2010年 退団野手

相川 良太

パンチ力、一軍半型

右投右打
暁星国際高〜東海大 オリックス99ドラフト3位〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 オリックス 10 20 4 1 0 2 11 6 0 0 0 1 1 6 .200
09 オリックス 10 20 6 4 0 0 10 1 0 0 0 3 0 5 .300
10 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
通算 12年 314 736 181 42 1 28 309 95 12 19 3 43 6 179 .246

線は細いがパンチ力があり、長打が期待される選手。もともとは内野手としての入団で、01年後半から外野に転向した。
1,2年目はほとんど実績なしだったが、01年4ホーマーを放ち存在をアピール。翌年も5ホーマーを放ち、どちらかといえば非力なタイプが多いチームの中でパンチ力が目立った。しかしこの年は定位置確保が期待されながら打率低迷で足踏み。03年も終盤まで故障で二軍暮らしと、期待は大きいのだがもう一つ感がなかなか抜けない。
細身で一見非力に映るが、リストの強さで長打力が高い。ただ一軍半の状態が長く、出てきたかと思えば後退と一進一退。なかなか印象に残る活躍を見せられない。04年100打席を越えながら、翌年はまたほとんど二軍暮らし。
内野に再挑戦した06年は久々に勢いを見せ、6月以降一軍定着。軸に期待された清原・中村紀が誤算に終わった中、自己最多の11ホーマーを放ち、遅まきながらも開花の兆しを見せた。しかしこれが続かない。このあとはまたほとんど二軍暮らしに終わり、注目度も一気に下がってしまった。
08年ウエスタンの本塁打王となり、一軍4安打中2ホーマー1二塁打。翌年も少ない出場ながら6安打の内4本が二塁打とパンチ力は健在。だが出番がなかなか廻ってこない。09年は交流戦で左投手に強さを見せて3割と打ったが、後半は全く機会がなく二軍暮らしとなった。
好調シーズンでも活躍が長続きしないスタミナ不足と故障の多さが出世を阻んできた。昨年はシーズン通して二軍暮らし。それも故障があったのか夏場に出場が全くなく、28試合で打率1割台、ホームラン0とさっぱりな結果に終わった。シーズン後戦力外に。
既に33歳という年齢で近年の状態では厳しく、移籍も難しいか。シーズン二桁本塁打で注目された翌年一軍に留まれなかったのがあまりにもったいなかった。

李 ボム浩 (イ・ボムホ ボムは木偏に凡)

パワーヒッター、低確率型

右投右打
ソフトバンク10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 ソフトバンク 48 124 28 4 0 4 44 8 1 3 0 11 1 33 .226
通算 1年

韓国から来日の新外国人選手。昨年ロッテ入りした金泰均とは韓国時代ずっと同僚で、ともに中心打者として活躍してきた。
初めて3割を打った04年から4年連続、通算5度の20ホーマーを記録。タイトルには無縁ながら、過去2度のWBCにいずれも代表入りし、第2回大会では4割3ホーマーの活躍でベストナインに選出された。09年でFAとなり、金泰均のロッテ入りが発表された1週間後、後を追うようにソフトバンク入り。
フォローの形が中村紀洋を思わせる、豪快なスイングが持ち味のパワーヒッター。ただ過去韓国出身の選手、特に打者は1年目非常に苦労しており、実績面で彼らよりも一段落ちる李ボム浩には不安のほうが強かった。そして開幕するとやはり厳しい結果に。DHで起用されたが期待の長打はあまり出ず、打率も低空飛行。5月末にペタジーニが加入すると、枠からはみ出し入れ替わりで二軍落ちとなった。
打撃で苦労することは予想できたが、右打者ながら対左腕1割台前半というのは厳しい。守備も実質的に三塁しか出来ない上に、守備力は松田にだいぶ劣り、まとめると「三塁しか出来ない、左投手の打てない右打者」という、どこで起用すればいいのか困る使い勝手の悪い存在となってしまった。
8月オーティズの故障で再昇格し、2試合連続代打ホームランという活躍。だが結局は一時的なもので、その後先発でも使われたがそれほどいい結果は残せず。オーティズ復帰の終盤はまた二軍に逆戻りしていった。去就がはっきりしないままだったが、春季キャンプイン直前になって話がまとまり、1年限りで退団して韓国復帰が決定。

エドガー・ゴンザレス

中堅外国人、一変型

右投右打
巨人10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 巨人 100 289 76 18 1 12 132 44 2 2 1 34 1 67 .263
通算 1年

巨人の新外国人。パドレスの主砲として活躍するエイドリアン・ゴンザレスの実兄で、内外野こなせるというプロフィール。なかなか固まらない二塁を期待されての入団。
00年にプロ入りも、07年まではずっとマイナー。その間球団も転々としていた。弟のいるパドレスに移った08年メジャー初昇格。井口の故障で空いた二塁を埋め、デビューイヤーでいきなり111試合に出場しレギュラー級の働きを見せた。09年は弟ともにメキシコ代表としてWBC出場。
巨人ではずっと流動的な二塁を固める存在として期待され、開幕からスタメン出場。しかし打撃は低空飛行を続け、4月後半に一旦二軍落ち。5月に再昇格後来日初ホーマーを放ったが、依然打率は低調で月末にはまた二軍落ち。この時点では2割をやっと越える程度の打率に苦しんでいた。しかし約1ヶ月の調整の後、6月後半に昇格するとそこから急上昇。突如長打が増し、夏場も好調をキープ。7,8月の2ヶ月で9ホーマー放ち、シーズン打率も大きく改善した。
印象を大きく変えたが、9月半ば以降はまた当たりが止まってしまい、最後は数字を落としてしまった。本来期待されていた二塁は守備面で問題が多く、一塁手としては上向いたとはいえ物足りない打撃。終盤の状態からクライマックス・シリーズで出番はなく、このまま退団が濃厚。二塁守備の動きがもっと良ければ魅力もあるのだが。

大塚 明

センス上位、故障多発型

右投右打
別府羽室台高 ロッテ94ドラフト3位〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ロッテ 103 139 37 14 0 3 60 20 7 6 1 13 0 27 .266
09 ロッテ 6 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
10 ロッテ - - - - - - - - - - - - - - -
通算 16年 737 1541 371 95 12 35 595 172 53 53 10 89 17 326 .241

高い守備力と柔軟さが評価される外野手。守備固めメインの準レギュラー格として毎年出場機会が多い。
福浦、小野らと同期入団の同い年で、三拍子揃ったアスリートタイプとして評判は高かった。特にパンチ力に期待され、4年目の97年に一軍初登場すると早速2ホーマー。しかしこの時点ですでに同期に遅れを取っており、しかも翌年はわずか5試合の出場と伸び悩み。99年から3年続けて準レギュラー級の機会を得るが、44打点・14盗塁を記録した00年がやや光る程度で、打率はいずれも2割5分以下。どうも壁を乗り越えられないばかりかどっちつかずの印象も強く、期待ほどには伸びてくれなかった。02年から数年は出場機会も激減。
ちょっと後がなくなってきたところだったが、05年は大幅に巻き返し。春先から好調でスタメン機会も急増、これまでの鬱憤を晴らすかのような活躍を見せた。打撃で勝負強いところを再三見せ、安定した守備力も健在で、一気に自身最高の成績を残した。
しかしキャリアハイの前年から一転、06年は大幅に後退。7年ぶりの100試合出場だったが、ほとんどの時期を不振で過ごし、一発もなし。07年はさらに落ち込んで、故障で長期間離脱。極端な低打率に喘ぎ、出場の半分は守備固めでのものだった。05年の勢いは完全に失われてしまった。
俊足で、外野守備は範囲が広く安定している。しかし打撃がなかなか安定しない上、故障に泣かされることが非常に多く、それが大成を阻んできた面も強い。様々なことを器用にこなす反面、どこを取ってもそこそこというレベルに止まっている印象。
守備要員としては確固たる地位を築き、08年は100試合以上出場。しかし故障の多さは相変わらずで、09年は腰痛の影響から一軍出場数が一桁に激減。一軍デビュー以来初めてノーヒットのシーズンに終わった。故障禍は続き、昨年はシーズン前に膝を手術。二軍でも6月に2試合出たのみという状態で、シーズン終了を待たず8月に現役引退を表明。
戦力として光った時期もあるが、やはり全体的に故障が多すぎた。今季は二軍コーチに就任。

大道 典嘉 (典良)

曲者志向、勝負師型

右投右打
明野高 南海/ダイエー/ソフトバンク88ドラフト4位〜06、巨人07〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 巨人 60 62 17 7 0 2 30 16 0 1 1 4 1 8 .274
09 巨人 37 35 9 1 0 0 10 3 0 1 0 2 0 9 .257
10 巨人 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
通算 23年 1356 3187 906 197 4 60 1292 415 9 80 35 310 13 478 .284

代打男として名高い、南海ホークス以来の大ベテラン。やりすぎではないかと思うほど極端に短くバットを持ち、しぶとく食らいつく独特の打撃スタイルが最大の特徴。
堂々たる体格で、入団当初は長打力を期待された大型外野手。しかしなかなか結果が出せず、出場機会は与えられるものの2割前後の低打率が続いていた。95年まではなかなか一軍に定着しきれず。
転機は96年、この年初めて200打席を越え、3割をマーク。この年こそ10ホーマーを打ったものの、この辺りから長打を捨てたように思われる。翌97年は規定打席に達して2割9分。一発狙いの大振りをやめ、大柄な体を屈めて徹底的に右方向を狙うスタイルはここで確立した。これ以降は安定して一軍戦力。平均打率も高く、いぶし銀の存在感。大振りの選手が多いチーム内で異彩を放っていた。
足は遅く、守備もはっきり言ってヘタ。01年以降は守ること自体が減って、代打がメイン、先発でもDHか一塁がほとんどになった。長打を捨てた今は一発もほとんどないが、それでも時折見切ったように引っ張ることもあり、油断ならない。打席数、ホームラン数の割に打点が多いのも特徴で、チャンスにはしぶとく食らいつき右中間を執拗に狙う。ファールで逃げる技術も一級品で、追い込まれても実にしつこい。
たださしもの職人も、06年はだいぶ衰えを感じさせた。出遅れはもう何年も続いていたが、打率が伸びず11年ぶりにノーアーチ。狙って打ち切れず、粘りきれないというシーンが目立つようになった。チームが若返りを進めていることもあって、シーズン後戦力外通告。
おそらくは引退を勧められたと思われるが、本人が現役にこだわり07年は無償で巨人へ移籍。20年目にして初めてのセ・リーグだったが、見事に生き返った。途中昇格するとほぼ代打専念で3割。出番の増えた08年も代打でしっかり3割と存在感を発揮。打点は4年ぶりに二桁に乗り、チーム最多の代打起用数でここでも切り札に。09年もチームトップの代打起用数。成功率はあまり良くなく、得意のはずの左投手を打てないなど内容自体は決して良くなかったものの、ポストシーズンでは目立つ活躍で意地を見せた。
二度の球団売却を乗り越えてきた男はそう簡単には死ななかった。しかし23年目、40歳を越えた昨年はほとんど出番なし。二軍で状態が上がらず、一軍昇格は9月も後半になってから。5打席代打で立ったものの結果は出せず。出場のなかったプロ1年目以来22年ぶりに一軍ノーヒットでシーズンを終えた。
しぶとく生き延びてきた大ベテランも、ついにシーズン後引退を表明。23年のプロ生活で規定打席到達は1度だけだったが、独特の個性を持った渋い選手だった。これで南海ホークス在籍経験者は現役から姿を消した。

大村 直之

中堅外野手、巧打者型

左投左打 ベストナイン(98,07)、Gグラブ(98,03,05)、最多安打(06)
育英高 近鉄94ドラフト3位〜04、ソフトバンク05〜08、オリックス09〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ソフトバンク 79 245 74 9 0 2 89 22 7 8 0 11 2 29 .302
09 オリックス 119 419 122 21 0 0 143 30 5 14 5 18 6 35 .291
10 オリックス 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 17年 1889 6566 1865 299 45 78 2488 568 203 194 39 365 81 777 .284

近鉄時代から1番を長年務めた巧打者。高卒2年目の95年に彗星のごとく現れ、4年目以降はもう不動のレギュラー。俊足と堅守に加えて非凡な打撃センスを持ち、中心選手として君臨。
高卒1年目から一軍に出場し、2年目には早くも準レギュラー級の活躍。初めて規定打席に到達した98年にはいきなり3割をマークした。23盗塁を記録した俊足ともども、不動の1番打者に大いに期待された。しかし翌年から少々足踏み。思ったほど打率が伸びず、盗塁数も激減。出塁役に満足できなかったのか、周囲に引きずられるように強引な打撃が目に付き、無理に大きいのを狙いすぎていた印象。優勝した01年から二桁本塁打を放つようになったが、打率は向上せず三振が一気に増えてしまった。02年後半には1番の座を礒部に譲る場面も。
さすがに危機感を持ったのか、03年からモデルチェンジ。無茶な大振りを改めてコンパクトな打撃に切り替えた。その結果長打を減らさずに5年ぶりの3割達成。また年々減り続けていた盗塁も27と大幅に増やし、1番打者として復権を果たした。04年は長打こそ減ったものの3割はキープ。意識改革はしっかり継続。
高い打撃技術の持ち主で成績は安定しているが、ムラッ気も非常に強い選手。試合毎に調子がコロコロ変わり、面白いように固め打ちしたかと思えば、次の日には音なしというのもザラ。調子に乗せると手がつけられないが、ダメな時は非常にあっさりと気分屋的なところも。
ソフトバンクにFA移籍した05年は、自己最多の31盗塁も打撃は後半失速して3年ぶりの2割台。やや期待を裏切ったが、06年は開幕から好調をキープ。3割こそ逃すも自己最多タイで初めての最多安打を記録した。07年は足の状態がいまいちながら打撃は快調。前半は首位打者争いを演じ続けた。夏場に落ち込んだものの3年ぶり移籍後初のシーズン3割。それも自己ベストの成績を残した。
ただ近年は下半身のコンディションが悪く、08年は開幕に大きく出遅れ。5月に復帰するも見切り発車で、実質前半を棒に振ることとなった。打撃は8月以降急上昇で最終的に3割到達したが、11年ぶりに規定打席未満に終わる不本意なシーズンとなった。村松とFA移籍した者同士・古巣復帰同士というトレードで09年はオリックスへ。序盤は非常に好調で5月末時点で3割中盤の高打率。しかし6月以降はパッとしない状態となり、最終的に3割を割ってしまった。新人年以来15年ぶりに一発もなしに。
打撃技術は一級品だが、33歳の年齢以上に老け込んだ印象もある。そして昨年は一気に落ち込み、序盤2試合に出たのみでシーズン通して二軍暮らし。17年目にして自己最少の出場数、16年ぶりにノーヒットというシーズンに終わった。当初二軍でも非常に低かった打率は最終的にだいぶ盛り返したが、一軍には呼ばれないまま。そしてシーズン後には戦力外に。
かつてはセンターで圧倒的な守備範囲を誇った選手だが、完全に脚力が衰えてしまったのが痛い。打撃技術はあっても基本的に単打専門の選手で、走・守の部分を失ってしまうと魅力が薄い。まだ34歳の年齢ながら現在のところ去就は未定で、一気に厳しい状況に。通算2000本安打到達は確実と思われたのだが…。

小田嶋 正邦

内野転向、一発長打型

右投右打
東海大山形高〜東海大 横浜02ドラフト3巡〜06、巨人07〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 巨人 4 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
09 巨人 10 21 4 0 0 1 7 3 0 0 0 0 0 5 .190
10 巨人 14 14 3 0 0 0 3 1 0 0 0 1 0 5 .214
通算 9年 149 204 41 4 0 6 63 17 0 3 1 11 3 73 .201

長打力が魅力の選手。捕手として入団も打撃優位の選手で、06年から内野手登録に。遠くへ飛ばすパワーが最大の持ち味。
アマチュア時代からスラッガーとして鳴らし、1年目はファームで7本塁打。2年目には一軍でも2ホーマーを放ち、代打サヨナラ満塁弾の離れ業も演じた。だが04,05年は伸び悩み。もともと確実性には乏しいが、期待された一発も出ず、ちょっと頭打ちに。
パワーが評価される打撃に対して、捕手としては正直微妙。05年の二軍でもマスクはほとんど被らず、登録も内野手となった。06年は6月に3ホーマー(内2本が代打)を放ち、久々に一軍で存在感をアピール。この月は3割と打ちまくったが、しかし長続きせず翌月以降激しく落ち込み、終盤は二軍暮らし。一軍定着には至らず。
07年仁志とのトレードで巨人へ。右の代打要員という期待もあったが、状況はより苦しくなった。07年はノーアーチ、08年は5打席立ってノーヒットとさっぱり。09年3年ぶりに一軍ホームランを放ったが、出場10試合でほとんど二軍暮らし。
昨年も二軍では好成績を残したが、一軍では先発出場のチャンスもありながらもうひとつ結果を残せず。シーズン後現役引退を表明した。ファームでは例年安定していても、そのレベルを脱しきれなかった。今後はブルペン捕手に転向。

北川 隼行 (利之)

中堅内野手、一軍半型

右投左打
大阪桐蔭高〜法大〜川崎製鉄水島 横浜03ドラフト6巡〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
09 横浜 19 44 10 2 0 1 15 4 0 2 0 1 0 13 .227
10 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 8年 53 82 17 3 0 1 23 4 0 2 0 3 0 25 .207

入団以来ここまで、ファームでは常にレギュラー級の内野手。ただ一軍ではこれといった実績を残せていない。
社会人から好守の内野手としてプロ入り。小柄で小回りの利くタイプで、1年目から二軍で3割8ホーマーの好成績を残した。2年目には一軍でプロ初ヒットも記録。しかし一軍の壁が厚く、下では常に安定した結果を残しているが浮上しきれない。4年目の06年は夏場に一軍昇格。2度のスタメン機会もあったが、これといった結果は残せず大半を二軍暮らし。07年はまた出場が減り、なかなか下から抜け出せない。
08年一軍出場なく終わり、年齢的にも危険な立場となったが、09年は持ち直しに成功。5月に昇格するとしばらく二塁スタメンで出場。目立たないながらもまずまずの成績を残した。長続きはせず6月に落ち込むとその後は終盤まで二軍暮らしとなったが、出場数・打席数ともに自己最多のシーズンに。
メインポジションは二塁で、守備範囲が広いと評される。ただこの結果もあくまで一時的なものに終わり、昨年はまたシーズン通して二軍暮らし。下では相変わらず安定した成績を残したが、突出したものはなく、シーズン後戦力外に。トライアウトにも参加したが声はかからず、引退することとなった。バランスの良さはあったものの、これといった特徴に欠けアピール材料に乏しかった印象。30歳を越えてこの一軍実績ではやむをえないか。

憲史 (川口 憲史)

パンチ力、打撃優位型

右投左打
柳川高 近鉄95ドラフト4位〜04、楽天05〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 楽天 63 94 19 2 1 1 26 9 0 0 0 12 2 18 .202
09 楽天 77 121 37 8 0 3 54 21 0 0 2 15 1 18 .306
10 楽天 28 36 6 0 0 0 6 2 0 0 0 2 1 8 .167
通算 16年 976 2332 613 132 11 69 974 314 9 6 18 263 34 434 .263

スラッガータイプの左打者。近鉄時代の01年、優勝争いの中で実質レギュラーとなり、21ホーマーをマーク。長距離打者としての素質を大きく開花させた。
00年までは期待ほどホームランが出ず、チャンスは貰うもののやや伸び悩んでいた。打率も低く粗さが目立っていたが、それが突然の大変身。3割をマークしたのは全くの予想外。ローズ、中村紀が打ちまくったため目立たなかったが、この年は下位打線の脅威として大活躍を見せた。
だが、翌年ウィルソンとの兼ね合いでポジションを確保するのに手間取り、そこから停滞が続くことに。02年こそ13ホーマーを放ったものの、03年は北川の台頭で出番減少。ローズが抜けて大チャンスと思われた04年は大不振に喘ぎ、完全に機会を逸してしまった。分配ドラフトで05年から楽天へ。
速球には強いのだが、どうしても脆さが消えない。力強い打撃には期待も大きいのだが、準レギュラー、或いは代打要員に落ち着いてきた感もある。外野手だが守備力は低く、一塁での出場も多い。
移籍後は中軸にという期待もあったのだが、レギュラーには届かず。05年はそこそこの打率も期待された一発が出ず、翌年からは低打率に喘ぐことに。一度落ち込んでしまうと長引いてしまう傾向が強く、もっぱら代打となった08年もチームトップの起用回数だったが成功率は低かった。
近年はずっと低打率続きで存在感を発揮できずにいたが、09年は久々に発奮。序盤二軍落ちという時期もあったが、6月以降勝負強さを随所に発揮。前年同様代打の1番手となった。52回起用されたその代打成績はそれほど良くはなかったのだが、スタメン出場時にかなりの活躍を見せた。8年ぶりにシーズン打率3割をマークし、巻き返しに成功。
以前より追い込まれてからの対応が向上し、粗い一発屋のイメージを一新した。だがこの好調を持続することは出来ず、昨年は低空飛行。前年より半減でも代打起用23回はチームトップだったが、3安打しか出来なかった。6月末に二軍落ちすると以降後半は昇格なし。近鉄時代の98年以来12年ぶりにシーズン100打席を切ることに。
打撃以外に魅力がないだけに、これが落ち込んでしまうと一気に苦しくなってしまう。34歳という年齢もあってかシーズン後戦力外に、トライアウトにも参加したが現状声はかからず、生き残りは厳しそう。

小坂 誠

守備の達人、俊足型

右投左打 新人王(97)、盗塁王(98、00)、Gグラブ(99〜01,05)
柴田高〜JR東日本東北 ロッテ97ドラフト5位〜05、巨人06〜08、楽天09〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 巨人 13 7 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 2 .000
09 楽天 105 176 40 3 1 1 48 8 7 17 1 18 0 31 .227
10 楽天 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -
通算 14年 1371 4261 1069 143 63 19 1395 303 279 267 36 475 26 599 .251

かつては日本一の遊撃守備を誇った名手。他チームファンに「小坂ゾーン」と称されたほどの広い守備範囲を誇り、足ではパの盗塁王を何度も松井稼頭央と争ってきた選手。
社会人からドラフト下位でロッテ入りすると、1年目からいきなりショートのレギュラーに定着しフル出場。56盗塁を記録して新人王に選ばれた。これ以降しばらくは不動の存在に。翌年には盗塁王に輝き、ここまで4度の最多三塁打を記録。このスピードから当然1番を期待されるが、打率が常に伸び悩み。170cmに満たない身長のハンデもあって、どうしても力負けしてしまう。2割5分前後の打率でほとんど下位打線に安住。
打撃は非力そのものだったが、守備では他の追随を許さぬほど大きな戦力に。敏捷な動きと正確な送球で君臨し、特に一歩目の速さが群を抜いていた。ヒット性の打球でもやすやすと追いつきアウトにしてしまう圧倒的な守備範囲で君臨。
ただ打撃のほうはなかなか向上せず、淡白に打ち上げてしまうことも多かった。04年打撃改造に取り組んだものの逆に不振に苦しみ、その間隙を突くように若い西岡が急台頭。レギュラーの地位が危うい状態に。
尻に火がついた形の05年は久しぶりに打撃好調。西岡と併用されたことが逆に良かったのか、規定打席不足ながら自身最高の打率を残した。前年一桁だった盗塁数も復活。いよいよ打撃も開花かと思ったところで、シーズン後巨人への金銭トレード。
移籍した06年はこれまでほとんど経験のなかった二塁がメインに。スタートはまずまずだったが5月大不振に陥り、プロ入り後初めてシーズン1割台に終わってしまった。当然ポジションは維持できず、後半はほとんど控えに。これで存在感が薄くなり、07年は先発出場は一度だけ。08年はさらに沈んで、ほとんど守備固めのみの起用で、シーズンの大半を二軍暮らし。出場はわずか13試合で、ノーヒットのまま終わってしまった。
出場機会を失っていたが、09年楽天へ移籍して巻き返し。高須が故障がちなことから出番は多く、二塁・遊撃で50試合以上先発、トータルではロッテ時代以来4年ぶりの100試合出場を果たした。一線から遠ざかっていたとはいえ守備力は未だ高く、7盗塁と脚力も発揮。打撃は相変わらず低調も、久々に存在感を見せるシーズンとなった。
しかし昨年は自主トレ中に腰を痛め、ヘルニアということで大幅に出遅れ。シーズンではほとんど出番なしに終わった。一軍出場は夏場の7試合だけで、すべて代走・守備固めでのもので打席に立つことはなかった。
シーズン後戦力外とされ、間もなく引退を表明。名人芸の守備を、キャリアの後半は見る機会が減っていたのが残念。今季からは二軍コーチに就任。

澤井 道久

俊足内野、非力型

右投左右打
豊川高〜東海理化 中日05ドラフト11巡〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 中日 7 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
09 中日 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
10 中日 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 6年 81 63 8 1 1 0 11 1 4 3 0 8 1 16 .127

俊足を武器とする内野手。ドラフト指名順位は思い切り低かったが、1年目から主に代走で数多く起用された。
売りは何といっても脚力で、ファームでは2年連続で二桁盗塁。1年目は一軍でも代走として4盗塁を記録した。ただ非常に弱いのが打力で、1年目は1安打のみ。故障から復帰して以降は代打起用も増えているのだが、全く結果が出ていない。07年に増えた出場数も翌年激減。09年も序盤3度代打で起用されノーヒットに終わると、以降は二軍暮らし。
昨年はとうとう一度も一軍に呼ばれず。二軍では好成績でも既に30歳を越えた年齢ではプラス材料にはならず、シーズン後戦力外に。トライアウトに参加したものの、俊足で非力な内野手というのは「よくいる」タイプであり、この一軍実績では厳しい。二軍では安定していたが。

塩崎 真

万能内野手、打撃低迷型

右投右打
熊本工高〜東洋大中退〜新日鉄広畑 オリックス97ドラフト3位〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 オリックス 92 153 34 6 1 1 45 6 0 11 1 17 4 31 .222
09 オリックス 66 94 22 5 0 2 33 7 0 3 1 8 0 29 .234
10 オリックス 35 48 9 0 0 1 12 1 0 2 0 5 1 13 .188
通算 14年 1232 3184 820 131 19 35 1094 261 47 183 20 281 30 603 .258

かつてレギュラーとして活躍したベテラン内野手。内野はどこでもソツなくこなし、実戦的な打撃を併せ持つ。派手さはないが利便性の高いユーティリティタイプ。
入団時からそこそこ試合には出ていたが、ほぼレギュラーに定着したのは00年以降。とはいえ何か目立ったものがあったわけではなく、他にいないからレギュラー、という印象が強かった。01年には高い得点圏打率で注目されるが、全体的な成績はそこそこ。打順も一定せず、それほど強い印象には残らなかった。
02年に極端な打撃低迷、03年は出場機会激減で少々期待値も下がっていた。しかし04年、バットヘッドを深く投手方向に傾ける新フォームで大変身。非常に粘り強くなり、一気に打撃が上向いた。前半は4割の打率を維持し、一度奪われた定位置も実力で奪取。後半はなんと4番を任され、4割を越える得点圏打率を残した。規定打席不足ながら初めての3割を記録。翌06年はさらに存在感を増し、故障者続出の状況下で出場機会が増加。二塁・三塁・遊撃をほぼ満遍なく守り、5年ぶりに規定打席に到達。打順も4番と9番以外のすべてで先発し、中軸と想定された選手が軒並み誤算の苦境を支える活躍を見せた。
何をやらせてもこなす万能さが最大の特徴。右方向を意識した打撃はなかなかいやらしく、代打でも結果を残せる。守備や小技も破綻がなく、際立つ部分はないが大きな穴も見当たらないタイプ。
だったのだが、オフにFA宣言するも獲得球団がなく残留した07年信じられない不振に陥った。開幕から全く打てない状態で打率はずっと1割台。ポジションを取り戻すどころか後半は二軍暮らしで、出場試合はもちろん自己最少、すべての面で最悪のシーズンになってしまった。
そしてこれ以降冴えない状態が続くことに。08年は後半後藤の代役として存在感を見せたが、前半の不振が響きシーズン成績は低迷。そして09年はずっと目立たぬまま。三塁の守備固めがメインとなり、打席機会も大きく減った。調子にムラもあり、8月中旬に二軍落ちするとそのままシーズン終了。
近年はめっきり影が薄くなってしまい、昨年もずっと低打率続き。出番も大幅に減り、後半はほぼ二軍暮らしに。すでに37歳とあって、シーズン終了を待たずに引退を表明。現役を退くこととなった。しぶとい選手だったがFA宣言を境に結果を残せなくなってしまった。二軍コーチに就任することに。

志田 宗大

バランス型外野手、一軍半型

右投右打
仙台育英高〜青学大 ヤクルト02ドラフト8巡〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ヤクルト 40 45 10 1 0 0 11 1 3 4 0 4 0 5 .222
09 ヤクルト 14 21 4 0 0 1 7 2 0 0 0 1 0 7 .190
10 ヤクルト 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 9年 320 399 87 10 2 5 116 20 12 12 1 26 2 92 .218

ドラフト8巡と下位指名ながら、1年目から毎年一軍出場している右の外野手。近年は守備・代走要員としての出場が多い。
個人的に入団時全くノーマークだった選手で、いきなり実績を残したのには驚かされた。決してパワーヒッターではないが新人年からホームランも記録。03年は二軍生活のほうが長かったが、そのファームで3割、一軍でもすべて左投手からヒットを放ち3割。そして04年は定位置が固まらない状況に乗って台頭。稲葉の不振もあって、1番を任される場面も多かった。ここまでは順調そのもの。
ただ05年は大きく足踏み。一軍出場が8月以降と遅く、しかも結果を残せなかった。積極性が影を潜め、簡単に追い込まれてしまうケースが目に付いた。1割そこそこの低打率に喘ぎ、これでポジション争いから大きく後退。06,07年は守備要員として落ち着き、打席数も極端に減った。
それでも一軍に留まっていたが、この地位も安泰とは言えず、ラミレスが抜け陣容が大きく変わった08年は前半ほとんど二軍暮らし。二軍で3割超と好成績を残したことから、後半代打起用され4年ぶりに二桁安打を記録したが、しかしそれほど強い印象は残せず。09年も前半は完全に二軍、後半一軍に呼ばれるも特に結果は残せず出場数減で終わった。
突出した部分のないタイプで、どうも印象に残りにくい。昨年はシーズン通して二軍暮らしが続き、終了前に引退を表明。04年の勢いを持続できなかったのが悔やまれる。今季からはスコアラーに転身。

下窪 陽介

バランス型外野手、一軍半型

右投右打
鹿児島実高〜日大〜日本通運 横浜07ドラフト(大・社)5巡〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 横浜 14 15 2 0 0 0 2 0 0 0 0 1 0 4 .133
09 横浜 7 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 .000
10 横浜 3 5 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 1 .200
通算 4年 96 143 34 6 0 0 40 10 1 7 0 8 4 31 .238

かつてのセンバツ優勝投手。大学で外野手に転向し、長いアマ生活を経て28歳と遅いプロ入り。
社会人では強豪チームで都市対抗の常連、06年活躍を見せてのプロ入りとなった。即戦力として期待は大きく、開幕一軍入り。積極的に起用されるも序盤はかなり苦しんだが、慣れてきたか6月頃から調子を上げてきた。最終的には70試合以上に出場、まずまずの成績を残し上々のスタート。左投手にはかなりの強さを見せアピール。
しかし2年目は大きく後退してほぼ二軍暮らし。下では3割と結果を残したが、上では少ないチャンスを全く活かせなかった。09年はさらに出番が減り、わずか11打席でノーヒット。1年目の勢いは失われてしまった。
二軍ではまずまずの成績を残してはいるが、どうも2年目以降見切られてしまった感も。昨年も5月に昇格して代打で2連続出塁にタイムリーと結果を残しながら、スタメンで1試合ノーヒットに終わるとすぐに二軍落ち。以降再昇格はなく、わずか3試合の出場に終わった。さらにシーズン後戦力外に。
30歳を越えて近年のジリ貧では戦力外はやむをえないが、あまりチャンスも貰えなかった。まとまってはいるが特徴がなく、アピール材料に乏しかったか。トライアウトにも参加したが声はかからず、現役続行は難しいか。

庄田 隆弘

中堅外野手、一軍半型

左投左打
智弁学園高〜明大〜シダックス 阪神04ドラフト6巡〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 阪神 13 23 7 1 0 0 8 2 0 0 0 1 0 4 .307
09 阪神 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
10 阪神 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 7年 41 63 18 3 0 1 24 5 0 1 0 8 0 13 .286

下積みの長い中堅外野手。社会人からプロ入りも二軍が長く、一軍半の状態にとどまっている。
名門高校で1年からレギュラーを務め、社会人では野村監督のシダックスで1番として活躍。プロ入りした1年目に手首骨折で躓いたが、その後はゆっくりながら着実に前進。3年二軍暮らしの後、4年目の07年一軍初出場、初安打に初ホームランも記録した。翌年は出場は減ったものの、夏場昇格で3割の好成績を残した。
しかし09年は終盤にわずか4試合出たのみ。全くアピールできずに終わってしまった。二軍では安定した活躍を続けているが、まとまりすぎていてこれといった特徴に欠ける印象。バランスはいいが目に留まりにくいタイプ。
昨年はとうとう一度も一軍に呼ばれず、シーズン後には戦力外となってしまった。一軍実績が乏しくすでに31歳とあってはさすがに厳しい。何かこれという売りがあればまた違ったろうが。

フェルナンド・セギノール

長距離砲、再三復帰型

右投左右打 本塁打王(04)、ベストナイン(04,06)
オリックス02、日本ハム04〜07、楽天08途中〜09、オリックス10途中
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 楽天 39 136 44 7 0 13 90 40 0 0 1 14 6 40 .324
09 楽天 104 316 80 18 0 14 140 54 1 0 1 39 5 83 .253
10 オリックス 11 37 7 3 0 0 10 3 0 0 0 0 1 11 .189
通算 8年 767 2656 724 138 0 172 1378 483 3 0 14 313 59 738 .273

スイッチの大砲外国人。02年オリックスに在籍も結果が残せず解雇されたが、04年大幅にパワーアップして帰ってきた。
オリックス入団当初はスイッチの中距離打者という触れ込みだったが、蓋を開けてみると粗っぽいパワーヒッター。当たればでかいが極端に確実性の低い一発屋だった。5月に史上初の2試合連続1試合左右打席本塁打を記録しても、開幕から2割ちょいの低空飛行続きで信頼は低いまま。首脳陣と衝突する場面もあり、1年限りで解雇に。
しかしアメリカに復帰した03年、3Aで二冠王の大活躍。この好成績と素質の高さから再び声がかかり、04年復帰して日本ハム入り。すると開幕するや打棒大爆発。春先はとにかく打ちまくり、打率・本塁打でリーグトップを快走。結果的にホームラン以外のタイトルは逃したが、3割に40本100打点と文句の付けようのない成績を残した。4番にどっしりと落ち着き、打線の軸として猛威を振るった。ここまで成功した復帰選手も珍しい。
とにかくパワーは圧倒的。オリックス時代よりビルドアップした印象で、技術的にも長足の進歩を遂げた。内角と低めには弱さを見せるが、ちょっと浮いてしまうと持っていかれてしまう。スイッチヒッターでどちらの打席でも怖さが変わらないのも脅威。
ただこの鮮烈な活躍以降は徐々に成績ダウン。それでも06年は終盤爆発で優勝の原動力になったが、07年は交流戦の一時期を除いて全く存在感がなく、すべての成績を大きく落とした。毎年契約難航していた選手で、その上この成績悪化と膝の爆弾持ちということで再契約にはならず退団。
しかしこれで見納めとはならず、翌年途中楽天と契約し2度目の日本球界復帰。今度はオリックス時代のスリムさを髣髴とさせるほどしっかり絞れていた。打棒も甦り、8月途中から昇格するとコンスタントに打ちまくって不動の4番に定着。自己ベストの04年すら上回るほどの好調さで、わずか2ヶ月足らずで13ホーマーを放ち、圧倒的な存在感を見せた。通算8度目の1試合左右打席ホームランも記録し、見事に復活。
しかし年が明けるとまた状態が激変。開幕からずっと1割台という低空飛行が続き、5月後半に二軍落ちする事態となった。後半持ち直したものの前半の不調が響きトータルでは期待はずれに。9月以降は好調でクライマックスシリーズでも活躍を見せたが、帳尻合わせという印象も否定できず。シーズン後退団に。
それでも実績を買われ、昨年6月8年ぶりにオリックスと契約し、実に3度目の日本球界復帰。過去2度はいずれも直後好調という選手だったが、しかし今度はそうはいかなかった。結果を残せず、二軍調整を挟んだが早々に見切られた。7月後半に再び二軍落ちするとそのままシーズン終了。わずか11試合の出場で一発もなく終わった。
実績豊富で何度も復帰してきた選手だがすでに35歳、昨年を除いても下降線に入っているのは確実。4度目の復帰となれば面白いがさすがに見納めか。

ディオニス・セサル

便利屋外国人、非力型

右投左右打
中日10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 中日 51 186 40 7 0 1 50 10 2 1 0 7 0 45 .215
通算 1年

中日の新外国人。メジャー経験はなく、過去15年のキャリアをマイナーや独立リーグで過ごしたベテラン選手。ここ2年はメキシカン・リーグでプレーし、09年は3割8分、40盗塁で同リーグのMVPに輝いた。
日本での登録は外野手だが09年は二塁でのプレーが最も多く、過去には4試合の投手経験すら持つ。捕手以外すべてのポジションでプレー経験ありというプロフィール。それを見込んで、荒木の出遅れた開幕から5試合はセカンドスタメンで起用された。しかしその5試合で3失策と守備の拙さを見せ、以降は外野のみに。守備もさることながら打撃はそれ以上に厳しい状態で、4月は54打数6安打という極度の低打率。その後二軍調整を経て多少は上向いたものの、良くなったとまでは到底言えず、オールスター前に再度二軍落ち。
高打率だった前年のメキシコでも5ホーマーとパワーのある選手ではなく、長打は少ないタイプ。それでいてこの低打率では非常に厳しい。打撃の内容を見ても一軍レベルではかなり見劣りし、長打も期待できないとあっては魅力が薄い。
8月下旬にもう一度昇格したが、6打席ノーヒットに終わるとそこで見切られた。1年限りで退団。打てない上に外野守備でもポカが目に付き、見るべきところがほとんどなかった。

高橋 光信

パワーヒッター、代打屋型

右投右打
横浜高〜国際武道大 中日98ドラフト6位〜06、阪神07〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 阪神 68 108 34 7 0 4 53 15 0 0 1 6 0 16 .315
09 阪神 46 41 10 0 0 1 13 10 0 0 2 2 0 3 .244
10 阪神 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 .000
通算 13年 398 510 129 23 0 21 215 76 1 0 5 29 8 83 .253

代打屋で台頭した右のパワーヒッター。以前は粗さが先にたちすぎてなかなか一軍に定着できなかったが、04年にブレイク。
3年目の00年に一軍初出場。早速2ホームランを放ったが翌年はほとんど出番なし。打撃はともかく、一塁しか守れない守備力がネックとなり、なかなかチャンスに恵まれなかった。02年後半に台頭しようやく素質の片鱗を見せたが、03年はまたほぼ二軍暮らし。
大卒で年数が経ち、そろそろ厳しい立場に追い込まれつつある状況だった。4番候補に指名されるなど注目された04年も、序盤はチャンスを活かせず二軍暮らし。ところが夏場以降、「選球眼がいい」という期待に応え、代打で粘り強く四球を選んで台頭。秋には持ち前の長打力も発揮し、わずか3ヶ月ながら代打の切り札に。
ディフェンス面でなかなか起用されなかった選手だが、代打で息を吹き返した。これ以降切り札となり、05年は代打起用回数チームトップ。06年も立浪に次ぐ起用で右の1番手だった。ただ05年は8月中旬を最後に以降16打席ノーヒット。06年も8,9月ノーヒットと、2年続けて後半急ブレーキ。スタミナに難があるところをはっきり露呈してしまった。底が見えたと判断されたか、シーズン後戦力外に。
トライアウトを経て07年からは阪神へ。序盤低打率に喘ぎ二軍落ちも、終盤昇格すると打棒を取り戻した。代打では通年で2割8分、一塁スタメン機会もあるなど復調。そして08年は一気に自己ベストのシーズンに。得意の代打ではあまりパッとしなかったものの、全体的に打撃好調。11年目にして初めて打席数が100を越え、初のシーズン3割。4ホーマー15打点も自己最高の数字で、新井不在の後半は葛城と一塁を分け合った。翌年は再び代打に戻り、そう目立つ成績ではなかったが、持ち味はしっかりと見せた。
ただ35歳となる昨年は出番が大幅減。開幕を二軍で迎え、交流戦の時期に昇格するも、7打席ノーヒットに終わると後半はずっと二軍暮らし。控えに廻った関本が右の代打筆頭となり、一塁にブラゼルが安定したことから出るところがなくなってしまった。シーズン後現役引退を表明し、今季からは二軍コーチに就任。

辻 武史

控え外野手、叩き上げ型

右投右打
星陵高 ダイエー/ソフトバンク98ドラフト5位〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ソフトバンク 87 124 34 8 3 0 48 13 8 6 0 5 1 23 .274
09 ソフトバンク 23 16 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 0 6 .125
10 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
通算 13年 267 329 73 19 4 1 103 31 10 14 1 13 8 71 .222

俊足・強肩を特徴とする外野手。もっぱら守備・代走要員という立場だったが、08年は打撃でも力を発揮。
ドラフトは下位で、入団後4年間は一軍出場なし。チャンスを掴んだのは02年で、秋山引退を機に一軍に上がってきた。いうなればテストのような形だったが、打撃でそこそこの結果を残しアピール。以降一軍に顔を出すように。
ただ、せっかくの浮上後も一軍半の立場からなかなか抜け出せず。打撃に確実性がなく、03年はファームでも2割そこそこ。村松が抜けた04年もチャンスを与えられながら、1割に届かない打率ではアピールにならなかった。出場数は伸びず、出ても守備要員という立場。先行していながら井手や荒金に遅れを取り、05年わずか1試合の出場で崖っぷちに。
それでもここから徐々に盛り返し、翌06年は二軍で打撃好調、一軍でもプロ初ホームランを放ち、久々にその名前をアピール。その後が続かなかったものの、07年は守備要員として出場数増加。そして08年は故障者続出の状況からさらに出番を増やし、また打撃でも好結果。センター返しを中心にコンスタントに打てるようになり、しぶとさを見せるようになった。スタメン機会増加で11年目にして初めて100打席越え。ついに一軍定着のシーズンに。
しかし、以前の台頭後もそうだったが、いい状態を次に続けられないのが問題。09年は一転してさっぱり打てなくなり、5月以降はほとんど二軍生活に。増え続けていた出場数を大きく減らし、逆戻りのシーズンに終わってしまった。守備要員として城所が定着した昨年は9年ぶりに一軍出場なしに終わり、シーズン後戦力外に。
一度打撃のコツを掴みかけたかに見えたが、翌年簡単に手放してしまった。移籍先を探すも31歳で実績が乏しい二軍暮らしでは厳しく、事実上引退で今季はアイランド・リーグ高知のコーチに就任することに。チャンスは多々あったがもう一つ活かしきれなかった。

ジェイミー・デントナ

主軸候補、調子激動型

右投右打
ヤクルト09〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
09 ヤクルト 118 391 108 19 0 21 190 83 0 0 5 30 2 110 .276
10 ヤクルト 99 294 72 17 0 15 134 50 0 0 6 32 1 99 .245
通算 2年 217 685 180 36 0 36 324 133 0 0 11 62 3 209 .263

09年ヤクルト加入の外国人。入団決定時26歳という若さで、前年3Aで3割6分、21ホーマーの活躍をし、メジャー初出場を遂げたばかりの選手。
主砲として期待され、開幕から4番での出場。序盤はそこそこも、欠点を攻められ5月低迷。打率が大きく落ち込み、一時はスタメン落ちするようになった。しかし6月半ばから復調し、7月に入ると爆発。4割以上の打率で打ちまくり、月間MVP獲得。一発に打点も稼いで主砲として活躍を見せ始めた。交流戦中に2割3分だった打率はオールスター直前に2割8分台まで急上昇。後半足を痛めて離脱し、復帰後は冴えなかったものの、前半から大きく成績を引き上げ、最終的にチームトップの打点をマーク。
粘り強く起用されて対応してきたという点ではガイエルに通じる点も。アメリカ時代失策の多かった三塁は結局守らず、日本では一塁専念。マイナーでは通算31試合の捕手経験も持っている。
チームに乏しい右の大砲ということで期待された昨年は、開幕当初は非常に好調なスタート。ところが4月後半から急激に状態が悪くなり、前半は落ちる一方。中軸を想定されたガイエルともども極端な不振で大誤算となった。7月に二軍落ちした後、再昇格した8月以降は急上昇、4割近く打ちまくったが、前半の不振が響き通年の成績は前年から大幅にダウン。
左投手から3割6分と打ちまくった一方で、右投手には1割7分とさっぱり。最後に調子を上げたことから残留の可能性もなくはなかったが、やはり帳尻の印象も拭えず昨年限りで退団ということに。打てない期間があまりに長く、印象が悪すぎた。

西岡 剛 (TSUYOSHI)

俊足ショート、中心選手型

右投左右打 盗塁王(05,06)、ベストナイン(05,07,10)、Gグラブ(05,07,10)、首位打者(10)、最多安打(10)
大阪桐蔭高 ロッテ03ドラフト1巡〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ロッテ 116 473 142 26 6 13 219 49 18 4 2 36 7 68 .300
09 ロッテ 120 454 118 24 5 14 194 41 26 3 2 67 5 76 .260
10 ロッテ 144 596 206 32 8 11 287 59 22 8 5 79 4 96 .346
通算 8年 817 3111 911 165 42 55 1325 300 175 34 22 328 30 463 .293

不動のショートに君臨してきた俊足スイッチヒッター。名手小坂を追い落とす台頭劇から瞬く間に主力となり、球界を代表する存在に。
高校時代は屈指の好打者として森岡(中→ヤ)と評価を二分した存在。堂々のドラフト1巡指名でロッテ入りすると、1年目から早速一軍デビューを果たし、初ヒットも放った。そして04年早々に一軍抜擢されると、溌剌としたプレーとセンスあふれる打撃で強烈アピールし、夏場はもう完全にレギュラーという活躍を見せた。同じ年に台頭してきた今江とともにチームに新風を吹き込み、一気に小坂を脅かす存在に。
そしてその名前を大きく高めたのが05年。開幕から絶好調でハイアベレージを維持。さらに積極的に盗塁を積み重ね、好調なチームの象徴ともなった。打率のほうは最終的に3割を大きく割り込んだものの、その俊足は他チームの脅威となり、そのまま盗塁王のタイトル獲得。順調な成長で、あっという間に主力の一角に食い込んだ。
速球系に力負けしないスイングの持ち主で、脚力を利した俊敏な守備力も併せ持つ。全体的にセンスの高さを感じさせる選手で、高校では二塁もプロではショートに定着。チームに勢いを呼び込む存在として、彼の台頭以降チームは優勝戦線に加わるようになった。
レギュラー定着後も前進続き。06年はWBC代表のセカンドとしても活躍し、シーズンでは不動の1番ショートとして2年連続の盗塁王を獲得。そして登録名を「TSUYOSHI」とした07年は念願の3割達成。左投手を4割近く打ち込み、特に極端なスランプなくチームを引っ張った。登録名を戻した08年は五輪に代表出場。下半身に不安を抱えたシーズンであったが、2年連続の3割達成、そして一発が急増し13ホーマーを放った。不動の中心選手として安定した活躍。
09年は自己最多の14ホーマーも打率が振るわず、ここまでの勢いにブレーキがかかったが、昨年は能力全開のシーズンに。開幕から非常に好調で、常に高打率をキープ。それだけでも充分過ぎる活躍だったが、終盤はさらに圧巻の打棒を発揮。9月4割6分という凄まじい月間打率をマークし、もちろん自己ベストのシーズン打率を記録。8月末時点で2分上にいた田中賢を一気に逆転し、怒涛の追い込みで首位打者獲得。これも初の最多安打は、9月以降の23試合で44安打を積み上げ、リーグでは94年のイチロー以来となる200安打突破。シーズン692打席、そして27度の猛打賞はいずれも日本最多記録。
CS・日本シリーズでは不振に喘いだものの、9月以降の出塁率は5割超と終盤はまさに手がつけられない状態だった。この実績を引っさげてオフにポスティングを申請、ツインズと契約し今季はメジャーへ移籍。

野口 寿浩

ベテラン捕手、二番手型

右投右打
習志野高 ヤクルト90ドラフト外〜97、日本ハム98〜02、阪神03〜08、横浜09〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 阪神 55 141 27 5 0 1 35 9 0 7 1 16 2 35 .191
09 横浜 17 38 8 2 1 0 12 3 0 2 0 4 0 13 .211
10 横浜 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
通算 21年 911 2332 582 120 25 42 878 272 30 74 23 135 21 467 .250

控え歴の非常に長い捕手。日本ハム時代に正捕手となっていたが、それ以外はほとんど強力な正捕手の2番手を務めてきたベテラン。
高校からドラフト外でヤクルトに入団。当初から強肩で評判だったが、同じ年に古田がプロ入りして球界を代表する存在に定着。なかなか出番は廻ってこなかった。そんな中でも94年、その古田が故障すると代役に抜擢され、なかなかの活躍。一気に一軍戦力となったが、翌年からはほとんど出番のない控えに。やや不遇を託っていた。
大きな転機となったのは98年の日本ハムへの移籍。当時正捕手格だった田口をあっさりと追い抜き、瞬く間に正捕手に定着した。強肩に加えて打撃もまずまずのものを見せ、99,00年はほぼフル出場。00年にはあと一歩で3割という成績も残した。
だがこれで落ち着かないのが野口の宿命か。翌年打撃低迷に加えて投手陣も崩壊、その責任を取らされるような形で終盤若い實松にポジションを奪われた。しかも實松が期待以上に働いたため、ここで一度外野にコンバート。捕手として構想外で始まった02年は、實松の伸び悩みで正捕手奪回と意地を見せたが、その直後に阪神へトレード。
阪神は前年矢野の故障で大失速した反省から、経験豊富なサブを求めての野口獲得だった。その期待通り03年はまずまず出番もあり、強力な2番手捕手として活躍。だがどうもタイミングに恵まれないのか、翌年から矢野がほとんど欠場しなくなり、それに伴って出番も大きく減ってしまった。04年出場機会を求めてFA宣言したのも無理からぬところ。
残留したものの、矢野の後継者を育てる必要性もあって出番は増えず。しかし07年夏場に久々に存在感を見せた。非常に打撃好調で、少ない打数ながら高打率をキープ。08年は狩野の故障などもあってさらに出番増加。移籍初年以来5年ぶりに出場が50試合を越えた。前年のような打撃は見せられなかったが、矢野が五輪で不在の8月はメインでマスクを被った。
オフに2度目のFA権を行使し、09年は横浜に移籍。相川退団の穴埋めを期待されたが、しかし大誤算に終わってしまった。開幕からスタメンマスクも、打撃はともかく守備で完全に期待を裏切る動き。12回走られて1度も刺せないなど全般に衰えを見せ、1ヶ月も持たずに見切りをつけられた。5月に二軍落ちすると以降昇格なし。
昨年は橋本が加入し、武山が起用される中ほぼ構想外となってしまい、6月に2試合出たのみでほとんど二軍暮らし。シーズン後戦力外となってしまった。現役続行を希望もすでに39歳、横浜での印象も衰えを痛感させるもので、移籍先は見つからず。このまま実質引退となりそうな情勢。

フレディ・バイナム

便利屋、貧打型

右投左打
オリックス10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 オリックス 16 29 4 2 0 0 6 1 0 0 0 0 0 9 .138
通算 1年

開幕目前の3月に入団が決まったオリックスの外国人。内外野守れて俊足というプロフィールの選手。
メジャー実績は05年から4年間で188試合出場、打撃はパッとしないがセカンド・ショートに外野を満遍なく守り、通算18盗塁を記録。若い頃にはマイナーでコンスタントに年間20盗塁以上していた。開幕すると来日初出場は代走というのも、外国人としては珍しい。
ユーティリティ以上の期待はなかったようだが、そもそも外国人枠を消費しての代走・守備要員という存在はあまりに微妙。打撃のほうは明確に力不足で、スタメン出場もあったがほとんど打てず。5月頭以降は長期二軍暮らしとなった。おそらくは残留テストのため、シーズン最後の3試合にスタメン起用。ここでも評価を上昇させるような働きはできず、1割3分という極端な低打率でシーズンを終えた。
二軍ではまずまずの打率にチームトップの16盗塁。しかし一軍では3打席に1度は三振というペースで、上のレベルには全く対応できなかった。一時残留という話もあったが、結局は1年限りで退団に。正直獲得意図が解らない選手だった。

ジャスティン・ヒューバー

中軸候補、期待はずれ型

右投右打
広島10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 広島 80 177 39 7 0 7 67 17 0 0 0 25 7 42 .220
通算 1年

昨年広島入りの外国人。過去2回のWBCにオーストラリア代表として出場、前回大会では4番を務めていた選手。メジャー実績は乏しいが前年3Aで22ホーマー。
新任の野村監督がかねてより注目していた選手とされ、その推薦で獲得されたという。チームに不足する長打力の持ち主として大いに期待されたが、オープン戦はさっぱり。開幕戦2安打で変わり身を見せるかと思いきや、その後15打席ノーヒット。4月に来日初ホームランを放つも、依然低調で中旬頃には先発落ちするように。代打でも結果は残せず、4月末に一旦二軍落ち。
膝の故障などもあって1ヵ月半二軍にいたが、6月栗原の離脱から再昇格。3ホーマー放つも相変わらず低打率だったが、7月は一転して高打率をマーク。ずっと1割台だった打率を2割台に載せた。ただこれも一時的なものに過ぎず、8月以降はまたさっぱり打てなくなった。
終盤まで起用され続けたが上向く気配はなく、月間打率2割を越えたのは結局7月だけ。特に一番望まれていたチャンスでの成績が壊滅的で、低打率以上に20に満たない打点が期待はずれだった。1年限りで解雇もやむなし。

フィオ (ジェフ・フィオレンティーノ)

中距離打者、スロースタート型

右投左打
広島10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 広島 44 126 31 4 0 2 41 15 2 2 1 19 3 37 .246
通算 1年

昨年広島入りの外国人選手。比較的若い選手で、メジャー通算は57試合と乏しいながら2割7分とそこそこの打率を残している。前年は3Aで3割越えの巧打者タイプ。「フィオレンティーノ」の名が長すぎることから呼称の「フィオ」で表示されることに。
外野のレギュラーとして打線に厚みを増すことが期待されたが、オープン戦から低調。開幕しても状態は上がらず、1割台と低打率に喘いで4月中旬に二軍落ち。長打力にも欠けいいところなしの状態だったが、4月末に再昇格後は順応して来た。5月以降3割近いアベレージをキープし、シーズン打率もだいぶ回復。
打席結果の6割が2ストライク後という待ちの打者で、早いカウントではあまり仕掛けてこない。チャンスに意外にしぶといところを見せ、四球をよく拾い得点圏打率も3割超。中軸の破壊力には欠けるが、それなりに味のある存在。
しかし6月中旬に栗原が離脱し、代役としてヒューバーが立てられると外国人枠から押し出されて二軍落ちとなってしまった。投手で3人埋まっているチーム状況ゆえだが、調子が上がってきたところでチャンスなしになってしまったのは残念。これ以降一軍に呼ばれることはなく、残留直訴も空しく1年で解雇となってしまった。左打ちの外野手が余っている事情もあるが、この辺り現場と編成の意識にずれがあったようにも思える。もう少し見てみたかった気もするが、やむをえないか。

アンディ・フィリップス

途中入団、夏場上昇型

右投右打
広島09途中、楽天10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
09 広島 74 264 70 15 1 15 132 50 0 0 5 27 5 48 .265
10 楽天 26 81 16 2 0 2 24 12 0 0 1 9 1 21 .198
通算 2年 100 345 86 17 1 17 156 62 0 0 6 36 6 69 .249

09年シーズン途中に広島加入の外国人。決定力不足に悩んだ打線の起爆剤を期待されての獲得。
メジャーでは06年に110試合出場で通算259試合出場の実績。マイナーでは通算141ホーマーの中堅選手。5月のマクレーンに続いて6月に入団が決まり、二軍戦に出ずに6月末から一軍登録された。初出場試合で来日初安打がホームラン。
さすがにぶっつけで慣れるには時間がかかり、オールスターまではあまりパッとしなかった。しかし8月に入ると打棒急上昇。一発が増え、非常に効果的な一打が目立つようになった。この月3割6分に6ホーマー25打点と大当たり。9月以降失速してしまったが、シーズンのほぼ半分で15ホーマー50打点と成績も充分な結果を残した。
右投手に2割1分とさっぱりだったが、左投手には3割4分と極端に強かった。本来は内野手で、メジャー・マイナーあわせてやっと10試合を超える程度の外野経験しかなかったのだが、チーム事情から守ったのはほとんどレフト。不慣れなポジションとあって外野守備が不安一杯だったのはやむをえなかった。
メジャー復帰を希望して広島を退団したが、有力なオファーを得られなかったか、昨年は再びブラウン監督の下楽天へ移籍することとなった。ところが今度は大不振。不慣れな外野ではなくほぼ一塁での起用となったが、逆にさっぱり打てなくなってしまった。さらにようやく調子を戻しかけたところで脇腹を痛め一時帰国。復帰する前に今度は膝の不調で帰国と故障の連続。故障の連続。結局そのまま実戦に戻ることはなく、存在感のないままシーズンを終えた。
前年の実績からも期待は大きかったが全く戦力にならなかった。そのまま退団となり、母校大学のコーチを務めるようで、どうやら引退の模様。

ロベルト・ペタジーニ

日本向き助っ人、安定型

左投左打 本塁打王(99,01)、ベストナイン(99〜02)、Gグラブ(00〜02)、打点王(01)、最高出塁率(01)、MVP(01)
ヤクルト99〜02、巨人03〜04、ソフトバンク10途中
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
10 ソフトバンク 81 264 69 12 0 10 111 41 0 0 4 39 0 72 .261
通算 7年 837 2830 882 149 3 233 1736 635 24 0 18 609 39 622 .312

数々のタイトルに輝き、「現役最強」の呼び声も高かった外国人選手。04年を最後に日本を離れていたが、昨年途中ソフトバンクと契約し6年ぶりに復帰。
99年にヤクルト入り。直前の2年間3Aで計55ホーマーしていたとはいえ、メジャー実績はそれほどなく、入団時の評判と言えば、かなり年上の夫人のことばかり。しかし蓋を開けてみると開幕から打ちまくり、いきなり打棒を発揮。3割100打点40ホーマーをクリアする大活躍で、本命視されていた松井秀を振り切り本塁打王に輝いた。これ以降も常にリーグ上位の成績を残し続け主砲として君臨。3年目の01年にはホームランと打点の二冠王獲得でMVPにも選出。ここ一番という場面に非常に強く、試合を決める一打を何度となく見せた。
1年目からリーグトップの四球を選んだように、ボール球に手を出さないクレバーさが成功の秘訣。変化球にも巧みに対応し、じっくりと球筋を見定めて鋭く叩く。無茶振りはほとんどなく、打率の高さもあって三冠王にも近い存在でもあった。
来日から4年連続3割に2度の100打点、40ホーマーと文句なしの活躍を続けたが、それに伴って年俸は高騰。02年死球をきっかけに職場放棄にまで至る騒動を起こし、シーズンが終わると電撃退団。高額な契約条件に応えられる球団は限られ、シーズン中からの噂どおり、松井をメジャー流出で失った巨人に入団。
実績・能力ともに抜群で争奪戦は当然ではあったが、呆れるほど高額な契約内容とすでに同ポジションに清原のいるチームの獲得には疑問の声も強かった。果たして、巨人移籍後の2年は破格の待遇に安住してしまった感がある。03年も3割30本を達成したが、数字ほどのインパクトはなかった。やや帳尻といった印象が強く、貢献度はそれほどでもない。想定されていた外野起用は、守備が話にならないレベルで頓挫。ちぐはぐな編成の印象を残したのみだった。翌04年も終わってみれば好成績を残したが、前半は全くの低空飛行で印象薄。決して悪い数字ではないものの、来日以来初めて3割30ホーマーを割った。高年俸の割にということで解雇に。
実力は折り紙つきでも高額が必要な上に「扱いづらい」というイメージも定着しており、国内に興味を示す球団はなく05年からはアメリカに戻ってプレー。一時引退し07年はプレーしなかったが、08年メキシコ及び韓国で現役復帰。09年は韓国LGで26ホーマー、100打点と打棒も復活。残留交渉が不調に終わり退団していたところで、昨年4月ソフトバンクと契約、実に6年ぶりの日本球界復帰となった。
当初外国人枠は埋まっている状態で二軍調整していた(二軍戦は5試合出場で3ホーマー)が、5月末に李ボム浩と入れ替わりで一軍昇格。以降主にDHを中心にレギュラー出場し、もっぱら6番を任された。復帰当初は打撃好調でさすがと思わせたが、7月不振に陥ると以降は波のある状態に。実績者らしく最終的にそこそこの成績は残したものの、さすがに全盛期には遠く及ばなかった。
すでに39歳とあって年齢を感じさせる場面は随所に見え、特に三振が大幅に増えて四球がそれほど拾えなかった。スイングスピードや動体視力の低下が一番の理由だが、もう一つ彼の活躍していた頃より日本の投手の平均球速は上がっており、充分にひきつけることが出来なかった印象も強い。悪くはないが良くもない結果で、もう上がり目もないということで再契約はされず、どうやらこのまま引退ということに。

堀 幸一

生え抜きベテラン、万能型

右投右打 ベストナイン(05)
海星高 ロッテ88ドラフト3位〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ロッテ 41 93 19 3 0 0 22 6 2 4 0 6 1 17 .204
09 ロッテ 56 112 29 7 0 4 48 17 0 2 1 5 1 31 .259
10 ロッテ - - - - - - - - - - - - - - -
通算 23年 2064 6788 1827 351 37 183 2801 810 133 121 58 676 37 1295 .269

ロッテ一筋23年の生え抜き大ベテラン。タイトルなどの華やかな活躍とは無縁だが、長年主力としてチームを支えた大黒柱的存在。
高卒2年目の89年に一軍デビューし、91年からレギュラーに定着。この年20ホーマーを放ち「有藤2世」の期待を受けたが、チーム事情から内外野複数のポジションを守り、やや便利屋と化したことは否めない。順応性の高い中距離打者ということで打順も一定せず、ほとんど全打順を経験。何でもできる反面強烈な個性には欠け、95,96年に打率リーグベスト3に入った以外は全体的にそこそこの印象が強い。そのため常に主力でありながらもう一つ地味な雰囲気。
初芝と同時代を支えた選手だが、00,01年はスタメン落ちが目立ち精彩を欠いていた。ピークは過ぎたかと思われたが、ここから巻き返し。02年3年ぶりに規定打席到達でレギュラーに返り咲くと、翌年は大きく成績を伸ばして存在感を見せた。12年ぶりの20ホーマー突破で自己最多の22本、塁打・打点も自己ベストを更新し、改めてチームの中心的存在であることを印象付けた。様々なポジションをこなし、万能選手として活躍。
ここで息を吹き返し、この辺りからしぶとい打撃の職人的存在に。04年は平凡な成績だったものの、翌05年は2番定着で打線のつなぎ役として活躍。一発が半減した代わりに右打ちのうまさを見せ、9年ぶり3度目のシーズン3割。ベストナイン選出で18年目にして初めてのタイトルを受賞、そしてそれ以上にプレーオフ突破で初めての優勝という歓喜を味わった。
たださしもの職人選手もこれ以降衰えがはっきり見えてきた。06年大不振に陥り、大幅に打率低下。07年も夏場に一時好調だった以外は総じて低調で、出場数はさらに減少。17年ぶりに200打席を割った。悲願の優勝を経験し、苦労をともにした初芝が引退したことで、一気に衰えがきたか。翌年もさらに出場が減り、打率は辛うじて2割。出場のなかった1年目以来のノーアーチに終わった。
急激に影が薄くなったが、それでも09年は意地を見せて持ち直し。途中昇格して一塁スタメンなどをこなし、前年より成績を回復。決して高いという数字ではないものの、4ホーマーなど要所で存在感を発揮した。しかし昨年は一転して出番がなくなり、最後まで機会は巡ってこなかった。22年ぶりに一軍出場なしに終わり、シーズン後戦力外通告。
当初現役続行の意志が固くフロント入り要請も固辞したものの、移籍先はなく、引退ということになった。実際数年前からもう足が動かず守備は辛いという印象で、打撃技術はあってもさすがに限界か。華のある活躍には縁遠かったものの、低迷期から主力としてチームを支えてきた。これで川崎球場時代の、「ロッテオリオンズ」を経験した選手はついに姿を消した。

フアン・ムニス

中堅叩き上げ、未知数型

右投右打
ロッテ09(育成)〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
09 ロッテ - - - - - - - - - - - - - - -
10 ロッテ 14 22 3 1 0 0 4 1 1 0 1 1 0 5 .136
通算 2年

キューバ出身の外国人選手。33歳で育成契約で来日した選手で、年齢の割に実績は乏しいが未知数の魅力を持つ。
キューバ国内リーグなどでプレーし、米マイナーに所属したのは05,06の2年間。国籍を持つため、その後ブラジル代表チームでプレーしていたという複雑な経歴を持つ。09年33歳にしてロッテと育成契約。3月には支配下登録された。日本から見ると非常に情報の少ない選手だったが、1年目は二軍で活躍。3割4分の高打率を残してリーグの首位打者獲得。チーム2位の15ホーマー、チームトップの57打点と主砲として存在感を見せた。
そして2年目の昨年は一軍初出場。6月に昇格するとスタメンで起用され来日初ヒットを放った。たださすがに全体的には未熟で、その後はあまり結果を残せず1ヶ月足らずで二軍落ち。後半も機会があったがノーヒットで、極端な低打率でシーズンを終えた。
トップレベルでの経験がほとんどなく、既に34歳で二軍育成というのも無理がある話で、結局2年で退団に。せめてあと5歳ぐらい若ければ楽しみも多かったが。

村松 有人

ベテラン外野手、堅守型

左投左打 盗塁王(96)、ベストナイン(96)、Gグラブ(03)
星稜高 ダイエー91ドラフト6位〜03、オリックス04〜08、ソフトバンク09〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 オリックス 83 234 62 7 5 1 82 16 4 6 1 20 2 32 .265
09 ソフトバンク 29 46 10 1 1 0 13 5 0 1 0 3 2 5 .217
10 ソフトバンク 1 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000
通算 20年 1673 4981 1380 181 66 18 1747 393 270 151 20 412 35 666 .277

俊足と好守で鳴らしたベテランの外野手。打撃の弱さで一度沈みかけたが、そこから一回り成長してレギュラーに復活。
入団時から俊足に注目され、2年目に一軍出場。当初は完全な代走要員だったものの、95年に打撃開眼で急成長。この年3割をマークし、32盗塁を記録して1番定着。開幕からレギュラーとなった翌年は出塁すれば仕掛ける積極性で走りまくり58盗塁。見事盗塁王に輝き、最下位に沈んだチームの最大の光明となった。浜名との1,2番コンビは新たなチームの顔とまで謳われた。
しかし翌97年に打撃不振に陥ると、ここから長く苦しむことに。足を活かすために叩きつける打撃を実践していたが、これが逆に柔軟さを奪っていた。低打率に信頼も低下し、柴原が台頭した98年にレギュラー陥落。それ以降は準レギュラーの地位に留まり、常に2割5分前後の打率では1番復権もならず。徐々に期待感も薄れていった。
30歳を越えてこのままかと思われたが、秋山引退でチャンス到来の03年打撃改造に着手。これが見事にはまった。レベルスイングに直し、センター返しの基本に立ち戻ることで大復活。速球に強い打撃が甦り、完全に1番復帰。6年ぶりの規定打席到達で3割達成と大きな成果を得た。さらに打撃の幅が広がることで長打も飛躍的に増え、そこまで通算2ホーマーから一転シーズン6本塁打のおまけつき。打撃さえ戻れば弱点はなく、故障で終盤離脱しながらもシリーズには復帰し、チーム日本一になくてはならない存在となった。
かつては非力な打者だったが、大きく印象を変えた。オリックスにFA移籍した04年も打棒に衰えなく、2年続けての3割で実力を証明。アテネ五輪代表にも選出。05年は大不振に陥り低打率に苦しんだが、翌年はまた復調。安定した打棒で3度目の3割を達成した。07年も3割には届かずも安定した活躍。
長くレギュラーとして安定していたが、08年故障をきっかけにポジションを失うことに。前半は3割キープと好調だったのだが、7月初めに故障し1ヶ月以上離脱。これを境に調子が激変し、8月中旬に復帰も1割がやっとという大不振。6年ぶりに出場が100試合を割ってしまった。
大村と、FA移籍者がともに古巣に戻る形となるトレードで、09年はソフトバンクへ移籍。しかし開幕に出遅れ、5月昇格以降もあまり出場機会が多くなかった。打撃の状態もいまいちで、15年ぶりにシーズン100打席未満。さらに昨年は開幕直後に1度代打で出たのみで、二軍でも打撃低迷。終盤ようやく状態を上げてきたが時すでに遅く、結局序盤の1試合出場のみ。シーズンのほとんどを二軍で過ごして終わった。
この3年で急激に色褪せ、往年の脚力ももう失われてしまった。もう38歳となり、限界ということで昨年限りで現役引退を表明。20年のプロ生活を終え、今季からはスカウトに転身。

森笠 繁

準レギュラー、器用貧乏型

右投左打
国学院久我山高〜関東学院大 広島99ドラフト4位〜08、横浜09〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 広島 40 43 9 4 0 0 13 1 0 1 0 3 0 10 .209
09 横浜 62 101 20 6 0 2 32 11 1 1 2 8 1 23 .198
10 横浜 4 8 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .125
通算 12年 840 1563 412 80 6 21 567 125 34 21 6 90 12 315 .264

広島時代長期間準レギュラーとして働いてきた中堅外野手。規定打席到達は1度もないが、様々な役割をこなせる器用さが売り。
下位指名でも入団時から期待されていた選手で、2年目には91試合に出場。足は当初から戦力レベルで、打撃もライナー性の打球には光るものがあった。この時点で次期レギュラーの声も上がったが、その後低迷。特に02年は一軍ノーヒットに終わり、ちょっと伸び悩みを見せていた。
やや存在感が薄くなりかけていたが、03年から復調。初めて100試合以上に出場し、金本が抜けた穴を突いて打席数も大幅増。さらに04年は代打で高打率を記録し、守りに不安のある前田のサブとしても活躍した。
走攻守すべてにまとまりのある選手で、突き抜けるものはないが安定している。スタメンでも代打でもある程度の成績を見込める便利な存在。ただまとまりすぎていて強烈な印象を残しにくいタイプ。
06年は緒方の故障でポジションが目前に迫った。初めて打席数が300を越え、シーズン閉幕直前まで3割をキープ。いよいよポジション奪取かと思われたが、翌年は停滞。打撃の波が激しく、レギュラーを獲りきれなかった。代打としてはチーム最多の起用で切り札的存在となったが、もう一つ食い足りなかった印象。
長年「次のレギュラー候補」と言われ続けたが、その状態のまま30歳を越えてしまった。そして08年は大きく後退。ほとんど代打での起用だったが全く打てず、2割をやっと越える低打率で出場数が激減してしまった。100打席を割ったのは6年ぶりで、外野陣が刷新された中で取り残されてしまった。
金銭トレードで09年は横浜へ。しかし結果が出ず、前半はほとんど二軍生活。夏場以降主に代打で大幅に出番が増えたが、成績のほうは冴えなかった。前年より出場は増えたものの打率は2割に届かず、不振を抜け出せないまま。これで一気に影が薄くなり、昨年は5月に昇格も結果はさっぱりとあって、以降はずっと二軍暮らし。自己最少の出場数に終わり、戦力外に。
スイッチをやめたり再開したり、どうも器用貧乏から抜け出しきれなかった印象。もう30代半ばとあってそのまま引退となり、今季は広島に戻ってコーチ就任。

矢野 耀大 (輝弘)

正捕手、バランス型

右投右打 ベストナイン(03,05,06)、Gグラブ(03,05)
桜宮高〜東北福祉大 中日91ドラフト2位〜97、阪神98〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 阪神 119 371 102 17 1 4 133 36 0 10 5 16 2 100 .275
09 阪神 30 75 23 1 1 2 32 8 1 0 0 8 0 17 .307
10 阪神 8 9 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 5 .222
通算 20年 1669 4921 1347 218 22 112 1945 570 16 103 29 406 58 1089 .274

長期に亘って阪神の正捕手を続けてきたベテラン。高い打撃センスとバランスの取れたディフェンスでチームの要として活躍。移籍で大きく花開き、チームを強豪に変えた立役者の一人。
中日時代は中村の控え。入団年からコンスタントに試合に出て、一時は中村の地位を脅かす場面もあった。だがもう一歩のところで信頼を勝ち取れず、完全に抜き去るところまでいかなかった。正捕手の力量を持ちながら状況に恵まれていなかったが、大型トレードでの移籍で一気に運が開けた。
98年に阪神入りすると、いきなり不動の正捕手に。当時どんぐりの背比べ状態だった捕手陣に入ると、バランスの良さは一歩も二歩も抜けた存在だった。ディフェンス全般に安定感が高く、それ以上に際立っていたのがシュアなバッティング。鈍重な一発屋の多い捕手には珍しいアベレージ型で、99年には3割をマーク。一時は2番を任されたほどで、その存在感は年を追うごとに上昇。02年には故障離脱した途端にチームが失速するなど、勝敗を左右する存在に高まった。
これだけでも充分有意義な移籍だったが、圧巻はやはり03年。前年来の打撃好調でチームを牽引し、勝負強さも披露。リーグ3位の高打率に自身初の二桁本塁打、打点も79を数え、すべての面で自己ベストを更新する大活躍。もちろん守備面でも安定し、優勝の大きな立役者となった。MVPに輝いた井川と比べても甲乙つけがたく、全体的な貢献度ではむしろ上回っていたかもしれない。攻守の要となる大きな選手に成長した。
すでにベテランながらこれ以降も安定状態。チームとしては後継者育成も念頭にあったものの、後続を全く寄せ付けず。05年は自己最多の19ホーマーを放ち、06年は03年に次ぐ78打点を記録。依然として大きな存在感を発揮した。07年は久しぶりの不振で、2割台前半の打率のままシーズン終了。故障もあり、前半は狩野、夏場からは野口に先発を譲る場面も目立った。しかし翌年は再び立て直し。北京五輪代表に選ばれたこともあって先発マスクは前年同様100試合未満だったが、打率を大幅に回復させた。依然として正捕手に君臨。
長らく安定を維持していたが、40歳を越えた09年は故障で大幅に後退。前年オフに肘の手術をした影響で開幕から二軍調整となり、一軍出場は7月以降。狩野がほぼ正捕手という存在となっていて、復帰後もメインとはなりきらず。さらにシーズン終了間際に今度は足首を骨折し、15年ぶりに打席数が100に届かず。
一気に影が薄くなったところで、昨年は城島が加入。マスクを被る機会はほとんどなく、8試合はすべて代打出場、守備についたのは1度だけだった。肘の状態も悪く、6月に抹消されると以降一軍には戻れず。シーズン終了を待たず9月頭に引退を表明。
この2年は故障に泣かされ、回復力が落ちていた点はやはり年齢的な影響か。ともあれ20年のプロ生活を送り、特に移籍から10年以上チームを支え続けた功績は非常に大きい。

吉川 元浩

長距離砲、二軍の帝王型

右投右打
東農大二高 近鉄98ドラフト4位〜02、巨人03〜07、ソフトバンク08〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 ソフトバンク 9 19 5 2 0 1 10 2 0 0 0 1 0 7 .263
09 ソフトバンク 19 25 8 2 0 1 13 1 0 5 0 4 0 9 .320
10 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
通算 13年 45 62 15 5 0 2 26 5 0 5 0 7 0 22 .242

08年二軍通算100本塁打達成、そして悲願の一軍初ホームランを放った「未完の大砲」。長距離砲として名を馳せながら一軍出場の少なかった二軍の帝王。
高校から近鉄入りし、当初は二軍でもヒットすら打てなかったが、3年目に9ホーマー。そして02年にウエスタンのホームラン王となり脚光を浴びた。この年一軍にも初出場。2対2トレードで巨人に移っても勢いは変わらず、03,04年と2年連続イースタンの打点王。タイトルには一歩届かずも2年連続20ホーマー以上を記録。
だがこれだけの打棒を見せながらも一軍にはなかなか呼ばれなかった。近鉄・巨人と、長距離打者が充実しているチームにばかり所属していたのは不運だった。8年目の05年までの一軍出場はわずか6試合でノーヒット。06年初ヒットを放つも、翌年は若手に押されて二軍の出場数が激減し、シーズン後戦力外に。
トライアウトを経て08年はソフトバンクへ。育成選手としての入団だったが、期限ギリギリの7月末に支配下登録。そして8月中旬に二軍100号を放つと一軍昇格、月末に代打で11年目の初ホームランを放った。
軽いスイングで飛ばせるパワーはさすがに一級品。これまでは運もなかったが、逆に今度はチームが故障者続出で運にも恵まれチャンスを活かした。09年も一軍出場は8月以降でほとんど二軍だったが、終盤はなかなかの打棒を発揮。わずかではあるが前進を果たした。
しかし昨年は一転して一軍出場なし。実績の乏しい粗っぽい中堅選手が呼ばれる場面はないままだった。すでに30歳を越え、再び戦力外。二軍で大活躍していた若い頃にもっと一軍での出番が欲しかった。

グレッグ・ラロッカ

死球王、故障多発型

右投右打 最高出塁率(04)、ベストナイン(04,07)
広島04〜05、ヤクルト06、オリックス07〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
08 オリックス 26 89 15 4 0 1 22 9 0 0 1 8 7 14 .169
09 オリックス 74 261 75 16 0 12 127 43 0 0 1 17 12 36 .287
10 オリックス 42 133 34 8 0 7 63 21 0 0 1 15 9 18 .256
通算 7年 583 2068 600 111 3 123 1086 372 15 0 15 183 109 290 .290

来日1年目に大活躍し、長期間日本でプレーの外国人内野手。非常に死球の多いことで知られ、故障も多い選手。
04年広島入り。入団時の触れ込みは内野万能の中距離ヒッターというもので、推定年俸2700万の格安契約。期待は決して高くなかったが、開幕するや安定した打棒で活躍。大ブレイクした嶋と競うようにハイアベレージを維持し、最も意外だったのがホームランの量産。前半だけで26本を打ち込み、夏場からは4番に定着。最終的には3割40本100打点の大台突破、打率はリーグ2位で、三部門すべてでベスト5入り。コストパフォーマンスの高さでは稀に見る存在で、本人の評価はもちろん、すでに高い評価を得ていたシュールストロム駐米スカウトの株をさらに上げる働きぶりを見せた。
成功の秘訣は変化球への対応力の高さ。特にほとんどの外国人がてこずる落ちる球を柔軟に捌いた。「シュアな打撃」という前評判は嘘偽りのないもので、内角に苦労した以外は穴がなく、66三振はセの30本塁打以上の打者では最も少なかった。積極果敢なプレースタイルも売りの一つで、11盗塁はチームトップ。この年からすでに両リーグトップの23死球も記録。
打撃は非常に高レベルで、翌年も好調なスタート。ただここから故障が目立つようになり、シーズン通しての活躍が難しくなった。05年は80試合の出場にとどまり、翌年はヤクルトへ。前半好調でラミレス、リグスとともに打線を牽引したが、8月にリタイア。2ヶ月の戦線離脱で、後半はほとんど出られなかった。
欠場が目立つ2年だったが、オリックス移籍の07年は発奮。序盤絶好調で5月末時点で3割17ホーマー。3番に座り、復帰のローズとともに最大の得点源として活躍した。6月に急停止して以降は明らかに勢いが翳ったが、3年ぶりに規定打席到達で20ホーマー突破。大きな離脱なくシーズンを過ごし存在感を発揮した。28死球は55年ぶりの更新となるシーズン最多記録。
無事ならばかなりの安定戦力なのだが、故障の多さが悩ましいところ。これ以降はますます欠場が多くなり、08年は右肘の故障で出場は1ヶ月あまりに留まり、来日以降最低の成績。大幅減俸を受け入れて残留の翌年は序盤好調で打線を支えたが、夏場に死球骨折でリタイア。8月以降は出場なく、前半だけの活躍に終わった。
微妙な状勢から残留した昨年だったが、無事に出場していたのは序盤だけ。5月になるとまた故障離脱し、以降一軍出場なし。後半二軍戦には復帰出場していたものの、戦力構想から外れそのまま退団ということになった。
通算109死球は7年のキャリアで歴代13位に入る破格の多さ。内角を全く避けない選手で、これが死球の桁違いの多さとなり、さらに故障にもつながっている。実力は確かでもシーズンの半分も一軍にいないのでは戦力として計算できず、すでに38歳の年齢からもさすがにここまでか。

トッド・リンデン

スイッチ中距離、問題児型

右投左右打
楽天09途中〜10
年度 球団 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
09 楽天 73 284 83 22 0 12 141 37 2 0 0 32 1 105 .292
10 楽天 53 162 30 5 0 5 50 18 1 0 2 21 4 64 .185
通算 2年 126 446 113 27 0 17 191 55 3 0 2 53 5 169 .253

09年途中に楽天入りの外国人。実績あるセギノール、リックが揃って不振に陥り、打線底上げのために獲得された。メジャー通算270試合出場。
6月後半に支配下登録され、7月から試合出場。するとコンスタントな打撃を見せ、いきなり月間3割のスタート。加入直後からしっかりと戦力になった。一時調子を落とすも9月以降復調。3割近いアベレージに12ホーマー、二塁打22本とかなりの好成績を残した。
タイプとしては中距離打者で、長打力もなかなかのもの。特に俊足というほどでもないが脚力もあり、来日当初は1番を打つことが多かった。またレフト守備もなかなか安定。ややストライクゾーンのセルフジャッジが過ぎる面があって見逃し三振がかなり多いが、率も残してきた。
一方で頭に血が上りやすい激情型なのか、退場やラフプレーも目立ち、シーズン終了間際には采配批判で野村監督と衝突という騒動も。ゴタゴタの末に残留した昨年だったが、今度は開幕からずっと低打率続き。大きく期待を裏切り、5月には二軍落ち。その後夏場に再昇格したが状態は変わらず、さらに今度はブラウン監督と衝突して謹慎処分。いいところのないままシーズン終了。
トラブルを抜きにしても昨年の成績ではどうにもならず、昨年限りで退団に。二軍では42打数21安打5割と力の違いを見せ付けたが、上では左投手がさっぱり打てなかった。


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