上り調子できていたが、翌07年乱調。40試合以上登板も5点近い防御率でパッとしない成績。苦しいリリーフ陣で出番は多かったが少し期待はずれに終わった。これ以降勢いが完全に止まり、08年は登板数激減。内容も冴えず、急速に影が薄くなった。
昨年も落ち込みは止まらず、シーズンのほとんどを二軍暮らし。ファームではチームトップの7セーブも、防御率は5点近くいいとは言えない成績だった。戦力外通告されると、そのまま引退を決意。使い勝手のいい投手だったが、ピークが短かったのが惜しまれる。引退後はヤクルト本社勤務となる模様。

ネルソン・パヤノ

左腕リリーフ、速球型

左投左打
中日09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 中日 34 0 2 1 0 6 30 1/3 17 3 39 17 1 0 7 2.08
通算 1年

ショートリリーフ専門の外国人左腕。地味ながらも貴重な戦力としてなかなかの活躍を見せた。
近年の中日が集中的に獲得しているドミニカ出身選手。メジャー経験はなくアメリカでのキャリアは2Aが最高。その2Aで前年は41試合に登板。昨年来日すると、貴重な左腕リリーフとして序盤から積極的に起用された。チーム消化試合の7割に登板という状況だったが、さすがにこれは酷使だったか、12試合目のマウンドで肩を痛め1ヶ月離脱。それでも復帰し、6月末には来日初勝利。
150kmを越えることもあるスピードが魅力の左腕で、奪三振が非常に多い。反面四球も多く、どちらかといえば粗っぽい投手。ただ力は充分で被打率は1割台と非常に低い。ショートリリーフ中心で目立たないが、力で抑えこむ投球を見せた。
8月にボール連発で二軍落ちするなどしたため、後半登板ペースはだいぶ落ちた。それでも34試合に投げて充分な戦力となっていたが、シーズン後契約交渉が折り合わず1年限りで退団に。年齢も若く楽しみの多い投手だったが。

リッキー・バレット

速球左腕、制球難型

左投左打
ヤクルト09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 ヤクルト 7 0 0 1 0 1 11 1/3 16 1 5 10 2 0 9 7.15
通算 1年

昨年ヤクルト入団の外国人。左腕から最速150kmの速球を放る投手で、リリーフ候補として獲得。
メジャー経験は皆無だが、前年は3Aで50試合リリーフ登板し10を越える奪三振率を記録。しかし開幕前から首脳陣の評価は落ちており、開幕は二軍スタート。4月中旬に昇格も4試合目の登板で一死も取れずに降板し二軍落ち。5月後半に再昇格も、今度はリリーフ・先発ともに内容が悪く、すぐに降格と戦力にならず。
四死球がイニング数を越える制球の悪さが最大の問題。マイナーでの成績でもやはり四球が多く、僅差で使うにはあまりに怖い。8月久々再昇格も、3イニング毎回失点の内容で即二軍に逆戻り。これ以降一軍登板なく、1年限りで解雇となった。春季キャンプで横浜のテストを受けたが、結果は不合格。スピードのある左腕といってもこの内容では。

ジョナ・ベイリス

途中入団、荒削り型

右投右打
西武09途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 西武 19 0 0 0 1 6 14 18 1 6 8 0 1 5 3.21
通算 1年

昨年シーズン途中入団の外国人投手。リリーフ難に苦しんだチームが緊急的に獲得。
メジャーでは3年間で通算61試合登板。マイナーでも05年以降はすべてリリーフという投手で、06年3Aで23セーブの実績を持つ。昨年7月後半に西武と契約。8月中旬に一軍登録され、リリーフの即戦力として起用された。
テイクバック時に上体を後ろに大きく傾ける、躍動感のあるフォームが特徴。リリース位置は低く、サイドスローから140km台後半の速球を投げ込む。
勢いはあるものの制球は甘く、被打率は3割以上。四球も多く、信頼を掴むまでには至らなかった。再契約はされず、わずか3ヶ月足らずの在籍ということに。もう少し見ても良かったとも思うが、球速の割に決め手を欠いてはやはり厳しいか。

ライアン・ボーグルソン

速球右腕、スタミナ不足型

右投右打
阪神07〜08、オリックス09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 阪神 20 0 7 6 0 0 106 2/3 113 17 91 41 6 1 49 4.13
08 阪神 12 0 3 4 0 0 65 1/3 65 3 50 19 6 1 29 3.99
09 オリックス 30 0 1 4 0 4 41 2/3 39 4 56 16 4 1 21 4.54
通算 3年 62 0 11 14 0 4 213 2/3 217 24 197 76 16 3 99 4.17

07年阪神入団の外国人投手。最速150kmを越えるという触れ込みで、メジャー通算10勝。04年にはパイレーツでローテーション入りし6勝した実績を持つ。
井川が抜け先発陣充実が課題のチームにあって、開幕ローテーション入り。2度目の先発時自ら2ランを放つ活躍で初白星を挙げた。右肩を痛め一時戦線離脱したが、復帰した夏場大安定。好投を続けて8月末までに4勝を上積みした。この時期は先発陣で最も安定し、右の柱とも言える活躍を見せた。
当初はちょっと四球が多かったが、それは徐々に落ち着いた。前評判ほどのスピードではないものの、球威で押す投球で奪三振もなかなか多い。ただ9月に入ると勢いは急停止。4試合すべて5回以前に降板し防御率を1点も悪化させてシーズン終了。7勝は及第点だが極端な面も見せてしまった。
翌年も残留したが、新たにアッチソン加入で枠がきつくなり、登板は飛び飛びに。また投球内容も中盤に崩れることが多く、あまりパッとしないものだった。前年ほどの存在感は見せられず、3勝でシーズン後戦力外に。
先発としてはスタミナ不足で、だいたい80球を越した辺りが山になる。オリックスに移籍した昨年は、このこともあってリリーフでの起用となった。序盤は好投を見せていたが、5月に入ると急激に状態悪化。それならばと6月2度先発するも、いずれも5回持たずに降板で二軍落ちに。終盤再昇格後は立て直したものの、時あまりに遅すぎた。あまり戦力にならずに終了。
最下位に沈んだチームで、もう順位が半ば確定した時期に活躍しても「帳尻合わせ」以上の印象は持てなかった。自由契約後日本球界でのプレーを希望していたが、声はかからず今季は米球界復帰。

星野 八千穂

這い上がり、リリーフ型

右投右打
丸子実高〜岐阜聖徳学園大〜JR北海道 日本ハム06ドラフト(大・社)7巡〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 日本ハム - - - - - - - - - - - - - - -
08 日本ハム 23 0 2 1 0 3 23 2/3 31 5 11 6 1 0 13 4.94
09 日本ハム - - - - - - - - - - - - - - -
通算 4年

高校時代甲子園には縁がなく、野球部ができたばかりの大学に進学、大・社ドラフトではチーム最後の指名と地味なキャリアを歩んできた投手。3年目の08年一軍初登場。
プロ入り後も地味で、最初の2年は二軍でリリーフ登板。それほどいい成績も残せなかった。しかし08年は開幕一軍入り。4月末時点で1点未満の防御率と、序盤リリーフの一角としてなかなかの好投を見せた。4月後半にプロ初勝利も記録。
フォークを中心とした変化球で打たせて取る技巧派タイプ。凄みはないが使いやすいタイプと言えるかもしれない。前年実績を残した江尻が故障の穴にうまく滑り込んできた印象だが、さすがに長続きはせず5月に失速。特に交流戦は6試合で3ホーマーを浴び、6月末に二軍落ち。これ以降は昇格なく、前半だけの一軍に終わった。
それでもようやくの浮上で、これを契機にしたかったが、昨年は一転一度も昇格できず。菊池の台頭や江尻の復活に完全に押し出された。二軍でも5点近い防御率とパッとせず、シーズン後には戦力外に。
これといった武器がなく、その点でちょっと苦しかったか。キャリアは4年でももう中堅の年齢で、そのまま打撃投手となることが決定。

牧野 塁

元剛腕、一軍半型

右投右打
山梨学院大付高 オリックス93ドラフト3位〜03、阪神04〜06途中、楽天06途中〜08途中、広島08途中〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 楽天 18 0 1 3 0 3 34 41 7 29 13 0 1 19 5.03
08 楽天 1 0 0 0 0 0 1 2 1 1 0 0 0 1 9.00
広島 6 0 0 1 0 0 15 1/3 18 2 7 9 1 0 6 3.52
09 広島 14 0 0 2 0 0 21 1/3 18 5 13 5 1 1 10 4.22
通算 17年 222 0 13 23 2 4 388 2/3 393 70 337 175 10 20 187 4.33

入団時から類稀な剛速球の持ち主として期待の大きかった投手。毎年注目されてきたが、戦力になったのはごく最近。
150kmに迫る速球を誇るが、当初はとにかく制球が悪かった。1年目から常に登板機会はあったが、実質真っ直ぐだけではなかなか通用せず。制球向上のためサイドスローに転向しても、故障の多さもあってなかなか飛躍できなかった。
ようやく一本立ちの気配を見せたのは8年目の00年。この年34試合に登板し、初めて実績らしいものを残した。翌年からまた故障に泣き低迷したものの、03年は一軍定着で復活。防御率こそ5点台だったが、崩壊した投手陣の中では健闘していた。阪神移籍した翌年はさらに成長を見せ、前半はかなりの戦力に。後半ばてたものの27試合に登板、力のあるところを再三見せた。
ようやく能力開花かと思わせたが、しかし05年は一転わずか2試合の登板のみ。リリーフ陣への食い込みに失敗し、ほぼ二軍暮らしに終わった。06年もくすぶっていたところで、シーズン途中期限ギリギリの6月末に楽天へトレード。
阪神ではチャンスに恵まれなかったが、層の薄い楽天への移籍は転機となった。移籍即一軍登録されすぐさま実戦登板。当初結果は伴わなかったが、再昇格後3年ぶりの先発登板などで徐々に立場が上がり、10年ぶりという先発勝利を記録。終盤はローテーションの一角に食い込んだ。
スピードを多少抑えた実戦的な投球が功を奏した。しかしこの投手最大の問題はいい状態が続かないこと。07年は序盤先発で投げるも故障で前半離脱。後半戻ってきたがリリーフ11試合で10失点と不調に終わった。これで防御率も悪化させ、一軍定着からまた後退。
08年はずっと二軍生活が続き、7月ようやく昇格も打たれてすぐ二軍に逆戻り。その直後に広島へのトレードが決まった。だが移籍後の登板も内容はとても誉められたものではなく、戦力になったとは言えない状態。昨年も変化は見られず、夏場の一時期を除いてはほとんど二軍暮らし。
昨年被打率自体は悪くなかったのだが、5被弾はちょっと多すぎた。すでに35歳のベテランで一軍半は厳しく、シーズン後戦力外に。現役を離れ、今季は横浜の打撃投手に転身することとなった。いい状態を瞬間的にしか出せなかったのが残念。

トーマス・マストニー

長身右腕、不安定型

右投右打
横浜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 横浜 15 0 1 5 0 0 61 2/3 79 8 43 25 11 6 39 5.69
通算 1年

癖球を武器とする外国人右腕。先発の一員と期待されての獲得。インドネシア出身(といっても旅行中そこでたまたま産まれたというだけのようだが)の初のメジャー選手。
アメリカではほぼリリーフだった投手で、07年にはメジャーで51試合登板7勝の実績を持つ。前年は3Aで防御率1点台。横浜では手薄な先発で起用され、4月中旬に一軍昇格。最初の3試合は勝てずともまずまずの結果を残したが、5月以降は出入りの激しい投球が続き大崩れすることも。7月上旬まで勝ちなしの3連敗。ようやく来日初勝利を挙げるも、その次の登板では4回途中KO。結局オールスターまでに1勝しか出来ず、7月末に二軍落ち。
かつてダイエーに在籍したラジオとやや被るところがあり、もう一つ決め手がない。癖球タイプというのももはや珍しい存在ではなく、プラス制球力が伴わないと苦しいというのが正直なところ。12先発中5試合で5回以前に降板、それでいて持っても5回というのではさすがに厳しい。
終盤再昇格してリリーフで起用されるも、こちらも3試合で5失点ではどうにもならず、1年限りで解雇。被打率が高く四死球も多く、さらに暴投も多めでは。

丸山 貴史

若手左腕、切れ勝負型

左投左打
愛工大名電高 ヤクルト05ドラフト6巡〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - - -
08 ヤクルト 7 0 0 0 0 0 5 1/3 5 0 4 2 0 0 2 3.38
09 ヤクルト 9 0 0 0 0 2 7 2/3 6 1 6 8 0 0 6 7.04
通算 5年 29 0 1 2 0 4 43 33 8 36 22 5 2 27 5.65

一軍進出を期待されてきた左腕投手。高校からプロ入りし、1年目から一軍登板機会を得ている。
高校時代は強豪高で2年からエースとなり、センバツ準優勝の実績。ヤクルト入りすると先発候補として起用され、1年目から一軍先発登板も記録。2年目は登板数が増え、プロ初勝利も挙げた。
速球とスライダーを軸とする、左腕として非常にオーソドックスなタイプで、球の切れで勝負する。ここまでは先発中心だったが、一軍登板がなかった07年からはリリーフに軸足を移してきた。08年は夏場に昇格し、数は少なかったものの2年ぶりに一軍登板。昨年は開幕一軍入りを果たした。
だが登板数は若干増えたものの内容は伴わず。時折どうしようもなく乱れる制球の悪さを露呈してしまった。二軍調整を挟んで交流戦中に再昇格するも、登板すると一死も取れず3連続四球を与えてしまい、即二軍に逆戻り。これ以降一度も昇格できず、前半だけの登板でシーズンを終えた。
イニングを超える四球数はさすがに問題。二軍でも8イニングで8四死球と同じ状態だった。高卒5年目、まだ23歳ながら、シーズン後戦力外に。育成での契約も打診されたようだが断り、トライアウト参加も移籍はかなわず。今季は社会人の西濃運輸でプレーすることとなった。よく一軍に出ていた分見切られるのも早かったということだろうか。

三井 浩二

遅咲き左腕、リリーフ型

左投左打
足寄高〜新日鉄室蘭〜新日鉄広畑 西武01ドラフト2位〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 西武 47 0 4 2 0 23 44 2/3 40 3 35 12 0 2 11 2.22
08 西武 23 0 1 1 0 3 24 33 2 12 10 4 0 20 7.50
09 西武 19 0 0 1 0 5 13 12 4 7 3 0 0 9 6.23
通算 9年 282 2 36 20 1 54 568 598 65 413 209 26 10 281 4.45

ベテランのリリーフ左腕。かつては先発で二桁勝利の経験もあるが、05年以降は完全にリリーフに。
高校時代にもドラフト指名を受けていたが、それを蹴って社会人入り。しかしそこで伸び悩み、再び台頭してくるまでかなり時間がかかった。ようやくかつての球威を取り戻し、プロ入りしたのは28歳。チームに先発左腕がいないという事情から大きな期待を受けていたが、1年目はいまいち。投球全体に粗っぽい面が目立ち、制球の悪さも目に付いた。
しかしスクリューを習得した2年目は大躍進。前半は先発、後半はリリーフで安定した活躍を見せ10勝。規定投球回にも達して、防御率はリーグ5位。補充選手とはいえオールスターにも出場し、貯金8を稼ぐなどチームの優勝に大きく貢献した。
これで左のエースとして君臨するかと思われたが、翌年は不調。運に恵まれて11勝は挙げたが、防御率は5点台と散々。前年影を潜めていた制球難がぶり返し、信用を大きく落としてしまった。帆足が台頭した04年はわずか9試合の登板に終わり、内容も散々。
高めに上ずる悪癖が前面に出て不調が続いていたが、05年後半からリリーフで復調。06年は小野寺につなぐセットアップとして活躍し、チームでは石井貴に次ぐホールドを記録。その石井が失速した後半はほぼ唯一の頼れる中継ぎとしてチームを支えた。1点台の防御率はもちろん初めて。翌年も引き続きセットアップを務め、ホールド数はリーグ3位。流動的だったリリーフ陣にあって、ほぼ唯一不動の存在だった。失点の半数以上が交流戦でのもので、同一リーグとの対戦では防御率1点未満と大安定。
抜群の安定感を見せていた近年だったが、08年は一転信じられないような乱調に。開幕出遅れた上に、連続大炎上ですぐに二軍落ち。その後もたびたび炎上を繰り返し、登板数半減で内容大幅悪化という大不振のまま終わった。唯一の勝利は5失点した直後に逆転してもらった幸運なもの。終盤は少し復調気配も見せたが、最後に3失点で帳消し。
オフにメジャーを目指してポスティング申請したが、この成績では買い手は現れず、2度とも入札なしという屈辱を味わって結局残留。しかし不調から脱することは出来ず、さらに印象を落とすだけのシーズンとなってしまった。開幕に出遅れた上に不安定な投球が続き、8月前半に二軍落ちすると以降昇格なし。前年より登板数を減らし、シーズン後戦力外に。
08年から奪三振率がガタ落ちしており、球威がはっきり低下したのが痛い。元来緻密な制球というタイプではなく、力の衰えで抑えきる術がなくなってしまった。移籍先を求めて、春季キャンプで楽天、3月に入りソフトバンクのテストを受けたがいずれも不合格。渡米などもしたが結局引退ということになった。

三橋 直樹

先発候補、総合力型

右投右打
向上高〜関東学院大〜日産自動車 横浜06ドラフト(大・社)4巡〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 横浜 15 0 2 4 0 2 49 51 6 28 16 3 2 22 4.04
08 横浜 12 0 0 0 0 1 15 1/3 24 5 7 9 0 0 16 9.39
09 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 4年 36 0 4 5 0 3 93 2/3 103 17 44 37 3 2 51 4.90

社会人からプロ入りの右腕。07年に先発候補として浮上してきた。
即戦力の期待もあった1年目は前半にリリーフでプロ初勝利も、故障で離脱。それでも後半復帰して6回零封の好投で先発勝利も挙げた。2年目は序盤リリーフでいまいちだったが、後半先発起用されるようになり8月後半から2勝。終盤3連敗で目覚しい結果とはいかないが、先発候補の一人に。
球速は平凡だが多彩な球種で幅広く攻める技巧派タイプ。凄みはないがまとまった投手と言える。瞬発力勝負のリリーフよりは先発でゲームをつくるほうが向いているかもしれない。
ただ期待された08年は大きく足踏み。リリーフでの起用だったが、失点を繰り返し長期二軍生活となった。投手陣崩壊でチャンスはあったはずだが、自身が炎上してしまった。これで期待を失ってしまったか、昨年は一度も一軍に上がれないまま。二軍での成績も冴えず、シーズン後戦力外に。
伸びてきたところでの停滞は痛かった。トライアウト参加も声はかからず。特に目を惹く部分があるわけではなく、今季で30歳という年齢でこの実績では少々厳しい。投手の苦しいチームでアピールできなかったのでは…。

宮本 大輔

快速球、故障復活型

右投右打
延岡学園高 近鉄00ドラフト1位〜04、オリックス05〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 *オリックス (- - - - - - - - - - - - - - -育成枠)
08 オリックス 2 0 0 0 0 0 3 2 1 3 2 0 0 1 3.00
09 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
通算 10年 43 0 2 3 1 0 74 73 12 67 39 1 4 35 4.26

難病を克服し実戦復帰を果たした本格派右腕。長らく苦しんできたが、08年4年ぶりに一軍登板。
150kmの速球を誇る投手として、近鉄時代期待されていた。一足早くブレイクした岩隈のあとを追うように、3年目の02年開幕直後にリリーフで強烈にアピール。徐々に慣れられて掴まりだしたが、春先は抑えに定着してもおかしくないほどの勢いがあった。この年は35試合に登板。一軍への足がかりを得た。
だが翌年故障で大きく足踏み。ここから長いトンネルに入る。これ以降はほぼ二軍暮らしで、04年も終盤に1試合投げただけだった。オリックス入りの05年は一軍登板なく、すっかり影が薄くなってしまった。
巻き返しを図っていたが、06年「黄色靭帯骨化症」という難病に。当然投げられるはずもなく、07年は育成選手という立場となった。それでも二軍戦に復帰を果たし、翌年は晴れて支配下選手に返り咲き。そして7月に久々昇格し一軍登板までこぎつけた。
選手生命の危機から復帰は見事。だが昨年は一度も一軍に上がれず、シーズン通して二軍のまま。前年の復活を弾みにすることは出来なかった。シーズン後戦力外に。
トライアウト参加も移籍先はなく、引退することとなった。返す返すも故障と病気で5年近くを失ったのが惜しまれる。

山北 茂利

長身左腕、ワンポイント型

左投左打
中京商高〜トヨタ自動車 中日00ドラフト3位〜04、ロッテ05〜06途中、横浜06途中〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 横浜 14 0 0 0 0 0 11 1/3 12 0 9 8 0 1 6 4.76
08 横浜 32 0 0 1 0 4 21 2/3 34 5 17 6 4 2 21 8.72
09 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 10年 208 0 5 6 0 6 193 1/3 215 20 153 77 17 12 108 5.03

身長191cmの長身左腕。すらっとした細身で迫力に欠けるが、02年中継ぎとして台頭。
社会人から入団し、即戦力と期待された当初は制球力が悲惨の一言。わずか3イニングで12個の四死球では話にならず、2年目は一軍に上がることも出来なかった。しかし02年から腕を下げ、制球の不安を払拭することに成功。これで内容がグンと向上し、左のショートリリーフとして一軍定着を果たした。翌年もさらに向上し、2年連続の50試合以上登板。
しかし04年は持ち前の左右の揺さぶりが不発。二軍では抜群の数字を残しながら、チャンスにもあまり恵まれずに終わった。翌年左腕不足のロッテに移籍して巻き返しが期待されたが、不振を脱せず。序盤だけの一軍で、シーズンのほとんどを二軍暮らし。2年続けて散々な結果となってしまった。
なかなか浮上のきっかけが掴めなかったが、06年シーズン中に横浜へ移籍。直後の登板ではさっぱりだったが、後半再昇格後久々にいいところを見せた。8,9月だけで23試合に登板し、3年ぶりの白星も記録。
07年は登板数半減で前半だけの一軍。制球不安もぶり返したが、08年はチームの投手陣崩壊から登板機会大幅増。8点台の防御率では活躍とまでは到底言えないが、ロッテ移籍以降では最多の登板数を記録した。
しかし昨年は一転して登板機会なし。8年ぶりにフルシーズン二軍で終わり、戦力外に。右打者には全く通用しない完全なワンポイント要員で、使いどころが非常に限定される投手。すでに30歳を越えて近年の実績も微妙とあって、トライアウトでも国内で手を挙げる球団は出なかった。台湾や米マイナーでプレーという話も出たが去就は未定。

山口 和男

剛速球、不器用型

右投右打
山陽高〜広島電機大〜三菱自動車岡崎 オリックス00ドラフト1位〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
08 オリックス 34 0 4 3 0 4 43 1/3 43 6 44 13 1 3 17 3.53
09 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
通算 10年 173 0 14 15 29 4 219 192 25 194 99 10 10 83 3.41

かつて158kmをマークした屈指の剛球投手。一時ストッパーとして活躍も、近年は故障などもあって不振。
入団当初から速さには期待されるも、球速に比例してノーコン。社会人出身、26歳と遅いプロ入りながら、1年目は全く戦力にならなかった。二軍でも0勝10敗の惨憺たる成績。しかし負け続けることで一皮むけたか、翌年途中から一軍の苦しい投手陣を救い、中継ぎ・抑えとして活躍。さらに02年はセットアッパー、大久保故障後はストッパーとして6セーブを挙げた。絶対の真っ直ぐはさらに威力を増し、オールスター出場も果たした。
とにかく無骨なまでにスピードで押す投球スタイル。空振りを奪う速球ではなく、どちらかといえば力で押し返すボール。不器用で脆い面も多々あるが、それでも好調時には外国人にも力負けしない威力を誇った。
02年終盤に故障し、03年は一軍登板なし。しかしブランク明けの04年、これまでとは少し違った面を見せストッパーに復帰を果たした。投球の8割がストレートという配球面は変わらずも、ただ力任せに投げていた以前とは違い、少し抑え目にして切れで勝負していた印象。これが功を奏して被打率は大幅に下がった。自己ベストの17セーブをマーク。
しかし翌年は一転して大不振。抑えを任されるも不安定な内容で、4月中には半ば中継ぎに降格。とどめは巨人戦での危険球退場で、大久保の復活もあって二軍落ち。長い調整の末に9月に復帰したが、巻き返しはならず散々なシーズンに終わった。
かつての剛球は鳴りを潜めたが、それ以上にまた制球難が顔を出していたのが問題。先発転向プランもあった06年だったが、夏場に唯一の登板でまたも危険球退場。そして07年はとうとう一度も一軍に上がれずに終わった。
すっかり存在感を失っていたが、08年は久々に復調。特に序盤は中継ぎでなかなかの活躍を見せた。4年ぶりにシーズン30試合以上登板で、4勝は自己最多。ただ途中から乱れて後半は登板数減少。昨年はその流れのままのシーズンになってしまった。開幕からずっと二軍暮らしで、一軍に呼ばれないままシーズン終了。そして戦力外に。
前年の復調で延命したと思ったのだが。トライアウト参加も35歳という年齢もあって移籍先は見つからず、引退して球団職員となることになった。昨春自身のブログにエイプリルフールのネタとして引退ということを書き込み、ちょっとした騒動にもなったが、それが現実化してしまうことになろうとは。

横山 道哉

剛腕リリーフ、再起型

右投右打 最優秀救援(04)
横浜高 横浜96ドラフト3位〜03、日本ハム04〜06、横浜07〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 横浜 36 0 0 0 0 6 38 40 2 27 15 1 2 14 3.32
08 横浜 51 0 3 5 0 11 58 2/3 55 8 61 22 4 2 21 3.22
09 横浜 14 0 0 0 0 0 15 19 2 12 4 0 0 8 4.80
通算 14年 370 0 21 26 45 20 449 443 49 387 159 16 21 194 3.89

日本ハムに移籍した04年、守護神の座についたリリーフ型右腕。長いこと低迷が続いていたが、チャンスを活かしてタイトル獲得。
長身でごつい体型、威力ある速球と落差のあるフォークのコンビネーションと、「ハマの小魔神」とあだ名されたように佐々木主浩と非常に似たタイプ。いかにもリリーフ向きの投手で、潜在能力の高さは早くから期待されていた。2年目には初勝利・初セーブも記録し、3年目の98年には53試合に登板と大型リリーフとして台頭。当時すでにメジャー行きが濃厚と言われていた佐々木の、有力な後継者と目されていた。
しかしその後肩を痛めて離脱。そこから低迷が続いた。01年からの3年間で一軍登板は20試合。一時は球威も落ち込み、かなり厳しい状態が続いていた。
崖っぷちまで追い込まれていたが、ここでの移籍が非常に効果的だった。中継ぎとしてのスタートから建山・伊藤の相次ぐ離脱でストッパーとなり、それ以降は完全に安定。夏場も乗り切り、三瀬と並んでタイトル獲得の栄誉。チームでは91年の武田以来13年ぶりという快挙だった。フォークは相変わらずの威力を誇り、球速も回復。被打率は2割そこそことタイトルも納得の内容。プレーオフ争いの終盤も非常に安定していた。
しかし栄光は続かず、翌年は一気に転落。前半こそまずまずだったものの後半大不振。シーズン自責点の7割近くを7月以降に喫し、抑え脱落どころか終盤は二軍落ちになってしまった。これで完全に信用を失い、マイケルや武田久の台頭した06年は1年目以来の一軍登板なし。シーズン後には戦力外にまでなってしまった。
不振の原因は制球の悪化。もともと大雑把なタイプではあるが、わずかなリズムの狂いでガタッと崩れてしまった。どん底に落ちたが、テストで古巣横浜に復帰し復調。07年は前半こそ二軍だったものの、昇格から13試合連続無失点を記録、34試合がオールスター以降の登板で、後半はなかなかの活躍を見せた。翌年はさらに登板数が増え、チーム最多、4年ぶりにシーズン50試合登板。一時乱れる時期もあったが、苦しい投手事情の中リリーフの主力として活躍を見せた。
スタートが悪かった昨年もその後立て直し始めていたが、ここで肘を故障。二軍調整を続けるも状態は回復せず、前半だけの一軍登板に終わった。終盤には完全に離脱してしまい、昨年限りでの引退を表明。
体力的にまだやれそうではあったが、手術で長期離脱という余裕はさすがになかったか。思ったより早い引退となった。今季はスコアラーとしてチームを支えることに。

吉崎 勝

変則左腕、技巧派型

左投左打
東山高〜ミキハウス 日本ハム00ドラフト3位〜06、楽天07〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 楽天 2 0 0 0 0 0 1 2/3 6 0 0 1 0 0 5 27.00
08 楽天 17 0 0 0 0 2 15 15 0 8 6 1 1 8 4.80
09 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 10年 102 0 9 10 0 10 200 228 22 109 96 8 6 106 4.77

03年前半に大ブレイクした左腕投手。即戦力として入団も02年までの3年間はさっぱりだったが、いきなりの急台頭を見せた。
飛躍のきっかけは一躍有名となった「首だけトルネード」投法。足を上げた際、一度完全に顔を後ろに向ける奇妙なフォーム。その部分のインパクトが強いが、それ以降リリースに至る腕の使い方も非常に変則的で、打者からボールが見づらいフォームとなっている。「体の開きを注意していたら自然にできていた」というフォームだが、よくコーチから修正されなかったものだ。
球速ははっきり言って遅いタイプで、投球の軸は左右の変化球。フォーム以上に効果があったのがシュートで、これのおかげで投球の幅が一気に広がった。03年前半はあれよと言う間にローテーションに定着し、シーズン8勝。前年まで未勝利だったとは思えない活躍だった。
急成長だが、一方で課題も残した。パターンを読まれた中盤からは捉まる場面も目立ち、徐々に通用しなくなっていた。その傾向は翌年顕著となり、前年が嘘のような不調。4試合先発したが3試合で5回持たずにKO。1勝もできずに終わってしまった。
05年は開幕からリリーフに転向。当初はなかなか好調で、貴重な左腕リリーフとして非常に多くの登板機会を得た。新しい側面を見せたが、徐々に内容が悪化して不安定に。オールスターまでで40試合登板はさすがに酷だったか、夏場に二軍落ちでシーズン通しての活躍はならなかった。
球威に欠けるためか、なかなかシーズン通して安定できない。06年はフォーム規制強化の影響か一軍に上がれず、初めて登板なしに終わった。のみならずシーズン後戦力外に。トライアウトを経て楽天入りした07年だったが、登板わずか2試合、それもいずれも派手に打ち込まれて炎上。散々な結果で二軍暮らしに終わった。
フォームが以前よりおとなしくなり、同時に持ち味も失ってしまったか。08年は登板数が持ち直したものの、前半のみ。6月中旬以降は二軍暮らしで存在感は薄かった。そして昨年はシーズン通して二軍暮らしに終わり、再び戦力外となってしまった。
正直楽天移籍後は印象が薄い。慣れられてしまった側面が強く、一瞬の輝きで終わってしまった。そのまま引退という形となり、今季は古巣日本ハムに戻って打撃投手を務めることに。

クリス・リーソップ

速球右腕、リリーフ型

右投右打
阪神08途中〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 阪神 8 0 0 2 0 1 21 1/3 29 2 6 7 0 1 16 6.75
09 阪神 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 2年

MAX156km、常時150km計時のスピードを誇る外国人右腕。08年7月に途中入団。
来日時25歳と非常に若い選手で、それでもメジャー実働4年、すべてリリーフで通算57試合登板の実績を持つ。プロ入り当初は外野手だったがその後投手に転向。藤川が五輪で8月不在になることと、入団時点でアッチソンがパッとしなかったことから獲得となった。
支配下登録されると数日で一軍昇格。最初の2試合は抑えていいところを見せたのだが、続く2試合は大きく崩れて二軍調整。9月の再昇格後今度は先発で試された。だが4試合投げて16イニング10失点といまいちの内容。結局1年目は冴えない成績に終わった。
上記のスピードが大きな魅力だが、その割に三振が取れていない。メジャーで多かった四球はさほどでもなかったが被打率は悪く、戦力にはなりきれなかった。未経験の先発起用は無謀すぎた感もあるが、どちらにしても物足りない結果。
契約通り残留した昨年だが、一軍は遠く二軍でも冴えない成績。さらに肘痛で夏場に帰国し、そのまま退団ということになった。若さと投手経験の浅さから化ければ面白そうだったがやむをえないところか。

林 恩宇 (リン・オンユ)

台湾代表、低迷型

右投右打
楽天07〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
07 楽天 8 0 1 3 0 0 34 2/3 31 4 28 15 1 0 14 3.63
08 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
09 楽天 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 3年

台湾球界のエース。05年にプロ入りして防御率1位、新人王、MVP獲得。WBCにも出場した06年は最多勝、奪三振、防御率の投手三冠とタイトルラッシュ。台湾プロの奪三振記録を塗り替えた投手。前年のインチェと同じく誠泰コブラズからの楽天入り。
他の日本球団も興味を持っていた選手で、開幕前の期待は柱にもという非常に高いものだった。しかし開幕直後にマメを潰すアクシデントで出遅れ。4月中旬に初先発し6回零封で初勝利を挙げるも、その後は精彩を欠き連敗。5月以降は長期の二軍暮らしで、前評判と違ってほとんど戦力にならなかった。
終盤久々に一軍昇格したが、結局勝ちを上積みすることはできず。これまた前年入団のインチェ同様、全くの期待はずれに終わってしまった。そして2年目の08年はさらに落ち、一軍登板なく終了。二軍でも27イニングで27失点、被安打40、被弾6、四球14、暴投5と悲惨な数字ばかりが並ぶ状態では、昇格などできようはずもなかった。
よもや二軍戦力にもならない状態になろうとは…。母国で「雙林」の異名を取ったもう一方のインチェは前年限りで解雇。そしてこちらの林も、結局昨年も一軍登板なく、1年遅れで解雇となってしまった。台湾球界を席巻した能力は一度も見られないままだった。

コルビー・ルイス

先発本格派、大黒柱型

右投右打 最多奪三振(08,09)
広島08〜09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 26 3 15 8 0 0 178 151 12 183 27 6 1 53 2.68
09 広島 29 3 11 9 0 1 176 1/3 156 13 186 19 14 3 58 2.96
通算 2年 55 6 26 17 0 1 354 1/3 307 25 369 46 20 4 111 2.82

08年入団の外国人投手の中で最も活躍した選手。メジャー移籍の黒田の穴を完全に埋めるエースとして君臨。
03年にメジャーで10勝するもその後故障低迷。しかし07年は3Aで1点台の防御率で8勝3敗と復調状態にあった。年俸9500万は広島の外国人としてはかなりの高額契約。黒田退団の穴を埋める第一候補として大きな期待を受けた。
そしてシーズン開幕すると、その期待以上のパフォーマンスを見せることに。初登板は4回で3ボークを取られ敗れたが、続く登板でしっかり対応して来日初勝利。これ以降非常に安定した投球で先発の軸となり、5月は1点台の防御率で4勝。交流戦ではチーム13勝のうち5勝を一人で稼ぎ、6月中旬に早くも10勝到達。一時は20勝も夢ではないペースで、圧倒的な活躍を見せた。7月初めに肘の故障で離脱も8月に復帰。終盤やや調子を落とし最多勝、最優秀防御率はわずかに逃したが、15勝を挙げ最多奪三振獲得。
投球は150kmの速球を軸に、非常に力強くそして完成度が高い。変化球の切れも良く、また制球力は抜群。9イニング平均の四球率はグライシンガーとほぼ互角の両リーグ最上位だった。まさしく本物という印象で、投手三冠でリーグトップを争う非の打ち所のない成績。さほど良くはなかった前年の黒田よりはるかに上の投球で、穴埋めにとどまらない大きな存在となった。
開幕投手となった昨年は序盤体調不良などもあって冴えなかったが、5月以降は再び先発の軸に。前年に比べると若干安定しなかったが、それでも高水準の成績を維持。エースとして回転し、チームトップの11勝、2年連続の最多奪三振に輝いた。また打撃でも力のあるところを見せ、1年目の2ホーマーに続いて昨年は3ホーマー。
ヤクルトに滅法強く、前年の5戦全勝に続いて昨年も3勝1敗。2年間10試合で失点16という寄せ付けない内容だった。重要な戦力として残留が望まれていたが、家族の健康を理由に退団、今季はメジャー復帰ということに。二桁当然の存在だけに非常に惜しい。

キャメロン・ロー

長身先発、フリーパス型

右投右打
ソフトバンク09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 ソフトバンク 5 0 0 4 0 0 27 36 2 18 12 2 0 19 6.33
通算 1年

身長201cmの長身右腕。07年メジャーで6勝を挙げ通算19勝の実績を持つ。先発の一角を期待されてソフトバンク入り。
開幕ローテーション入りも、初登板から4連敗。最初の登板では見所もあったのだが、回を重ねるごとに悪くなる一方で、5月頭に7失点すると、1勝もできないまま二軍落ちとなった。
シンカーに持ち味のある投手で、低めに集めてゴロを打たせるのが持ち味。この通り低めに集め切れれば角度もあり打ちづらいのだが、高く浮いてしまうことが多い。それ以上に厄介なのが、走者への手当てが全く出来ないことで、出してしまうとほぼ盗塁フリーパス状態。
走者を気にして執拗に牽制するなどリズムを崩すというのが外国人投手にありがちなパターンだが、このローの場合は正反対で全く気にしない。牽制もせず、クィックもしないので走者は走り放題。意識しすぎるのも問題だが、全くしないというのもやはり問題。二軍でこの面の修正に取り組むも、ジャマーノがまずまず結果を残したこともあって再昇格はなく、1年限りで解雇となった。4連敗のままで戦力にならなかった。

ジョン・ワズディン

復帰外国人、平凡型

右投右打
巨人02、西武09
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 西武 14 0 2 3 0 1 57 2/3 79 5 24 21 5 0 34 5.31
通算 2年 24 0 3 7 0 1 95 1/3 134 12 55 30 5 1 53 5.00

かつて02年に巨人に在籍した外国人投手。昨年西武入りで7年ぶりの来日。
最初の巨人入り当時はシーズン8勝の実績を持つ現役メジャーで、推定年俸は1億5千万の大物。球威もまあまあ、制球は良し、変化球も多彩とかなりの好投手と伝えられていた。実戦に入ってみると、確かに制球は良く四死球は非常に少ない。ただ威圧感が欠けていて、まとまってはいるがもう一つ強い印象がなかった。先発としてはややスタミナに欠け、1勝のみで4点台中盤の防御率ともう一つ。故障もあって登板したのは序盤のみに終わり、その年限りで解雇。
その後は母国に戻り、主に3Aで登板。05年にはメジャーで31試合登板したが、08年は昇格なかった。ただ3Aで41試合9勝となかなかの活躍。
正直日本ではすっかり忘れられた存在だったが、昨年西武と契約、実に7年ぶりに日本球界入りということになった。05年オリックス入りのパーラが6年ぶりだったが、それすら越える間隔を置いての異例の復帰。
しかしシーズンに入ると投球は非常に苦しいものだった。7年前に比べると四球が大幅に増え、辛うじて長所だった制球力さえ微妙。11試合に先発したものの5点台の防御率で2勝と当てにならず、3試合のリリーフも内容は悪かった。結局戦力にはなりきらず、1年限りで退団。すでに37歳という年齢から見ても、やはりこの復帰は無理があったか。


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