退団投手 2010年

青木 勇人

中継ぎ、復活型

右投右打
修徳高〜同大 西武00ドラフト6位〜05、広島06〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 11 0 0 1 0 1 11 17 1 6 2 2 0 4 3.27
09 広島 29 0 0 0 0 4 23 2/3 25 3 10 4 1 0 10 3.80
10 広島 6 0 0 0 0 0 10 2/3 11 2 4 3 1 0 7 5.91
通算 11年 210 0 9 6 1 22 232 2/3 262 25 116 49 11 3 107 4.14

軟式出身の右腕。サイド気味の腕の振りから、なかなか球威があるタイプで、ドラフト6位入団ながら1年目から一軍入り。2年目の01年は46試合に登板とリリーフで活躍。
特筆すべきは四球を出さないことで、3年目までの126イニングで四死球は32とかなり少ない。四球で崩れず球威で押し込む、リリーフとしてはうってつけの人材だった。想像以上の掘り出し物で、大事な場面での登板も非常に多かった。
ここまでは間違いなく主力だったが、03年乱闘騒ぎで負傷して以降大不振に。一軍登板はするものの制球も球威もひどく落ち込んでしまい、3年続けて10点台の防御率と散々。もともと一本調子のタイプに加えて持ち味がすべて死んでいる状態はきつかった。あまりの惨状に復活は厳しいかと思われたが、06年広島に移籍で持ち直した。
移籍後は長い不振から脱し、夏場に登板試合すべて無失点と好投。残念ながら故障で短い期間だったが、07年は完全復活。一番良かった01年に次ぐ43試合に登板し、9月には5年ぶりの勝利投手に。15ホールドで後半は完全に主力リリーフに定着した。持ち味の四球を出さない投球が甦り、被打率も優秀だった。
翌年登板数を大幅に減らしてしまったが、09年は後半に再浮上。6月後半から一軍昇格して29試合に登板した。ただタフさに欠ける面があり、日程が進むにつれ状態が落ちて、最終的にあまりパッとしない成績に落ち着いた。そして昨年はその悪い流れを止められず。序盤6試合登板も無失点が2度だけとあって長期二軍暮らし。その二軍でも後半は失点がかさむようになり、復調できないままシーズンを終え、戦力外となってしまった。
33歳とまだそれほどの年齢ではないが、引退を決意。広島の3軍コーチ就任の予定となっている。無理は利かないタイプだが、もう少し出来たような気もするが…。

李 恵踐 (イ・ヘチョン)

サイド左腕、速球型

左投左打
ヤクルト09〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 ヤクルト 42 0 1 1 1 12 37 42 3 27 14 2 1 15 3.65
10 ヤクルト 19 0 0 1 0 5 17 2/3 11 4 18 7 1 0 10 5.09
通算 2年 61 0 1 2 1 17 54 2/3 53 7 45 21 3 1 25 4.12

韓国から入団のサイドスロー左腕。母国では10年プレーして通算559試合に登板。FA権を取得し、09年ヤクルト入り。
横手から140台後半〜150kmを計時する速球が持ち味。ただ母国でも制球には難があったようで、四球多めの荒れ球タイプ。林昌勇に続き期待されたが、開幕前は冴えない投球が続き、さらに故障で開幕出遅れ。5月にようやく初登板。先発として投げたが、援護を貰いながら3回持たずKOされ、以降はリリーフ登板となった。
やはり制球は悪いという印象で、フォーム自体の重心が高く、ボールが低めに行きにくい。ただ力はあり、リリーフに廻ってからはまずまずの投球を見せるようになった。後半は登板機会がかなり増えて、目立たないがシーズントータルではそこそこの結果を残した。
昨年は、シーズン初登板で1イニング持たず4失点してしばらく二軍落ち。交流戦の時期に再昇格も、今度は満塁弾を浴びまた降格と前半は二軍のほうが長かった。しかし終盤9月に一軍復帰すると、そこからは見違えるような安定感を発揮。貴重なリリーフ左腕として信頼を掴み、なかなかの戦力となった。シーズントータルでは前半の失点が響いて前年より登板数半減、防御率も悪化だが、9月以降は14試合15イニングで失点2。
ショートリリーフということで防御率は度外視すると、対左打者39打数5安打で15奪三振というのは素晴らしい数字。被安打11のうち9本、失点に至っては10すべてが巨人と西武のみに喫したもので、それ以外の相手では12試合9イニングで2安打しか許さなかった。ただワンポイントでは不足という判断か、再契約はされず。退団となり、今季は韓国に戻って古巣でプレーすることに。もう1年見たかった気もするが、やむをえないか。

大久保 勝信

リリーフ、故障多発型

右投右打 新人王(01)
日高高〜立命大〜松下電器 オリックス01ドラフト2位〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス 3 0 0 0 0 0 3 1/3 5 2 2 2 0 0 5 13.50
09 オリックス 47 0 2 1 1 1 41 38 2 36 16 3 3 14 3.07
10 オリックス 5 0 0 0 0 0 7 8 0 6 5 0 0 5 6.43
通算 10年 254 0 16 20 63 15 286 2/3 253 23 276 104 8 13 103 3.23

01年ルーキーながら14セーブをマークし抑え定着、新人王を獲得した投手。その後故障で苦しんだが、05年復活し再び抑えで活躍した。
長身から、しなやかに体を使える投手。直球は140km台後半とスピードもあり、コントロールもまとまっている。またフォークボールの切れ味鋭く、奪三振がかなり多い。総じて大きな破綻のないタイプで、安定感はかなりのもの。
社会人からドラフト2位で入団し、即戦力として1年目から台頭。抑えとしていまいち不安定だった具臺晟に替わって、シーズン途中からストッパーに定着した。近鉄戦で優勝決定の逆転満塁弾を打たれる場面もあったが、ほぼ安定した投球で能力発揮。持てる力をいかんなく発揮することができた。
好調な立ち上がりだったが、しかし翌年シーズン途中に肘を痛めて戦線離脱。これが想像以上の重症で、ほぼ2年を棒に振ることになってしまった。一時は復帰を危ぶむ声も出たが、04年の閉幕直前にようやく復帰登板。
05年は開幕こそ二軍で迎えたが、5月に一軍昇格。初戦に救援勝利を挙げるとそこから13試合連続無失点。完全に抑えに定着し、華麗な復活劇を見せた。一度捻挫で戦列を離れたものの22セーブを記録。11球団すべてからセーブを挙げ、成功率は100%。チームを支える大活躍を見せた。
ただどうにも故障の多い投手で、開幕から抑えの翌年は一転して不安定な内容に加えて肩痛離脱。07年は復帰して中継ぎでまずまずの活躍を見せたが、08年はキャンプ開始直後にアキレス腱断裂の重傷で長期離脱。2年に一度ははっきりした故障で離脱している形で、どうにも不安が付きまとう。
08年夏場に実戦復帰を果たし、翌年は開幕から5月一杯まで13試合連続無失点と好調な立ち上がりを見せ、再び一軍戦力として定着。47試合登板で復調を果たした。しかし昨年は一転、5月の5試合登板のみ。二軍では1点台の防御率で6セーブと力の違いを見せるも、ひじの不調に悩まされ一軍には戻れずに終わった。
シーズン後現役引退を表明。まともに出られれば計算の立つ、力の確かな投手だったが、故障の多さに泣かされたのが惜しかった。

小山田 保裕

サイド力投、体力不安型

右投右打
土浦日大高〜城西大 広島99ドラフト5位〜07、横浜08〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 39 0 3 4 0 5 47 1/3 48 2 25 20 3 2 20 3.80
09 横浜 7 0 0 1 0 0 10 14 1 6 5 1 2 8 7.20
10 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 12年 251 6 19 26 37 13 439 1/3 471 40 309 158 33 9 197 4.04

抑えや先発などで活躍したサイドスロー投手。ドラフト下位指名ながら、当時投手が手薄な広島で1年目から登板。
プロ入り即リリーフで一軍定着。サイドスローながら力でぐいぐい押す真向勝負型の投球で、高めに伸び上がってくる速球には唸りを上げるような迫力があった。ただ体力面に不安を抱えており、好調が長続きせず。早い内から抑え候補として注目されたが、故障もあってなかなか力を発揮できなかった。
本領発揮は故障癒えた01年後半から。この年5セーブを挙げると、翌年は実質初めて一年調子を維持。完全に抑えに定着し、球団史上初の30セーブを挙げる活躍を見せた。被打率はあまり良くなかったが、ほとんどが速球という力の投球が光った。しかし疲労がたまりやすい体質なのか、翌年は一転不調。開幕に出遅れ、復帰後もいまいち調子が上がらなかった。
魅力たっぷりの投手だが、どうもリリーフでは燃え尽きてしまう傾向が強かった。そのためか、04年後半からは先発に転向。まずまずの成績を残し、05年は開幕ローテーション入り。黒田に次ぐ存在としてチームを支え、5月までに5勝と抜群の安定感を見せた。投球スタイルはこの辺りから大きく様変わりし、スライダーの割合が一気に増えた。力押しから球種を増やして、幅広く攻めるタイプにモデルチェンジ。ただやはり長続きはせず、6月以降は1勝8敗と大不振、さらに8月には故障離脱。
この故障が尾を引き、07年はかなり寂しい内容。わずか3試合の登板に終わり、シーズン後横浜へトレードとなった。移籍の08年は完全投壊状態のチームで主にリリーフとしてなかなか健闘。抜群の安定とまではいかないが、過去2年の不調から脱することには成功した。3度の先発はさっぱりだったが、リリーフではギリギリではあるが防御率2点台。
しかしどうしても登板数が増えた反動が翌年に来る。09年は大半を二軍暮らし、シーズン中盤に一軍昇格も、先発では3回持たずKOされ、その後のリリーフでも被安打が多くパッとしなかった。登板数は一桁に激減し、苦しい投手陣の支えにはならず。
ベテランの年齢域に入って、抑える術を失ってきた印象もある。昨年は春先に右肩の手術に踏み切り、実戦復帰は9月になってから。プロ生活12年目にして初めて一軍登板なく終わった。さらにシーズン後戦力外に。
年齢的に故障ブランク明けで移籍しての現役続行というのは厳しいか。力が落ちていたのは確かで、やむをえないところだが…。

バディ・カーライル

復帰外国人、先発型

右投左打
阪神01〜02、日本ハム10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 日本ハム 7 0 0 3 0 0 27 2/3 35 2 14 11 1 1 15 4.88
通算 3年 38 0 7 15 0 0 195 1/3 203 25 138 80 3 4 93 4.28

かつて阪神に在籍した外国人投手。長く日本を離れていたが、昨年日本ハム入りで8年ぶりに復帰。
01年当時低迷期だった阪神に入団。母国では初めて3A昇格した99年に11勝、来日時点でまだ23歳と非常に若い投手だった。1年目は先発ローテーション入りし7勝10敗。いいというほどではないが、まずまずの成績を残して残留。しかし2年目はムーア、バルデスが加入してチーム内に外国人投手が4人となり競争激化、チャンスが大幅に減った。結果一軍登板3試合のみ、2敗と結果も残せず、この年限りで解雇に。
阪神退団後はアメリカに戻り、06年には韓国でプレー。翌07年メジャーで20試合に先発し8勝という実績を残した。08年はリリーフに廻って45試合に登板。昨オフ日本ハムが獲得を発表し、実に8年ぶりに日本球界入りということに。
阪神入団時がかなり若かったため、これだけのブランクがあってもまだ32歳。先発要員に期待された昨年だったが、初登板こそ6回無失点の好投も、そのあと3連敗を喫して二軍落ち。長期の二軍暮らしを経て、8月再昇格後はリリーフでそこそこ投げるも、すぐに二軍に戻されるとそのままシーズンを終えた。わずか7試合の登板で1勝もできず。
先発4試合22イニングで31安打、10四球と走者を出しまくり、2度も押し出しがあるなど序盤の投球内容があまりにも悪すぎた。夏場のリリーフ登板では四球を出さなくなっていたが、いずれも大差のついた状況。既に戦力構想から外れていた印象で、シーズン終了すると間もなく退団が発表された。キャリアから期待はあったが、ムキになって力で押して痛打を浴び、制球を乱しといいところが見られなかった。

金村 曉 (暁、秀雄)

総合力、制球勝負型

右投右打 最優秀防御率(98)
仙台育英高 日本ハム95ドラフト1位〜07、阪神08〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 阪神 8 0 0 5 0 0 41 1/3 49 5 38 11 2 3 19 4.14
09 阪神 22 0 1 1 0 0 32 2/3 34 3 23 8 0 1 10 2.76
10 阪神 1 0 0 0 0 0 2 6 1 0 3 0 0 5 22.50
通算 16年 271 25 89 81 2 0 1429 1/3 1431 169 913 509 30 34 618 3.89

長らく日本ハムのエースと呼ばれた投手。187cmの長身右腕だが、力ではなく総合力で勝負する技巧派タイプ。
高校からドラフト1位入団、数年は体力強化と思われたが、3年目に早くも一軍に定着してきた。98年からは先発に定着し、勝ち星は8勝止まりだったが最優秀防御率のタイトル獲得。一気に中心投手の座に着いた。ただ線が細く、見た目ではまだ体ができていないという印象で、99,00年は故障多発。ここまではやや足踏みといった感じも付きまとった。
01年、ようやく1年離脱せず。成績はもう一つだったがこれが大きな自信になった。翌02年はリリーフでスタートも途中先発に戻り、初の二桁勝利達成。ここから完全に一本立ちを果たした。01年に13敗を喫した投手が、それ以降は常に勝ち越すように。ちょうど失速を始めた岩本に替わり、新たなチームの大黒柱として君臨。
それほど凄いボールはなく、球速も今は平凡。生命線は切れと制球力で、好調時には低めに丁寧にボールを集める。大人びたピッチングが持ち味で、それゆえに凄みはあまり感じにくいタイプ。被弾が多い投手で、奇麗なフォームも見方によってはおとなしい印象を与えてしまいがち。やや特徴が伝わりにくい嫌いはある。
02年以降は安定した成績で、05年も先発の軸として13勝、4年連続二桁勝利達成。しかし06年は9勝止まりと不調、ズレータに受けた暴行で戦列を離れたこともあったが、投球内容も大幅に悪化。若いダルビッシュの急成長で先発の軸という印象が一気に薄らいでしまった。さらに優勝争いの渦中での監督批判発言で非難集中、悪い意味での注目を集めてしまった。
そしてここを境に急激な落ち込み。07年は5月末に故障で離脱、復帰後は1勝しかできず、最後の3試合で計22失点の大炎上。8月頭を最後に二軍落ちし再昇格なし。阪神に移籍となった08年は先発の一角と期待されたが、開幕直前の故障で前半出場なし。7月ようやく昇格し先発で投げたが、とことん勝ち運に見放され5連敗。実に12年ぶりに1勝もできずに終わる最悪の結果となった。前年からの連敗は8に伸びて止められず。
09年も前半は二軍暮らしと相変わらずの失速状態。7月に昇格し2度先発したが勝てず、07年からの連敗を9に伸ばしてしまった。ただこれ以降はリリーフに廻ると、当初は失点が続くも8月後半から落ち着き始め、久しぶりに復調気配を見せた。終盤はなかなか安定した投球で、連敗を止める移籍後初勝利も記録。シーズン防御率2点台は実に10年ぶり。
やっとジリ貧が止まったというところだったが、しかし昨年は一転また急落のシーズンに。ずっと二軍で過ごし、6月ようやく一軍登板するも、2イニングで被安打6、四球3、きっちり3点ずつ計6点失うボロボロの内容。この後はずっと二軍暮らしで、シーズン後戦力外に。
二軍では37試合に投げてまずまずの成績を残しはしたが、元来球威には欠ける投手で、一軍でここまで滅多打ちにされてしまうとさすがに厳しい。国内の移籍先はなく、今季は韓国でプレーすることに。まだ34歳とそれほどの年齢ではないが…。

木塚 敦志

変則本格派、力投型

右投右打 最優秀中継ぎ(01)
浦和学院高〜明大 横浜00ドラフト2位〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 16 0 1 0 0 5 6 7 0 8 1 1 0 5 7.50
09 横浜 43 0 3 2 1 16 31 2/3 35 5 20 7 3 0 17 4.83
10 横浜 7 0 0 1 0 0 3 2/3 10 2 2 0 0 0 5 12.27
通算 11年 490 0 35 25 24 87 462 1/3 402 48 367 127 27 2 172 3.35

強気の投球が光る横浜の主力リリーバー。入団時から常に主力リリーフとして、長期間活躍し続けた鉄腕。
佐々木が退団した00年に入団。1年目当初は中継ぎだったが、他に適任者がなく後半は抑えへ。やむをえずの面もあった起用だったが7勝18セーブ、防御率2点台の活躍。サイドスローから140kmを越す速球で牛耳り、即戦力の期待以上の働きを見せた。強気の攻めゆえに一発を浴びる面も多々あったが、それ以上に三振の取れる投球に魅力があった。
翌年斎藤隆が抑えになったことでセットアッパーに廻り、中継ぎタイトルに輝くなど前年以上の内容。しかし翌年は一気に反動が出て、故障離脱。加減せずに全力で投げ込むタイプだけに、さすがに2年間で100試合以上の登板は堪えた。すぐに復帰はしたが、影響は翌年も引きずり、ちょっと低迷が続いた。
万全ならば被打率が非常に低い投手で、速球でほとんど牛耳ってしまう。力任せの面も強かったが、徐々に変化球も有効に使うようになってきた。04年は少し抑え目の投球で成功、奪三振率は落ちたが内容は良化した。一時の不振を脱し、これ以降は安定した活躍を続けるように。登板数が増えても燃え尽きることがなくなった。
04年から50試合以上登板が続き、07年はショートリリーフに限定した起用でさらに登板数増。コンスタントにマウンドに上がり、リーグ2位にして自己最多・球団史上最多の76試合登板。当然ホールド数はチームトップで、これまで以上にフル回転の1年に。これだけ投げて左打者との対戦が20打席未満と非常に少なかったように、ほぼ右打者限定の起用法だった。
ただそれでも反動はあったようで、08年は開幕から不調。状態上向かず5月に二軍落ち。そのまま再昇格なく、登板数激減し防御率も7点台。これで翌年は二軍スタートとなったが、5月中旬に昇格するとすぐにフル回転状態となった。前半は状態が良く、6月から7月にかけて14試合連続無失点。1イニング未満のショートリリーフ中心ながら43試合に登板と主力に復帰。
ただ後半は疲れが出たか不安定となり、シーズン自責点の8割が8月以降に集中。防御率は5点近くまで落ち、最終的にはかなり成績を落とした。その状態を引きずり、昨年は当初から不安定な状態。4月半ばに3長打を含む5連打を浴びると抹消され、そのまま長期の二軍暮らしに。9月になると戦力外を通告され、シーズン中に引退を決意。
10年以上ほぼフルにリリーフで回転し、やはり消耗が激しかったか。33歳とかなり早い年齢での引退となった。引退登板も慣れ親しんだ終盤のリリーフで飾り、プロ通算490試合をすべてリリーフで記録。今季からは一軍コーチに就任、投手陣立て直しを託されることに。

工藤 公康

大ベテラン左腕、大投手型

左投左打 最優秀防御率(85,87,93,99)、最優秀勝率(87,91,93)、ベストナイン(87,93,00)、MVP(93,99)、Gグラブ(94,95,00)、最多奪三振(96,99)
名古屋電気高 西武82ドラフト6位〜94、ダイエー95〜99、巨人00〜06、横浜07〜09、西武10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 3 0 0 2 0 0 13 2/3 21 3 7 5 1 2 8 5.27
09 横浜 46 0 2 3 0 10 37 1/3 53 11 24 14 0 2 27 6.51
10 西武 10 0 0 2 0 0 6 11 1 7 4 0 0 7 10.50
通算 29年 635 116 224 142 3 10 3336 2/3 3056 362 2859 1128 43 81 1279 3.45

現役最多の通算勝利を誇る超ベテラン左腕。所属した複数のチームで優勝及び日本一を経験し、「優勝請負人」とも呼ばれる。多くの球団で47番を左投手がつけているのはこの人の影響。
高卒でプロ入りした1年目から一軍に定着し、4年目には8勝を挙げローテーションに定着。以来常に「先発型」の投手としてチームの柱となり、西武時代に7度の二桁勝利を記録して黄金期を支えた。95年FAでダイエーに移籍後もエースとして君臨し、5年で3度の二桁勝利。まだ経験の浅かった城島を教育したことでも名高い。この時点で4度の防御率タイトルを獲得し、MVPも2度受賞。球界を代表する左腕として名声を不動のものに。
2度目のFAで巨人へ移籍後も、いきなり12勝を挙げる活躍。しかし翌01年は故障で5試合しか投げられず。当時38歳の年齢から復活を危ぶまれていたが、翌年9勝に防御率も2点台と見事に復活を果たした。これ以降もコンスタントに力を発揮し、04年は4年ぶりの二桁勝利で通算200勝達成。チームが低迷した05年も左のエースとして11勝、村田兆治を破りプロ野球史上最高齢での二桁勝利を記録。一時は初の40代での最多勝という期待もあった。
ベテランになってもストレートを軸とする力の投球を見せ、05年の奪三振率は8以上。入団当初から武器としていたカーブとのコンビネーションで、若い頃から基本的な投球スタイルが変わっていない。年齢を感じさせない力強さを見せ続けた。
さしもの鉄腕も40歳を過ぎた辺りから安定感は落ちて、試合序盤で大崩れするケースも見せ始めた。06年肩の不調もあって後半登板なく、シーズン3勝に終わるとFA門倉の人的補償として横浜に移ることに。 戦力として以上に「生きた教材」を期待されての獲得と言われたが、ここで再び意地を見せて巻き返し。序盤は限界かと思わせるほど悪い状態だったが、そこから復調し7月以降は2点台前半の防御率で5勝2敗の好成績。シーズン7勝を挙げ、充分以上の戦力となった。
若い頃から体調管理の厳しさで知られた選手だが、44歳にしての復活劇は見事の一言。だがさすがに状態を維持することは出来ず、08年は肘の不調を訴え長期離脱。自己最少の3登板で、24年ぶりのシーズン0勝に終わった。そしてここを境にいよいよ衰えがはっきりしてきた。復帰した09年は序盤先発で炎上し、二軍調整後はリリーフに転向。プロ28年目にして初めてシーズン40試合以上登板と起用は非常に多かったが、左打者に4割打たれるなど内容は伴わず。この結果から戦力外を通告された。
現役続行に意欲を燃やし、昨年は古巣西武に16年ぶりの復帰。しかし47歳、もうはっきり力は落としていた。オールスター直前に一軍昇格し、以降リリーフ登板。だが2試合に1度は失点というペースで、短いイニングもなかなか抑えきれず。8月末に2敗目を喫すると二軍落ちとなり、シーズン終了前に再び戦力外通告。
昨年右打者13人中アウトに出来たのは5人だけという状態で、さすがに近年は一軍レベルのボールではなくなってきた。40代半ばまで一線での活躍を続けてきた驚異の鉄人もいよいよ限界という印象。本人は依然現役続行を希望しているが、国内での移籍はほぼ絶望的な状況。不世出の大投手も見納めとなる可能性も高い。

マーク・クルーン

守護神、速球王型

右投右打 最多セーブ(08)
横浜05〜07、巨人08〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 巨人 64 0 1 4 41 3 61 34 1 91 27 3 13 15 2.21
09 巨人 46 0 1 3 27 1 50 36 1 57 19 2 4 7 1.26
10 巨人 52 0 4 3 25 5 50 2/3 35 5 73 29 0 4 24 4.26
通算 6年 308 0 14 18 177 19 306 1/3 220 16 419 121 8 31 91 2.67

日本新記録となる161kmをマークした速球王。セットアッパーを期待されての入団だったが、佐々木の不振からクローザーの座について安定。
05年に横浜入り。スピードが評判でもなぜか来日するとさほど速くない投手が多い中、このクルーンは前評判に偽りなし。オープン戦から快速球を披露し、開幕すると150km超を連発。というよりも、ストレートに関しては常時150以上で、しかも後半の数字を気軽に連発する。速球以上の決め球としているフォークも140km台中盤という凄まじさで、まさに桁違いのスピード。衰えを隠せない佐々木に替わって抑えに据えられ、55試合に登板し26セーブの好結果を残した。以降は常にクローザーを務めることに。
アメリカ時代から速さには定評があったが、制球の悪さと故障で突き抜けなかった。その制球難は日本でも不安視されたが、タメをつくるフォームで解消。ボールは抜群だがそれ以外が粗いタイプだけに、登板状況が不定の中継ぎよりはクローザーのほうが向いていたと思われる。長い腕を鋭く振る姿は迫力満点。
06年は規制強化に伴って、上げ下げしていた足を高々と上げるフォームに変更。奪三振を増やして四死球は大幅に減らし、開幕から不動の抑えとして27セーブを挙げ君臨した。07年もクローザーに座り自己最多の31セーブをマーク、チームの勝ちパターンとして活躍。ただこの2年はややムラッ気が強く、股関節の故障も抱えてスピードも若干低下。安心感には少し欠ける内容だった。
オフの交渉がまとまらず08年は巨人へ移籍。上述の不安要素もあったが、蓋を開けてみれば来日以来最高の投球を見せた。開幕から順調にセーブを重ね不動の守護神に定着。後半は若干内容が落ちたものの、チームの快進撃に乗ってさらにセーブ量産。9月以降10セーブで球団初・自身初の40セーブ到達。来日4年目にして初のタイトルに輝いた。
翌09年もクローザーとして活躍し、自己ベストである1点台前半の防御率を記録。安定感では前年より上のものを見せた。ただその一方で体力面の不安が顔を出し始め、シーズン中にたびたび離脱。特に6,7月はほとんど不在という状態で、そのためセーブ数は大幅に減ることに。
それでもまともなら不動の抑えという印象だったが、昨年は一転して不安定な状態に。しばらく目立たなかった制球難がぶり返し、四球が大幅に増加。三振も非常に多く奪ったが、0か100かというような極端な投球が続き、安心感には程遠かった。最後まで調子は定まらず、25セーブこそ挙げたものの防御率は4点台で、自己ワーストを記録。
1年で大幅に信用を落としてしまった。同時に昨年も序盤や夏場に離脱があり、もう37歳という年齢不安もより顕著に。この点から巨人は再契約せず、シーズン後自由契約に。スピードは全く衰えず、昨年対右打者1割2分という被打率からもまともにストライクが行けばそうそう打たれない力は健在。ただ本人が希望する日本でのプレー続行には、高齢に加えて慢性的な故障持ち、突如乱れる制球力と不安点も数多い。去就は果たして。

ブライアン・コーリー

復帰外国人、平凡型

右投右打
巨人04途中、ロッテ10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 ロッテ 14 0 4 4 0 0 44 1/3 48 8 30 17 2 0 24 4.87
通算 2年 35 0 5 5 0 0 67 1/3 78 11 47 27 4 0 38 5.08

かつて04年の後半だけ巨人に在籍していた投手。昨オフテストを受け、昨年ロッテ入りで6年ぶりに日本球界入り。
当時リリーフ難に喘ぎ続けていた巨人に、04年途中入団。この年の巨人では7人目の外国人選手で、投手としても4人目という立場だった。 「150キロを軽く越える速球の持ち主」という事前情報だったが、アメリカ時代は1Aでは高かった奪三振率が昇格につれ大きくダウン。この数字はやはり正直なもので、実際に投げてみても確かに速いもののそれだけという印象。打者が脅威に感じる球質ではなく、前年から在籍のサンタナと比べても勝っていると思える部分はほとんどなかった。結局重要な場面を任せることはできず、この年限りで解雇。「泥縄補強」以上の印象は残せずに終わった。
しかし帰国後の05年はマイナーも、翌06年は2球団に在籍してメジャー32試合登板、初を含む2勝。08年も防御率6点台と内容は悪かったものの、2球団で計46試合の登板機会を得た。09年は3Aのみで、先発・リリーフ半々の31試合で7勝9敗という成績。
ロッテの秋季キャンプにテスト参加し合格。久しぶりの日本球団入りとなった昨年だったが、序盤のリリーフは1試合おきに失点する内容で早々に二軍落ち。長い調整の後7月に再昇格すると、今度は先発で起用された。連勝の後序盤KOが続いて一旦二軍落ち、終盤もう一度起用されて、計8試合の先発で4勝をマーク。ただこちらでも出入りの激しさは変わらず、最後は1回も持たずに降板。
巨人時代から時間が経過し、37歳になるベテランということもあってスピードは大幅に低下。その分多彩にはなっていたものの、どこをとっても平凡という印象しか残らなかった。リリーフでは不安定極まりなく、多少改善された先発でも4点台中盤の防御率では合格点とはいかず。結局今回も1年限りで退団という形に終わった。やはり一度失敗した外国人選手の出戻りは厳しい。

斉藤 和巳

不落エース、故障停滞型

右投右打 最多勝(03,06)、最優秀防御率(03,06)、最優秀勝率(03,05,06)、ベストナイン(03,06)、沢村賞(03,06)、最多奪三振(06)
南京都高 ダイエー/ソフトバンク96ドラフト1位〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
09 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
10 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
通算 15年 150 21 79 23 0 0 949 2/3 841 85 846 319 43 34 351 3.33

圧倒的な勝率で君臨したかつてのエース。球界でもトップクラスの先発投手だったが、故障で実戦から遠ざかっている。
高校からドラフト1位でダイエー入り。いつかは先発の柱に…と期待されながら、ルーズショルダーと度重なる故障でなかなか浮上できず。5年目の00年にプロ初を含む5勝を挙げ台頭したが、翌年また故障に襲われほぼ1年リタイア。あまりの故障の多さに一時は野手転向の声すら上がっていた。
しかし02年後半、一軍に復帰すると安定した投球で4勝。「無事ならば10勝級」と言われ続けた素質をようやく発揮し始めた。この実績だけで翌年の開幕投手に指名されると、そこであわやノーヒットノーランの好投。ここから快進撃が始まり、破竹の先発16連勝をマーク。投げれば勝つ安定感で、リーグでは佐藤義以来18年ぶりという20勝に到達。一気のブレイクでエースとなった。タイトルラッシュで優勝に大きく貢献。
190cmの長身だが、投げ下ろすタイプではなく大きく前に踏み込む重心の低い投法。当然リリースポイントは打者に近くなり、腕の使い方も非常に柔軟。150km前後の速球とフォークを武器とする本格派。また100km台の遅いカーブを持ち、この球でうまくカウントを稼いで追い込みしとめる。
さすがにいきなりの20勝は出来すぎで、翌年はフォームを崩して不調のまま1年を過ごしてしまった。10勝でも防御率は6点台と散々。しかし05年は見事に汚名返上。開幕出遅れも復帰後連勝街道突入。日本タイとなる開幕15連勝を記録し、先発した試合はチーム18連勝とあって、不敗神話を作り上げた。結局1敗しただけで2度目の勝率タイトル獲得。06年はさらに圧巻で、両リーグ最多の5完封を記録し、赤堀以来14年ぶりとなる1点台の防御率で完走。打線の弱体化・フォーム規制強化といった逆風をものともしなかった。18勝で2度目の最多勝、奪三振も200の大台突破で投手タイトルを総なめ。気合あふれる投球でチームを引っ張り、2度目の沢村賞も「満場一致」で獲得。
絶対のエースとして君臨してきたが、元来肩に爆弾を抱えていた投手。06年終盤からポストシーズンにかけて無理をしたことがたたり、積年疲労が07年一気に表出。フォークですら140km台中盤に達していた速球投手が、07年開幕当初はストレートでも140kmに届かないほどはっきり状態が悪かった。肩の不調で戦列を離れ、夏場復帰後も常に10日以上の間隔を空ける「無理をしない」登板。ここから7試合で5勝2敗、防御率2点台前半とさすがの好成績を残したが、決してベストの状態ではなく、4年続いていた二桁勝利はストップ。
肩を完全に治すため08年手術に踏み切り、1年間実戦登板なし。しかしその回復は、当初の予定よりもはるかに遅れてしまった。以降ブルペン入りすら体調次第という状態が続き、昨年も開幕前にまた手術。リハビリで過ごしてとうとう丸3年実戦マウンドから遠ざかることに。
長いブランクと復帰の目処が立たないことから、シーズン中から育成契約の可能性が報じられ、最終的には一旦自由契約となり「リハビリ担当コーチ」という肩書で契約ということになった。形の上では引退だが、あくまで復帰を前提としたもので、今季も引き続きリハビリに。前途はかなり厳しいが、何とかもう一度マウンドに戻りたいところ。

佐藤 誠 (誠)

移籍浮上、リリーフ型

右投右打
駒大岩見沢高 巨人94ドラフト5位〜00、ダイエー/ソフトバンク01〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ソフトバンク 22 0 3 2 0 2 17 1/3 22 1 9 1 0 0 10 5.19
09 ソフトバンク 25 0 1 1 0 2 23 1/3 35 5 14 8 0 1 17 6.56
10 ソフトバンク - - - - - - - - - - - - - - -
通算 17年 209 0 16 8 1 18 239 1/3 266 24 145 83 14 6 110 4.14

シュートが持ち味の中継ぎ右腕。下積み生活が長かったが、移籍3年目の03年にようやく一軍定着を果たした。
巨人時代に「秘密兵器」として再三脚光を浴びたが、7年間の在籍で一軍登板は4試合のみ。その内容も散々なもので、全く結果を出せなかった。吉永移籍の見返りとしてダイエー入りも、最初の2年はやはり一軍登板は一桁止まり。02年まではほとんど二軍暮らしで、立場も微妙になりつつあった。
しかし03年急上昇。早い内に一軍に昇格し、これまでとは見違えるように安定した投球を見せた。ベテランが不調でリリーフが弱体化する中、ほぼ唯一の台頭戦力として活躍。一気に31試合に登板、後半はかなりの信頼を掴み、すっかりリリーフの中心となった。翌04年も前半は波に乗れなかったものの、後半は安定。登板数を40まで増やし、一軍完全定着。
武器のシュートはシンカー系統の沈む球だが、ストレートとさほど変わらない球速があり威力がある。これとスライダーのコンビネーションで、左右の揺さぶりを身上とする。ただ変化がちょっと大きすぎて、細かい制球にやや難あり。そのせいでカウントを苦しくするケースも多い。
05年は内容がもうひとつだったが、06年は先発が早期に降板した試合の緊急リリーフを何度もこなし、スクランブル要員として活躍。また球速が増してシュート頼みの投球から脱却。7月に肘を痛めて短い活躍だったが強い印象を残した。
ただこれ以降は故障がちでパッとしない。07年は手術から復帰して序盤好調だったが、スタミナ切れを起こし夏場は毎回のように失点、終盤は二軍落ち。08年は大きく出遅れ、6月に昇格もすぐに二軍落ち。8月再昇格して以降20試合登板、3勝を挙げたが、内容はあまり良くなかった。09年はさらに不安定な内容となり、一軍と二軍を行ったり来たりの状態に。
06年の故障を境にはっきり内容が落ち、一時上がった球速もガクッと低下。強力なリリーフ陣に食い込むには苦しく、昨年は移籍後初、11年ぶりに一軍登板できずに終わった。シーズン後戦力外に。
途中加入で活躍した金澤とタイプが被り、年齢的にも近年の状態からも戦力外はやむをえないところ。現役引退で、今季からは古巣巨人で打撃投手となることに。

清水 章夫

長身左腕、再生型

左投左打
大阪高〜近大 日本ハム98ドラフト1位〜07途中、オリックス07途中〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス 34 0 4 2 1 6 24 29 2 14 4 3 0 13 4.88
09 オリックス 58 0 1 2 0 11 34 2/3 41 3 18 17 7 1 19 4.93
10 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
通算 13年 279 8 17 29 2 20 447 459 48 295 205 38 12 229 4.61

98年のドラフト1位左腕。スピード自体は平凡だが、ボールの切れで勝負するタイプ。先発で伸び悩むも03年リリーフに転向して浮上。
大学時代エースとして輝かしい実績を残し、ドラフト1位で日本ハム入り。だが即戦力の期待には応えられず、1年目はわずか3試合の登板、2年目は登板なく終わった。それでも3年目の00年飛躍を見せ、先発で台頭。ローテーション入りし、4完投で6勝となかなかの成績を残した。翌年の飛躍が期待されたが、わずか2勝と完全に後退。カーブ・スライダーに特徴のある投手だが、やや慎重さに欠けるところがあった。チームの投手陣全体と歩調をあわせ、02年は登板試合も激減。またもわずか2勝に終わり、若い正田の台頭ですっかり影が薄くなってしまった。
だいぶ危ない状況に陥っていたが、03年ショートリリーフに専念することで持ち直した。変化球の切れが戻ってきたおかげで、対左打者にはなかなかの成績。防御率は初めて3点台とし、制球も低めに落ち着いた。左腕リリーフとして存在感を見せたが、これが続かないのが困りもの。リリーフ2年目の04年は大幅悪化。右にも左にもほぼ満遍なく打たれ、また信頼が大きく低下。
どうもいい状態が続かない投手で、05年はサイドスローに転向も故障でほとんど投げられず。06年は大きく持ち直し、一軍復帰でまずまずの結果を残した。ただ岡島・武田勝らの活躍で存在感は薄く、8月以降二軍落ち。07年はまた開幕から二軍で、シーズン途中にオリックスへ移籍したが結局一度も一軍に上がれず。
ただ反発力はあり、また微妙な立場となっていたところから08年巻き返して再浮上。30試合以上登板し4勝をマーク。6年ぶりのセーブを挙げる場面も。翌09年は菊地原が精彩を欠いたこともあり、貴重なリリーフ左腕として開幕からフル回転。後半失速して防御率はかなり悪化させたものの、自己最多の58試合に登板した。
ワンポイント要員として足場を固めたかに見えたが、昨年は一転故障に苦しむことに。開幕から二軍で過ごし、ひじを痛めて5月頭を最後に二軍登板もなし。シーズン後には戦力外となってしまった。元来持続力に欠ける上に、35歳の年齢で故障長期離脱ではさすがに厳しい。どうやらこのまま引退ということになりそう。

エリック・スタルツ

先発左腕、技巧派型

左投左打
広島10途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 広島 21 0 6 10 0 0 124 1/3 149 23 87 46 3 2 70 5.07
通算 1年

昨年開幕直後に広島入りとなった外国人投手。09年メジャーで完封含む先発4勝の成績を残し、貴重な先発左腕として複数球団がマークしていた投手。オフにロッテが獲得検討と報じられるも条件面で折り合わず断念。開幕直前に阪神という話も出たが、先発補強を目指す広島が獲得した。
下半身の動きの小さいフォームから高い位置でリリースする投手で、スライダーやチェンジアップを投げ下ろす角度をつけた投球スタイル。スピードは最速150kmといってもバラつきが多く、平均ではそこそこレベル。変化球を低めに集めるのが持ち味。
来日すると二軍で1度登板した後4月後半に昇格し、即先発入り。内容も良くない3連敗とスタートは悪かったが、交流戦で来日初勝利を挙げるとそこから3連勝を挙げた。しかしセとの対戦に戻るとまた状態が悪くなり4連敗。波の激しい投球が続いた。
技巧派なのだが、その変化球の時にはっきりわかるほど腕の振りが緩んでしまう。相手打者のタイミングを崩せないのはちょっと問題。球威面でも被弾が多く、ラミレスに3連発を浴びる場面も。左打者にかなり分が悪いのも印象が良くない。
ずっと交流戦の3勝のみだったが、8月以降セ相手からも3勝。ただ内容は上向かず、零封したかと思えば乱調KOと終始不安定。セの5球団すべてに2敗ずつの二桁敗戦を喫した。防御率も5点台を切ることは出来ず、1年で退団に。期待は大きかったがちょっと欠点が多すぎた。

J・D・ダービン

途中入団、先発型

右投右打
ソフトバンク10途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 ソフトバンク 3 0 0 2 0 0 16 16 3 11 10 2 1 12 6.75
通算 1年

昨年ソフトバンクに途中入団の外国人投手。育成入団となったオルムステッドとともに開幕後テストを受け、5月初めに入団が決まった。手薄な右の先発要員を期待されての獲得。
00年にプロデビューし、02年には1Aで13勝。メジャーでは07年フィリーズで6勝の実績を残した。ただその後2年はマイナーで大幅に負け越すなどパッとしない成績。入団するとまずは二軍で調整登板。ここでは明らかに格上の投球を見せ2連勝をマーク。一軍先発陣は極端な左偏重で、その上ホールトンも故障離脱とあって、6月後半に昇格した。
手元でボールを動かす癖球タイプだが、球速もそこそこある。初登板は四球を出しながらも6回1失点となかなかの投球を見せた。しかし続く2試合はいずれもKOされ連敗。ホールトンの復帰もあって勝てないまま二軍落ちとなった。
ボール自体はそう悪くはないが、力で牛耳れるレベルではなくカウントが苦しくなりがち。そして外国人投手にありがちな問題として走者への手当ても不十分。結局3試合の先発のみで以降は登板機会なく、1年足らずで退団となった。二軍では抑え込んでも一軍にはちょっと足りなかった。

高橋 建

ベテラン左腕、晩成型

左投左打
横浜高〜拓大〜トヨタ自動車 広島95ドラフト4位〜08、(米メッツ09)、広島10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 21 1 8 5 0 0 115 2/3 124 11 71 42 5 1 45 3.50
(09 NYM 28 0 0 1 0 - 27 1/3 23 2 23 15 2 2 9 2.96)
10 広島 26 0 4 5 0 8 30 37 8 17 19 0 0 31 9.30
日本通算 15年 459 22 70 92 5 23 1459 2/3 1518 216 1066 522 41 43 703 4.33

息長い活躍を続けるベテランサウスポー。なかなか役割が固定されずにいたが、30歳を過ぎてから先発で一本立ち。
社会人からプロ入り。ドラフト下位ながらも投手層の薄いチームにあって即戦力となり、1年目から39試合に登板。以降常に主力として投げ続けた。ただ150km近い速球に豊富な球種を持つ割にもうひとつ壁を打ち破れず。1シーズン好調が持続しない面があり、また先発にリリーフにと起用も一貫しなかったため、00年まではシーズン5勝が最高。
やや宝の持ち腐れという印象もあったが、01年ようやく先発に固定。するとローテーションを1年間維持し、いきなり二桁勝利で左のエースとなった。02,03年は9勝止まりも防御率は良化。遂に真の能力を発揮したと言える。
ベテランの年齢になってもなお速球派であり、ボールは非常に若い。球種も多彩で好調時には手がつけられない。ただ若い頃から不調が長引く傾向があり、特に春先に好調で夏場にばてることが多く、勝てない状態からなかなか立ち直れない。一度落ち込むと回復が難しいタイプ。
遅咲きの投手だが、30代後半に入った04年3勝10敗と散々な成績。翌年はさらに大きく落ち込み、4度の先発はすべてKO、リリーフに廻っても毎試合のように失点とボロボロの状態に。夏場には故障で離脱し、入団以来初めて1勝もできず。
年齢的にもここが限界かとも思われたが、06年はリリーフで少し持ち直し、6年ぶりに50試合以上登板。内容は決して良くはなかったが、どん底の不振からは脱出した。そしてこれ以降徐々に復調。07年は先発に戻りローテーション維持。だいたい5回までの登板ということで5勝、半分以上が勝ち負け付かずの状態だったが、ベテラン健在をアピール。翌年は春先非常に好調で、5月までに前年を上回る6勝を挙げた。6月躓き、後半は2勝を上乗せしたにとどまったが、シーズン8勝をマーク。4月には5年ぶりの完投・完封も記録。
04年に獲得したままだったFA権をこの年行使し、09年は40歳でのメジャー挑戦。開幕前に足を痛めて当初契約したブルージェイズを解雇されるなど苦しいスタートだったが、メッツと契約してマイナーからメジャーに昇格。リリーフで28試合に登板し、目立たないもののまずまずの結果を残した。
1年で解雇されると昨年は広島に復帰。リリーフとして開幕から10試合連続無失点と序盤は好調。4月中旬には運にも恵まれ3登板連続勝利を挙げた。しかし4月後半以降派手な失点が目立つようになり、みるみる成績下降。唯一の先発登板も5失点と結果を出せず、以降もピリッとしない状態が続いて6月二軍落ち。その後終盤まで再昇格なく、9月ついに現役引退を表明した。
まだスピードはあったものの、8被弾と球威はやや低下していたか。一線級という存在ではなかったものの、好投手として長いキャリアを全うした。

建山 義紀

サイドスロー、リリーフ型

右投右打 最優秀中継ぎ(04)
東海大仰星高〜甲賀総合科学専門学校〜松下電器 日本ハム99ドラフト2位〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 日本ハム 58 0 1 2 2 22 67 1/3 61 3 53 12 4 1 23 3.07
09 日本ハム 46 0 5 7 0 19 47 2/3 53 3 43 15 1 1 20 3.78
10 日本ハム 58 0 1 2 4 25 55 43 3 59 11 2 0 11 1.80
通算 12年 438 4 35 43 27 84 661 2/3 614 79 488 156 27 9 252 3.43

リリーフで活躍するサイドスロー右腕。一時クローザーを務めたこともあり、長期主力として働いている。
入団当初は先発で、1年目の途中からローテーション入りし6勝と即戦力に。2年目も6勝を挙げたが防御率が大幅悪化。当時は深刻な球威不足で、少々力の限界が見えた印象。01年は完全な低迷。ほぼ1年間一軍から離れ、二軍でもいい成績は残せなかった。
しかし02年以降、リリーフに専念することで大躍進。かつてよりも球威が増し、さらに切れ味抜群の投球で一気に信頼を掴み取った。02年終盤から抑えにも起用され、03年は故障で開幕出遅れも復帰後は完全にストッパー。リーグでは豊田に次ぐ安定感で君臨し15セーブをマーク、完全にリリーフの軸となった。
サイドから繰り出すボールは、スピードだけでなくスライダーやシンカーも絶品。何より目を見張るのは四球の圧倒的な少なさで、03年以降急激に減った。もちろん抑えでもいける力は持っている。
04年春先不振が続きファーム落ち。抑えの地位を横山に譲ったが、6月復帰後はセットアッパーとして定着。最多ホールドのタイトルにも輝いた。これ以降3年連続40試合以上登板。主力リリーフとして活躍したが、ただ一時の安定感から見るとムラッ気が強まり不安定になった印象も。05,06年は登板数の割に影が薄かった。07年は志願の先発再挑戦するも、3連敗など状態いまひとつの上に故障離脱。そのまま最後まで戻れずに終わってしまった。
やはりリリーフのほうが似合う投手で、復帰した08年は力を発揮。好不調の波はあったものの自己最多の58試合に登板。武田久が不調に陥った後半は継投の軸となった。翌年も引き続きリリーフとして、主にセットアップ役。後半2度の離脱など状態が悪く、成績を大きく落としてしまったが、前半は安定した投球を見せた。
そして昨年はさらに重要な存在に。開幕から好調で、武田久に不調から代役抑えを務めたことも。今度は後半の失速もなく、終盤は9月頭からシーズン終了まで13試合連続無失点の快投。自己最多タイの58試合登板で防御率は初めて1点台。チームトップの25ホールドを記録し、セットアッパーとして活躍。
スライダーが威力を増し、特に右打者には圧倒的な強さを見せた。武田久の不調に菊地が出遅れと苦境に陥りかけたリリーフ陣を支えた貢献度は非常に大きい。35歳とベテランの域に入るところで海外FA権を行使し、今季はレンジャーズと契約でメジャー挑戦。

谷中 真二

流転投手、便利屋型

右投右打
泉州高〜小西酒造 西武97ドラフト3位〜01途中、阪神01途中〜03、オリックス04、楽天05〜07、西武08〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 西武 11 0 0 0 0 0 13 14 3 11 3 3 1 4 2.77
09 西武 2 0 0 0 0 0 4 11 1 1 2 0 0 6 13.50
10 西武 8 0 0 0 0 0 7 1/3 9 1 3 10 1 0 6 7.36
通算 14年 243 5 21 25 0 2 502 572 60 236 213 52 16 254 4.55

先発もリリーフもこなす便利屋型の投手。強気の攻めが持ち味で、球種も多彩。ただ不用意に力押しする面が強く、あまり信頼は置けない。
西武時代にもボチボチ登板機会はあったが、これといった特徴に欠けるタイプであまり目立つ存在ではなかった。なかなか出番もなく、00年に32試合に登板したのが初めての実績らしい実績。しかし阪神に移籍した翌年に一気に名を売った。巡ってきた先発の機会で伸び伸びとしたピッチングを披露し、後半はローテーション入り。安定感を見せて7勝をマークし一軍完全定着を果たした。翌02年は先発に中継ぎにフル回転し、前年ほどではないが堅実な成績を残した。
完全一本立ちかと思われたが、しかし03年から内容が急激に悪化。変にむきになる傾向が出始め、5点台の防御率と散々だった。オリックスに移籍した04年も良くなるどころかさらに悪くなり、自己ワーストの数字を更新。徹底的に打ち込まれ、投手陣崩壊の一端を担ってしまった。
年々投球が愚直というか無策になりすぎている印象で、平凡な球威にもかかわらず力勝負に走ってしまう傾向。阪神時代の01年リーグ最多を記録したように死球を厭わない内角攻めが持ち味だが、そこまで攻めてもあまり怖がられなくなってしまった。
分配ドラフトで05年からは楽天へ。しかし低落傾向に歯止めはかからず、敗戦処理としても失格の内容。07年は自己最少の2試合登板に終わり、しかもそのいずれにも失点とボロボロ。シーズン後戦力外に。
流れ歩いて08年は古巣西武に7年ぶり復帰。ここで久々に盛り返した。序盤は3連続ホームランを浴びて二軍落ちと散々だったが、再昇格した8月後半以降は10試合で1失点という好投。落ちる一方だった成績を良化。防御率が2点台はおろか5点を切ったのも実に6年ぶり。
ただこの状態は続かず、翌年は開幕直後2試合登板したが、いずれも3失点とボロボロで二軍落ち。以降再昇格ないままシーズンを終えた。昨年は登板数が8試合に増えたが、派手な失点が目立った上に四球多発。シーズン後2度目の戦力外に。
長いこと一軍半という状態の割には踏みとどまってきたが、さすがにここまで。現役を退き、今季からは打撃投手となることに。

ヴィニー・チューク

途中入団、リリーフ型

右投右打
広島10途中
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 広島 16 0 2 0 1 2 18 2/3 24 0 12 7 1 0 12 5.79
通算 1年

昨年途中、獲得期限ギリギリで広島入りした外国人投手。シュルツの離脱などで手薄なリリーフ陣の穴埋めを期待された。
メジャーでの実績が豊富な投手で、05年には62試合登板、07年は57試合で5勝など、通算252試合登板。09年から急激にメジャーから遠ざかり、昨年は3Aでプレーしていた。7月末に契約・来日すると、二軍調整を経ず数日後には一軍登板。だが初登板では打者8人に5安打1四球6失点と散々で1イニング持たず。その後もリリーフで起用され16試合に登板したが、目覚しい結果は残せなかった。
スピードは充分あったものの、左打者に致命的に弱かった。16登板中7試合で失点と敗戦処理が精一杯という内容で、結局昨年限りで退団。補強としてはあまりうまくいかなかった。

エウロ・デラクルス

剛球右腕、一軍半型

右投右打
ヤクルト10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 ヤクルト 9 0 0 0 0 0 10 1/3 14 2 4 1 0 1 9 7.84
通算 1年

ヤクルトの新外国人投手。まだ26歳と若いながら、メジャー通算15試合登板の実績を持つ。100マイルの速球を持つという触れ込み。
ドミニカ出身、18歳でマイナーデビューし、徐々に歩を進めて07年にメジャー初登板。マイナーでは08年3Aで先発13勝を挙げ、09年はリリーフに廻って9セーブをマークした。ただメジャーでは通算19イニングで20を越える四球を出しており、制球面に不安を残す。
180cmと上背は平均レベルながら、推定120cmの胸囲が話題になったように非常にボリュームのある体型。来日すると開幕は二軍スタート。下ではオールスターまでに6セーブを挙げるなど抑え役を務めた。6月から一軍でも投げるようになり、抹消を挟みながら9試合に登板。ただ最後の3試合は立て続けに失点し、防御率は7点台後半に終わった。
150km台後半を計時するスピードにはかなり魅力があるが、シーズン後戦力外となってしまった。起用法も即戦力を期待していた印象ではなく、年齢的にもキャリア的にも半ば育成と思っていただけにやや意外。一軍戦力として当てになるかといえば微妙だが、大化け期待でもう1年様子を見ても面白かった気もする。

土肥 義弘

元巨人キラー、技巧派型

左投左打
春日部共栄高〜プリンスホテル 西武98ドラフト4位〜04途中、横浜04途中〜08、西武09〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 8 0 0 4 0 0 27 2/3 41 6 16 6 1 0 23 7.48
09 西武 12 0 0 1 0 3 10 2/3 10 0 7 0 2 0 6 5.06
10 西武 25 0 0 0 0 4 18 24 1 10 11 1 0 13 6.50
通算 13年 335 4 31 45 1 7 663 693 96 437 166 34 10 317 4.30

強烈な巨人キラーとして知られた左腕。左右を揺さぶり、西武時代は中継ぎとして活躍。横浜に移籍後、念願の先発に転向して成功を収めた。
高校時代から評判の投手だったが、社会人を経てややスケールダウンした印象。そのかわりに制球が安定し、落ち着いたピッチングができるようになった。球種は豊富で、シュートで体を起こし低めで仕留めるタイプ。西武入りした1年目こそ戦力にならなかったが、2年目から台頭。00,02年には50試合以上に登板し、リリーフ左腕の1番手になっていた。しかし03年はやや内容悪化。先発転向を直訴したものの登板機会は巡ってこず、シーズン途中に横浜へ。
横浜でもリリーフを想定されていたが、しかし訪れた先発のマウンドでかなりの好投を見せ、そのまま後半は完全にローテーション入りした。一時期調子を落としたものの5勝をマーク。05年は開幕からローテーション入りし、一気に二桁10勝達成。交流戦では古巣西武に連勝するなど大飛躍のシーズンとなった。04年3勝、05年7勝と巨人をとことんカモにした。
ただこれをピークに以降は停滞。06年は故障で3ヶ月離脱が響き3勝止まり。それ以外も不安定だった。07年はローテーション復帰を果たしオールスターまでに7勝を挙げたが、ここから5連敗を喫して負け越し。後半はまた故障にも泣かされ、トータルではパッとしない成績に終わった。
それでも主力の一角と目されていたが、08年は大不振。開幕から先発4連敗を喫して二軍落ち。6月昇格してリリーフ登板も、これも炎上が続きすぐに抹消。後半は二軍暮らしとなり、10年ぶりに登板数が一桁に終わった。得意の巨人戦も2敗を喫し、いいところのないままシーズン終了。
戦力外となり、09年は5年ぶりに古巣西武に復帰。登板機会は多くなく、シーズンの大半を二軍暮らし。昨年も前半は開幕直後の2登板だけだったが、不調の星野と入れ替わりに後半は一軍定着。シーズン初登板から5試合連続失点を喫していたものの、ショートリリーフに限定されて落ち着いてきた。前年より登板数倍増で、5年ぶりに20試合を越えた。
右打者にはさっぱり通用しなかったが、対左はそこそこ。自責点のほとんどは最初の内に喫したもので、8月以降18試合の防御率は1点台だった。シーズン後メジャー挑戦を希望し海外FA権を行使。現状契約は決まらず、前途は厳しそうではあるが…。

萩原 淳

異色コンバート、剛速球型

右投右打
東海大甲府高 オリックス92ドラフト2位〜07途中、日本ハム07途中、ヤクルト08〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ヤクルト 25 0 1 0 0 0 32 44 5 16 9 0 2 20 5.63
09 ヤクルト 34 0 1 1 0 7 39 1/3 50 3 36 14 4 1 21 4.81
10 ヤクルト - - - - - - - - - - - - - - -
通算 19年 270 0 13 15 15 20 372 1/3 377 56 300 188 15 19 203 4.91

内野手からプロ入り後投手に転向して成功した異色の選手。速球を軸とした力の投球で主にリリーフで活躍。
評判の大型内野手として高校からドラフト上位指名でオリックス入り。だがなかなか芽が出ず、二軍に埋もれたまま9年を過ごした。すると00年、地肩の強さを買われ今村と同様に意表を突いた投手転向。高校以降全くマウンド経験のない選手だったが、転向した途端にその素質を発揮し始めた。荒削りながらもMAX150kmの速球を投げ込み、プロの打者を牛耳るほどの切れと伸びを見せた。01年顔見せを済ませると、翌年は開幕から一軍に。当初は中継ぎだったが、大久保・山口が相次いで故障すると抑えに。グイグイと押す力強い投球で10セーブを挙げ、完全に投手として一本立ちした。
ここまでの凄さを見せられてしまうと、なぜ今まで投手をやっていなかったのかと疑問に思えてしまう。ただ経験の少なさは否めず、投球は基本的に力押し。ほぼ外角低め一辺倒で、幅はかなり狭い。その単調さが仇となり、03,04年は不調。チームの投懐で登板数がかさみ、疲労からスピードが落ちていた影響もあった。
05年は久々に持ち直し。信頼度ではもうひとつも、いろいろな場面で使える便利な投手として存在感を見せた。何度か先発も経験し、6月には中一日先発も。いずれも5回未満で降板と本当に穴埋めという起用法だったが、チームの苦境を支えて自己最多の登板数・イニング数を記録した。
存在感のある投手だが、無骨すぎて安定しないのが難点。06年は内容が悪く長期二軍落ちも経験し、翌年は開幕から二軍暮らしで、途中日本ハムへトレード。ポストシーズンで力強い投球を見せるも、日本シリーズ後戦力外に。
トライアウトを経て08年からヤクルトへ。相変わらず不安定で信用はしきれないが、登板数は回復してきた。09年は終盤肩を痛めて離脱してしまったが、3年ぶりに30試合以上登板。36歳にしてスピードガン自己最速更新など、年齢に似ぬ若々しさを披露。
しかし昨年は前年肩を痛めた影響か、前半は実戦登板なし。夏場に二軍で8試合に投げただけで、投手転向したての00年以来10年ぶりに一軍出場なく終わった。シーズン後戦力外となり、当初は現役続行を希望も断念。引退ということになった。内野手として伸び悩んだ前半から投手として花開いた後半へ、はっきり色分けされたプロ生活を過ごした。今季からはアイランド・リーグ愛媛のコーチに就任。他にいない異色のキャリアを指導に活かしたい。

エドワード・バルデス

格安外国人、技巧派型

右投右打
中日10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 中日 8 0 1 3 0 0 33 36 4 13 14 3 4 18 4.91
通算 1年

昨年中日入りの外国人投手。近年の中日ですっかり恒例となったウインター・リーグ発掘のドミニカ選手で、前年はドミニカ国内リーグでプレーしていた。年齢的には中堅だがメジャー経験はなく、マイナー実績も1Aから2Aが中心。
長身からカットボールを中心に攻める技巧派投手。開幕直後の初登板はリリーフだったが、2失策が絡んで自責点にはならなかったとはいえ一死しか取れない散々なもの。しかし続く登板では先発して5回を2失点に収め、来日初勝利を挙げた。これ以降は先発で投げたが、しかし7度の先発で5回を投げきったのが3試合だけ。3連敗を喫して6月前半に二軍落ち。
一軍戦力と見るには苦しい印象で、四球も暴投もやや多め。特に右打者との対戦成績がだいぶ悪かった。二軍での内容もパッとせず、再昇格ないままシーズンを終え、1年で退団に。多くは望まれていなかったとはいえ、足りない部分が多すぎた。

広池 浩司

変則左腕、雑草型

左投左打
立教高〜立大〜全日空 広島99ドラフト8位〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 10 0 0 0 0 0 12 1/3 13 2 10 6 1 1 7 5.11
09 広島 - - - - - - - - - - - - - - -
10 広島 3 0 0 1 0 0 1 3 1 0 0 0 1 3 27.00
通算 12年 248 0 9 12 1 25 268 346 37 181 124 9 20 163 5.47

経歴の「全日空」は球歴ではなく、大学卒業後は野球から離れていた変り種。情熱捨てがたく、テストを経てプロ入りを果たした。しかも大学時代は外野手だったが、プロには投手でチャレンジという異色の左腕。
サイドスローとクロスステップを駆使してボールに角度をつけるタイプ。変則とはいえ意外に球威はあり、ボール自体は一軍レベル。チーム事情もあるが、ブランクがありながら1年目から一軍のマウンドに立ったのは立派。以降毎年一軍に顔を出している。
当初は練習不足からか制球が悪かったが、02年は向上を見せ、防御率もまともな数字に良化。42試合に登板し、一軍戦力として一本立ち。翌年からは少ないながらも先発もするようになった。当初二軍だった04年も終盤リリーフでかなりの安定感を見せた。質量ともに不足の投手陣、特にリリーフ左腕は手薄とあって、完全に一軍戦力に。05年は41試合に登板も内容は散々だったが、翌年は大きく向上。自己最多の47試合に投げ、防御率3点台に収めた。2年ぶりに先発登板もこなし、これも自己最多の4勝を挙げた。
ただせっかくの前進も07年停滞。リリーフに専念したが左右いずれにも3割打たれ、4割近く出塁させてしまう期待はずれの投球だった。リリーフ左腕としては最多登板も内容はさっぱり。これ以降一軍から遠ざかるようになり、08年は登板数激減。09年は肘を手術してほぼシーズンを棒に振り、初めて一軍登板がないまま終わった。
昨年交流戦後に2年ぶりの一軍登板。だがワンポイント3試合で3安打(1ホーマー)を浴びる内容で、すぐに二軍落ち。そのまま再昇格できず、ほとんど二軍で過ごす1年に終わった。もう37歳のベテランでもあり、戦力外に。
なかなか安定して活躍とはいかず、地味な存在ではあったが、一度は断念したプロで12年のキャリアを過ごした。現役を退き、今季からは西武で打撃投手を務めることに。

クリス・ブーチェック

速球右腕、期待はずれ型

右投右打
横浜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 横浜 15 0 1 0 0 1 25 1/3 38 5 25 7 1 0 13 4.62
通算 1年

昨年横浜入りの外国人投手。メジャー通算90試合登板、07年にリリーフで51試合登板し3勝の実績を持つ。前年は3Aで20セーブを挙げ、42イニングで55奪三振。
150kmを越すスピードが持ち味で奪三振の多いリリーフタイプということで、抑えを期待されての獲得。しかしその構想は開幕前に早くも崩れた。オープン戦の内容が冴えず、先発転向予定だった山口が開幕数日前という段階に至って抑え再転向。ブーチェックは二軍スタートに。
ようやく5月以降一軍登板するようになったが、やはり不安定な投球続きでパッとせず。先発登板した6月末、7回途中まで2失点という好投を見せ来日初勝利。しかし光ったのはここだけで、続くリリーフ2試合は冴えない内容。7月中旬に再度先発するも今度は3回でKOされ、ここで二軍落ち。
事前の触れ込み通りスピードはあり奪三振の多い投手なのだが、非常に間の取りやすいフォームで被安打が多すぎる。四球は少なめではあるが、こうもポンポン打たれてしまっては意味がない。結局夏場以降は再昇格なく、1年限りで退団に。二軍レベルなら力で牛耳れたが。

ケーシー・フォッサム

先発左腕、軟投型

左投左打
阪神10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 阪神 12 0 2 5 0 0 56 2/3 65 9 48 24 5 1 36 5.72
通算 1年

先発タイプの左腕外国人。メジャー通算40勝の実績を持ち、237試合登板の内120試合が先発という投手。前年は3Aで3チームを転々としながら9勝をマーク。
大きく曲がるカーブを持ち味とする投手で、これを軸に緩急を駆使する軟投派タイプ。オープン戦での内容がさっぱりで評価を落とし、開幕は二軍スタートとなったが、4月半ばに昇格すると6回無失点の快投。続く登板も好投し来日初勝利を挙げた。これ以降はローテーション入り。
しかし2勝目を挙げるまでは良かったが、続く登板で2回KOされると以降は内容が下り坂。交流戦後3試合続けて5回持たずにKOされ、5連敗となって防御率も5点台後半まで急落。7月頭に二軍落ちとなった。
交流戦後の3試合で7被弾と球威の乏しいところを露呈し、慣れられると通じなくなってしまった。後半は登板機会がなく、戦力になりきれなかった。1年限りで退団に。

深田 拓也

リリーフ左腕、緩急型

左投左打
静岡高〜中京大 巨人06ドラフト(大・社)6巡〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
09 巨人 8 0 0 0 0 0 4 4 1 4 1 1 0 4 9.00
10 巨人 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 5年 15 0 0 0 0 0 12 1/3 11 2 10 1 2 0 11 8.03

一軍半の左腕投手。緩急を持ち味とするが、なかなか結果を出すところまでは浮上できず。
大・社ドラフト6巡と下位指名でプロ入り。アマ時代に目立つ存在ではなく、1年目は故障もあって二軍でもそこそこの登板数。しかし2年目に大きな成長を見せ、二軍で9勝、イースタンの最優秀防御率、最高勝率に輝いた。一軍昇格も果たし、リリーフで7試合登板。
スピードはあまりなく、どちらかといえば遅い投手。持ち味は100km前後のスローカーブを始めとした変化球で、腕の振りの割に変化球が全体的に緩く、緩急で攻める。ストレートを速く見せることで奪三振も多め。
08年は一軍登板がなかったが、09年は8試合に登板。ただ結果はあまり良くなく、テストの域を出ないものだった。昨年二軍では先発で投げ7勝を挙げたが、一軍登板の機会はなし。シーズン後戦力外となってしまった。
左腕といっても大卒5年経過で実績がほとんどない立場では苦しく、トライアウト参加も移籍先は見つからず。現役引退ということになった。這い上がってきたところで足踏みしてしまったのが惜しかった。

福盛 和男 (一夫)

シュート投手、粘投型

右投右打
都城高 横浜95ドラフト3位〜03、近鉄04、楽天05〜07、(米レンジャーズ08〜09途中)、楽天09途中〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
(08 TEX 4 0 0 0 0 - 4 11 2 1 4 0 2 9 20.25)
09 楽天 35 0 7 1 10 4 45 1/3 42 2 34 13 1 3 11 2.18
10 楽天 2 0 0 2 0 0 1 6 1 1 1 0 0 5 45.00
日本通算 15年 414 1 41 45 82 17 708 1/3 718 59 495 257 28 41 287 3.65

楽天のストッパーを務めてきた右腕。横浜時代は権藤元監督の秘蔵っ子で、シュートを駆使する投手。
3年目の97年に4勝を挙げて注目されると、翌年は故障で棒に振ったものの99年に復活して9勝。00年は先発にリリーフにフル回転し、6勝10セーブの好成績で主力として活躍した。しかしどうも故障の多い選手で、その翌年期待されながらわずか5試合の登板。あと一息というところでことごとく故障に泣かされてきた。
シュートで内角をえぐってフォークで決めるのが基本スタイル。特にシュートはストレートとほとんど変わらぬ球速があり、かなりの威力を誇る。ただ緻密さとは無縁で、荒れ球で打者に恐怖感を抱かせるのが持ち味。やや力任せの無骨な面が強い。
02年以降リリーフに専念し、03年はチームトップの62試合に登板。しかし防御率は4点台で、内容はもう一つだった。04年移籍した近鉄では一時抑えを任され00年以来の10セーブ。好調時には手のつけられない活躍を見せたが、反面波が激しく、トータルでは5点台の防御率と自己ワーストを更新。出入りの激しいシーズンとなった。
分配ドラフトで楽天入りした05年は、当初中継ぎだったが自然とストッパー的存在に。低迷するチームにあって勝ち試合限定というわけにはいかず、また自身も綱渡りの投球が多かった。それでも防御率は久々に3点台と持ち直し、数少ない終盤を任せられる投手として健闘した。そして翌06年はかつてないほどの安定ぶりで、24試合連続無失点の鉄壁投球。以前より球速も増し、交流戦終了までに14セーブをマークした。疲労からか夏場以降不安定になり、後半一時小倉に抑えを譲る場面もあったが、自己最多の21セーブとベストシーズンに。翌年も引き続きクローザーで、5月末までに12セーブ。ただ6月から肘に不安を抱え急失速。乱調が続き、ついに手術を決断。後半は完全離脱となった。
このシーズン後FA宣言し、米レンジャーズと契約。08年からメジャー挑戦となったが、結果は苦いものとなった。4試合中失点しなかったのが1度だけという投球で早々にメジャー契約解除。腰痛も発症し、秋にヘルニアの手術。09年は一度も登板せず、6月日本復帰を希望して解雇という形に。入団テストを経て、楽天に復帰入団となった。
もともと安定感には程遠いタイプの上、故障明けに不安も強かったが、7月に一軍合流すると改めて存在感を発揮した。8月頭まで11試合連続無失点で7月中に3勝。依然固まらないままだった抑えに返り咲き、後半だけで7勝10セーブの活躍、チーム最大の不安点を解消した。
空白だったポスト福盛の座は本人が埋めるという結果に。しかし昨年は開幕2戦目にセーブ失敗すると、続く登板でも4連打を浴びる炎上で連敗。ここで肘の不調を訴え二軍落ちし、5月に手術。8月後半の二軍戦で実戦復帰するも、一死取るまでに3安打1四球という散々な内容。痛みもぶり返し、シーズン終了を待たず引退を決意。
まだそこまでの年齢ではなかったものの、若い頃から故障が多く、自ら限界と判断することに。ムラッ気の強い投手だったが力強さも相当なものだった。

ジョン・ベイル

変幻左腕、故障ブランク型

左投左打
広島04〜06、10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 広島 30 0 0 3 1 4 26 2/3 29 3 21 15 3 0 21 7.09
通算 4年 136 1 14 16 31 11 283 2/3 283 33 312 104 16 6 129 4.09

上から横からと変幻自在な投球が持ち味の長身の外国人左腕。かつて先発にリリーフに活躍し、一度退団した後昨年広島復帰入団。
自身の長所を熟知した投手で、来日1年目の04年はローテーションに完全定着して二桁11勝をマーク。二桁敗戦も喫したが、チームの勝ち頭となった。長身から投げ下ろすカーブが効果的で、狙い球を絞りづらい多彩さを発揮。スタミナにはやや欠けたもののイニングを上回る三振を奪った。
この活躍で残留すると、2年目は抑えに配置転換。やや意外な人選だったが、6月中旬まで防御率は1点未満と前半は抜群の安定感を見せた。リリーフでスピードも向上し、奪三振の多さも健在。チームの低迷でモチベーションが落ちたのか後半やや不調に陥ったが、24セーブを挙げ期待通りの働きを見せた。翌06年も引き続き抑えを任され、開幕から11試合連続無失点など非常に好調な立ち上がり。しかし5月内転筋を痛め離脱すると、これでリズムが大きく狂った。交流戦後に復帰してしばらくは中継ぎ登板していたが、2年ぶりの先発登板で故障再発。再三の故障から印象が薄く、先発での結果が良くなかったことからシーズン後自由契約に。
他球団が獲得の噂もあったが、結局米球界に戻り、09年はメジャー初セーブを記録。するとオフに本人が売り込み、4年ぶりに広島に復帰することとなった。5月に一軍昇格しリリーフで登板。ただあまり安定感のない状態が続き、7月大量失点があって二軍落ち。最終的に登板数は30に達したものの、7点台という防御率でシーズンを終えた。
二軍暮らしが続いたあとの終盤、残留テストを思わせる登板機会があったのだが、13点リードの最終回という場面で四球を連発、一死しか取れず3点失い降板。これではどうにもならず、シーズン後解雇となった。36歳という年齢もあり、やはり力は落ちていた。

水田 章雄

晩成投手、乱高下型

右投右打
清教学園高〜立命大〜大和銀行 ダイエー/ソフトバンク99ドラフト5位〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 ソフトバンク 15 0 0 2 0 7 14 2/3 18 3 6 5 1 0 11 6.75
09 ソフトバンク 46 0 3 0 0 8 42 1/3 49 3 22 12 0 2 15 3.19
10 ソフトバンク 14 0 0 0 0 1 13 22 1 6 5 2 0 11 7.62
通算 12年 190 2 16 13 3 35 311 2/3 346 34 202 120 11 13 143 4.13

威力ある速球が武器の右腕。入団からなかなか成績が安定せず、常に一軍半の状態にあったが、07年以降主力に。
ドラフト下位入団ながら1年目にプロ初勝利。しかし制球が粗いタイプで、なかなか信頼を掴めず。3年目はわずか2試合の登板に終わり、02年も夏過ぎまで二軍暮らしとほとんど戦力外に近い状態。ところが9月に一軍昇格すると、先発で3勝を挙げる活躍。特に連続完投勝利は鮮烈で、半ば忘れられかけた存在から復活を果たして生き残った。しかしその勢いが翌年に続かないのが悪いところで、03年は7点近い防御率で信用失墜。
04年は序盤リリーフで好投を見せ、一時は抑えも任された。この時期には非常に安定感があったが、やはり長続きしない。開幕から1ヶ月が過ぎると一気に捉まりだし、結局5月を最後に二軍落ち。05年は故障でシーズンを棒に振り、復活を期した翌年も前半に4試合投げたのみ。年齢的にもいつ戦力外になってもおかしくない立場だった。
しかし9年目の07年これまでが嘘のような存在感を見せた。4月中旬に昇格するとまずは4年ぶりの先発登板。最初に負けたあと4連勝を飾る活躍を見せた。どうも6回の壁を越せないとあって6月以降はリリーフに廻ると、さらに安定感向上。期待されながら不調の藤岡・柳瀬に替わり、セットアッパーに定着した。夏場に一時乱れるも立て直し、そのまま最後までシーズン完走。もちろん自己ベストの成績で、崖っぷちから一転欠かせない戦力に。
もともと球威はあったが、精度が低く高めに浮きがちだった制球力が格段に良くなった。これでシュートもフォークも活き、決め手不足も解消。素早い牽制技術もリリーフ向きだった。ただまたもこれが持続せず、翌年は腰痛に悩まされ、一軍登板が8月中旬と大幅に出遅れ。抑えの馬原に加えて、便利使いできる水田の不在もチームにとっては痛手だった。復帰後も終盤乱調で成績を大きく落として終了。
三十代半ばにして覚醒の晩成投手だが、成績が安定しないのは悩みどころ。09年は再び主力リリーフとなり、自己最多の46試合に登板。ただ前半に比べると後半はもうひとつ安定感がなく、離脱したファルケンボーグの代役も果たしきれなかった。そして昨年はその不安な状態が継続。序盤から内容が悪く二軍生活のほうが長くなった。夏場再昇格も結果は散々で戦力にはなれず。前年より大幅に登板数減、そして自己ワーストの防御率で終わった。
維持していた球威が低下し、抑える術を失ってしまった。37歳という年齢からも上向くのは難しく、戦力外となるとそのまま引退。打撃投手となることに。

本柳 和也

力投右腕、リリーフ転向型

右投右打
春日部共栄高〜城西大〜日本通運 オリックス02ドラフト9巡〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス 58 0 2 7 0 11 70 2/3 70 8 55 17 2 0 33 4.20
09 オリックス 6 0 0 2 0 1 8 14 2 2 5 0 0 15 16.88
10 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
通算 9年 223 4 19 28 2 28 498 541 66 350 113 22 10 256 4.63

投手陣壊滅状態だった03年に急浮上した右腕。思い切りのいい腕の振りが特徴的な力投派。
社会人出身だがドラフトでは9巡と非常に下位での入団。1年目はほとんど一軍で出番がなかったが、ファームでは力のあるところを見せていた。2年目も初めから一軍にいたわけではなかったが、投壊が深刻化した6月頃から急台頭。リリーフで度胸の良いピッチングを披露し、一気に信頼を掴み40試合に登板。他の投手が一様に滅多打ちを食らったため、必然出番がやたらに増え、29失点のダイエー戦では5番手にもかかわらず6回105球を投げる事態。防御率4点台は明らかに酷使の結果で、印象は数字よりはるかに良かった。
この活躍から翌年は開幕からローテーション入り。しかし長いイニングを押し切るにはややスタミナ不足で、気合が空回りになる場面も多かった。勝ったり負けたりと波に乗れず、リーグワーストの11敗。05年は故障に泣かされ、登板はほぼ夏場以降。それでも終盤先発で好投するなど貢献したが、最後にまた肩を痛めてリタイア。
ここまではかなり腕の位置が低かったが、オーバースローに変更。ずば抜けた速さがあるわけではないが、躍動感あるフォームからグイグイ攻め込む気の強い投球が持ち味。どちらかといえば短期集中のリリーフ向きだが、ある程度長いイニングもこなせ先発も可能。
ちょっと物足りないシーズンも続いていたが、06年は便利屋的存在として活躍し3勝を挙げた。そして07年はリリーフに専念し、チームトップのホールドを記録。08年もセットアッパーとして活躍し、序盤からフル回転。前年をさらに上回る自己最多の58試合に登板した。さすがに登板過多の疲労からか終盤は調子を大きく崩し、防御率が大幅に悪化してしまったが、完全に主力リリーフに。7敗とポカも多いものの、利便性の高さで重要な存在に。
しかし09年は一転して大不振。開幕から不安定な投球で序盤で二軍落ち。再調整後昇格した6月には3年ぶりの先発登板をするも、2回3失点で敗戦。続くリリーフ登板では一挙6点を失う大炎上で、これ以降一軍登板なし。前年の主力リリーフがわずか6試合の登板でシーズンを終えた。
元来安定感には欠ける投手だが、すべてがあまりに悪すぎた。これで信用を失い、昨年はシーズン通して二軍暮らし。プロ入り後初めて一軍登板なく終わり、そのまま戦力外となってしまった。トライアウト参加も声はかからず。ここ2年の状態と34歳の年齢での移籍は厳しかったか。

森 跳二

一芸、伸び悩み型

右投右打
生駒高〜関西外語大 広島05ドラフト3巡〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 広島 2 0 0 0 0 0 1 1/3 2 0 1 1 0 0 0 0.00
09 広島 3 0 1 0 0 0 1 2/3 6 0 0 0 1 0 3 16.20
10 広島 3 0 0 0 0 0 3 1/3 8 0 2 2 0 0 3 8.10
通算 6年 27 0 1 3 0 2 31 1/3 45 4 25 13 2 4 21 6.03

阪神大学リーグで30勝をマークした右腕で、野球では無名の関西外大から初のプロ入りとなった投手。ただプロでは苦戦。
所属リーグのレベルもあって、即戦力候補であっても完成度はもうひとつ。1年目は5月末に先発で初登板。5回1失点の好投を見せ、その後リリーフで投げたが、徐々に捉まるように。1度二軍落ちのあと復帰したが、内容は回復せず一軍定着はならなかった。
横滑りするスライダーが最大の武器だが、それ以外がいまいち。1年目被安打の7割以上が左打者から、奪三振の9割が右打者からという点にも傾向がはっきり出ている。右打者は1割そこそこと圧倒的に抑えたが、左打者には5割超と攻め手なし。
06年は一軍登録なく、二軍で30試合登板。成績は可もなく不可もなくといったところだが、リリーフとしては四球が少し多すぎか。これ以降もほんの顔見せ程度の一軍登板しかできず、なかなか二軍を卒業できない。09年は交流戦で一軍登板、リリーフで待望のプロ初勝利を挙げたが、その後2試合の内容が悪く結局わずか3試合のみ。昨年もシーズンのほとんどを二軍暮らし。後半一軍登板機会があったが、3試合の内2試合で打ち込まれ結果を残せなかった。4年続けて登板数一桁に終わり、シーズン後戦力外に。
今度は右打者に5割以上と打たれ、これではさすがに厳しいと言わざるを得ない。一軍レベルには足りない部分が多すぎたか。

フアン・モリーヨ

超速球、超未熟型

右投右打
楽天10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
10 楽天 7 0 0 0 0 0 6 2/3 3 0 9 5 0 2 2 2.70
通算 1年

最速167kmという並外れたスピードを持つ外国人投手。26歳と若い選手で、メジャー実績は乏しいものの09年は3Aで67イニング87奪三振という成績。チーム長年の課題である抑えを期待されての楽天入り。
さすがに167とまでは行かずとも、オープン戦で早くも159kmを計時。150のラインを気軽に越え、評判通りのスピードを持つ。ただ同時に、その粗っぽさも並外れたレベルで、肝心の速球がどこに行くのか分からない、度を越したノーコンだった。開幕直後に1イニング2四球2暴投というとんでもない暴れっぷりを見せ、4月前半には早くも二軍落ち。その後交流戦で一時昇格もすぐに肘の不調を訴え、ほとんど戦力にならず。
なぜか変化球ではストライクが取れるのだが、一番の武器が使えないという状態だった。規格外とも言えた制球難は二軍調整で落ち着く気配も見せていたのだが、今度は故障連発。7月再昇格も、復帰登板で打者二人に投げたところでまた肘を痛めて離脱。シーズンの登板は7試合に留まった。潜在能力の高さから今季も契約を結んでいたが、前年来の故障を引きずり、さらに東日本大震災発生。精神的ショックから自身から退団を申し入れ、開幕直後に発表された。

藪 恵壹 (恵市)

元中心投手、テスト復帰型

右投右打 新人王(94)
新宮高〜東京経済大〜朝日生命 阪神94ドラフト1位〜04、(米・メキシコなど05〜06、08〜09)、楽天10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
(08 SFG 60 0 3 6 0 - 68 63 3 48 36 8 5 27 3.57)
(09 3A)
メジャー通算 2年 100 0 7 6 1 - 126 127 9 92 65 16 7 56 4.00
10 楽天 11 0 0 0 0 2 11 9 2 6 6 2 0 6 4.91
日本通算 12年 279 39 84 106 0 2 1655 2/3 1618 153 1035 475 77 48 658 3.58

かつて阪神のエース格だったベテラン投手。長い海外生活を経て、楽天にテスト入団し6年ぶりに日本球界復帰。
無名大学から社会人で成長しドラフト1位で阪神入り。そこそこのスピードに多彩な変化球も持つ総合力タイプの投手で、即戦力として1年目9勝を挙げ新人王を獲得した。以来常にローテーションの中心に座り、3年目の96年から3年連続二桁勝利。ただ当時のチームは下位に低迷しており、2年目から6年連続二桁敗戦を喫し、リーグ最多敗戦も3度記録した。チーム力の低さもあったが、藪自身中盤に突然乱れる傾向があり、それが痛手となるケースも多々あった。全体的に制球はいいほうの投手ながら、3度の最多死球で「抜ける」側面も強かった。
99,00年と6勝に終わると、01年は1勝もできずと一時激しく落ち込み、限界説も囁かれた。しかし井川の台頭してきた翌02年4年ぶりの二桁勝利で復活。03年は終盤離脱して8勝止まりに終わるも、初優勝を経験。プロ入り以来Aクラスに入るのもこれが初めての経験だった。
04年自己ベストに近い防御率を残しながら、6勝で3年ぶりの負け越し。するとシーズン後メジャー前提のFA宣言をし、アスレチックスと契約して36歳での米球界挑戦ということになった。渡米1年目はメジャーでリリーフ40試合に登板し、4勝1セーブとなかなかの成績。しかしこの年限りで自由契約となると、翌年から去就定まらず転々とすることに。06年は当初ロッキーズと契約も早々に退団となり、途中からメキシカン・リーグでプレー。翌07年はどこにも所属しない浪人状態で1年を過ごした。08年メジャー復帰を果たし、この年はジャイアンツでプレー、60試合登板と奮闘したが、翌09年はマイナー生活。そこでも成績が振るわず7月に解雇となってしまった。
日本での報道で名前が出ることもすっかり減っていたが、昨年7月後半ロッテの入団テストを受けることに。これは不合格となったが、間を置かず楽天のテストを受け、早々に入団決定。久々に日本でのプレーだが、すでに41歳という年齢に加えテスト時には2日目にスピードが大幅に低下したと言われ、不安のほうが強い状態。果たして11試合の登板は波が激しく、いい結果は残せなかった。シーズン後戦力外に。
トータルの被打率は意外と良かったが、西武にはとことん打ち込まれた。さすがに戦力としては厳しく、そのまま引退となり、今季は古巣阪神でコーチに就任。

ユウキ (田中 祐貴)

故障多発、浮沈型

右投右打
杜若高 近鉄98ドラフト5位〜01、オリックス02〜08、ヤクルト09〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 オリックス - - - - - - - - - - - - - - -
09 ヤクルト 19 1 5 6 0 0 100 2/3 104 8 77 36 7 3 38 3.40
10 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 1/3 0 0 1 0 0 0 0 0.00
通算 13年 119 5 28 22 1 7 462 460 42 367 200 18 14 191 3.72

高い実力を持ちながらも、再三の故障に泣く投手。投げられれば主力レベルなのだが、常に大きな故障が付きまとう。
高校からドラフト下位で近鉄入り。2年目の99年に5勝を挙げて台頭。後半ローテーションの一角を占め、期待の若手として脚光を浴びた。しかし翌年は2勝止まりでさらに故障。01年は一軍登板なしに終わり、ちょっと忘れられた存在になりかけていた。FA加藤伸一の人的補償としてオリックス移籍も、故障明けということもあり即戦力という期待ではなかった。
しかし移籍した02年後半に圧巻の活躍で台頭。8月中旬に初勝利を挙げると、わずか2ヶ月の間に7勝をマーク。内容も3完投中2完封、防御率1点台と素晴らしいもので、瞬く間にエース候補に上りつめた。
近鉄当時はバランスは取れているものの球速はそこそこで、さほど特徴のあるタイプではなかった。しかしブランク明けの印象は一変、球速は150km近くまでパワーアップし、元来のまとまりの良さとあいまって完成度の高さを感じさせた。
しかしあまりにも故障が多すぎる。03年は先発の軸として二桁勝利も期待されたが、ここでまたも故障。しかもそれが長引き、丸2年一軍登板なしに終わってしまった。05年3年ぶりに一軍登板も、腰痛再発でまた離脱。出てきたかと思うと故障でいなくなる繰り返しがずっと続いている。
06年は後半リリーフ要員で復活。34試合中29試合が7月以降の登板で、様々な場面でフル回転。7月だけで4勝を挙げ、8月にはプロ初セーブも記録した。存在感が薄くなりかけたところで再浮上。翌年は主に先発、4勝とパッとしない成績ではあったが、まともな状態が2年続いたのはこれが初めて。
しかしどうしても故障禍からは抜け出せないのか…。08年キャンプ打ち上げ目前に至ってまたも故障発生。右肩手術で1度も実戦登板できず、シーズンを完全に棒に振ってしまった。戦力外となったが、トライアウトを経てヤクルトと育成選手として契約。
能力は育成選手というレベルではなく、開幕後支配下登録。そして5月から昇格しローテーション入りした。当初はあまり良くなかったものの、後半は内容を向上させてシーズン5勝。終盤9月には7年ぶりの完投も記録。
しかし昨年はまた肩の状態が悪く、二軍戦登板も後半になってから。シーズン終了を待たずに現役引退を表明した。10勝級の力は確実に持っていたが、投げられないシーズンが多かったのが惜しい。

吉原 道臣

2年目浮上、リリーフ型

右投右打
日大豊山高〜日大〜ホンダ 横浜07ドラフト(大・社)6巡〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
08 横浜 25 0 0 2 0 8 28 34 5 22 10 3 2 20 6.43
09 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
10 横浜 - - - - - - - - - - - - - - -
通算 4年 28 0 0 2 0 8 31 39 5 24 17 4 2 22 6.39

2年目の08年浮上してきた右腕。リリーフの一角に食い込む勢いを見せた。
社会人出身、指名順位は低くともオープン戦で好投し1年目開幕一軍入り。しかし初登板は一死も取れず4連続四球という散々な結果に。結局1年目は3イニングで8四死球も出す内容で即戦力にはなれず。しかし二軍スタートの翌年6月に昇格すると、そこから11試合連続無失点の快投。奪三振の多い活きのいい投球で脚光を浴びた。下位に低迷するチーム事情もあって、重要な場面も任されるように。
140km台後半の速球とフォークを軸にする投手。いかにもリリーフ向きのタイプで、奪三振の多さは魅力。1年目苦い思いをした四死球も激減し、成長のあとを見せた。
ただこれが長続きはせず、7月中旬以降は失点がかさむように。完全に勢いは止まり、オールスター明けに大炎上して二軍落ち。終盤試された先発もうまくいかず、後半は失速したままで終わった。7月末時点で3点台だった防御率が、それ以降の3試合で6点台に急落。
オフに肘の手術をし、翌年はリハビリスタート。二軍での実戦復帰が7月以降で、一軍登板はなく終わった。再台頭を期した昨年も一軍昇格できないまま終わり、シーズン後戦力外となってしまった。
昨年二軍戦11登板6イニングで13失点という内容。故障明けではあったが、もう29歳ということもあり見切られてしまったか。トライアウト参加も声はかからず。

ジョナサン・レスター

速球右腕、乱調型

右投右打
オリックス09〜10
年度 球団 試合 完投 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回 被安打 被本塁 奪三振 四球 死球 暴投 自責点 防御率
09 オリックス 20 0 0 1 0 1 25 22 0 20 11 2 2 14 5.04
10 オリックス 35 0 2 2 10 0 37 2/3 45 3 33 16 2 1 20 4.78
通算 2年 55 0 2 3 10 1 62 2/3 67 3 53 27 4 3 34 4.88

リリーフを期待されたオリックスの外国人投手。コンスタントに150km前後を計時するスピードが持ち味の速球派。
メジャー通算48試合登板。08年は3Aで39試合に投げ3勝8敗、先発もリリーフもこなした投手。ただスピード以外の部分がどうにも粗く、来日1年目は開幕二軍スタート。その後5月に昇格、初登板は四球連発の散々なものだったが、6月以降はそれなりの投球を見せて一軍定着。しかし安定感には程遠く、オールスター後はまた微妙になって防御率は5点台。終盤は登板なく、右肩も痛めて離脱。あまり戦力にならずに終わった。
厳しい結果も変わり身を期待されて昨年も残留。速球の威力から抑えを期待され、開幕当初はまずまずの投球。しかし5月以降はまた不安定な状態となり、二軍落ちするなどして抑え失格。その後も状態は上向かず、8月半ばを最後に以降一軍登板なし。10セーブは挙げたものの4点台後半の防御率でパッとせず。
全体的にボールが浮き気味で、球威はあっても抑えきるには単調すぎた。結局2シーズンとも状態は変わらず、昨年限りで退団。


HOME